『逃げ出した先に楽園なんてありゃしないのさ。辿り着いた先、そこにあるのはやっぱり戦場だけだ』
これはベルセルクという漫画の作中に出てくるセリフです。自分を取り巻く現状を忌み嫌い、そこから目を背け、挑もうともせず、安易に新たな場所へと『逃げる』行為。人生という盆の上を孤独に歩む僕らは、時に名状しがたい辛苦や煩悶、あるいは哀切を抱くことがあります。その感情と真正面に向き合うのか?それとも、正面から見ないようにしてやり過ごすのか?対処方法は人によって様々でしょうが、一つだけ確実に言えることがあります。
表面的に表れたもの、それ自体からは逃げてしまえばやり過ごせる。けれど、その悲しみや辛さは、いつか別の形であなたのところへやって来るでしょう。なぜならそれは、他でもない自身の問題なのだから。どこまで行ってもどこまで逃げても、『自分』からは決して逃げることはできないのです。
ここで、この資料をご覧下さい。
アダルトDVD:ビデ倫審査現場でも「モザイク薄すぎる」
(毎日新聞)
えー…と。資料を、ですね。えー……。
(お、オイ上原ぁ!!お前、この資料どうなってんだよ?!打ち合わせとちがうじゃねえか!!)
上原(すすすすすすすすすいませんんんんんん)
(仕方がない、この資料で押し通る)
つまりです。逃げるという行為はモザイクみたいなものなのではないでしょうか?
AVにかけられているモザイク、その存在を皆さんご存知のことと思います。では、そのモザイクの裏には一体何があるのか?もはや言うまでもありませんが、そこにはマンのコ部分、いわゆるマンコが横たわっているのです。
考えてみればこれは不思議な話で、そもそもどうしてマンコを隠す必要があるのでしょうか?たとえば罪を犯してしまったと思しき少年に対しモザイクをかける、これは人権的な側面からも理解できます。考え方は様々ですが、先のある少年のいたいけな顔面を全国ネットで晒してしまえば、その少年の将来はポアされたも同然。そのような配慮から、未成年者の犯罪報道は匿名で行われるのであり、またモザイクがかけられています。
では、マンコはどうなのか?マンコをモザイクでマスキングすることにより、その方の将来が明るくなるのか?答はハッキリ言ってノーでしょう。あるいはマンコが犯罪を犯したのか?難しいところですが、これもノー。僕も24年間生きてはいますが、マンコが人を殺した!マンコがANAをハイジャック!という凶悪なニュースは寡聞にして知りません。かつて『キラーコンドーム』という【意思を持ったスキンが次々と男のシンボルを食い千切る!】というZ級の洋画を見たことがありますが、それはあくまでもフィクションのお話。基本的にマンコは非常に大人しい生き物なのです。犯罪行為に打って出るなんて、そんなことはあり得ない。
では、なぜマンコにモザイクがかけられるのか?もちろんチンコにもモザイクはかけられているのですが、議論が錯綜するので今回はマンコにのみ特化して話を進めさせていただきます。
マンコ。文字にすれば三文字でしかないのに、我々の関心を捉えて離さない存在。では、そんなに希少な存在なのか?といえばそうでもなく、女性として生まれた方であれば誰しもが具備している身近なアイテムです。何もマンコが特別な存在なわけじゃない。天使なんかじゃない。マンコなんかじゃない。いや、マンコだ。
考えれば考えるほど、マンコにモザイクをかけられる理由が分からない。ここで、上述した【ビデ倫】と称する秘密結社が、一体いかなる理由でマンモザを施しているのか確認してみましょう。
※マンモザ……マンコにモザイクをかける行為。
えー、ヤフーでビデ倫のことをググッてみたのですが、嫌がらせのように漢字が満載であったため5秒でページを閉じました。よって、僕のインスピレーションによる解説を行いますと、マンコにモザイクがかけられているその理由はおそらく『エロいから』という一点に尽きるのではないでしょうか。
マンコはエロい。確かに指標としては分かりやすく、なんとなれば『まあ、確かにエロいしな……青少年に良い影響は与えないだろう』という判断も理解できます。しかしながら、エロいのはマンコそれ自体なのでしょうか?違うはずです。問題となり規制の対象となっているのは、マンコを媒介として行われる一つの行為でしかありません。もうお分かりですよね。セックスだ。
マンコは悪くない!これは僕が従前から述べていたことではありますが、改めてここで表明させていただきたい。マンコ・イズ・マンコ!マンコはマンコだ、言葉にすると全く意味が分からないのですが、ノリとテンションだけで付いてきて下さい。
つまるところ、マンコを隠すことには何らの意味がないのです。もしマンコそのものが罪悪の象徴であるならば、道行く女の人たちはマン取法(マンコ物取扱法)の正義の下、ガンガンに逮捕されるはずなのだから。隠しているから、いいじゃない!そんな理屈は通りません。犯罪者がシャブを持っていたとして、隠していたからいいじゃないか!と釈明した場合、それで納得できるのですか?できませんよね、もちろん。
つまり、マンコにモザイクをかける正当性がどこかに存するのであれば、警察はまずマンコそのものを取り締まらなければならなくなる。けれど、実際にそんなことは行われていない。道行くマンコはいいけれど、AVのマンコはダメよ。ってそんなダブルスタンダードが通っていいのか?!
正しさだけでは計れない世の中です。ちょっとくらいの汚れ物ならば、残さずに全部食べてやる……と歌った人もおりました。僕もいい大人ですので、社会には多少不合理な部分があることを知っています。しかしマンコだけはどうにも我慢できないのです。マンコのことを考えていると、何だかもう心の中が波立ってしまって冷静ではいられなくなる……もちろん、社会正義的な意味で、です。
様々な深謀遠慮の末、マンコを隠そう!という結論に至った。そのような経緯が背後にあることに対しては、僕も理解を示します。かつての日記に書いたように、規制そのものには意味がなくとも、その規制が出来上がった背景には意味があるであろうことを、十分に知っているからです。だから問いたい。マンコにモザイクをかける必要性が、果たして今の社会に残っているのか?そのことを、今改めて。
「ねえ、ボクは今何年生?」
「トシくんねぇ〜、小学2年生だよっ!」
「2年生なんだぁ〜。エラいねぇ〜。ところでトシくん、このAVを見て欲しいんだけど、このモザイクの後ろで何が行われているか、知ってるかな?」
「オッサン馬鹿か?セックスに決まってんじゃん。やっぱ紅音ほたるはギャル化路線の前の方がええわな」
知ってるんですよ。皆。隠された先で何がゴーイングアンダーグラウンドしているのかってことを。それだのになおもモザイクで行為を隠すなんて、茶番でしかない。どれだけ秘する努力をしても、僕らは皆ガチャピンの中に人が入っているってことを知っているのです。それなのに必死になって隠そうとする、あさましいビデ倫。僕は聞きたい。そこに愛はあるのかい?
確かに、ビデ倫の気持ちも分からないでもありません。旧態依然とした体制を維持しておけば、少なくとも未知の状況に出くわすことはない。だからこそ事故が起こることを防ぐことができるし、未来永劫『規定路線』の上を走り続けることができる……そんな考えを。
しかしながら、それは結局逃げでしかないのです。時々刻々と変化していく社会の中にあって、いつまでも組織が頑ななままでいると、とんだ弊害を引き起こしかねないことを自覚した方がいい。目先の小さい事故を回避することに躍起になり、将来的に起こり得る『より大きな惨劇』を避けることができなくなるのです。それは離岸流に巻き込まれた時、流れに逆らおうとすれば却って死亡率が高まってしまう状況にもよく似ているでしょう。頑ななだけでは、立ち行かないのです。
たとえば、これは以前僕の日記でも書いたことですが、必死になってマンコのご尊顔を隠してしまうことで、僕たちメンズの心の中には『過度に美化されたマンコ像』が出来上がってしまう。これは明らかにモザイクによる弊害です。僕などは幼い頃、きっとマンのコ部分には牡丹のように綺麗な花が植わっているに違いない……と日々夢想したものです。それがどうですか、開いてみたらそこにあったのは牡丹などではなかった。極めて月並みな言い方になりますが、アワビのような形状のものがそこにはあった。心臓の弱い人なら、絶対にポックリ逝ってしまうケースです。想像してみて下さい、牡丹畑の中にポツンと存在するアワビの姿を。ナイトメアじゃねーか。
あるいは、また。マンコに関して『隠されるからこそ余計に見たくなる!』という心理だって働くのではないでしょうか。青少年の好奇心の強さは目を見張るものがあります。そこにあって、いつまでもマンコを隠されたのでは、一部の少年が
「とにかくもうマンコが見たいんだ!」
との思いを抱き、ヒャッハー!と世紀末な雄たけびを上げながら婦女子に襲い掛かる可能性すらあります。その時、誰が責任を取る?もちろんそんなことが起きないのが一番なのですが、可能性の問題として十分指摘することができます。実におそろしい。
長くなりましたが、マンコはとにかくダメなんだ!という思考停止状態からそろそろ脱却してみてはいかがでしょうか。思考停止、それはすなわち逃げです。問題を先送りするばかりでは、根源的な問題は決して解決しません。その意味で、ビデ倫はいま新たな局面を迎えているのかもしれない。攻めの視点で、マンコをナウ。
「しかし、いい大人が会議の場でマンコマンコと連呼するのも……」
そのお気持ちはお察しします。ここはいっそ、せめてビデ倫内だけでもマンコの呼称を変えてみてはいかがでしょうか。そうですね、ドルチェ&ガッバーナとでも呼んでみてはいかがでしょうか。他意はありません、ないのですが、なんとなく『ガッバーナ』という語感がピタリなような気がしたもので。もちろん『ドルガバ』でも構いません。マンコという言葉が孕む破廉恥性が少しでもなくなれば、それが何よりなのですから。
もう一度マンコと向き合いましょう。じっくり酒を飲んでみると、意外といいヤツだった……という状況は僕らの周りでもよくあること。ビデ倫の方々は少々マンコのことを誤解しているのかもしれません。さあ、今すぐにビール瓶を持ってマンコと語り合ってみませんか?一升瓶でもいいですが、入るかなそれは。
と、ここで時間がきましたのでこれにて。
ご清聴ありがとうございました。
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海の向こうのAVとか単調でつまらんっすわ。
背景と局部だけの作品w
ってかバンドの方のネタ?
肉さん最高wwwwwwww
かく言う僕は、過去記事「オマンコ大考察」で唱えられた「オマンコ幻体説」支持者。
AVは全てCGで、生のオマンコなど都市伝説でしかない。
チラリズムっていうか、ちょっと違う気もするけどそこは汲んでくれ。
見えないからこそこみ上げてくるリビドーのインスピレーションというかなんというか。
俺ならそうするもん(^∀^)
むしろビデ倫内の構造改革ではないかい?糾弾すべきは警察当局だ!
的な事を考慮したら年齢制限まで撤廃しないといけないですな。
んなもん目を細めてみりゃあ意味ないってば
上原さんはまだ生きてるのかな