性愛と純愛との分水嶺はどこにあるのか?その結論を導くには実に微妙で繊細な判断を要する。ややもすると両者を区別する実益など、どこにも無いのかもしれない。二つの概念は常に曖昧模糊としており、また、非常に近接しているともいえよう。
「俺は恋愛がしたいのだろうか?それとも、セックスがしたいだけなのだろうか−−」
思春期を真っ只中にいる少年たちの誰もが抱く、永遠の命題がこれである。切なくて苦しく、字面的には高度に思弁的な問いかけである。が、少年たちがこのような疑問を胸に抱くのは、大抵の場合オナニー直後であることも付記しておきたい。
下半身を露出したまま、ふと、脳裏に。数ヶ月前に愛の告白を受けた一人の女性の顔が浮かんで消えた。
「付き合っておくべきだったのだろうか」
チンコの付け根あたりをグイグイと押しながら、尿道に居残った精液を絞りとる。全体、チンコというものは難儀な造りである。少年は自らの内だけでその行為のことを "残党狩り" と呼んでいた。
やはり、付き合わなくて正解だったのだ。少年はひとり自答する。性欲が霧散したいま、記憶の中の彼女を想起するが、何らの後悔も浮かんでこない。胸中にあるのは、少しお腹の空いたことと、早く眠りたいのと、ただそれだけであった。
「明日は何か面白いことあるといいな」
夜だというのに、表の方からセミが一匹、やかましく鳴く声が聞こえてきた。季節は間違いなく夏である。少年の心を意味もなくかき乱し、やたらと浮ついた気持ちにさせるのも、やはり夏の仕業であったに違いない。
「昨日彼女と二回戦もしちゃってさぁー。マジ、腰が痛いわ」
セブンイレブンの裏で友人がそんなことを語っているのを耳にするたび、少年はいつだって自分が世界で一番無価値であるような気持ちになった。彼らの話すエピソードは、彼らの立ち居振る舞いは、少年が心に思い描く 「あるべき夏」 という存在そのものであったからだ。
俺とあいつとの違いって、一体なに?
駄菓子屋で氷菓を買い求め、公園で走り回っていた数年前までの彼らの姿は、今やどこにもない。ある者はバイト先で知り合った先輩とデートに繰り出し、ある者は高校の同級生と自室で息を殺してファックに勤しみ、ある者は家族に悟られぬよう隠密のマインドで自慰に耽る。
平等などどこにもない。
そんなことを、少年は実地で学ぶ。
狂ったように照りつける太陽の浮かぶ、夏の空の下で。
「実は、好きなんだけど……」
PHSに届けられたメールに指示された通りの場所に行くと、五分後くらいに少年はそんなことを言われた。確かに平等はどこにもない。けれど季節の移ろいは、夏の訪れは、誰にとっても等しい。少年にあっても、少女にあっても。
「恋愛か、セックスか」
もう何度となく胸に抱いたはずの哲学的命題が、またも少年の脳内で暴れて狂う。ここでの事実は二つ。目の前の彼女が少年のことを好きであるということ。そして、少年はその彼女のことを何とも思っていないということ、以上だ。
『二回戦しちゃってさぁー』
不意に、先日聞いた友人の言が耳朶に蘇った。二回戦、したい。俺もしたい!それは偽らざる少年の本心である。それでも返答を留保したまま、ベンチの上で少年は膝を組み替えた。
「えっと……」
消え入りそうな声を横から聞き、ふと我に帰った。少年の妄想天国内では "コンドームのスマートな買い方" の検討が始まっていたところだった。慌てて目を上げると、そこには、初めて見る私服姿の少女の姿があった。
あるいはそれが悲劇の始まりだったのかもしれない。
瞬間、少年はこう思ったものである。
「こいつ、あんまり可愛くないよね」
少年は、高校生でありながら、既に制服フェチだった。その帰結として、少女の私服姿というものに、何らの価値も見出せなかったのである。いや、むしろ、少女は "この日に制服姿を選ばなかった" という時点で、自らの魅力を著しく低減させていたと言っても過言ではない。少年の中だけで。実に理不尽に。実に一方的な態様で。
「この人に告白されたということは、別のもっと可愛い人からも告白されることが、あるやも」
あまねく想念が結論へと向かって収斂していく。夏休みの前に、少年が別の少女からも告白を受けていた、というのも一因としてあっただろう。後になって分かることであるのだが、少年は当時、いわゆるモテ期にあった。
「もっといい女がいるんじゃないだろうか……?」
大いなる虚妄である。著しく自主性の欠落した、何ら益のない打算だ。だが、少年の内で過度に肥大化してしまった自意識は、どうせ童貞を捧げるならびっくりする位可愛い誰かに捧げたいよね−−そのように形成されていたのである。
じゃあ、その誰かって、一体誰?
その人としたいのは、恋愛なの?セックスなの?
あなたは一体、何が欲しいの?何を求めているの?
少女を振ったその夜。
空になったネピアの箱を潰しながら、少年は漠然とそんなことばかりを考えていたのであった。
「おっぱいパブに行こう」
夏も終わりに近づいた頃、少年はそんな誘いを受けた。おっぱいにもパブにも縁のなかった少年は、その二つの概念が合わされば一体どんなケミストリーが誕生するのか?そんな疑問を持て余すばかりだった。
たどり着いた先、田舎町の歓楽街の片隅に、そのおっぱいパブは鎮座ましましていた。淫靡な色彩を放つネオンがやたらと扇情的で、直前に用便を済ませたはずの少年はまたもトイレにいきたい気持ちに駆り立てられる。
「コースはいかがなさいますか?」
「2000円ので……」
おっぱいを測る尺度をメジャー以外に知らなかった少年は、その2000円という額が高いのか安いのか、皆目見当が付かなかった。とにかくも酒代、税金込み込みでの2000円なのであって、要するにおっぱいの価額は2000円を下回ることは間違いないし、じゃあ、左の乳は750円くらいなのか?少年は瞬時にそんなことを思った。
「こんにちは〜」
程なくして少年のもとに女性がやってくる。曖昧に笑いながら、その実、少年の眼は女性の胸へと釘つけとなった。未知との遭遇。ファーストおっぱい。少年の心は千々に乱れた。
「じゃあ……上に乗ってもいいかな?」
刹那、森田一義アワーに特有なあの台詞が口をついて出かかる。が、懸命にそれを押しとどめ 「あ、どぞ」と、少年は冷静さを保った。すぐに眼前へとおっぱいが押し寄せてくる。コーション!コーション!あれは、なんだ?!いや、おっぱいだ。少年は心の中で禅問答を繰り返した。
「じゃあ、触ってもいいよ」
不意に、少年は自らの内に名状し難い "ときめき" みたいなものを覚えているのを知った。鼓動が高まる。薄暗い店内の中、膝上に座る彼女を見上げる。少年の瞳に映るその女性は、何だかとても美しく見えた。不可解なほどに心がざわつき、ドキドキしていた。
だからこの時、少年はようやくひとつの真実に気が付く。
このときめきは、ただの性愛に過ぎないのだと。
いま、彼女のことに何だかクラクラきているけれど、それは決して恋愛なんかではないのだと−−そんなことを。
『性愛と恋愛の違いはどこにあるのか?』
その答までもが少年の心に去来したわけではない。
だけど、その両者が確実に違うこと。時に交わることはあるにしても、ふたつは絶対に同一となることはないこと。少年は、理屈ではなく感覚でそれを理解した。あの夏の日に。場末におっぱいパブにおいて。
「ありがとうございましたー」
従業員の声を背中に受けながら、少年は店を後にする。その胸には二つの想いがあった。永くの間自らを悩ませていた疑問に対する光明が見えた……という爽快感。そして、2000円分、否、贔屓目に見て5000円分はおっぱいを揉みしだいてやった……という充足感。それだけである。
「もう夏も終わりだねー」
帰路の道すがら、友人の一人がそんなことを口にした。
季節は変わる。移って、巡る。
心の四季だって、同じように。
「あの子と付き合っておくべきだったのだろうか?」
沸き立つような夏の心は、ときに少年をそんな妄念へと誘い込んだ。
もはや、少年はそんな虚妄に因われない。
思い出に残る彼女たちの姿に、後悔とも諦念つかない、漠然としたときめきを覚えたことは、今日のこの日まで幾度とあった。
しかし、いまなら分かる。
そんなものは、ただの性愛に過ぎなかったのだと。
片方750円のおっぱいを体験した、いまとなっては。
「彼女、欲しいなぁー」
「お前いつもそればっかじゃん」
本当にそうだった。だけど、これからは真摯に向き合える気がする。告白をしてくれた、あるいはこれからしてくれるかもしれない、誰かと。そして、少年自身と。侘しさのある秋の心で。厳しさを見せる冬の心で。穏やかな春の心で。あるいは、激しい夏の心で。
新学期が始まる。
今度こそは正しく恋愛をしよう。
晩夏のとある夜、少年は、ひっそりと確実に、そんなことを胸に誓った。
「あの人さぁ……何か、ホモらしいよ」
「うわ、そうなの?」
「あー、だから告られてもOKしないんだ!」
「そういえば中学校のときも−−」
あの日、あの夏。少女たちの間で、少年に対するそのような噂が、光よりも速く広まっている事実も知らずに。
「よし、頑張ろう!」
己がモテ期がとうに終わっていることもしらず、いやむしろ、違う方向へとハッテンしていることにも気付かず、少年は哀れにも、ひとり決意を新たにしていたのであった。
遠い、遠い。
夏の日の話である。
1999年12月31日
この記事へのコメント
さー、穴を出そうか?(´∀`)
Posted by at 2010年09月21日 09:02
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