すみません、手違いで一つ飛ばしておりました。
位置づけ的には今日の記事が、京都旅行記Aの続きとなり、その続きが昨日更新した京都旅行記Bとなります。
ややこしくなって申し訳ありません。
でも反省はしてない。
10月29日 (土)
京都二日目。
昨日食べた鴨川ダックの呪いが僕を襲う(二日酔い)。頭がガンガンに痛い。
この瞬間僕の足はJRへと向かい早々と東京行きの切符をリザーブしかけたのですが、僕はまだ京都に来て12時間も経過してないので、気合いを振り絞ってようよう布団から這い出し、揺れる頭を何とか叩き起こしつつ僕は京都の街へと繰り出た。
頭は痛くとも腹は減る、それに加えて
「何かご当地の食べ物を賞味したい、いやむしろ賞味しなければ損だ。京都に失礼だ」
というマインドになるのだから空腹も一層激しさを増してくる。
散策しながら虎視眈々と京都の食べ物屋を眺める僕。するとガイドをしてくれていた友人が
「そういえば君は昨日、ラーメンを食べたいって言ってたけれども、アレ、どうする」
なんてことを言う。
昨日、と言われても、先の日記で書いたように鴨川ダックの呪いでデロデロのドロドロに酔っていたので、話した内容どころかどうやって宅まで辿り着いたかすら判然としない。
しかし、そうやって覚えていないことを認めてしまえば
(あっ、こいつは簡単に酒に酔う人間。
ついぞ何時間か前に話したことさえ覚えてない唐変木。
ということは巧みな言辞を以ってこいつを騙すことなどは容易いことということになる。
ここは一つ、消費者金融などの保証人にして私は借銭でマカオあたりに飛び立って自適な生活を送ろう)
ということになりかねない。
つまり人生というものは一寸先は闇。
言葉一つにしても慎重を期さねばいけません。
「ああ、ラーメンね、いいね、食べたいね。」
という風に、僕の心の深遠をひた隠しにして一応話を合わせつつ、しかしよく考えたらラーメンを食べたいという気持ちもない訳ではないなあ。と思った。
というか、
(よく考えたら今はむしろ、積極的に食べたい。ラーメンを。貪るように中華麺。これがいい。これこそが京都。)
という風情になってきた。
この辺りに至ると、
(いやむしろ、ラーメン以外に食べるべき物なんてありますのん?この世に。)
と思い始め、
(え?なんだす?オムライス?ビフテキ?アホちゃう?)
みたいな、ラーメン万歳!他の食べ物は死んでいいよ!みたいな、そんなカオスな思考回路になるのだから本当に不思議、人間って。
「いいね。ラーメンいいね。
というか、僕としてはむしろどちらかというと好意的に、積極的に、いやもう超絶的にラーメンが食べたいと言うのが本音のところで、他の提案なんて考えられないっていうか、大胆に却下するよ、それは。
ということでラーメンを食べに行こう。すぐ行こう、それ行こう、やれ行こう。
で、どこのラーメン屋がいいのかな」
と、私はワキワキして連れに提言した。すると
「いや、それが私もわかりまへんねん」
ラーメン株大暴落。ブラックマンデー。
この辺りのラーメン屋には詳しくないとのこと。
であれば、電車にでも飛行機にでも乗って旨いラーメン屋にでも行けば良いのでしょうが、折角飛行機に乗るのであればラーメンよりも、むしろ積極的にフレンチや卓袱料理などに舌鼓を打ちたい。
仕方がないので我々は各々の視覚・嗅覚・経験則をフル動員して、辺りを俯瞰、前傾姿勢でラーメン屋をサーチした。
すると、一軒、どちらかと言えばしなびた風情のラーメン屋が眼前にズトン!と登場。
やったよ、良かったよ、ガラガラ、ラーメンひとつ!
となれば話は簡単なのですけれど、しかし、店の前で僕たちはふと考えた。
果たしてこの店がベストオブ京都なのかと。
やっぱりどうせなら美味しい物を食べたいと願うのが人情。
京都汲んだり来て、ようよう見つかったラーメン屋が、ものごっつ不味い店であった場合どうなるでしょうか。おそらく
あまりの衝撃、並びに悲しみ、そして激怒のあまりに修羅と化した僕がニトロを持って四条を激走
→僕は一路金閣・銀閣に強襲
→放火&爆破
くらいはする可能性は否定できません。
ここはゆっくり店を吟味する必要があります。
相方に聞いてみた。
「どうしよう?」
「どうしようって、何が」
「あのラーメン屋だよ」
「そりゃ、ラーメン屋ですよ」
「いや、そうじゃなくて。旨いのかな」
「さあ…」
「さあ、って、僕には土地勘がないんだから、一つ頼むよ」
「ああ。うーん、うーん、看板は新しいですよね」
「あっ確かに新しいよね。新しいけどでもそれが?」
「いやっ、つまり、看板を新しくできるほど儲かっている、と」
「おわっ、お前、天才だす」
ということで、我々は風味、客の入り、風評などを一切考慮することのない全くの新しい判断基準
『看板視覚法』
という審査を用いることにより、このやたら怪しいラーメン屋へとインした。ガラガラガラ
入って慄然としたのは、確かにここはラーメン屋で、表立ったメニウにも
『ラーメン』
『チャーシューメン』
なんて言った通常期されるべき品目が並んでいて、まあここまでは良かったのだけれども、メニウを裏に返すとそこには
『手羽先』
バードウィングか。
まあ手羽先はまだいいよ。
スープのダシはトリもアリだしね。
でもそこから更に続く字。
『鯖寿司』
『稲荷寿司』
ここにおいて我々の得も言われぬ不安は一気にピークへ。
エンジンのメーターで言うところの「F」を遥に振り切った。
ラーメン屋に鯖。
稲荷。
そんな話はついぞ聞いたことがない。
ラーメン屋はすべからくラーメンを出して然るべきである。
しかし現に我々の前には稲荷や鯖寿司がメニウとして存在しており、というか隣の客はむしろ既に稲荷を食している。旨そうに。実に旨そうに。
相方に言った。
「き、君、こ、これは」
「こ、これは」
「い、いなり、だよ」
「い、いなり、ですね」
「や、やばくないか」
「や、やばいっすね」
「さ、鯖。い、いなり。こ、ここは何屋だす」
「た、確か、ラーメン屋だす」
「すわ、なぜ、鯖?いなり?ワイ?」
「あ、あばばばば」
僕らは戦慄。発狂。手負いの虎。
しかしここで帰る訳にもいかない。
既に水も飲んだしタバコも吸った。
仕方ないので覚悟を決めた。
我々は仏頂面する店主に向かい、恐る恐る
「ら、ラウメン……ふ、ふたつー」
とオーダーした。すると
「ラーメンだあ?ふざけんねぃ!
ウチにゃあそんな小洒落た代物は置いてねえんだよ!
冷やかしなら帰っておくんな!
おい!トミ!塩撒け!塩っ!」
と突如店主がチャキチャキの江戸っ子に豹変、昂然と叫んだ。
なんてことはビタイチなくって、店主は極めて鷹揚に、
へい、かしこまり、
と僕らのオーダーを優しく聞き入れてくれた。
僕らはドキドキしながらラーメンを待った。
5分後、ラーメンは無事到着。
醤油とも豚骨とも言えぬ色をしている。
我々は恐る恐るスープを啜った。
果たしてラーメンは、非常に美味しかったのである。
醤油ベースのスープであろうが、豚骨も使っているのであろう、コクは深く、若干脂っこいかもしれない。
しかし浮いている油ほどにはしつこさを感じず、むしろ細めんに絡まって心地良いほどだ。
また、ネギは九条のモノであろうか、非常に歯ざわりと風味がよく、これが箸休めの役割を担っている。
「き、君。これは」
「う、うまいっすね」
「メニウだけでは分からないこともあるものだな」
「そうだす。そうだす。」
僕らの背後では、なぜか、ヤミ金融ドラマ
『ミナミの帝王』
が昼も昼間から勢いよく流れていた。

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やる気が出ます。
「あー、多分ここ美味しいんだろうなー」
って外観だったんで、そこまでの驚きはなかったんですけどね。
それをいかにエンターテインにするか、そこの方が問題だったりするわけです。マジレスカコワルイ。