謙譲する、へりくだる、相手を持ち上げる。そんな風にして様々な人間関係を円滑にする――
僕たちの生きている社会は、謙譲的な行為の連続の上に成り立っている。そのような滅私的精神は、一面からすれば日本人の『美徳』たり得るのではないだろうか。自分を『下』に見せることで、相対的に目の前の相手を『上』に持ち上げ、対象に満足感を与える。それは種々様々なコミュニケーションのあり方の一つだ。
そんな分かりやすいやり方ではないにせよ、僕たちは日常のそこかしこで自分のことを下に見せることがよくある。
『好きです!付き合って下さい!』
これは、世界のどこにでもあるセリフの一つだ。もちろんこれは告白の場面である。好ましい相手への告白、それはいつでもスリリング・サスペンス・ドラマチック。
「付き合うって一体なんなの?付き合うって約束すれば、二人の関係が劇的に変わるの?そこに何か意味があるの?」
そんな眠たいことを言う人も、確かに世の中にはいる。けれど、くだくだしい交際論はこの際置いておこう。とにかくも告白をする(ないし、される)時のドキドキ感は絶対に確かだ。
告白のあり方は様々だ。最も多いパターンとして挙げられるのは、上掲したケース、すなわち
『好きです!付き合って下さい!』
のような場面なのではなかろうか。表現の違いはあるにしても、本質だけを抽象化すれば、結局その文言に辿り着くように思われる。
僕は思うのだけれど、これだって広い意味での謙譲なのではないだろうか?すごく主観的な論調にはなるが、そのアプローチに潜む『文脈』みたいなものを補えば、きっと以下のようになる。
『(実はあなたのことが)好きです!(こんな僕ですが、もしよかったら)付き合って(くれると嬉しいので前向きに検討して)下さい!』
この補い方はちょっと大仰かもしれない。でも、たぶんそんなに間違ってはいない。告白するその時、きっと皆はものすごく謙譲している。それは別に良し悪しの話ではなく、ただ、割合としてそういうアプローチをする人が多いよね、という程度のことだ。
アリ、だとは思う。事実、僕も告白をする時はそんな風にしているのだと思うし、ほぼ一方的に好きになってしまった相手に対しては、
『ヘヘッ、こんなアッシなんですけど、ひとつどうですかね……?!』
そんな卑屈な気持ちになってしまうのも事実だ。
しかし僕は今日、唐突に思った。例えばここで『自分』という存在を商品と捉え、告白相手を『営業先』と置き換え、告白のセリフを『宣材』として据えてみる。それを今述べた告白のやり取りの中にロールプレイとして当てはめてみる。
果たしてその時、そんな商品を欲しいと思うのか?
「すいませーん」
「はい、どなた?」
「ヘヘッ、あのっ、奥さん!突然すいません、お忙しかったですか……?ええええ、お時間は取らせませんので、ちょっと話だけでも!」
「はあ……」
「あの、実は、この空気清浄機をオススメしてましてね、やっぱり空気が綺麗な方が体にもいいと思うんですが、もしよかったら買って下さらないかなー、なんて……いや、でも!ホント、無理でしたら全然結構なんで!なんかただ、この気持ちだけは、一応伝えておきたかったかな、みたいな……ヘヘッ!んじゃ、アッシはこれで」(バタン)
「……」
Je ne comprends pas。もはや何が言いたかったのか意味が分からない、の世界である。けれど、往々にして世の中にはこのような営業(≒告白)は非常に多いのではないだろうか。とりあえずノルマには挑みたい!でも結果と向き合うのは、少々怖い。押し売りも嫌だし、どうせなら相手が気に入った上で買ってもらいたい……そんな美しくも儚い、僕らの気持ち。
それでいいのだろうか?!相手のことを思いやれるその心は確実に美しいのだけれど、営業も告白も突き詰めればエゴ的な要素は拭いがたいのである。そして、その想いが所詮エゴであるならば、美しさを担保する必要が果たしてあるのだろうか。
「すいませーん」
「はいはーい」
「あっ奥さん!いやどうも!あれ、髪型変えた?それはともかく突然ごめんなさいね。あのね、今日訪ねたのは他でもないんだけど、とりあえずさ、深く考えないで、やっぱいい空気とか吸いたくない?吸いたいよね、普通は。そこで、ここだけのスゲーいい空気清浄機があってさ、普段は中々手に入らないんだけど……奥さんにだけは特別に、売ってあげるよ」
伝えている内容自体はほぼ同じであるはずなのに、この差は一体?前者と後者、どう考えても懇切丁寧なのは前者だ。しかし、会話として鼻につかないのは不思議なことに、後者だと思う。あの一種独特な、意味のない自信というか、訳の分からないハイテンションさというか――ムカつく他ないはずのその勢いが、なぜだか心地よく感じられてしまうミステリー。
営業という仕事は、語弊を恐れずに言えば、基本的には『需要のないところに需要を作る仕事』だ。もっとざっくばらんな表現をすれば『相手にとって本来いらなかった物』を売りつける仕事でもある。
そしてそう考えれば、乱暴な言い方にはなるけれど、告白という行為も営業とパラレルに対比できるのではないだろうか。
『自分に興味のなかった相手に、自分のことを見てもらう』
そこ点において『営業』も『告白』も、一定程度の親和性を有する……とも解される。
A「これ……良かったら買ってくれませんかね……?」
B「とりあえず買ってみようよ!奥さん!絶対後悔はさせないからさ!」
同じ営業マンが目の前に現れた場合、おそらく僕はBの物言いに心惹かれてしまう。それは理屈じゃない。そして理屈じゃない分、本能に対して強く響いてくるのだ。
謙譲の精神は美しい。けれど、それだって結局はケースバイケース。向き不向きなんてものは何にでもある。杓子定規に謙譲しておけばいい、というものでもないし、場面によっては謙譲することが毒になることもあるだろう。
そんな今だからこそ、あえての上から目線。世の人たちが謙譲的行為にばかり拘泥する昨今、そこにあって無意味なまでに押し付けがましい物言いができる人がいたら?それって結構魅力的なような気がする。
『命令される快感』
僕らの中に、こんな気持ちは確かにあるのだから。
例えば僕は、少なからず『妹が欲しい』などと思う部分がある。そんなものだから、心ならずも
「ああ、妹がいたらな……」
と思う時はあるのだけれど、実際のところ気持ち悪いことこの上ないので外部に表明したことはない。この気持ち悪さというのは、詰まるところ『今更妹なんてできないことは分かっているのだけれど、そんな僕だけど、やっぱり妹ができたらな……なんて……』という僕のしどけないマインドが原因であることが確実であり、やはりどこか
「自分なんて者に妹なんて……欲しいけど、ヘヘッ!無理っすよね、所詮」
というへりくだり精神がないとは言い切れない。
己の中に確たる諦念はあるくせに、いつまでもいじましく『それでも妹は欲しいよね……』とどこかで希求している、その精神性が。結局はそこが気持ち悪いのだ。ことのキモさの本質は、別段『妹を欲しがっている』という僕のリビドーに内在されているのではなく、あくまでもその発露のさせ方なのである。妹を欲しがる、それ自体は悪くねーよ。な。
だからこの場合も、どうせ同じような思いを吐露するのであれば、いっそ上から目線の方が超アツイ。
「おい、しょうがないからお前の兄貴になってやんよ」
『しょうがない』『やんよ』。それは宝石のような言葉たち。表明していることは「妹が欲しい」という点で異ならないはずなのに、受け手としての印象は圧倒的に異なるのではないでしょうか。どちらにしても言っている内容そのものは確実に狂っているのですが、その力強さにどこか安心させられるというか。この無駄なテンションの前にあって、僕らは『こいつ、キモイ……』だなんて思わされる暇もない。
A「い、妹欲しいな……」
B「おい、明日から俺のことをお兄ちゃんって呼んでいいよ」
勘違いして欲しくはないのですが、どちらにしてもやっぱ両方キモイよ。ただ、相対的にどっちがマシか?今日はそんな話なのです。同じようなこと言って、どうせ気持ち悪いんだったら、まだベターな発言をカマしといた方がいいでしょ。
A「フェ、フェラチオ……してくれないかな?」
B「オウ。しゃぶっていいぞ」
これだとすごく分かりやすい。僕が女の場合、Aさんがそんな控えめなテンションでオファーしてきた時点でマンコを拭いて帰るような気がする。Aさんの場合なんというかこう……確かに加虐心はくすぐられるとは思うのだけれど、どちらかというとチンポに勢いがない。比して、Bさんの場合
「しょうがねーからしゃぶらせてやる」
という意味不明かつ無意味なテンションを前に、このチンポは実は高価なのではないか……という錯覚を覚えそうな気がするのである。それは感覚的な話になるけれど。
「いや、そんなのは本当に感覚的な話でしかない。本質的に良い人間関係を築けるのは、やはりきちんとへりくだることのできる人なんだよ!」
そういうアナタの気持ち、本当によく分かるし僕もそう信じている。けれど、こと若い時分に関してはクズの方がモテるという結果がオレ史の中で輝いているのだ。みんなにも思い出してみれば、あるんじゃないだろうか?中学、あるいは高校の頃……妙にDQNがモテたその光景……。
ヒトという存在を単純に数値化して、将来性とか能力だけで全てを測れるのであれば事は実に明快だ。でも、人同士の付き合いなんてものはもっと複雑な、自分でも分からないレベルの心の機微に富んでいる。そんな面妖な僕らの精神世界の中にあっては、クズの方がモテる事案も少なくない。
結局それは、自分に自信を持つか否かとか、そういう話になるのだろう。同じスペックの人間が二人いたとすれば、妙にテンションの高い方が興味を引かれるというのはヒトとして自然なことなのかもしれない。いや、DQN理論を貫徹するとすれば、時にその無意味なテンションはスペックすらも凌駕するケースもある、ということになろうか。逆に、無駄に低いテンションは、当人の評価を不当に低くすることになるのかもしれない。
上から目線。
言葉の上からすればあまりいい概念ではないように捉えられがちだ。でも、もしかするとこの考え方というのは、性的な意味で、もう少し評価されてもいいのかもしれない。僕は今日、なぜだかそんなことを思った。
A「す、水銀燈はオレの嫁……!」
B「水銀燈?オレの嫁にしてやんよ」
両者の表明のどちらに勢いがあるか?
詰まるところ、そういう話なのかもしれない。
人気ブログランキング
肉サンのその表現力に文章力…く…悔しく何かないんだからーっ><
本命に対してはあまり強気になれない。
結果、愛のないSEXに溺れる。
今回の文章は本当に納得のいくところが多かったです。
人生って難しいですね。
俺も上から目線な態度取るのは好きですね。
B おぅ!!毎日肉欲日記見てやってるんだから、しゃぶれよ
肉さんの妹になってや…なんでもないです。
「しょうがねぇから日本を守ってやんよ」
そんなスタンス。
B「しゃぶるわよ!」
C「べ、べつにしゃぶりたいわけじゃないんだからね!」
毎日見に来てやるよ!
昔、好きだった男に「付き合ってやってもいいぞ」って告白されたんだが・・・。
冷めかけてたのになぜかまた惚れてしまった残念なアタシがいるぉ( ^ω^ )
B「しょうがねぇから、挿れさせてやんよ」
上から目線がいい時も、下から目線がいい時もあるよね!
ドMなあたしには上から目線のが断然効くけどね!
しょうがないから・・・、これからも読みにきてやんよっ・・・!
メイド服?ドンと来い。
昔あったセンスが全く感じられない。
本人が一番感じてると思うけれど…
正直つまらん。がっかりでした。
次に期待してます。
このレベルが続くならやめたほうがいいと思う。マジで。
1年くらい前の日記のクオリティの高さは異常だったのに…。がっかりです。
僕は個人的に、
上からは嫌
下からも嫌。
かがんで、目線を合わせる感じが良いかな。
押し売り的告白か、試したことあるぜ。
そりゃ、はじめは下から下からだったさ。
でもよ、気弱なあいつがよ、なかなかウンて言わねーからよ
「じゃあさ、試しでいいから俺と付き合ってみなよ。
絶対にイヤだ!って思ってないんだったらさ、
頑張って楽しくするからさ、
だって俺、すげぇ張り切っちゃうよ?」
この文句。
こいつは押し切れる!と思ったら
あっけなく「ごめんなさい」だぜ。
肉さん、だめだぜ、そりゃ。
その一言で上から目線だ!アツい!!
肉さんの言うことは間違いなく合ってます。下からの営業だと間違いなく成績が出ません。
結果を出さないといけない営業は、新規に顧客を見つける時、肉さんが上述したようなセールストークをします。
まぁ、テレビショッピングなんかを見たらわかりますよね?
あ〜、営業辞めたいorz
蛇足を言えば、
まごうことなく上からなのに、合わせた相手の思うがまま…
それが、かがんで上から目線。
「僕にできることがあるかな?」
下僕の誕生日って訳さ。
それまで好きだったのに、上から目線で告白されてふったこと何度もあるよ!
よいこは真似しないように!