先日、僕が窓辺で陽気にマンドリンを弾いていると、普段は微動だにしない携帯電話が雷鳴のように僕の鼓膜をシェイクした。画面を見ると、地元の友人からの電話。中学を卒業した時は、いつまでもこのままの俺たちで……と誓い合った仲だったけれど、ここ最近はめっきり連絡を取っていなかったことを思い出す。永遠はどこにもない……だけど、こうやって連絡を取り合うことは、決して無為ではないんだ。そんなことを唐突に思った僕は、脇に抱えていたシタールを床に叩きつけると、友達からの電話に応じた。
「もしもし?!元気!?俺は超元気だよ!!」
「ああ肉ちゃん、あのさあ!この前mixiで女引っ掛けたんやけど、そいつがどうも女子高生らしいんよねー。やっぱり未成年と腰が抜けるほどのセックスしたらマズイんかな?法的にどうなんだろ」
「賢い俺が法的にアドバイスするとだな、とりあえず死ね」
僕ら成人した大人たちっていうのは、自分よりも年少の子供たちを健全に育むという見えない義務、あるいは責務を背負っている。それは僕たちが幼い頃、悪いことをした時に全く面識のない近所のおじさんたちから
「おいガキども!なにしとんなら!!」
とキツめのカミナリをガンガンに落とされた体験を想起すれば、よく分かることかもしれない。子供を育てるのは何も親や学校だけではなく、近隣の住民、あるいは地域社会からの『躾』も絶対に重要なのだ。
それはおそらく、いわゆる『他人』だからこそ言えることもある、ということなのだろう。もちろん身近な人間からの叱咤や激励だって等しく尊い。けれど、お互いの関係性が近ければ近いほど、説教や忠告の言葉は逆説的に届きにくくなることもある。
「あのさあ、お前もっと真面目に学校来た方がいいと思うよ?その学費、誰が出してると思ってんの?」
「またまた、そんなこと言っちゃってwとりあえず飲みに行こうぜ!」
厳しい言葉は、投げ手の心にも受け手の心にも辛らつに響く。だから、心の底ではその言葉が正しいであろうことを理解していても、つい己の弱さ故に、真っ直ぐで手痛いその言葉たちから逃げ出してしまうことも、よくある話だ。
言葉を投げた方だって、親しい分だけ相手の弱い部分が見えてきてしまい、それ以上何も言えなくなってしまう。
僕たちに備わっている『想像する力』というものは、時に有益に働く。けれど、別の場面では毒になってしまうこともあり得る。目の前にいる大事な友達が、このまま行くととんでもないことになりかねない……との思いを抱くこと、それは大切な想像力だろう。全てのことを終わってからしか気づくことのできない僕らは、それでも過去の辛酸を生かして、同じような過ちを繰り返さない努力をしなければならない。
でも、その時。あなたが目の前の大事な誰かに、辛くて苦い言葉を投げかけよう試みる場合に、相手の弱さを先回りして
「こいつにこんなこと言ったら、きっと深く傷つくだろうな……」
と考えること。それも等しく想像力だ。そして、相手のことを思って何かを言おうとしていても、一度そんな憐憫にも似た思いを抱いてしまうと、途端に僕たちは語るべき言葉を失ってしまう。
「まあ、俺があえて言わなくても、他の誰かに言われるかもしんないし、あいつもそのうち気づくだろ」
結句僕らは、アメーバのように亡羊とした想像を膨らませるあまり、『いつか』とか『誰か』という不明確な概念の中に、己が語るべき言葉を委ねてしまうのかもしれない。
『どうなったって、自己責任でしょ――』
乾いた言葉、乾いた関係。
何もかもが乾ききってしまった昨今の地域社会にあって、僕たちが在りし日のカミナリ親父たちの姿を見る機会は、あまりにも少ない。
でも、そんなのってあんまりじゃないか。確かに僕たちの言葉は無力で、残忍だ。自分の思ったことが1%も伝わらないことなんてよくある話だし、あるいはその逆で、自分が思ってもいなかったことが1000%の力で相手に襲い掛かっていた、だなんてことも決して稀ではない。蓋しそれは、人と人とは絶対に分かり合えない!と嘆かれる遠因足り得るのではないだろうか。
しかしながら。
ひらりひらりと舞い落ちる蝶のように曖昧で移ろいやすい僕たちの言の葉、だけど『通じたと信じる』ことだけは、確かにできる。福本信行先生の言葉を借りれば、結局それが『通信』ということになるのだ。
僕たちは生まれる時も死ぬときも一人だ。たとえお腹を痛めて産んだ我が子であっても、彼ないし彼女の未来における100%の幸福を担保することは、親であろうと不可能なのである。
そうであればこそ
『全てのことは、全て自分の責任において』
という考え方は、やはり正当性があると言わざるを得ない。
ただ、それでも。浅薄で、狭量で、長い歴史の中ではほとんど無価値な僕たちの言葉であっても、せめて自分自身が『伝わった、通じた』と信じて、信じ続けて投げかければ、その言葉は胞子のように相手の心に着地して、いつかどこかで何かの拍子に、彼らの中で価値ある大輪の花を咲かせるかもしれない。
『ああ、あの時のあの人の言葉は、そういうことだったのか――』
誰しもが、一度はそんなことを思った経験があるのではないだろうか?当時は殺したいほどムカツいたけど、振り返って思えば、自分のことを思ってこその言葉だったんだな……という切ない思い出の疼痛。そんな思いを抱いた時、僕たちは少しだけ大人になれる。
だから僕たちは、きちんと言ってあげなければならない。
『女子高生の頃からmixiなんてやって、誘われるがままホイホイと男と遊びに行くだなんて、ロクなもんじゃないぞ!』
と。
その結果として、僕たちは嫌われることもあるかもしれない。それでもいいじゃないか!あらゆることに意味のある結果を求めてばかりの人生なんて、味気ないだけだと思うんだ。泥臭くて、格好悪くて、他人から笑われるような生き方だとしても、守るべき大事なもの、いつまでも忘れたくない自分の中の熱さ、みたいなのって誰にでもあるはずなんだから。そうだろ?みんな!
「――だから条例とかどうこう以前にだな、俺たちには若い子を守る義務みたいなものがあるって感じって感じじゃない?マジで」
「それはともかくさ、たとえばこう考えてみたらどうだ?彼女はなまじカワイイから、学校ではクラスメートから苛烈なイジメを受けてて、心のより所がない。事なかれ主義の教師たちは、イジメの実態を把握しながらも、見て見ぬフリを続けている。昼食も一人トイレの個室で済ませる。上履きにはトリカブトが塗りたくられていて、もう心身ともにズタボロ。そんな時!彼女の心にアルマ・マーテル(母親)のような優しい光を浴びせたのが、そう、mixiのあの宗教的なオレンジカラーだったとしたら……そしてようやく見つけた友達こと俺に会った彼女は、駅前のベンチに寂しそうに座って、こう呟くんだ。
『えへへ……あたし、バカだから……こういう風にしてしか、誰とも知り合えなくて……キモいですよね?気持ち悪いですよね、あたし……』
って。そんな時、心と一緒に体も抱いてやれなくて何が男か」
「俺が許す!腰が砕けるまでファックしてこい!」
めでたしめでたし^^ノン!違う。むかしから口ばかり達者なヤツだったんだ、コイツは。上履きにトリカブト塗られるとか、どこの漂流教室なんだよそれは。
よく考えてもみて欲しい。蝶よ花よと育てられた、18歳の悩ましバディである。女子高生の装備する乳だったら、AカップだろうがQカップだろうが、どんな乳でもけしからん。揉ませろ、とかそんな生易しいレヴェルではない。もはや『そのけしからん乳をありのままに切り取ってルーブル美術館に飾らせて下さい!』の世界なのである。女子高生の乳、その破壊的な造形美の前にあっては北斎も写楽も所詮ただのオス犬ではあるまいか。
つまり何が言いたいのか?しのごの言わずにさっさと吸わせろ!いや、ノン!そうじゃない。そんな風にして破壊的な訴求力を有する『女子高生』という称号、そんな無敵のラグナロクを装備した彼女が、どうしてmixiなんかで男漁りをしているのか?そこなのである、僕が危惧している部分は。
だってそうじゃん。正直に言って街を歩いている男どもが女子高生を見た場合、そこにチンコが3本あったとしたならば、3本中4本は確実にエレクトする。これはもう理屈とかじゃなくて、風が吹けば桶屋がM&A、くらいなレベルの自然摂理なのだ。おいおい、合併しちゃったよ、みたいな。そのあたりはニュアンスで分かるでしょ?
だから女子高生なんてのはその肩書きだけでモテのモテモテ、まあ仮にバルムンクのように攻撃力のある顔面を有している場合にはそれほどモテないかもしれないですが、そういうのって例外なのでここでは割愛。とにかく女子高生はモテるっつーか、そうだね、例えば僕が今(23:17)から
『女子高生と合コンするけど、誰か来る?』
と携帯に入っているアドレスたちに一斉送信した場合、3分後には東海村を形成できるくらいの人数を集める自信は、あるよ。
それだのに。肩書きさえあれば、何もしなくてもチヤホヤされる女子高生であるにも関わらず、薄汚い電脳の世界に電撃来襲し、冬のチンポ収穫祭に繰り出した女豹のような女子高生。これには確実に、裏があるに違いないぜ。
「やっぱそれは危ないと思う!だって普通に考えたら、男とか身近なとこから探すだろ。それなのにmixiなんか使ってこの時期に遊び相手探してるヤツなんて、相当性根が腐っているに相違ないし、友達だってとっくにゼロよ。きっとケツ毛もとんでもなく濃いに決まってるわ」
「まあ聞けよ。確かに18歳の思春期の時期にカタカタとmixiをやるだなんて相当に暗いかもしれない。けど、こう考えてみたらどうだろう?彼女には愛した男がいた、けれどそれを友達に奪われた。傷心の彼女、もう誰も信じられない……手は無意識のうちに、スネ毛処理用の剃刀に伸びる。現世に、セイ・グッバイ……しかけた、その時!彼女の目に飛び込んできたのは、そうmixiのあのカルト的なオレンジカラー。彼女は己の心の癒しを匿名の世界に求め、そして俺に出会った。複雑に絡み合っていた心の糸が、俺とのやり取りの中でひとつ、またひとつと解けていく。そして彼女はこう思ったろう。『ドキッ!大人の人の包容力って、私の周りの男たちには決して存在しなかったそれ……!』と。そして俺と会った彼女は、こう言うんだ。
「もう一度だけ、誰かを信じてもいいんですか……?」
とな。そうしたら絶対に惚れちまうだろ?」
「何も言うな、暁の向こう側まで騎乗位で駆け抜けろ」
( ;∀;)イイハナシダナー そうじゃないんだ。そういうことじゃなくて!とにかくこう……何て言えば一番分かりやすく伝わるのだろうか。24歳にもなってチャラチャラと女子高生と遊ぶこと、それは道徳的によくないし、教育的見地からしても絶対にアウトであり、彼女自身の将来にも影響を及ぼすことが確実な中にあって、とりあえず自分だけが女子高生と遊んでいい目を見るぜ、ヘイヘイ!というその精神が個人的にすごく気に食わないですね。富の再分配が大事です、って小学校の頃に『はじめての社会主義 〜ゼロから始める洗脳〜』の授業の中でも習ったはずでしょ?自分さえよければ、それでいいと言うのか。それで誰もが幸せになれるというのか。僕には甚だ疑問です。
「大丈夫!ゴムは着けるから」
「いや、そーいうことじゃなくてだな」
ガチャ。プー、プー。
突然掛かってきた電話は、やはり突然に切れた。
僕は携帯電話を傍らに置くと、再びバラライカを抱えてソファーに座り、切ないメロディーを奏でる。
(あいつが、人類史上見たこともないような性病にかかりますように……)
そんなことを祈りながら、願いながら僕は。僕は。
・・・
そして今日。
件の彼から電話がかかってきた。
「おうもしもし!!元気?俺は超元気だよ!それでJKどうだった?セックスした後にチンポがビックリするくらいに腫れた、とかそういう愉快な話?!」
「朝まで3回してさぁー!マジ最近の女子高生のフェラチオはすごいね!でもまだまだ発展途上だったっていうか。しかも結構スポーツやってるとかで、体のラインがすげーいいんだわ!!10代特有の煌き、みたいなものが確かにあったね。そういえば年末は実家に帰るの?」
「年末は北朝鮮の核開発援助に向かいます。来世で会おう」
そして僕は電話を切ると、ゆっくりとmixiの宗教的なオレンジ色を瞳に映す。落ち着いた手つきで『友人検索』の画面を開いた僕は、キーワードの欄に
『女子高生 リモコンバイブ』
と狂った調子で打ち込んだ。
【検索条件に該当するユーザは見つかりませんでした。
検索のヒント:
・キーワードに誤字・脱字がないか確かめてください。
・キーワードの表現を変えてみてください。
(アルファベット⇔カタカナ、漢字⇔ひらがな、など)】
そんなこと、最初から分かってたはずなのに。
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バイブでもなんでもinして!!
ふいたwww
何かを感じる・・・
尊敬してまっせ肉さん!!
まあ自分も大好物ですが^^
タイツか黒ニーソなんて穿いてた日にはもう・・・!!
しかしながら現実、母校の女子を見ても涙しか出ないorz
大丈夫ですよ。きっとそれ以外にも豚箱とか、慰謝料とかで人生つぶれますよ。
だから元気だしてください。
一生着いていきますぜ、肉の旦那。
>暁の向こう側まで騎乗位で駆け抜けろ
無理です(;∀;)
おもしろくないとかおかしいだろ
一年前からちょくちょく読み返してます。2008年のコメントの最初の三つは僕のコメです。
あなたが無意識のうちにこの日記が僕の心の中で大輪の花を咲かせたのでしょうかね。
とにかくこの日記はすばらしいです。