活発に、そして聞いてもいないのに、新しくできた恋人のことをノロケ始めるヤツのことを僕は信じられない、いや、信じたくないのです。
どうしてそんな風に僕が思うのか?ある程度理由は分かっている。どういうわけか、ポンポンとノロケを放言する人というのは、大抵すぐに別れてしまうのだ。それもかなりしみったれた理由で。こちらとしては『あのアツさはどこに?』って話である。
彼らは台風のごとくやって来る。僕が居酒屋で安い酒を飲んでいると、過度にニコニコとした表情でいつの間にか隣に座ったりしているのが常道だ。
「ねえねえ!トシくんがね」
肉「誰だよ?!トシって……」
「彼氏だよー」
刹那、僕の飲んでいた熱燗の温度が3℃下がるのが分かる。いや、実際に下がってるなんてことはないのだけれど、心の気温はそれくらい下がる、という話だ。
「最近付き合い始めたんだけどぉー」
彼、ないし彼女らの語り口には一切悪意がない。そして、それこそが最もタチが悪い。自分のことを100%正しい、と信じきっている人を前に、僕たちが紡げる言葉はあまりにも少ない。同意をするか、聞き流すか。反論でもしようものなら、すぐさま『冷たい人』『サイテーの野郎』なんていうレッテルを貼られてしまう。
「もう超いい人なの!ホント大好き。ずっと離れたくないなー」
こいつに壺売るのとかマジで楽勝そうだよな……だなんて考えながら、僕はマイナス100℃の日本酒を啜る。怒りなんてどこにもない、ただ悲しさだけが募る。どうしてなのだろう?嬉々として彼氏のことを語る彼女のことが、こんなにも儚く見えてしまうのは。
喜びを共有したい気持ち、それは誰にでもある感情だろう。嬉しいことは倍に、悲しいことは半分に……とは、僕の好きな言葉の一つでもある。
しかしながら、この文脈において僕は彼女の喜びを共有することはない。あるいは、できない。なぜなら、僕は現在進行形である人間関係を、現在自分が立っている位置からは正しく評価できるわけがないと信じているからだ。
人間関係なんてのは様々な出来事の連続だ。いいこともあれば、当然悪いこともある。だから、全てのことは振り返ってからしか判断できないのであり、今日の栄光が明日には泡沫と帰してしまう、だなんて珍しい話じゃない。
愛を語るな、と言うわけではない。ただ、全ての辛酸を舐めた後に、老夫婦の旦那がポツリと『お前と結婚して良かった』と妻に語ることと、目の前のパッパラパーが『トシくんがねぇ〜』と語る言葉のその重みは、必然的に異なってくるのである。
スポーツなんかはそうじゃない。たとえば徒競争で1位を取った、それは一回こっきりの事実として、どれだけ時が経とうとも覆ることのない記録として僕らの前に燦然と輝く。次に1位を取れるかどうかは知らないけれど、少なくともあの時、あの場所で1位となったことだけは絶対に確かだ。そういう喜びは僕も共有できるだろうし、どちらかと言えば積極的に共有したい方である。
『1位を取った』そして『恋人ができた』という二つの言葉、それらは抽象的な意味での『一回性』を有しているのだけれど、恋人あるいは結婚などの事象は、ことが結実したからといって全てが終わるわけではなく、むしろそこからが始まりだ。それはおそらく、披露宴などにおいて『結婚とはゴールではなく、スタートである』だなんてしきりにスピーチされる所以なのだろう。
一般的には『1を100にするより、0を1にすることの方が難しい』だなんてことがよく言われる。創造の場においてはそれは正しいのだろうし、僕にしたって感覚的にそれは理解できる。
けれど、人間関係においてもその理論は成り立つのだろうか?
『世界の、こんな多くの人たちの中から出会えたのって、奇跡だよね』
確率としては、確かに僕らの出会いの一つ一つは全て奇跡じみている。宇宙が生まれ、地球が出来て、日本という国が興り、途方もない確率で両親が僕らを産んでくれ、その先に誰かと出会う。そいつはきっと宝くじが何度当たっても追いつかないくらいか細い確率なのだろう。
そうだとして、一体それが何だってんだ?キミと僕が出会えた、その確率がものすごく低いものであることは理解できる。でもそこに確率を持ち込む意味は分からない。0が1になったことに感動するのは勝手だけれど、それは奇跡なんかじゃなくてただの偶然だ。
同じ論理でいえば、今日僕がトイレに産み落としたウンコの凄まじい一本美だって等しく奇跡なはずである。その一本が、どうして明日じゃなくて今日僕の肛門からコンニチワしたのか、そんな風に考えれば何だって奇跡じみてくるのではないか。
もちろんこれは詭弁だ。でも確率で全てを語るのならば、僕のウンコ程度だっていつでもミラクルになれる。ウンコで奇跡を語ることはダメなのでしょうか?僕にはそうは思えない。
結局、ウンコ程度も自由に操れない僕らにあって、キラキラと目を輝かせて人との出会いの奇跡性を語っても、どこか空しい。語るな、とは言わないし、この世に産まれた幸福を感謝する自由は誰にでもある。
ただ、僕は思う。
この世に生まれたこと、思いを寄せる誰かと付き合えたこと、今朝ウンコが出たこと、それらは全て0が1になった瞬間ではあるのだけれど、結局はその1を100にする、あるいは1のままキープさせていくこと、そっちの方がよほど困難なことなのではないか、と。死ぬその日まで毎日がエブリデイ見事な一本糞を放つ人なんて、おそらく世界に3人といない。蓋しそれは、100を保ち続けることの難しさなのである。
『聞いてよ、この前彼女ができてさあ!マジ今すげー幸せ』
1年を過ごしていれば、平均7.5回は聞くセリフだ。そんなことを語る彼らの顔は等しく輝かしくて、どこか誇らしげでもある。
『先日彼女ができました!エヘヘ』
1年を過ごしていれば、ブログなどで平均292回は見かける言辞だ。そんなことを語る彼らの筆致は軽妙で、どこか興奮気味でもある。
『大学入って1週間だけど、すげー友達増えたよ!携帯の登録件数ヤバいもん』
春の頃、キャンパスを行き交う新入生の10人を捕まえれば、7人位からはこんな言葉が帰ってくる。そんなことを語る彼らの瞳はやっぱり希望に満ちていて、語気はどこか浮ついている。
『内定決まった会社、社員の皆がめちゃくちゃモチベーション高くって!絶対伸びるよ、これから』
就活が終わった頃の飲み会で、確実に飛び交う言葉である。そんなことを語る彼らには輝かしい未来を疑う気持ちは一切なく、極めて美味そうに酒を飲む。
そんな彼らの共通項は、誰も聞いていないのに自慢を始めるという一点に尽きる。そして僕は、そんな彼らのことをいつも切なく見てしまうのである。
0が1になった瞬間、それは人が最も祝福され、あるいは寛容になれる時間だ。『めでたい』ということだけが確約されているため、誰も辛辣な言葉を吐かないし、吐けない。茫洋と広がる未来は、彼らの目には確実に明るく映るだろう。僕もそうだったし、今もそうであり、また、これからもそうなのだと思う。『嬉しい!』『楽しい!』と思う気持ちを止めることは難しいし、そんなことをする意味もない。
けれど忘れてはいけない。今であれば世界一可愛く見える彼女であっても、心ある人である以上は晴れの日もあれば雨の日もあるわけで、一人になれば野太い秋ナスをマンコにの中に床漬けしているやもしれぬ、ということを。今だったらたまらなく格好よく見える彼氏であっても、家に帰ってパソコンを開けばエロ動画が1GB保存されているのであり、VIPで見つけた『アナルオナニーが強烈すぎるんだが、、、』というスレの内容を真剣に実践しているという、その事実を。
『あんな人だとは思わなかった……』
1を100にする難しさ、それはこんな言葉の背後に隠れている。
『帰ってメシも作らないような彼女じゃあなあ……』
1を1のまま保つことの難しさ、それはこんな言葉の背後に隠れている。
0を1にする場合に求められるのは、ほとんどの場合心の瞬発力なのだろう。また、1となった関係性を維持する場合に求められるのは、当たり前のことではあるが心の持久力だ。そして昨今は、瞬発力にばかり長けた人間が増えているように思われる。行動力ばかりを備え、持久力を持ち合わせない人たち。
それは決して良し悪しの話ではない。付き合ったら別れるな、だなんてのはただの暴論だ。心に辛いことがあるならば、相手と適切な距離を測ることが大事なのは当たり前のことだ。
ただ、本来ならば抱かなくてよかった辛さや悲しみ、そういうものがどこかの誰かの心の中に存在するのならば。
それはやっぱり切ないことだと思う。
0を1にする作業にばかり没頭して、もっと大事な『その先』が見えていないのであれば。往々にして『1が0になる瞬間』には、もっと耐え難い痛苦が待っていることをできれば忘れたくないものである。
「彼氏できてさぁー!マジ超ヤバいの!前の人とは全然違くてね……」
安い酒を飲みながら、0が1になったことに対して過度に浮かれている人たちの声を、僕は聞く。心の中で『どうせすぐ別れんだからノロけんなよ……』と思いつつ、また『前の人の時も同じようなこと言ってただろうが!』と心で呪詛を吐きながら、且つ同時に『いつから俺はこんな乾いた心になってしまったのだろう』という悔恨にも似た気持ちを抱いて、持て余して、最後に僕はゆっくりと口を開くのである。
「どうせ彼氏にも毎晩そのけしからん乳を揉まれてんだろ?!だったら俺にも揉ませろやこのカス!」
「なんでそうなんのよ!」
「うるせー!ノロケ賃だバカ!」
「いやーん(///)」
何もなかった二人の関係性、そこから僕は乳を揉んだんだけれど、でもこの1を100にすることはムリそうだな……と思いつつ、今日もマイナス100℃の日本酒を口に湿らせるのであった。
人気ブログランキング
特に今日はキレてる!cool!
仮にその相手が今まで付き合った中でベストだったとしても、その人と付き合ったが為に自分が出会う中でベストの人とは付き合わずに終わるかも知れないし、そもそも一生で接点を持つ人数も人口からすればも高々知れてるだろうし。
ナルホドって考えさせられました!
そうか、これからは積極的に惚気話を聞くようにしよう。
…いや、僕は経験ないですが。肉欲さんなら出来ると思う。
素敵ですね…。時に後退や停滞をしながらも一歩一歩踏みしめて、振り返ると良い人生だったな…とその時隣には大切な夫がいる、そんな人生を歩みたい。そんな関係を築きたいですね。
入ってしまうんだもの
コンニチワって久しぶりwww
それと同じくらい大笑いもしましたが。笑
凄く考えさせられる内容でした。
今日の更新保存したい…くらい。
この更新を見るためにあった
そう思わざるをえないほど
この記事は輝いている
「今の彼氏最高なのぉ」のうらにはそれによって出会って1になれない人もたくさんいるのであると…
そして、乳を揉まれることもあると…(笑)
生活力ないけどかなりイケメン★
て事か
でも、結婚するにはそのくらいの方が扱いやすくてよろしいのですよ。
なんとゆうかビッチとかDQNは違う人種のように感じる。あんな頭がオッパッピーなやつらは人外です。
そいつらに、こうゆう肉欲さんの文章を見せたいですが、そうゆうやつってブログとか絶対読まないんですよねぇ。まず活字読めなそうですが。
「お前の行動範囲なんてたかが知れてるから大して低い確率でもねえだろ常考」
と思ってます。
あまりの美しさに涙が、、
私も0→1にするのは比較的得意だけど、1→100にする前に、途中で飽きたり挫折しちゃいます。。
0→1に出来たことに満足しちゃうのかなぁ。
ぼくも乳を揉みたいです。
話は変わりますが、自分語りの人たちの事を、侮蔑の意味でオナニー野郎と呼んでいましたが、最近それじゃあオナニー&ニストに失礼だ 冒涜だ という事に気付き別の呼び名を考えていたところです。
是非命名を!