
(閲覧注意。笑う要素はありません)
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
豚、と呼ばれ続けて過ごしてきた童がいた。
童が住んでいた土地は外界からの接触を過度に断ち切った場所にあり、それゆえ人の出入りも驚くほど少なかった。
豚じゃ、豚がおるぞ
童には、およそ『人権』というものが与えられていなかった。道を歩けば石を投げられ、時には悪戯であろう、飯に肥を混ぜられることもあった。
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
石つぶてを投げられて赤く腫らした顔を布で抑えながら、時おり童は遠くに祭囃子を聞いた。その一風変わった、少しだけ間の抜けた拍子はその土地に古くから伝わる雅楽のようなものであった。悪辣の限りを尽くされ、半ば放心状態となってあばら家に横臥する童にあって、その気の抜けたような音楽は岩に染み渡る滝の音のように頭に入り込んでいったものである。
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
年に一度、その土地では大きな祭があった。櫓を建て、太鼓を叩き、そして祭火を囲繞しながら土地の者が思う様に踊る。豚と呼ばれたその童は、ハレの舞台である祭への参加を許されることはなかったものの、いつも雑木林の陰からその祭の様子を眺めていた。
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
狂乱、とも言えるほどの熱気を見せる踊りの中心に厳として鎮座している焔がひとつ。ゆらゆらとゆらめくその焔を遠くから眺める童の心は、いつでも穏やかだった。その距離ゆえに熱気など感じる術もないはずだのに、ぼうっと燃え盛る焔を眺めるだけで、童の顔面の表皮はほのかに熱くなっていくような気持ちになった。
いつかはあの祭に参加したい。
自然とそんな風に思うようになった童の気持ちは、ある意味で当然のことであろう。
「これ読んで勉強しちょき」
ある日のこと。土地の老婆から童に藁版でできた一冊の本を手渡された。童は大いに戸惑う。何せ、字に触れることすらこの時が初めてのことだったのだから。
「それを全部覚えたら、祭に参加させちゃるけえ」
童の心の中が粟立った。自分が、あの祭に。それは降って湧いたような僥倖であり、またにわかには信じられない言葉でもあった。童は改めて目の前に差し出された冊子を見遣る。それは漢字ばかりが羅列された本であった。
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
童の脳裏に浮かぶのは軽快な祭の光景、そして珍妙な祭囃子。あの場所に、自分も参加できる。その思いは一息に童の心を明るくし、そして童はその日から寝食を忘れて手渡された本に噛り付いた。
同年代の子供たちから豚、と呼ばれる日々は続いた。
けれども、本を手渡されてからこっち、大人たちの視線は幾分柔らかいものへと変わったように感じられた。
丸一年であった。
本に内容されていた文字の量は夥しく、また文字自体に初めて触れる童にあっては、それら全てを暗記するという作業は相当に困難を極めた。
それでも童はやり遂げた。本を渡されてからの日々、子供たちはともかく、大人たちの童を見る目つきが和らいだ事実を寄す処に。そしてなにより、祭に参加することだけを宿願にして。
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
遠く、青空の彼方あたりから祭囃子が聞こえてくる。ああ、今年も祭の日がやって来るのだ。童はその音を耳にしながら、もう何度目になったのだろうか、手渡された本の内容を頭の中に諳んじた。
「おいで。祭に、行くよ」
突然土間を開けたのは、童に冊子を与えた老婆だった。陽光が薄暗かった室内を唐突に照らす。童は思わず目を細めた。祭囃子が一層大きく聞こえてくる。童はそのまま手を引かれながら、今度こそは雑木林ではなく、夜になれば皆が踊り歌っている祭のその場へと歩んで行った。
「ここで、お前が覚えたことを書くんよ」
気付いた時には毛筆と一壺が手の中にあった。壺の中にはたっぷりの墨汁。老婆は童の様子をにこにこと見ると、再び言葉を紡いだ。
「木の内側に覚えたことを全部書きよ。夜の、祭が始まるまでに書き終えるんよ。お前が書き終えたら、祭の始まりやけえね」
童の目の前で次々と木が組まれていく。童は右手に持った毛筆と、左手の壺をぽつねんと眺めながら事態を把握できずにいた。それと同時に『お前が書き終えたら祭が始まる』という老婆の声だけがいつまでも頭の中に木霊する。
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
予行演習と思しき祭囃子が、一層間近で童の鼓膜を揺らした。その音に得体の知れぬ高揚感を覚えた童は、あの祭火を、あの櫓を、そして太鼓の音を思い出しつつ、一心不乱に筆を振るい始めた。
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
木々の隙間から差し込んでいた陽光は次第に傾き始め、日の色はいつしか赤付き、気付いた頃にはすっかりと夕暮れになっていた。ようやくと覚えた全ての漢字を書き終えて童は、筆と壺とを地面に置き、ふう、と一息をついた。その時節を見計らったように、脇から老婆の声がある。
「書き終わったかい?」
暗闇の中、最早字面すら判然としない状況にあったけれど、この日まで何度となく往復した漢字の数々である。童には全ての字を書き終えたことに対し、半ば確信にも似た気持ちがあった。
そして童は、口を開く。
「ア・・アア・・・・」
堅牢に組まれた櫓、その中からか弱く細々しい童の声が、僅かに漏れ出た。その声を鼓膜に届けいれた老婆は、満足そうに頷くと、片手を上げて何やら若い衆に合図を出す。
「祭を始めようかね」
松明の焔が櫓に近づき、おそらく事前に油を仕込んであったのであろう、松明の小さな焔はたちまちに燃え盛り、櫓は一気に火柱となった。
「ばあちゃん、ばあちゃん」
その様子を最初から見ていた別の童が、何の気なしに老婆へと声をかける。
「中に人がおるのに、火ぃつけてええん?」
その業火をひとしきり眺めた後、老婆は童の方へと振り向き、ゆっくりと口を開くのであった。
「かたわの唖は、人やなくて、豚じゃけん」
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
ちんしゃん とてちん ちらとて ちん
※かたわ⇒差別用語。身体障害者の意。
※唖⇒差別用語。おし。口が不自由な人の意。
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ものすげー寂しくなる。
こわいなんて簡単に言っちゃいけないですね。肉欲さんてやっぱりすごい…
櫓の焔で寝られません・・・怖いよう・・
よく考えて見ます
あなたは一体………
悲しい‥(ノ_・。)
嫌いじゃないですが。
でも、逆に神になった人もいたかもしれません。と
少し幸せになった童も想像してみます。
でも頭の中に自然と映像が浮かぶから、やっぱり肉さんの文才はすごい。
はじめまして。
いきなり怖いです(((( ;°Д°))))
肉さんの文才も怖いです。
でも羨ましい才能です。
書いた文字の意味が気になります。
肉さんが今後この様な民俗学的な内容を書いて頂けるのかなってちょっと期待してます!
もちろんいつもの肉欲節も大期待です!
なんかムラ社会の残酷さを見たような気がする。
でも、世の中ハッピーエンドで終われないにしてもこれは酷いぜ・・・。
早く差別無くなれ。
目つきが変わったなんて、この祭りの始まりを楽しみにしてたのが大人だったのが、より時代の差別の酷さを感じさせるなぁ…
今でも似たようなことやってる人
いますよね?
怖いなー
たま〜に漢字間違いとかありますね。
抑えながら→押さえながら
あとなんか慣用句の使い方が間違ってたような・・
「脱兎のごとく」だったかな。
だいぶ初期のころだけど。
「ぬめり」の頃かな。
でも全体の勢いとかすばらしいですね。
細かなミスが無くなれば一段とよくなると思います。
身体障害者がたくさんいるってことですかね。
本当にあった話として不思議じゃないなーって思った。
人間は自分より下がいないと安心できない生き物だから
差別がある事は悲しいけど仕方ない。
でも悪気なく差別するのは一番やっちゃいけない事。
差別がなくなった時代に生まれた人間は差別をほとんど知らない。
だから差別について伝えていくべきだと思う。
それで今回のはめっちゃ勉強になった。
blogでこんなこと書ける肉さんはやっぱすごげーと思う。
彼は人柱になったのでしょうか?
彼が書いた漢字の内容が気になります。
障害者福祉に携わる者として、いろいろ考えさせられました。
肉さんのこういう話好きっすわー。
漢字の羅列ということは、童が書いたのは経文かな?
ちゃんと成仏するように。
そうだとしたら、その周到さがまた怖い・・・
>「かたわの唖は、人やなくて、豚じゃけん」
この言葉、深く刺さりました。
私は豚であります。
こういう余韻の作り方、酷く嫉妬します。
ギギギギギギ
すごい
今日の”ちりとてちん”みてください。
カウントぎりぎりで起き上がれます。
時間さえ許せば長編も書けるんじゃないですか?短編集でもいい、肉さんが本出したらマジで買います。
毎年やってるって事は…………と考えると…
悲惨なものは教育に悪い、ではなくて、これを読んで何を思うかが大事。
それにしても、これを書いた肉さんはすげぇっス!
例えば、胎児の段階で、遺伝子に異常が見つかったら中絶しちゃう親とか…根底には同じ問題があるかと。
人柄によるものか?それとも毒されてるのか?
親も見捨てたのかな。
村ぐるみって外に情報が漏れにくいから 特に飢餓状態の時などは各地でいろんなことがあったんだろうな。
現在に伝わる「祭り」も元を辿ると・・・
そこまで踏み込んで書いてる訳じゃないからだと思うけど。
本出してください絶対買います!!!!!
それが異常なことだという認識すらない
閉ざされた「小さな村」という空間。
最近のニュースで報道されていた高校生の自殺や、
親代わりの人も公認で行われたリンチの末
亡くなってしまった人達を重ねて見てしまいました。
血族婚が当たり前だった昔は、こうやって
村の恥とも取れる「忌み子」を隠す風習が
あったのかなぁなんて思いました。
でも恐ろしいと思うのは、私がおそらく淘汰される側の人間だろうと予想するからです。
余裕がない状況下にあっても、人に優しい人間でありたいです。
奇麗ごとだけど。
でも今回は故郷の方言に激似で複雑でした…
勿論、かんノフンゲフン・・・