世の中には数限りない日記サイト、日記ブログがある。それら一つ一つは「日記を綴る」ことを主眼としている以上、その全てが『文章』というカテゴリに向かって帰納していく。僕たちしがない日記書きは、文章を用いて何かを伝えたり、あるいは何かを伝えなかったりする作業の連続に興じているのだ。
そして、その『何か』を伝えるという部分。この『何か』のところで、僕たちは抽象化された『文章』というカテゴリから一歩踏み出し、それぞれの個性を具備していく。
たとえば、恋愛日記。
たとえば、グルメ日記。
あるいは、ニュースの日記。
『文字』という部分にだけ着目すれば、全ての日記は同じ日本語で綴られている以上極めて無個性だ。けれど、その内容にまで立ち入れば、それぞれの日記はたちまち個性の光を放つようになる。
そうであれば、僕の個性はやっぱり下ネタなのだろうか?いや、そんなことはないはずだ!この日の日記でも書いたように、僕が日記の中で『チンコ』とか『マンコ』だなんて思春期ド真ん中の言葉を使うのは、あくまでレトリックでしかない。本当に伝えたいのはチンコやマンコだなんて『具』そのものではなくて、もっと後ろにある抽象的なテーゼ。そのためにあえて選んだ言葉が、結果としてマンコとかチンコだっただけのことなんだ。
「この紙の上に丸を表現してみなさい」
って言われた時、ボールペンの単線で丸を描けば、それは間違いなく丸だ。けれど同時に、真ん中に白地を残して紙を黒く塗りつぶしてみれば、それもやっぱり丸なのである。あるいは、皆既月蝕のように真っ黒な円を描いた場合も、同じように丸。一口に丸と言っても、そこには色々な形がある。同じ丸は一つとしてない。
何かを伝えたい!と考えた時、伝えるためのアプローチは種々様々に存在する。例えば『命の尊厳』ということを考えてみよう。
一つには、人を殺してはいけません!と声高にえ唱ることで、ダイレクトに人命の尊さを説くやり方もあるだろう。けれど、目の前で人が殺されるシーンを見せ付け、逆説的に人命の儚さを教えるやり方だってある。道徳的な良し悪しはあれど、どちらがより説得的であるかの基準を、極めて硬直した倫理観だけから決するようなやり方はとても乱暴だ。導きたい結論は同じだとしても、そこに至るプロセスは無限にあるわけで、どんなやり方であってもある程度は理解を示すべきではないのだろうか。もちろん、無秩序なやり方は論外だけれど。
日記を書く、と考えた時に僕が選んだアプローチは、ご存知の通り下半身にまつわる切ないメモリーを語ること。もしかしたら、それはとてつもなく短絡的なやりで、決して褒められたものではないのかもしれない。こんな日記を嫌う人がいるのは、むしろ当然のことだろう。
けれど、人間の本質が垣間見えるのは、やっぱチンポを出してからがナンボ、って感じではないでしょうか?少なくとも僕に関して言えばそういう風に信じている。だから僕は、教師や警察官が性犯罪などで逮捕されるニュースが飛ぶたびに「ああ、やっぱりな」と思わされるのだ。
モラルだけで人となりが判断できて、あるいはモラルだけが人を規定するのならば、校長や警官が性犯罪なんて犯すはずがない。けれど、彼らの一部は現実に、世の中という盆の上でチンポを出して踊り狂っている。それどころか、女子中学生を買ってしまうロリコン市国の住民すら存在する。
結局その辺りが、僕がチンポ基準論を提唱する所以だ。人には職業選択の自由はあっても、チンポからは自由でいられないのである。三つ子のおペニス百まで、という言葉だってあるさ。
何かにつけて規制、規制の生きづらい世にあって下ネタばかりを発言していると、時折息苦しくなることがある。けれど人間の本質が裸になった瞬間にしか見えてこないものであるとするならば、やはり僕は下ネタの業から逃れられない。
そんな僕だから、横にいる友達が、全く恥じることなく初めてのオナニーの話や、自身の経験人数を赤裸々に語ってくれれば、喜んでアヌスを見せてあげたいと思っている。むしろ、そういう人に対して僕がアヌスを見せること、もはやそれは義務のレベルにまで達しているのではないか。「見せたい!」とか「見て欲しい!」などという生ぬるい気持ちではなく、もっと踏み込んで『見せなくてはならない』というこの気概、気丈夫。
「ねえ、どうして義務なの?それで誰か得をするの?」
言わないで欲しい。
ただ、感じてくれればそれでいい。
しかし!である。オスというカルマを背負って産まれておきながら、目の前で僕の口からオナニー・トークが繰り広げられるや否や
「やめろよ、いい歳してそんな話をするのは……」
と眉をひそめる男に対して、僕は決してアヌスを見せることはない。いやむしろ!見せることができないのである。なぜならば、僕がオナニー・トークを繰り広げる文脈において本当に聞きたかったこと、それは
『彼の性への目覚めはいつだったのか』
という部分でしかない。僕は彼のオナニー事情を知りたかったのではなく、そのウラに潜むナマの彼を知りたかった。その観点からのオナニー・トーク。別に、オナニーそのものがどうだとか、3日我慢した後のオナニーってサイコーだよね!なんていうチンカスのような話をしたかったからではないんだ。
そんな本質すら見抜けないヤツに、僕のアヌスを見る資格はない。そして見せる価値すらない。誰があんたに僕のアヌスを見せるものか、勝手に僕のアヌスを想像してくれ!の世界である。その辺りのこと、分かっていただけるだろうか?
アナルなのである、結局のところは。いや、それは違うけれど、とにかくも。僕にしてみても、そりゃあ理工学部生ではないけれど正直しんどい日は結構あるし、実家に帰れば微妙にほのぼのした家族だっている。学校には生協もあるし、腐女子彼女にはハピデジがはあちゅうだ。
でも、そういう日記はその分野の人に任せればいいのであって、僕には僕の畑がある。たまに寄り道をしたいことがあったとしても、それは全部まぼろし、結局戻る道は一つしかなく、目を上げればそこにはいつもアヌスがあり、チンコがあって、神木キュンが微笑みながらドラえもんに尿道プレイを施しているのである。だから僕は寄り道をしたことに恥じらいを覚えつつ、同時に苦笑いを浮かべながらまたマンコと叫ぶ。小さなウソで、より大きなウソを隠すために。
宮崎あおいとセックスがしたい!と僕が日記に書く時。その背後には本当に伝えたいもっと大きなテーマが隠されている。それは偶像に騙される人間の滑稽さであったりとか、届かないものにいつまでも心惑わされる僕たちのサガであるとか、そういうことだ。けれど、観念的な文章でそんなことを伝えても、バカらしいしつまらない。書き手も読み手も疲れるばかりだ。
「宮崎あおいとヤリてえな……」
僕がそんなことを木偶のように呟くことで、人の悲しさみたいなものを感じていただければ、それに勝る喜びはない。そこにあって宮崎あおいなんて存在は本当にチープだ。
「宮崎あおいとアナルセックスしたいな……」
その日の日記にそんなことが書いてある時は、性交という行為を冒涜しているバカな男が世の中にはいるのだ!という認識を抱くことで、どうか正しい道を見つけて欲しい。肛門は入り口ではなく、絶対に出口だ。宮崎あおいはどうでもいい。
「宮崎あおいに遠隔操作バイブを突っ込んで表参道をさわやかに歩きたい……」
一見して安全で静謐に見える道であっても、変態はそこかしこに潜んでいる。あなたの横で穏やかに微笑んでいる人だって、一つ皮を剥けばとんだ獣かもしれない。僕は日記の中で、そんな危機感を惹起したいんだ。宮崎あおいはどうでもいい。
「蛇口の中から水道水として出てきて、宮崎あおいにうがいされたい……」
人としての足場を失い、もはや何のために生きているのかすら分からなくなる人間もいる、ということだ。ちなみにこの場合、モンダミンでも別にいい。いや、そういうことじゃない。
「酸素になって宮崎あおいの動脈に潜り込みたい……そのあと二酸化炭素になって木々に吸収されたい……」
オイ!アンタはほんとにそれでいいのか?!やっぱヒトとして産まれたからにはもっとアクティブに動かなきゃさあー!!それに、僕たちはクズにはなれても酸素にはなれないんだ。だからホラ、やっぱり健全な肉体と健全な精神的に考えて、そういうのはダメだよ。ヒントはセックス。
「宮崎あおいとヤリたいっスね!マジで!!」
ロンモチだよキミィ!お前はよく分かってる!キミとは美味い酒が飲めそうだなァ!ちなみに宮崎あおいのどこがいいと思う?やっぱ隠しても隠し切れないピュアさ加減がたまらないよな。お前も分かる?最近のやつはすぐに顔が可愛いとか、そういう部分に囚われちゃうけど、やっぱそれは分かってないよなー。俺が言いたいのは表面的な部分じゃなくて、もっとこう、内面のことなんだよね。ハートっつーかさ。えっ?ちなみに宮崎あおいのどこが好きなのか、って?そうだね、色々あるけど、やっぱりマンコかな。
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まー♂なんてそんなもんか。
あんな人に人妻とゆう肩書きがあるのが信じられない。
そこで靴と靴下のどちらを選ぶかが、すなわち個性。
だから、主張と全然違うこと考えてても、納得してしまうよ。
あるあ…ねーよwww
それは秋の涼しさにかまけてしこたま飲んだ日本酒(約六合)に因るところが大きい。
それが肉欲クオリティ。
いい加減にしろよwww
(・ω・)/
否、違う!
その下ネタに真の哲学性が含まれてるんだ!
な、なんだっ(ry
私にはそこまで究極的な合体は思い付きませんでした^^
伝えるよりも優秀な言語だったり、
照れ隠しだったりするんですね。
アナタはとても爽やかな変態ですね。
自信持ってネゲットしなさい。
しかしどこが好きなの?って聞かれて「まんこ」はないなwww
隠れたメッセージ性を匂わせる素晴らしい
文章でした。
肉さんが言う「ちんこ」には
僕が言うちんこには決してない壮大なスペクタクルロマンがあふれてます!
ここはヴァチカンじゃありませんよ。
マジ応援してまっす
ってか宮崎あおいは既に我が脳内奴隷。
残念!