雷雨の中、捨てられたネコに傘をかざしながら「お前も一人ぼっちなのかい?ヘヘ、アタイと一緒だね」と70年代ドラマのようなロール・プレイを行っていると、僕のmixiのアカウントに疾風のようなメッセージが飛び込んできた。なんとそこには
・・・
件名:好きです
本文:肉欲さんのことが好きです。
いつも肉欲さんのことばかり考えています。
いつかお暇はありませんでしょうか?
突然こんなメッセージを送ってすみません。
それでは失礼します。
・・・
というメッセージが!
疾風のように!
突然僕のところに!
来ないのな。
ビックリするくらい来ない。
2世紀くらい待ったけど、いくらなんでも来なさすぎる。
いい加減、洗い髪も芯まで冷えた。
ホントに届いたのは次のようなメッセージです。
・・・
差出人:○○
件名:SMについて考えてみたんですが
・・・
考え
なくても
いいと思うよ!
とはいえこれは良い傾向。
最近の風潮として、どうもSだのMだのいう言葉の表面だけを捉えて
「うわっ、下ネタとかマジありえん!」
と、その話題を忌避してしまうということがありますが、アレルギー的になんでもかんでも否定すればいいってもんじゃないだろ。性教育だって一方的な側面からすれば膣だの陰茎だのって言葉は出るけど、それはあくまで学術的な意味合いで用いているのであり、それを無視して「エロい話で笑いを取ろうとするなんてサイテー」ってそりゃお前の方がよっぽど不健全だわ。どうせセックスの時なんかはよがり狂いながら
「イィィィィ!!あ、タクヤのチンポの直径は5cmね。イィィィィ!!」
と、ノギスのような精密なオマンコを活躍させているに違いないにも関わらず、だ!一応申し上げておきますが、こういうのがいわゆる『品のない下ネタ』ってやつです。こんなんで笑い取ろうと思ってるヤツはマジで最低だよ。

(参考資料 ノギス)
ノギスはどうでもいいんですが、SMの話。
確かにSMの話をするとなるとそれは必然的にプレイの内容、いわゆるセックス的な話題に及ばざるを得ないのが僕らのカルマなのであり、その点からすれば『SM』と聞いた瞬間に潔癖的なトーンで
「サイテー!」
と叫んでしまうことはある意味仕方がない。
でも性癖なんてのも根源的に言ってしまえば『人の性格』の一部に他ならないわけです。だから、性癖を真面目な態度で分析すること、それは人間の持つ本質、その深淵に近づく作業に相違ない。ただ、偶然その背後に潜むものが性的なマターであった、というだけです。とにかく僕は、SMを語る行為というものは所詮『赤ん坊はどうして泣き叫ぶのか?』というテーマに取り組むのと大差はない、ってことを理解して欲しいのさ。
さて、話を戻して。
メッセージを下さった方は概ね次のようなことを仰っていました。
・・・
■サドとマドの違いは興奮のプロセスにある。
■サド性を満たすには対象を据えることが不可避であるが、マゾ性は対象がいなくても満ちる場合がある。
・・・
(全文はコチラから)
従前より言われていることですが、とある学説によれば『SはサービスのS』であり、『MはマンゾクのM』とされております。もちろんこの説が唯一無二の真実、という訳ではありませんが、それでもSM論を語るうえで一定の指針にはなり得るでしょう。
サービス、というのは突き詰めれば奉仕、給仕の精神。そうであれば、当然対象が存在しなければ概念として成り立たないことになる。無人島でサービスもクソもあったもんじゃないでしょ?
けれども満足、これはいついかなる時でも、己の心持ちひとつで容易に手にすることができます。都会にいても無人島にいたとしても、排便時に感じるサティスファクションは等しく尊いでしょ?だからそういうこと。太いのがスルッと出た時って、何だか嬉しい気分になるよね!まあ、稀に排便を見たい/見られたい、というカッパドキアのような雄大な脳味噌をお持ちの方もいらっしゃるようですが、これを読んでいる人の中でそういう人がいれば早くブラウザ閉じてもらえませんかね?マジ臭うんで。うちはそういうブログじゃないんで。エロい話が読みたいのなら『生協の白石さん』でも読んでてくれんか!
白石さんに対するネガキャンが終わったところで、話を移行させます。ここからは寓話とかフィクションの類のお話。
―――
時あたかも平成16年。
杉並区に住むNさんは当時の彼女と、まるでそれが義務であるかのようにセックスに興じていた、と伝えられている。
「あたし、すっごいMなの……」
俯いてそう語る彼女の横顔、可憐なその瞳には紛れもなくビッチの光が宿っておったことを、Nさんは振り返って白状する。
「ま、マァー俺もどっちかといえばSっていうか!?とりあえずヤるか?!!」
それは明確にウソであった、とNさんは後に語る。経験も少なく、意外と性行為に関してはひどく保守的であったNさんは、その名の通り性癖もN(ニュートラル)。SだのMだの、その時までまるで考えたこともなかった。
「本当に?いっぱいいじめて欲しいの……」
しかしこうまで言われては、黙っていられぬのが男の悲しい性(サガ)よ。Nさんはギアをニュートラルから強引に6速にブチ込むと、ニトロエンジンをスイッチ・オン。脳内に鎮座ましましていた教則本『はじめてのSM』(中央公論社)を引っ張り出すと、紋切り型のSを演じるべく、Nさんは彼女のためだけのAV男優へとジョブチェンジ。そういう愛もある。
「オラッ!こんなになってんじゃねえか!!」
「イィィーーー!イィーーー!!」
彼女の秘裂にフィンガー5を学園天国させながら、にNさんは罵倒を浴びせる。彼の言葉の中にある『こんなに』が『どんなに』なのかは、残念ながら僕の乏しいボキャブラリーでは到底皆さんにお伝えするべくもないのだけれど、取り急ぎオナホールのようなものでも想像していただくとして僕は先を急ぐ。
「おい、どうして欲しいんだよ!?アァーン!?!」
「噛んでー!乳首噛んでー!」
聖書には絶対に登場しないワン・シーンだ。敬虔な僕は、右の乳首を噛んだら左の乳首も噛もう、という至言を己の中でクリエイト。最大限の優しさを携えながら、Nさんは彼女の左乳首をがりりと噛んだ。
「イィィィギィィィィィーーーー!!!!」
そんなにも あなたは乳首を待ってゐた 悲しく 白く 明るい 恥の床で――などと、Nさんは心の中の梶井基次郎部分をフル動員させながら、必死にSを演じる。指の先は度重なる愛撫で既に長風呂の後のようになっており、明らかに運動過多の舌も既に痺れかけていた。『どうでもいいけど、Sってマジ疲れるんだな』……初めての経験の中で、にくNさんはそんなことを思ったと述懐する。
「お願い!!挿れてぇぇーーー!!!」
耳をつんざく阿修羅の雄叫び。それまでAVの向こう側にしかなかったはずの台詞が、その時確実にNさんの目の前にあった。刹那にそそり立つ股間のビッグ・フィッシュ(ディレクターズカット)。Nさんは矢も盾も堪らず、ハアハアと野良犬のような口調で「い、挿れていい!?」と尋ねた。
「イヤァァーーーー!!!恥ずかしい(///)……!!!」
ウソだろ承太郎。と、思わずフォントをいじってしまうくらいの衝撃を受けたNさん。パニックに陥ったNさんは思わず「あっ、ゴメン。いやだったらやめようか?」だなんてダスティンホフマンもお手上げなジェントルマンへとシフトチェンジ。失われた大和の心が、そこにはあった。
「イヤァァァーーー!!挿れてぇーーーー!!!」
大和は滅んだ。「あ、ああ・・・」と呟きつつ、Nさんは指示されるがままにを己の熱くたぎった肉棒を彼女の蜜壺に突きた(――この続きは、団鬼六先生の著作にてお楽しみください)。
・・・
全てが終わった後。
ハアハアと荒い息を立てながら横たわるNさん。
男の宿命として、一度『こと』が終わったとしてもそんなに体に疲労感を覚えることはない。
この日は未だ昼を過ぎた時分。
遊びに行くには十分な頃合だった。
「ねえ、どこかに行こうよ」
それは真実の欲求。
休日を寝て過ごすだなんてとんでもない!
Nさんはユサユサと彼女をゆさぶる。
「……だから」
「え?」
蚊の鳴くような声で何事かを呟く彼女。
僕、もといNさんは確かめるようにもう一度彼女の声に耳をそばだてる。
「あたしMだから、もう動けない」
そして彼女は、ストンと音が聞こえそうなくらい眠りこけ、次に彼女が目を開けたのは『笑点』が始まる頃になってからのことだった。穏やかに、そして幸福そうな顔をして眠る彼女。Nさんは確かに『サービス』をし、また彼女は間違いなく『満足』を得た、遠い日の追憶。
「これがSMか……」
Nさんはベランダに出てマルボロに火をつけると、飛び切り苦い煙を二つの肺いっぱいに満たし、少しだけ泣いたのであった。
―――
懸命な読者の方ならもうお分かりでしょうが、こんなのって全然SMじゃないっつーか、これではただのイエスマンとビッチのセックスでしかありません。でも当人たちが『これはSなんだ』『これはMなんだ』と思い込めば、それは(当人たちの間で)即座にSMと化してしまう曖昧な日本人の妙。行為が人を規定するのではなく、ただただ言葉が人を規定する、この現実。
SMのSに関しては以前の日記で言及しましたし、未だに本来的な意味でのSというものが何であるのかは答が見つかりません。ただ、最近の世に蔓延るエセM、なんちゃってMの人たちがどういう性質なのかは分かる気がする。あいつらただのナマケモノに違いないぜ。想像力というものがおよそ欠落してやがる。
「あたし(オレ)Mなんだよねー」
自ら嬉々としてこう語る99.8%の人間は、ただの快楽主義者です。部屋もメチャクチャ汚い。動きたくないからMを語り、受け手に回る。男女を問わず、終わったらすぐ寝る。そして「ご飯行こうよ」とか「何か作ってよ」など、何らかの作為を求めると、即座にこう答える。
「オレ(あたし)、ベットの外じゃあSなんだよねー」
僕は「ふざけるな」と言いたい。単純に怠惰でしかない己の性癖を、SとかMとかいう言葉に置き換えるなって何度も言ってんだろうがこのこわっぱどもが。ワガママであることがSなんだ、とか勘違いしてねえか?そんなの、本当にSMを泥愛している人たちに失礼だ、実に失礼だ。率直に「面倒くさいから勝手に手マンして」と言われた方がどれだけ好感を持てることか。いや、そんなこと実際に言われたらマジでニガウリ突っ込みますけど。育て!ゴーヤチャンプル。
沖縄料理はどうでもよくて。確かにMは満足のMなのかもしれないけれど、その全てにおいて根底に流れてなきゃいけないのは『愛』の一文字のはずだろ。ひたすら『性欲』という言葉にだけ裏づけされただけの満足なんて、そんなのは畜生のセックスだ。いや、もうセックスですらない。対人オナニーだ。お前がMを語るなら、せめて愛人(ラ・マン)のザーメンをリンス代わりに髪に塗りたくりつつ、シャワー室にて
「やだ……このリンスめちゃくちゃモイスチャー……」
くらいのことを恍惚とした表情で言ってのけろよ!できねんだろ!?だったらお前はMじゃない。俺はお前を認めない。
ということで本日の総括といたしましては、もしあなたの目の前にMを自称するメスが現れたら、何も言わずおもむろに頭髪にむかって精子をブッかけてみて下さい。そこでもしその娘が「何するのよ!?」などの言辞を持って怒り狂ったらとしたならば、その人のことを一生大事にしてあげましょう。正常な判断能力って実生活を営む上では存外大事ですからねー。モイスチャー?そんなの求めてんならモッズヘアーでも買ってろよ常考。
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めちゃくちゃワロタ。
作るものであって育ちはしないよwwwwwwww
このリンスめちゃくちゃモイスチャー…… で遂に吹いてしまったwwwww
クソ!なんで失恋した直後に大爆笑だよ俺は
ホントSMどっち?っていう質問には辟易してますわ… 答えようが無い。
『育て!ゴーヤチャンプル』、しばらく私の中で流行りそうです。
これからは軽々しくMを自称するのを辞めます!!
いやあ……勢いある文章ってすげえなあ……
僕はもうそもそも、人間の性癖をたった二つに分類しようとするところに、致命的な問題があると思ってます。
いつがお暇ですか?
早く処女くださいっ
SはサービスのS、MはマンゾクのMともいいますし、SはスレイブMはマスターともいいます。
肉体的にSの方でもその方を精神面で操っている(自分の望む行為に促す、自分の望む行為を解らす等)のはMの方であるという解釈をしていますが、SM≠SEXでは無いかと思っています。
性的行為には違いありませんが。
何にしてもどちらが出やすいか(相手にもよるし)なだけで、100%どちらかな人間なんていないんでしょうね。
(´・ω・`)
Mなんだよねー(^^)ってほざく男にムカつくのは何故なんだろう。
残りの半分(同様に、S男B。)は基本的に乱暴なだけだったりする。ちなみに、こっちの方がS男を自称している事が多い。
いや個人的な見解ですが。
前者の彼ら(A)は、それこそ「サービスのS」であり、まさに一戦交えるその時、極めて優しく、「そちのオメコはもはやこんな事になってしもうておるぞよ。ヒョヒョヒョ。」的な言葉を発した際、然るべき後に相手のナギヴァに更なる潤い(モイスト)が認められなくば、即座にハンドルを切り至極ノーマルな性交渉へ向けてケツを振るものです。
S男Aがある程度の賢さを備えているからこそ、であると思われます。
この「ある程度の賢さ」こそが、S男AとBを分けるものであり素敵な夜を共にするために必要なものでしょう。
コマンを探り、快感を探り当て、自分のコチンなど道具にすぎません。
一方、後者(B)は、Sだから、と言えばこれでいいのか?ってな位にアニマルなファックをクリエイトしていくのです。
彼女がドMならそれでも問題は無いのですが、そうでない事だってあります。
それでも、彼らは腰を振る。つまり、こちらのファックにおいては、コチンこそが第一、コマンはオナホールの代わりでしかないのです。
この様にS男は二つに分けられます。もちろん、例外もありましょう。
あなたは、どちらのS男ですか?
欲情してしまいそうで困る。
そもそもノギスって名前の響きがエロい。
これはエロ関係の器具じゃないんですよね?
奉仕されるMもあるんですね!
今回の文章はナイアガラ級だぜ兄貴。
てw
M自称の女子が怠惰だとするのと同様、Sを自称する男子はただの自己中、ワガママ、そんで意外と甘えん坊だったりもしますなぁ。
S=神(教祖)でM=信者のように、
Mが絶対的存在のSに向かって、いかに自己解放ができるか。自我をSに明け渡せるかが重要だと考えてます。
なのでやっぱりMにも、いえMだからこそ対象は必要なんじゃないでしょうか…。
(誰かに)見られる自分に興奮してるのだし。
だからSは、Mが安心して自己を解放できる度量がなければできぬのです。
Mの快感は自己(自我)を解放できることにあり、Sの快感を得られるのはMがSに向かって完全なる信頼を寄せ自己を明け渡してくれることにあります。
私Mなの俺はSだのだなんて、対外は自己中と怠惰をそれと勘違いする輩が多くてひとり憤慨しております笑
長々とすみません(>_<)大好物のお話だったのでついしゃしゃり出てしまいました。
友人以外にモイスチャーの使い方がうまい人はいないと思ってたのにwwww
ならトキメキやムラムラに近い感情を持続
しやすそうですね。
まあプレイや趣味とはそういうもんか。
SもMもNも方向性は違っても目指す所は
似ているんでしょうかね?
と思った瞬間にオチですごく否定されて股間が切なくなりました。
さすがです肉さん。
ドエムと名乗っているのでちょっと不安になりました(´・ω・`)
SとMは紙一重でどっちにもなれるって何かのラジオ番組で聞いた
鼻から精子噴いた。
※更に元ネタがあったらスイマセン…
うちの業界だと「エゴマゾ」という言葉が生まれてます。
ユーザーには伝えられないワードですが…。
つまり。
完全受身で快楽を享受しようという考え方です。
俺は。
「SとMは振れ幅でしかない」と思っています。
ドSはドMに転じる可能性はあるし、逆もまた真なり。
相手を見てSにもMにも転じうる(もしくは相手を転じさせる)のが真実だと思うのです。
ちなみに。
振れ幅の小さい男女はつまらないです。
俺がAV業界だから、そう感じるのかも知れませんが…。
自称Mの僕は単なる快楽主義ですw
でも女の子からなら命令ベットの外でも聞きますよ
今彼氏が隣で寝ていますが色々考えさせられました。
カプさんのコメに激しく同意です。
私はその信頼を愛であると考えていましたが、解放でもあるのですね。
縛りや放置って、相手に全幅の信頼を寄せていないと無理ですよね。僕の中では究極のプレイです♪誰か分かってくれる人いないかな・・・
最後モイスチャーに吹いたwww
SでもMでもなんでもいいけどすぐそこにある快感の為にする努力もできなくなったら脳みそパープリンになっちまうよ
テラウィンドウwwwww
相変わらず文章はさすがw
覚えたことがすべてモイスチャー変換されていく・・・w
また見に来ます☆
フィンガー5で学園天国やら
モイスチャーで大爆笑。
はぁおなかがよじれる