肉欲企画。

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2007年07月10日

逝きている人たち

sky.jpg

  
そこは音のない部屋だった。私は薄ぼんやりとした思考の海の中で、気付けば夜のものと思しき闇をじっと見つめていた。

「もし」

突然に聞こえてきた声は、霞がかった意識と曖昧な視界に比して随分と明瞭なものであった。鼓膜を媒介して……というよりも、脳髄に直截響いてくるような生々しい問いかけ。それは音のなかった部屋に突然現れた全く身に覚えのない声であった。

「もし、あなた」

再び穏やかで、しかしどこか逼迫したような調子を保ちながら、声は私の頭に語りを投げた。声の主はどうやら女のものと思われたが、暗闇の中で胡乱なままである私の頭ではそのあたりのことすら判然としない。

「随分と長いこと、誰にも私の声が届けられずにおりました。あなた、ああ、お名前も存じ上げず大層失礼なことかとは承知しておりますが、あなた様にはようやく私の声をお届けできるようです」

短い時間の中で立て続けに投げかけられた声に、私は反応できないでいた。しかし、声の主はそれには気を留めていない風情で問わず語りに話を続ける。私は相変わらず黄砂舞い散る空のようにどんよりとした意識と共に、突然現れた得体の知れない声の続きを待った。

「幾人もの方が通り過ぎて行かれました。私は懸命に、何度も、声を限りに叫び続けました。全ては無為に消えました。いつしか誰も、何も、鳥獣すらも私の傍に寄らなくなっておりました。いえ、そんなことはどうでもよろしいのです。今はただ、お名前も窺い知ることのできぬあなた様にこうして巡り合えたことに深謝を寄せるべきなのでしょう」

ほとんど息継ぎなしに主は囁く。息遣いを感じさせないその声は、必然的に生者から発せられたそれではないことを予感させた。ただ、不思議とその声を怖さや不気味さは感じられない。それどころか、主の発する声の底の方に幾ばくか哀傷じみた色すら感じ取れた。

暗い部屋であった。背中の辺りを包んでいるのは、おそらくベッドなのであろう。多少固めのマットレスの感触が、現在私が自室にいないことを物語っていた。妻はどこに行ったのだろうか?いや、そもそも私はどこにいるのだろう。段々と意識が明晰になっていくにつれ、少しずつではあるがそんなことを思った。

主はしかし、私のそんな考えにはお構いなしに声を投げ続けた。

「昔は私たちのような者の声を聞き取り、余の者に届けて下さる方が、もちろん多くはないといえど、それなりに存在いたしておりました。私たちも折に触れてはその様な方々に声を届け、意思を伝え、あるいは何某かのことをしていただく……もしくは逆に、何かの行為を止めていただく。そのようにして諸事万端の理(ことわり)を調和しておりました」

そのような存在――それはおそらく呪術者や巫女、もしくはシャーマンのような存在を指すのだろうと、ぼんやりと思った。日本史を研究する学者の中には

『邪馬台国の卑弥呼は、神がかり的な力で以て衆を統べていた』

と唱える者もいる。だから主はそのことを言っているのではないだろうか。

突然降って沸いた得体の知れない主の声をまともに受け止め、巫女だのシャーマンだの突飛な発想を抱いた自分に多少驚いた。が、今自分を取り巻いている状況はいかにも珍奇であったので、それほど思考としての整合性が失われているとも思えなかった。

「しかし、ここ長い間は私たちの声が一切届かなくなりました。かつて私たちの声を聞き届けていた方々の血は皆絶え、且つまた、新たに声を聞き届けることのできる存在も産まれ出ずにおりました。そのような中で私たちの声も次第に弱くなり、それどころか何かを伝えようとすればするほど忌避されるように相成りました。私たちの声は届かずとも、存在のみを感じ取れる者がいたのでしょう。徐々にうつし世から排斥されるようになりました」

生徒に教えを説くように続けられる主の声。その淡々とした調子には、言葉の内容とは裏腹に我々に対する怨嗟が潜んでいる様子はなかった。ただただ在った出来事をそのままに伝える、勤勉なラジオ放送のような声が私の中に響いてくる。

「それも世の流れ、と判ずべきなのでしょうか。現に私たちの中の多数は声を伝えることを諦め、あるべき姿、いるべき場所に戻っております。けれど私には、どうしても諦めることができないのです。如何様にしてでも私たちの声を伝えること、あなた方に道を指し示すこと、それこそが私たちの責務であると思えて仕方ないからです」

窓の外から少しだけざわめく木々の音が聞こえる。だからそのことが、未だ私が死んではいないことを教えてくれた。

あるいはこれは夢なのかもしれない。けれど私は今の己を取り巻く状況をただの下らない夢想であると唾棄してしまうことがどうしてもできなかった。もしくはそれは、ただの私の感傷にしか過ぎないのだろうか?

それでも私は、主の言葉から耳をそむけることができなかった。主の言葉を十全に聞き入れなければならないような心持になっていた。

「間もなくこの世界に大いな災禍が押し寄せます。海は割れ、地は穿たれ山は火を吹き、そしてあらゆる存在はその営みを終えることとなるでしょう。私たちの大半は、既に『それも已む無し』と考えております。けれどこうして私があなた様に声をお届けすることができた今、どうにかあなた様が私たちの声を世に届け、来るべき危難を回避していただければと願うのです。祈るのです」

既に半ば以上明瞭さを取り戻した頭で、主の声、その言葉の持つ意味を何度となく反芻した。それは職場の同僚などに話してみたところで「下らない戯言だ」と一笑に付され終わってしまうくらい他愛ない言葉だろう。主の言葉はあまりにも奇矯であり、だからそれを信じずべき端緒はどこにもなかった。

それならそれでいい。
ただ私の下に主の声が届けられ、それをこうして私が聞いているという事実――それが厳たるものとして存在するのであれば、それで十分であるように思う。

少なくとも、このようにして様々なことに煩悶している自分がいること、それだけは確からしいのだから。

「終末への順序は段階的に参ります。これより100の回数で太陽が東から西へ移動した後の日、敦賀の地にある炉が災厄をもたらすことでしょう。それを起因とし、この国の大地奥深くに眠る地脈は乱れ、その故から矢継ぎ早に天変地異が巻き起こることを私たちは知っております。その余の災害は全て天災、避けることのできぬ災禍です。

しかしながらことの始まり、敦賀の地で起こる『全ての起算点』とのなる出来事は『人災』であることも私たちに知られております。そうであればこそ、あなた様がどうにかして災厄の初手を打ち留めることができましたら。終わりの始まりを防ぐことができましたら。

あるいは――」

声の主はそこで声をひとつ区切った。平板な様子で喋り続けていた主であったが、この時初めて『人間らしい』息遣いを感じさせるような喋り口となった。私は黙って――無論、最初から押し黙ったままではあったが――主の声の続きに耳を傾けた。

「全ての営みは、旧来通り平穏を保ち続けること能うことでしょう」

その言葉をしおに、主の存在感は急速に希薄になった。
先ほど窓の外を通り抜けた風は今はもうどこかに過ぎ去ったらしく、相変わらず私を包む夜は耳が痛いほどの静寂を抱いている。

『100の回数、太陽が昇って沈む間に』と主は言った。
その言葉が正しいとするならば、これから3ヶ月程度の間に人災にまつわる重大な危難が我々を襲うということになるだろうか。


私が、何かを為して成さねばならない。

あるいは主の声を、誰かに伝えなければならないのだ。


その時、部屋を包む暗闇の淵から何やら腥いものを感じたような気がした。けれども主の声が聞こえなくなったことにより再び神経が弛緩したのであろう、私の意識は再び霞がかっていき、いつしかぬらりとした眠りの海へと落ちていった。


暗い夜に、音のない部屋。
そこでの眠りに一切の夢はなかった。


ただ体の周りに、あたかも底のない沼で泳いでいるようなもどかしい感覚だけが存在していた。

・・・


「先生、409号室の畑中さんのことなんですけどー」

カルテを手にしてぼんやりと考え事をしていた医師の下に一人の看護師が歩み寄る。その声に医師がカルテを机を置くと、鷹揚な調子で「409号室がどうかしたの?」と言葉を返した。

「あそこに部屋って、ずっと閉鎖されてたじゃないですかあ。何か、患者さんからもすっごい評判悪くて。みんな言ってますよ、『あの部屋には何かが出るんだ』って。そんな所に入れちゃってよかったんですか?後で患者さんからクレームがきちゃいません?急のことだったからマットレスもロクなの用意できなかったしー」

「そうは言ってもしょうがないだろう。もうウチにはあの部屋しか受け入れ先がなかったんだし」

言葉を紡ぎながら、医師は立ち上がってコーヒーメーカーで保温されていたコーヒーをカップに注ぐ。ポーションミルクをひとつカップの中に入れると、ねっとりとしたミルクが真っ黒なコーヒーの中で環状に踊るように散っていく。

「それに畑中さん――」

薄く湯気を上げるコーヒーカップをソーサーに置くと、時計の方に投げやりな視線を遣りながら医師は看護師に喋りかけた。

「植物状態で意識が戻る見込みもないんだから、クレームのつけようもないでしょ」

そんなことを言いながら医師は再びデスクに座ると、からからと乾いた笑い声を上げた。その時窓の外を包む狭霧に、ざざざとつむじ風の舞う音が響いたのであった。

(終)


・・・

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posted by 肉欲さん at 23:59 | Comment(42) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
引きこまれてしまった
Posted by うが at 2007年07月11日 00:08
なるほど……
すごく良かった、吸い寄せられるように読んでしもうた。
Posted by at 2007年07月11日 00:10
久しぶりのSS…ぞっとさせられました!
Posted by at 2007年07月11日 00:11
1ゲト??

深いですね(´Α`)
Posted by 蜜柑 at 2007年07月11日 00:15
こ…こわいです…
(怖がり)
Posted by 充香 at 2007年07月11日 00:16
肉さんが書いた小説みたいなものが読みたかったので、嬉しいです!!
意識がないと思っていたらちゃんと意識があって…って、体だけが動かないってことなんでしょうかね?
もどかしい…
Posted by みゆっきぃ at 2007年07月11日 00:17
(;^ω^)・・・
Posted by 脳髄☆虎太郎 at 2007年07月11日 00:30
あのニュースからこれほどのストーリーを紡ぎだせるあなたにトキメキを見た!
Posted by べにぢょ at 2007年07月11日 00:32
こんなん小説の中の話だしwww


と思えない…
こちらの世界でも起きている気がしてならない…背筋が寒いです
やっぱ凄いです
Posted by キ at 2007年07月11日 00:36
こういうの待ってた( ^ω^)
Posted by faV at 2007年07月11日 00:58
すげえ・・・
Posted by miyo at 2007年07月11日 01:00
流石、としか言えないです。
昔読んだ「ジョニーは戦場へ行った」を思い出しました。読み返してみよっと…
Posted by ユカ at 2007年07月11日 02:38
体も意識も在る中、生きた時間だけが無い19年…

考えただけで恐ろしい。

Posted by at 2007年07月11日 02:41
植物状態ってゆう設定もお告げの内容も、
創作なのにリアリティを感じさせられて怖かった。
Posted by at 2007年07月11日 02:58
なにも怖くはないでしょう?
コレは次の世代へと笑い話にせねば!
Posted by sherry at 2007年07月11日 03:33
植物状態=逝きている人、っていう表現がいいですね
てか早く原発とめに行かなきゃ…あわわわ
Posted by at 2007年07月11日 04:07
表現の仕方と言うか、言葉選びのうまさは流石です。

このアイデア(?)で、短編ではなく長編でじっくり練りあげられたものが読みたかったです。
Posted by at 2007年07月11日 06:21
肉欲 流石 だよ !!
Posted by Vect at 2007年07月11日 06:58
セリフや描写が細かく表現されているところ、などなど、紡ぎ出す言葉に感動と恐怖を感じました。

19年間とは…こんな生き地獄があるんですね…
Posted by at 2007年07月11日 09:13
乙一の「失われる物語」
という小説も、植物状態になった男性が意識があるのに動けないでずっと生きているお話です。もし良かったら読んでみてください。
それにしても肉たん天才だー。
Posted by な at 2007年07月11日 09:59
肉欲さん、貴方タダ者ではありませんね。

凄いの言葉しか浮かばないボキャブラリーの無い自分が恥ずかしく思える程です。
Posted by アンチャン at 2007年07月11日 10:09
ネタからの拾い上げ方、広げ方。
文体、文章、好き。
Posted by はしもんちぃ。 at 2007年07月11日 12:38
前半部分、十二国記を思い出した・・・。
肉さんの、これみよがしにではなく淡々と書くことで多くを伝える文章、大好きです。
Posted by 一花 at 2007年07月11日 13:35
あたしも「失はれる物語」思い出した(^-^)
Posted by at 2007年07月11日 15:34
いつ書籍化されますか?
Posted by at 2007年07月11日 17:13
胡乱が読めた俺は勝ち組
Posted by 肉崇拝者 at 2007年07月11日 17:28
すごい!流石としか言えないです‥私も『失はれる物語』思い出しました。
Posted by えみこ at 2007年07月11日 17:33
さすが肉さん…あのニュースからこんな話を思いつくとは…。

視点の切り替えのタイミングとか、何から何まで秀逸でした。
やっぱ肉さんすげー。
Posted by はっさん at 2007年07月11日 18:06
肉さんスゴイです。
感動しました。
Posted by AK-47 at 2007年07月11日 19:44
さすが肉さん…
Posted by at 2007年07月11日 19:57
久々。肉欲さんすごい。

Posted by いづみ at 2007年07月11日 20:57
何処からこんな文章が出てくるのでしょうか?とても普段からチン、マンといったブログを書いた人と同一人物とは………。
Posted by M2 at 2007年07月11日 22:28
確かに文章力はすごいけど、少し短すぎると思いました。
もうちょっと長ければ、さらに一段階上の作品になれたんじゃないですかね?
Posted by ふあん at 2007年07月11日 22:42
流石肉たん。飽きさせない。
こんなの自分が書くとしたらプロットやら何やらで3日はかかるのに・・・。
それでもこれほどのものが書けるかどうか
Posted by Sim at 2007年07月11日 23:58
なぜか「ごっつええ感じ」とか思い出した。
Posted by プリオン at 2007年07月12日 04:26
肉欲さんすごい。涙がでました(哀;ω;`Pq)
Posted by ドエム at 2007年07月12日 12:23
今回の記事は、とても深いものがあり、短編小説を読んでいるようでした。
続編があるようでしたら、読んでみたいです。
Posted by ヒロ at 2007年07月12日 12:49
なぁ、これ、よく考えたら救いよう無いんじゃないか?
この人って植物人間だろ?

ほかの人にも伝えられないし、なにより、この人は動けない。動けない中で始まる終末。目隠しされた死刑囚みたいな感じだろうか。

理解したら鳥肌たったわ、こんなものを作る肉さんは天才。
Posted by オッサン at 2007年07月12日 19:31
なんか・・・染みる。
Posted by at 2007年07月12日 21:05
世に奇妙な物語ファンの俺としてはこういう短編は嬉しい
Posted by at 2007年07月12日 22:57
このタイミングですが、地震で原発が止まったらしいですね。空想の絵空事ではないような感じです。日本危なっかしいですね。
Posted by ぽっぽ at 2007年07月18日 22:13
初めてこの記事を読みましたが原発のことを書いていて寒気がしました。
おそらく偶然なのでしょうが何年も前に予言されていたとは…
Posted by shin at 2012年12月06日 19:57
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