よくよく考えてみたらどうやってあんなところに行く金を捻出していたのだろうか?当時の一ヶ月の小遣いは5000円、1日の昼食代として貰っていたのが500円。まともに考えてみたらこのくらいの手持ちでおっぱいパブに行くなんてほとんど無理なような気もするのだけれど、それでも定期的に店に顔を出していたということは、思春期におけるエロに対する情念がいかに凄いものであるか、よく分かる。
おっぱいパブの最安値は、20分2000円だった。通い始めた頃は、新鮮さとおっぱいに対する衝撃から、20分でも十分楽しめた。しかし足ることを知らない僕らは段々と20分では満足できなくなる。
「もっと長く、もっと深く、そしてもっとたくさんのおっぱいを!」
おっぱいのカルマに取り付かれた僕らは、次第に次のステージ、つまり20分より長い時間入店したい!という想いに憑り付かれた。
「なんで40分だと5000円になるんだよ!なんで4000円じゃないんだよ!」
とはいえ店もさるもの。そうそう簡単には次の扉を開けてくれない。20分で2000円なら、40分は4000円に違いない!と思うのは消費者の淡い願望でしかなく、主導権はあくまでも店側が握ってる。そして、一度おっぱいの愉悦を覚えてしまった僕らは、いつしか「まあ5000円でも仕方ないか……」という思いにスライドしていくのだった。
薄汚れた大人になってしまった今ではもうそんなことはないのだけれど、当時の僕らはウヴで純情だった。だからあの頃、店の女の子から送られてくる営業のメールを額面通りに受け取ったものだ。
「店のお客さんはオヤジばっかりで嫌だけど、みんなは若いから嬉しいんだよ☆」
「早く会いたいな☆お店で♪」
これは女の子から送られてくるメール。冷静に振り返ってみれば、どう考えても会いたいだなんて思ってるはずないし、オヤジでも若い男でも結局することはひとつだ。それに、本当に会いたいのなら、会うだけならば店の外でも会えるはずだ。
それでも、完全におっぱいに狂っていた僕らは
「あの娘だけは違う!俺だけには違う!」
と根拠もなにもない妄念に囚われ、ひたすら夏目漱石や福沢諭吉をおっぱいパブに上納した。同じ金をどうしてデートにつぎ込まなかったのか?どうして彼女を作らなかったのか?皆さんが確実に抱くであろう、これらの疑問。けれど、そんなことは僕の方が知りたい。世に生きる全ての人間が、正しい行動のみを行えるとは限らないのだ。
・・・
「おっぱいも飽きてきたのう」
いつのことだったか、幼馴染のケンジがそんなことをポツリと漏らした。この頃、僕らの脳内麻薬辞書では『おっぱい=おっぱいパブ』ということが当たり前のように通っていた。だからこの文脈でケンジが言いたかったのは、確実に「おっぱいパブにはもう飽きた」ということのみである。
工業高校に通っていたケンジは、学校から許可を受けてレストランでバイトしていた。時給はお値打ち価格で630円。1日6時間働いても4000円稼げないという狂った経済観念。ケンジはその賭博黙示録のような環境の中、1ヶ月7万円くらい稼いでいた。そして彼の場合、そのうち2万円はタバコ代に消え、残りの5万円はそっくりおっぱいパブに突っ込んでいた。8歳から付き合いのあるケンジ、かつて僕の真横で童貞を捨てたケンジ。彼だけはレベルが違った。
「どんだけおっぱいに金突っ込んでもさあ、空しいだけやん!」
それは、高校生にして累計ウン十万円おっぱいに預金をした者のみが発することのできる、経典のようにありがたい言葉。僕もそんなことは薄々気付いてはいたのだけれど、どこかで『それでも、俺だけは違う!』と思いたかったに違いない。
『そのうちヤラせてくれるに決まってる!』
そんな理屈のない想いが、僕らをしておっぱいパブに走らせた理由だったのだ。
「大体、おっぱいパブに客として来るような男に惚れる女はおらんやろ……」
ケンジはそんなことを寂しそうに呟いた。
それを聞いたみんなは「まあなあ」と興味なさそうに言葉を返したけれど、僕だけは知っている。あの時ケンジが惚れていたサクラちゃんが、昨夜ケンジの真後ろで他の男におっぱいを揉まれまくっていたことを。そして、ケンジがそれを目撃してしまったことを。
儚い男女のシーソーゲームの中、ケンジは少しだけ大人の階段を登ったのだろう。いやそれは、シーソーゲームにもなり得ないワンサイドゲームだったのだけれど。
それ以降、言葉通りにケンジはおっぱいパブから卒業した。折節、受験勉強も佳境を迎え始めていた僕も、誰に言うともなしにおっぱいパブから足を遠ざけ始めた。母から貰った小遣いを突っ込み、祖母から貰った小遣いを溶かし、親戚から貰ったお年玉を投げ捨てた果てに、僕らはようやくおっぱいのカルマから開放されたのだった。
なんてことを言えれば、それはドラマ的で格好がつくのだけれど、現実の人生はもっと泥臭くて陳腐だ。足を遠ざけて1ヶ月くらいの間は
「もう二度とおっぱいパブには行かない!ゼッタイ!」
と固い決意を保つのだけれど、1ヶ月と1日が過ぎた頃、僕らのカルマは燃えカスの中で再び燃え盛る。
あの日触ったおっぱいの感触と、柔らかな匂いと、そしてサクラちゃんの笑顔。終わった恋愛を振り返れば、僕らの心にはいつだって美しい思い出ばかりが蘇ってくる。だからそれと同じように、僕らは営業メールに騙されたことはすっかり忘れ、楽しく美しく扇情的だったおっぱいの記憶ばかりが切なく思い出されるのだ。
イエスタデイ・ワンスモア。
おっぱいタイム・ワンスモア。
こうして僕らは高校を卒業するまで、あたかもそれが義務であるかのようにおっぱいパブに通い続けた。雨の日も風の日も雪の日も僕らは通い続け、一人では寂しいケンジは僕に金を貸し、僕も黙ってそれを借り、僕が東京に行くその日まで僕らはおっぱいパブに通った。
彼女ができてしまった友達は、一人また一人とおっぱいパブから離れていってしまったけれど、僕とケンジだけはいつまでも例外でいた。それが友情なのか?と聞かれてしまえば、僕には即答できない。ただ、家が隣同士だった僕らは、ベランダから互いの家に行き、窓を切なくノックする。それがおっぱいパブへの合図であったことだけは、どうやら確からしい。
そして僕が東京に旅立ち、ケンジは就職し、ようやく僕らのおっぱいパブ・カルマにピリオドが打たれたのだった。
・・・
あれからもう6年もの月日が経ったのかと思うと、いかにも感慨深い。当時足しげく通ったあのおっぱいパブ、未だに経営は続けているらしいけれど、風の噂によればあの頃と今とでは随分営業形態が違うとのこと。永遠はどこにもない――と平井堅は歌ったが、どうやら彫りの深い人の言うことは正しいようだ。
僕は今、どういう因果か東京を経由して鹿児島にいる。
ケンジはケンジで、あれからいくつも職を代え、今はトラックに乗りながらおふくろさんの面倒を見ている。実家に帰ればケンジと酒を飲みには行くけれど、あの頃のように無茶な飲み方をすることはもうないだろう。
「この前、彼女にフラれてさぁー」
ケンジはそんなことを語った。風俗でうつされた性病をまるまる彼女にプレゼントした挙句のことだったらしい。慰める要素が全く見当たらなかった僕は、しばらく困惑したけれど、4年も付き合った彼女にフラれた衝撃は相当なものだったのだろう。ケンジの顔には全く元気がなかった。
「行くか?!久々におっぱいにさあー」
僕は思ってもみなかった言葉を口にした。もう何年も開いていなかったおっぱいパブへの扉。元気のないケンジの顔を見ていると、もしかして当時の熱気に触れれば元気が出るのではないか?おそらくそのようなことを思ったのかもしれない。ケンジは少しだけ考え、その後に口を開いた。
「行くか!おっぱい!」
そして僕らは白木屋を外に出て、閑散とした歓楽街を南に歩き、6年前のカルマがたっぷり詰まった思い出のおっぱいパブに足を踏み入れた。ミラーボールがくるくると回り、やかましいほどの音量でユーロビートが流れる店内。僕らはつかの間にタイムスリップしたような気持ちになる。
「こんばんわー」
台風の中でも決して落ちないくらいハードなマスカラをキメた女の子が、僕の横に座った。ケンジの横には、間違いなく毛根が完全に死滅していると思しきギャル風の女の子が座った。僕らは黙ってビールを飲む。
「上に座ってもいいですかー?」
「座らなくていいから話だけしようよ!」
ケンジも僕と同じ気持ちだったらしく、女の子からの誘いを断り淡々とビールを飲んだ。そのまま僕らは手持ち無沙汰な風情の女の子たちをほぼ無視し、40分5000円の酒を静かに飲んだ。
「延長しますか?」
もちろん彼女らにしても、僕らが延長するとは思ってなかっただろう。けれど、一応それは聞かねばならないことみたいで、極めて義務的にそんなことを聞かれた。僕らは笑って「いや、もう出るよ」と告げると、最後のタバコを吸ってから店を後にした。
「なんつーか、ようあんな下らんもんに金使うとったもんやのう」
かつておっぱいにウン十万を投げ捨てた男がそんなことを言う。その言葉には別段後悔とか悔恨とかいった色は含まれておらず、ただひたすらに当時を懐かしむような口調だった。
「ま、もう一軒行こか!な!」
当時の行為が本当に下らなかったのかどうかは、僕には分からない。ただ、今日はもう少し飲んでいたかった僕らは、その足で同級生が働いているスナックへと向かった。
「あんたら、ようおっぱいパブに行きよったやろ!うちらの間でも噂になっとったよ」
既に一児の母である同級生の子からそんな突っ込みを受けた。僕らは「え?そうやったかな」と白を切りつつ、その夜下関のスナックでたっぷりと泥になった。
大人になるということを、どの部分で測るべきなのかは僕には分からない。社会に出て働けばそれで大人、という基準が通るならばとっても明確だけれど、でも『こと』はそんなに単純ではないだろう。10代で大人になれる人間もいれば、40代を迎えても子供のままな人だってたくさんいる。
僕らも未だ大人になれたかどうかは分からない。
けれども、おっぱいパブに行っても頑なにおっぱいを触らなかった僕らは、きっとあの頃よりは大人になったようにも感じられる。この支配からの卒業、このおっぱいからの卒業。
あの日、パブの中で僕らの前に現れた女の子が軒並みクリーチャーのような顔面であったこととは、おそらく関係はない。です。たぶん。本当に。
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この話がそこはかとなく切ないと思うおれは多分異常。
イエスタデイ・ワンスモアw
だって素敵なんだもん
その帰りの電車の中で拝見しました。とても淡く儚い思いになり、自分の青春時代に思いをめぐらせました。
あの頃の俺と比べて今の俺は変わったのかな…嬉しくもあり、悲しくもある、これが成長したってことなのか…(´ω`)
あたしも夏バテしたのかご飯が食べれません。どんどん小さくなるおっぱい・・・。
自分にも一応そんなものは付いてますが、ちょっとした物哀しい理由により、垂れ下がっています。
せっかくブラさんはGなのに、得したためしなし。
カレシ?食べ物か何かですか?
あ、初めて書き込ませていただきました。
大人の基準なんてわからないけれど、もし社会に出て情熱をなくしてしまうのが大人なら、私はいつまでも子供と大人の間に居たいと思う。
おっぱいはなぁ。パブじゃなくても普通に生活してる平凡な女が当たり前のように持ってるもんなんだよなぁ。それを触るために金かけるってのはなんだか寂しい気がするな。
子供と大人をわけているのは
覚悟よ陣雷君
もっとも、肉欲君は人間ですらないんだったかしら…ね
とか思ったらソッコー回ってしまった(=ω=)
おっぱい…大きくても得はないのに、小さい方からはうらやましがられる。なにごとも標準がイチバンなんですかね。標準てどのくらい?
でもやっぱ顔が痛いとキツイよねぇ^^;
それに気付いた31歳の夏
加速するマンピーデイズ!ロ〜ケットにはアイラブユー!子宮を突き抜けてぇ!宇宙を手に入れろぉ!宇宙を!手に入れろぉ!!宇宙をぉ!!
(ToT)
それが高いのか安いのか、童貞の僕にはおおよそ検討もつきませんよ。
体の一部が膨らんで柔らかいだけなのに男は何故あんなにも夢中になってしまうのか・・・
オレも少しだけ切なくなったもの。
最後が尾崎風だったのが気になったけども。 まぁ卒業と言えばユタカ尾崎なわけだけれども。
それが冷えた時のむなしさ。
これが男の業か・・・・
肉さんとは美味い酒が飲めそうです。静岡にお越しの際は是非ご一緒に…