まだ大学にいた時の話。
その頃に付き合っていた人は、とにかく熱燗の好きな人だった。
冬はもちろんのこと、夏でもずっと熱燗を飲んでいた。
僕としても熱燗は嫌いじゃなかったので、夏と冬とを問わず彼女の熱燗に付き合っていた。
僕らが飲む熱燗は、ベタベタと甘くて不味い酒ばかりだ。
けど安酒なもんだから、ついグイグイと杯を重ねてしまう。
毎回、気づいたら二合徳利が7本くらい僕らの目の前に並んでいた。
一人あたり七合程度。
それは大した量でもないんだけど、その日のコンディションによっては十分に酔える量でもある。
(全然関係ないけれど、自称酒豪の大酒自慢って、どうして大抵ウソなんだろう。実際に消費した酒量よりも、かなり多目に言ってることがほとんどだと思うんだけど、その辺どうだろう。チンコのサイズも酒の量も、とりあえず多めに言っとけ!みたいなマインドなんだろうか?よく分からないけど)
とにかく七合。
そのくらいの量を飲んでしまうと、彼女の中のオートリバース機能が決まって発動し、僕はよく彼女のゲロの処理をした。
トイレで吐いてくれればまだ良いものの、やっぱああいうのは突発的なもんだ。
一番最悪だったのは僕の部屋のゴミ箱で吐かれた時だった。
僕は無言でゴミ箱を投げ捨てた。
酒を飲んではキメ打ちのように吐く女。
僕はそんな彼女を眺めながら
「この人は随分破天荒な家庭で育ったに違いない。
親父の晩酌は菊正宗に違いない」
みたいな確信を抱き、だから彼女の話を聞いてみた。
『兄貴がシャブ中で〜』
僕はそういうファニーな方面の話を期待していた。
けれども、彼女の口からは覚せい剤とかそういう話は出てこない。
おかしいな、と思いながら話を聞いていると、真相は僕の予想とは真逆で、つまり彼女は結構な富豪だった。
ゲロ富豪。いや、まあとにかく富豪。
人は見かけによらないものだな、と思いつつまじまじと彼女の腕の辺りを見たら、ロレックス着けてた。
生ロレだった。
「それ、ロレックスじゃん。すげーな」
思ったままを瞬間的に口にする僕。
腕時計は高校生のころに買って以来購入していない。
時計に、時間に縛られる人生は嫌いなのだ。
僕はとにかく自由に生きたいんだ。
でもロレックスは欲しい!
これは偽らざる僕の本音。
ロレックスになら、縛られてもいいよ。
掘られたって平気さ。
「そう?すごいかな。腕時計集めるのがパパの趣味なんだ」
事もなげに言い放つ彼女。
それはロレックスの話題をサラリと流すことで、逆にロレックスの存在感を誇示する意図……ではなかった。
彼女にしてみれば、本当に
『ロレックスなんてどうでもいい』
と思っているからこそ出た言葉なのだろう。
それは何となく察せられた。
そういうのって、たぶん僕たちがコンバースのシューズを履いててもわざわざ誇らないのと同じ気持ちなんだと思う。
でも貧民な僕は、その後もしきりと
「すごいな、ロレックスすごいな」
と無意味な絶賛を続けた。
・・・
その何日か後に再び彼女と会った。
暑い夏の日だった。
「あれ?今日はロレックスじゃないんだ。
その時計もピンクで可愛いね」
「うん、これはちょっと気に入ってるんだ。
フランクミューラーだよ」
フランクミューラーという単語に僕は眩暈を感じながら、極めて冷静な素振りでパソコンをネットにつなぐ。
無論、彼女の着けている腕時計の値段をチェックするためだけに。
この際小市民と呼ばれても構わない。
何せ相手はフランクミューラーだ。
僕の目にナニワの商人の光が宿った。
鬼の速さで楽天にアクセスする。
さあ弾き出せ。
2秒後。
87万円という数字が僕の網膜でダンスした。
87万円ということは1000円札が870枚、ということだ。
うまい棒が87000本、ということだ。
年収に換算すれば1044万円、ということだ。
つまり彼女の左腕は現在87万円(月収と考えれば年間1044万円。これは一流企業の課長クラスの給与)の価値を有しているということだった。
87万円の左手。それが今、僕の目の前に。
だから僕は彼女に
「87万円を腕に付けたまま、とりあえずエロってみようぜ。手コキとかしてみようぜ」
みたいなことを提案した気がする。
僕の精子も、87万円とまではいかないけれど、あるいは23万円くらいにはなるかも?とでも思ったのだろうか。
思ったのだろう、おそらく。
年収1044万円のファックがしてみたかった。
それはたぶん、少年の儚い夢、希望、あるいは憧憬……とでも言い換えていいだろう。
お金で買えない価値がある、と言う人がいる。
たぶんその言葉は正しい。
けれど、お金で計れる価値も確かにあると思う。
世の中にフランクミューラーを着けたままファックのできる人がどれほどいるというのだろうか?
分からないけれど、マイノリティだということはきっと間違いない。
だから、僕の気持ちは、そういうことだったのだ。
僕はつとめて冷静を装いながら彼女を見た。
彼女は無言でフランクミューラーを外して、僕にチューをしてきた。
もちろん、そこに勝ち負けはない。
ただ、悲しさだけが胸に広がった。
彼女の使っていたグロスはおそらくランコム。
僕は頭の中でグロス一回分の価額を必死に計算し、およそ20円くらいだろうか?というところにまでたどり着いた。
あるいは30円?厚めに塗って34円くらいか?……なんてことを考えながら、とにかく僕は、34円前後のチューをした。
外ではセミが鳴いていた。
・・・
彼女とはその後も卒業するまでドライな関係をキープしていた。
昼間のデートが嫌いな彼女は専ら夜にだけ会うことを好んだし、また僕よりもサークルの活動を優先させていたことも確かだ。
会うのはせいぜい月に二度くらいだった。
僕も僕で、毎晩男友達とばかり中野あたりで泥になっていた。
正直なところ、あの頃の僕らの関係を世間並みにいえば『セフレ』ということになるのかもしれない。
それでも、対外的に僕は彼女を『彼女』と紹介してたし、彼女も僕を『彼氏』と紹介してた。
当時から、それはバカにむなしいことだと思っていたし、もちろん今振り返ってもそう思う。
彼女、彼氏という言葉だけが上滑りし、内実が一切伴っていない二人の関係。
そこにあって、『付き合っている』というラベルだけを強引に貼り付けただけの僕らは、はたから見れば実に滑稽な男女だったのだろう。
それでも
「僕らのあり方を『恋人』と呼ぶことに、一体何の意味があるのだろうか?」
みたいな青いことは思わなかった。
ただその代わり
「特定の人とセックスをするにはあれこれ理由が必要なんだろうな」
とは思った。
僕は彼女とセックスをする理由を『恋人』というキレイな言葉に誤魔化してもらっていたのだ。
そして同時に、世の中の80%以上のカップルだって、僕らと同じようなものなのだろう、ということも、根拠なく確信していた。
もちろん、今でもそう思っている。
・・・
鹿児島に越して半年後。
東京に帰った時に彼女と酒を飲みに行った。
酒の肴は自然と僕が東京にいた頃の話になった。
「俺たちの付き合いって、なんだったんだろうなあー」
「なんだったんだろうねー」
事前に聞いていたことだけれど、彼女には既に彼氏がいた。
個人的に特に何も思うことはなかった。
強いて言えば
「楽しそうでいいな」
とは思った。
それは別に強がりとか寂しさとかではなく、仲の良かった友達に彼女ができたことを聞いた時のような、そんな感覚と言えば分かり良いだろうか。
「どんな人なの?」
「それがねー、年下なのよ。私、年下とか絶対にあり得ないって思ってたんだけど、付き合ってみると結構いいもんだね。すごく甘えてくるんだー。なんか、それが嬉しくって」
咲くような笑顔で彼女は語った。
僕らは冷酒を飲みながら、そのまま新しい彼氏の話を続けた。
彼女の左腕には相変わらずフランクミューラーが鎮座しており、そのまばゆいピンク色を眺めながら、僕は漠然と彼女の話に耳を傾けた。
(やっぱりあの時計、こっそりパクっておけばよかったな)
冷酒のせいで半分泥になりながら、そんなことを思った。
・・・
彼女を駅で見送ると、僕は立って蕎麦を食べ、後輩の家へと転がり込んだ。
その家で再び酒を飲みながら、気づいたら寝ていた。
非常に寝苦しい、代々木の夜だった。
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肉欲さんはなんでも書けますねぇ・・・
時計に87万て!!
かなりの富豪ですね・・
でもおもしろかったです。
こーゆー日記もいいもんやねー。
すごい共感してしまいました(´・ω・`)
これをカオスと言わずして何という!
肉さんも,好きです。
もててたぜってことか?
エロスな文は三番目に好きです
二番目は小説です
僕も時計、好きです。
値段だって容易に想像がつく。
正直、僕はそんな彼女であれば、嫉妬してしまうと思う、財力に対して。
価値観が違うって思ってしまうでしょう。
時計の話云々意外にも、肉さんの今回の話には同感一入。
付き合う事に理由がいる、sexすることに理由がいる、僕にもそんな時代もあったわけです。
未だにその問題が解決したとは言えません。
人事ながらも、自分事の様に読み入ってしまいました。
ありがとう。
こういう真面目な話もいいと思います。
また期待していますね。
sexに理由が要るのは10代までぢゃ…?
そんな自分に、めんどくせぇなと思いますが…。
が
見たい
DEATH!
ニヘ〜
…
吐瀉物を処理されていた姿に『恋人』を感じました。
…
終わり。
いつか友人が言ったことがあったっけ。
「人がものを食う姿は、かぎりなく哀しい」と。