ヒモ。
他者という存在に関して紐をくくってぶら下がって生きているもの、そういう方々のこと全てを指して紐といえば、それは誰もが紐だ。どんな人だって、大抵の場合、何かをよすがに紐をくくって生きている。
しかしながら、ヒモ。カタカナで『ヒモ』と語った瞬間、綴った刹那、それは明確に人外魔境の領域へと区分される。『紐』ではなく、『ヒモ』。紐とヒモ、音は同じであっても、後者のそれは極彩色の意味を纏う。
ざっくりと言えばクズかカス、ちょっと上品な表現を施せばクソ野郎。そういったカースト、そういった連中、そういったリズム・アンド・ブルースに生きている人たち、に、侮蔑を込めて贈る言葉。
それがヒモである。
『肉欲さんのヒモに対する考察を訊きたいのですが』
先日のことであった。俺は初めて会う女に、そのようなことを問われた。
「なぜですか」
『いや、ヒモにお詳しそうですし……』
熱い風評被害だが、その風評をばら撒いたのはきっと俺自身の言動であろう。そもそも自称が肉欲である。それは、まあ、そうですね……僕はヒモではありませんが……思うところはありますよ……など、そう返すのがせいぜいだった。
そもそもヒモとは何なんだろうか?この話の行き着く先は、そんな哲学的なテーゼでしかない。ヒモとは何か。あの日からこっち、俺はずっと考えてきた。ヒモの定義、それのことだ。そして考え至った。
ヒモは主観できない。
ただ客観があるのみである。
「あいつヒモだからやめときなよ!」 VS 「そんなことはないんだよ」
無限回廊の如き様相を呈しながら、古代の昔よりそういった論争が繰り広げられてきたはずなのだ。誰がどー見たってアイツはヒモ!あんたは騙されてんの!という熱い客観視点と、それを受けて、違うのそうじゃないの!私が勝手に頑張ってるだけだし……見返りなんて求めてないし、という浪花節じみた主観視点と。確実に、厳然として存在するのは、その『対立構造』それだけでしかない。
いやいや割り切ってやっている人もいるでしょ……と思った方がいるとすれば、それは主観と客観が一致した意味での乾いた関係性、換言すればただの愛人契約というヤツだ。ヒモのケースとは内実がまるで異なってくる。ベン図で言えば重なり合うところもあるだろうが、おそらくにして、重ならない部分の方が面積として広い。
愛人的な位置づけにいる人間は、そもそもにして自らの立ち位置に自覚的だろう。それは己の価値をクレバーに判断した上でのことだ。虚ろな目で、しかし実直な声色で睦言も吐くだろうし、薬剤を飲んででも性器をそういった状態へとバーサークさせていくことと思う。
ヒモは違う。自らの立ち位置に関してひたすら無自覚だ。己の価値について、いつだってウェットで、また、ぬるい判断しか与えない。俺はやれば出来る子だから……それがヒモだ。ネバーランドでシャブを打ち続けているピーターパンなのである。
「あの人は違うの」
同じようにして無自覚にシャブを与え続ける存在、つまりヒモをヒモとして存在させ続ける心優しくも罪深い売人、それがピーターパンを使役するのである。金というシャブをピーターパンに打ち続けるのだ。
ギブ・アンド・テイクという言葉がある。あるいは、義務と権利、といった言い方もある。何かをすれば何かを得られる。何かを得るためには何かをしなくてはならない。施せば、返ってくる。そういった考え方は、古今東西、どこにでもあっただろうし、あって然るべきだ。
「あの人、最近、仕事探し始めてるし」
ヒモ界隈に生きる人からすれば、それすらもギブ。『仕事を探し始めている』、そんなギブ。常人からしてみればギブなんてどこにもない、ただのテイク・アンド・テイク・アンド・テイクである。失うことしか確実なだけだ。が、ネバーランドの住人にはそれが分からないのだ。
「この前、お皿も洗ってくれたし……」
察するところ、これが現実なのだ。俺は常々言っているが、ヒモは才能であり、愛人は努力である。どこの世界に皿を洗っただけで毎月を養ってくれる人間を探せるというのか。それを是とできる人間を、どうして探し当てられるというのか。
「セックス?面倒だな……まあちょっと手マンでもして寝るか……たまには機嫌もとらねーとな……」
彼らの思考回路はこれである。面倒なことは徹底的にパージするものの、その中で 『たぶんここでワガママ言うと怒るな……でも眠いから……手マンでいこう!』 そういう帰結に至る。どうしたってネバーランド(≒己の大事にする楽な世界)からは出たくないピーターパンなのだ。
いつかこんな話を目にしたことがある。
「だからさ、パチンコ打ちたいからって女に3万円借りるだろ。で、どうあるにせよ、その1000円でハーゲンダッツを買って帰るんだ。そしたら女はそいつを喜んでくれんだよ。これで完璧だ」
俺は確かに完璧だと思った。結局、3万円貸してる、というか、あげてる時点でその話は終わりなのだ。それでも、貸した相手の思考のリソースに『借りた義理もあるしな』というものが残っていた、その事実で、ある一定層の人は
『この人は私のことを気にかける余裕があったんだ……』
満足するのだろう。返す返すも、これはテイクアンドテイクアンドテイクの話である。一方的なギブと、一方的なテイク。それしか存在しない。
「肉さん〜、僕ね、ヒモになりたいんですよ〜」
初めて会った、よく分からん若い連中と酒を飲んでいると、たまにであるが、そういうことを言われることがある。
「ピーキー過ぎてテメエにゃ無理だよ」
俺は毎回そう答える。ヒモというのは状態だからだ。なるものではない。酒酔いの人々が 『俺は酔ってない!』 と強弁するように、ヒモの連中だってヒモの自覚はない。
ヒモは状態。
ただ無自覚に誰かに寄り添うだけ。
なのに自分の力で、足で立っていると、考えている。
「ヒモってどうやったらなれるんですか〜」
『ヒモに対する見解を訊きたいんですが』
俺はいつでも思う。
テメエじゃなにも考えないクセに答ばっかり求めてんじゃねえよ、と、そういうことを。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ここから先は僕の話なので読み飛ばして下さって構わないのですが、パトロンみたいなシステムもあるじゃないですか。確かに僕もそういったものを享受したことがございまして、遡ること8年前、2007年なんですけども、まあ当時は僕のブログも全盛期で、オフ会をするたびにセックスができたりして、これは笑いが止まらないぜ……!と思いながらブログを更新していたところ、ある日、北海道に住む方から
『肉さんが北海道まで来てくれるなら片道分旅費出しますよ!』
と言われ、僕は2秒で口座を教え、5万円ほど振り込んでもらったところ、その数日後、東京に住むソープ嬢から
『肉さんが東京まで来てくれるなら旅費出します!』
と言われ、僕は1秒で口座を教え、10万円ほど振り込んでもらい、おやおやこれが錬金術か?たまらんなあ〜、と内心ほくそ笑みながら北海道に飛び、オフ会がてら札幌の街で乳などを揉み、その足で東京に向かい、そのソープ嬢に会ったところ、とりあえず思い出に肉さんの着ているものを何かくれ、と言うので、ユニクロのポロシャツを5着出し、どれでもいいからくれてあげますよ、と申し向けたのですが、彼女は熟考した挙句
「25000円出すから全部下さい!」
と言い、僕は即座に『ようがす!』と応え、翌日ユニクロで新しいポロシャツを買いながら「これはとんでもない錬金術ですよ……」と思いつつ、そのまま東京でオフ会を開催し、適当にセックスをして、帰りました。
その後、2008年に仲良くなった風俗店の店長から
「肉さん、金のことは気にしなくていいからいつでも大阪に遊びに来てください」
という言葉を真に受けて毎月のように遊びに行ったり、遊びに行くたびに飲み代は全部タダ、帰る前に現金で3万円くらいもらっていて、あまつさえ『肉さんなら永久フリーパスですよ!』と言われ渡されたフリーパス券を三日に渡ってフルに使ったり、三日目にその風俗に行った時などは
「ごめん、俺もう二日酔いで無理だから背中だけさすってくれ」
と言って50分ほど背中をさすってもらうなどしつつ、最終的にその店長から
「肉さんがそんなに激オシするタイなら行ってみたいっすわ!」
と言われ、旅行の手はずを店長の金で全部整えたあと、その店長が風営法でパクられ、どうすっかな、と思っていたら、従業員から
「肉さん、接見してきました。店長は『肉さん、構わず行ってくれ』とのことです」
と言われたので、構わずにタイに行ったり、あるいは、その頃に付き合っていた福岡の女が、遅い進学で上京するというので、その時僕は下関にいたのですが、どれひとつ、と一緒に上京し、その女の住む家に転がり込み、家賃など一銭も払わず、昼から酒を飲んで、たまに働いて、ちょっとメシを作ってあげて、などのことをした、そういった経験はあります。
古い話です。
こういう時に使う台詞だったのかw