肉欲企画。

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2014年12月29日

ショートトリップ

俺の話をしよう。

10日ほど前の話だ。
俺は兄貴と一緒に実家に帰った。
兄貴と過ごす実家というのは、実に数年ぶりの話だった。

兄貴はレンタカーを借りてくれた。
俺には普通免許がなかった。
全てを兄貴に任せ、俺は酒を買って、助手席に乗り込んだ。

「すまんね」

「好きなだけ飲め」

下関の空は曇天だった。
行き先はどこにもなかったが、いくべき場所だけは、どういうわけか、二人の中で確かに決まっていた。

兄貴は33歳になり、俺は31歳になる。
兄貴はよく俺に言った。

「下関で過ごした記憶がほとんどない」

それは言葉通りの意味ではない。下関という土地に対しての興味が、幼き頃、一切なかったという意味だ。そしてそれは、兄貴の中で、記憶という果実としてまるで残らなかった、と、そういう話である。

それは確実な意味での欠落である。ひと、として欠損しているということではない。だが、欠落であるのは確かだろう。自らの過ごした時間がまるでなかった、ということを認めるのは、果たして、どういう気持ちなのだろうか。

俺は少しく考えた。だけど俺は兄貴ではないし、兄貴も俺ではない。共感する意味も理由もない。見上げた先、車窓の外。そこにはやはり、下関の曇天が広がるばかりであった。

俺たちが過ごした場所は団地だった。市営住宅、というヤツだ。貧しい家だった、と言うべきなのだろうか。世間並みに見れば、きっとそうだったのだろう。

「懐かしいな」

何年かぶりに生まれて育った団地に、郷愁だけをたよりに赴いた、最早この土地に住んでもいない人間を、誰がどうして歓迎してくれるのだろうか?どうしても俺はそんな下らないことばかりを考えてしまう。

「裏の方から回ろうや」

何となく俺がそう言ってしまったのは、きっと、郷里を捨ててしまった後ろめたさからなのだろう。今なら、そんな自分の心持ちを、よく理解できる。

裏、というのは団地に共有の庭のような場所のことだ。俺の生まれて育った部屋は1階だった。だから、言うところの裏から、俺たちの家、部屋は、つぶさに見ることができた。

「ちっちぇえのう」

「ちっちぇえなあ、マジで」

小さかった。家は、部屋は、本当に小さかった。でもそこは、兄弟の世界の全てだった。大きく、帰る場所で、何もかもの全てであった。

「ああ、これ、俺が植えたビワやんけ」

ビワの樹が青々となっていた。それは俺が植えたビワだ。幼き頃、初めて食べたビワがあまりにも美味しかった。果肉を食べ尽くすと種にいきついた。

『ばあちゃん、これ植えたら、ビワ、食べれるん?』

『そりゃあそうよ』

俺は共用の庭にその種を植えた。俺の唾液にまみれた種を植え、かまぼこ板に「びわ」とマジックで書いて、植えた。毎年毎年その様子を見た。ちっとも生えなかった。俺はそのうちにその存在を忘れた。

「育ったもんやな」

「お前がこれ植えたん?」

「植えたんよ。知らんかったっけ?」

「俺、あんまり外に興味なかったけえなあ……」

その時、視線があった。俺たちは不法侵入をしていることに自覚的だったので、さっさと退散するつもりだった。生まれ育ったところとはいえ、既に部外者だからだ。

「あれ、松永の婆さんじゃね?」

俺が生まれた時には60を越えていた婆さんで、とうにくたばっているものだと思っていた方からの視線だった。その方は隣人でもあった。確実に死んでいるものと思っていたその人は、確実に生きていて、確実に怪訝な目線を、かつての隣人である俺たちに向けていたのであった。

「松永さん、お久しぶりです」

「全然怪しいもんじゃないです、そこの隣に住んでた望月です」

「懐かしくて、裏から入る感じになっちまいました」

来し方、俺は兄貴に対して『松永の婆さんとか、とっくにくたばってるに違いねえよ』と笑いながら話していた。別に恨みがあってのことではない。事実関係としてそういうことは覚悟しておかねばならない、ということを、俺は下賤な口調でしか語ることができなかった。

「まあ、まあ……!あの、望月さんとこのボンかね!まあ……えぇ!何年ぶりかいね!」

くたばってなかったんだな、この婆さん。俺は率直にそう思いながら苦笑した。ほとんどしわくちゃになってしまった松永さんは、それでも、俺たちをかつての頃に戻すには十分なほどに、矍鑠としておられた。

「もう、何て言うたらええんか……コーヒーでも飲んでいき。ああもう、びっくりして、どうしたらええんかね」

「お邪魔してもいいんですか?」

「ええも何もあるかいね。ああもう、本当、ああ、びっくりしたわいね……」

本当にちょっとした差だったのだ。例えば俺たちが裏から回っていなければ、松永の婆さんと会うこともなかっただろう。

「ほんと、ウソみたいやねえ……あんなに小さかったボンがこんな……わたし、足を悪うして、今も病院に行って帰ってきたばっかりやったんよ」

松永の婆さんは、そう言いながら、嬉しそうにインスタントコーヒーを淹れてくれる。ごめんねえ、大したものも出せんでごめんね、と言いながら、これが美味しいんよお、と言いながら、色んなお茶請けを出してくれる。俺も兄貴も鷹揚に笑って返す。心の中では、ほとんど泣きそうだった。

「この市営住宅もね、あんたらがいた頃と違って、ほんとに人がいなくなったんよ。もうお化け屋敷みたいになってしまったわいね」

松永の婆さんは笑いながら話す。笑うしかない、そういう風にしか語れないこともあるのだ。俺も兄貴も、もう、子供ではない。何も言わないし、言えない。追従して、少しだけ、笑う。

「あんたらが来てくれて本当に嬉しいわいね。でもお菓子も何もない…ああ、もっと早く分かっとれば色々してやれたいのにねえ……」

「全然ええですよ。松永さん、今年でいくつになるんですか」

「93になったよ」

「うちのばあちゃんが大正14年だったから、えっと」

「大正11年よ」

笑いそうになった。侮蔑的な笑いではない。何と人の世の浅きことか。分かったようなふりをしてものを書く俺の浅ましいことか。そういうことを感じ、俺は、笑いそうになったのである。

俺たちはその後、しばらくの間、松永の婆さんと話した。いる人、いなくなった人、くたばった人、通り過ぎていった人……それは色々だ。松永の婆さんは何度か同じ話をした。俺たちは何度同じ話を聞いたって、ちっとも退屈はしなかった。松永の婆さんが元気である、その事実だけが、俺たちを温かくしてくれたからだ。

一時間ほど話をした。

「松永さん、そろそろ俺たちも行かにゃならんとこがあるけえ、行くわ。お茶、美味しかったよ」

「ほんとかいね。なんももてなせんと……今度来るときは言ってよお。おいしいもんちゃんと……ねえ」

今度って、いつなのだろう。思う。だけどそれは、誰もが思っても言わないし、言えない。言う意味もない。いま会えた、それが全部なのだ。

「その時はもちろん声かけますけえ」

それは不誠実な言葉なのだろうか。履行できない約束をすることだって、たまにはあっても、いいのではないだろうか。俺は、今のところ、そういう結論にしか行き着けない。

「そうそう、裏にビワがなっとるんよ。知っとる?」

お茶を飲んでいる最中、松永の婆さんがそう言った。

「知っとるもなにも、あれを植えたんは僕ですよ」

「そうなんかいね!アレね、毎年実がなってねえ……近所の子らが取りに来るんよ。そうかいね、あんたが植えたんかいね……ビワがようなってね……」

俺はもうこの団地にはいない。何のよすがもこの団地にはない。だけど、俺が戯れに植えたビワは育ち、松永の婆さんは、その話をしてくれた。

「ビワがなるのはいつくらいかねえ」

婆さんは言った。

「たぶん、2月くらいですよ」

兄が言った。

「じゃあ、そのくらいに来れたら、ビワを一緒に食べようや」

婆さんは言う。

「もちろんですよ」

全く不誠実な言葉だった。俺は即答した。それ以外に言える言葉を、俺は、何も知らなかった。


「松永の婆さん、くたばってなかったな」

玄関のドアを閉めながら俺は言う。

「お前はくたばってるとか言い過ぎなんだよ」

兄が言う。

「しょうがねえじゃん。俺は兄貴と違って下関のことをよく知ってんだかんよ」

俺が言う。

「例えば?」

兄が言う。

「こういうのとか。絶対知らないだろ」

俺はそうして、松永の婆さんが住んでいる部屋の隣の家、要するに今はもう、何年も空家となってしまった、かつての生家の窓に手をかける。

「開くんだよねー」

からから、と音を立てて窓が開く。覗き込む。がらんどうとなった部屋が俺たちを覗き返す。それは確かに俺たちが生まれ住み、育った、五畳半の『子供部屋』そのものであり。

「なんで鍵かかってないの……」

「思うわな。俺も思うわ」

俺たちはその後、祖父母の墓参りに行った。
酒をしたたかに飲んだあと、兄に訊いた。

「俺は何度かさ……あそこの窓が開いたりして、それで部屋を眺めてたんだけど、兄貴はあれだろ、本当は入りたかったんじゃないの?」

兄は即答した。

「お前がいなかったら即座に入ってたよ」

それは社会規範に触れる行為だからよろしくねーよ、と俺は笑いながら答えた。だけどいつか兄貴はそれをするだろう。そしてそうする兄貴の姿を想像するだけで、俺はいつでも愉快な気持ちになれるだろう。

ショートトリップ。
俺たちは想い出迷子になったのさ。
posted by 肉欲さん at 06:09 | Comment(15) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
いいじゃん
Posted by at 2014年12月29日 16:02
たくさんの日記があったけどこれが一番好きだ
Posted by at 2014年12月29日 22:40
おれもなんか植えよう
Posted by at 2014年12月30日 01:06
寂しくて懐かしくて暖かい気持ちになった
Posted by at 2014年12月30日 01:47
いいね。とっても
Posted by ポテチ at 2014年12月30日 14:00
何故だかちょっと涙出ました。こういう話も好きです。
Posted by at 2014年12月30日 18:45
短編映画を鑑賞させていただきました
Posted by 最年長リスナー at 2014年12月31日 05:08
泣けてしょうがねえ
Posted by at 2014年12月31日 08:43
年末に素敵な更新ありがとうございました。
Posted by ゆ at 2014年12月31日 10:11
実家に帰りたくなった
Posted by at 2015年01月04日 20:50
余韻のあるエントリーでした
読む人によって、その響きは違うけれど
Posted by at 2015年01月05日 11:30
切ない。ありがとうございました。
Posted by at 2015年01月07日 21:26
いいですね、なんか。
Posted by at 2015年02月11日 21:26
肉ちゃんと呑みたい。
Posted by 風俗店店長。 at 2015年02月14日 01:07
肉さん、大好き。
Posted by みどり at 2015年05月19日 04:38
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