俺に関してみれば、10年ほど前からほとんど変わっていないという自負がある。その最たる部分は 『面倒なことは絶対にしたくない』 というものだ。この点については、20歳から30歳に至るまで1ミリたりとも変化が訪れていない確信が存している。
もちろん、何を面倒に思うか?この部分は変わる。ただ、それは枝葉末節の話に過ぎない。花を咲かせる樹であれ、毎年ごと全く同じ場所に花を咲かせるわけではない。それでも花は咲く。あるいは倒木する。大事なのはそこなのであって、どこに咲いたかが重要なのではない。
面倒なことは嫌いだ。
なぜならそれは面倒だからだ。
思うにこれほど明確な答はない。やれよ!と言われても、やらない。なんでだ!と訊かれれば、面倒だからだ、と応える。俺は友達が少ない。今年もまた花が咲くだろう。
「おしっこをかけて欲しいんだけれども……」
突然になるが、こいつはかつて付き合っていた方から唐突に向けられた言の葉である。
面倒とかどうとか、そういう地平を遥かに踏み越えたクライマックスの局面。そいつに出くわしたとき、俺は言葉も思考も失う。拒絶も受容もない空間にあって、俺が一体何を思い、あるいは何を思わなければいいのか。面倒なことは嫌いだ、そんな空疎な槍だけを持って人生を突貫してきた俺にとって、二元論では語りきれないエクストリームな状況に立たされることほど畏怖を覚えることはない。
「な、なぜ?」
あなたが俺であっても、俺があなたであっても、ほとんど同じような内容のタームを口にしたのではないだろうか。分からないが、おそらくそうに違いない。
なぜ。
それは異形と対峙した時に真っ先に生じて然るべき最もプリミティブな感情だからだ。
「どうしても」
各々が抱える心象風景は様々だ。そこに整然とした世界を与えるのがロゴスであり、ロゴスなき感情はカオスである。カオス、即ち混沌。そして圧倒的多数の人間は、己が抱えるカオスと共に生きている。ロゴスによって区別される自分像など、1割もあれば上出来といったところだろう。
その意味で、彼女の発した 「どうしても」 というアンサーは、たまらないほど真に迫っていた。カオスの極彩色に彩られていた。我々は飛行機が飛ぶ仕組みを知らなくともフライトを愉しむ術を知っている。これはそういう話である。
「い、いや、だ、ダメでしょ……」
倫理、あるいは規範。人を人たらしめるものは何か、という問いかけには数多の回答が考えられる。モラルやルール、これらも間違いなくヒトをヒトたらしめるために欠くべからざる要素だ。加えて教義や宗旨、などでもいい。生涯無知で蒙昧なままである我々についてみれば、考えるよすがになるものは一つだって多い方がいい。 「ダメでしょ」、それは確実に俺の抱える規範の中から自動的に生産された声でしかなかった。
「どうして?」
異なる教義と教義とはぶつかり合うのが常だ。自らが信奉するものが最善だ、と思うほどそれは激しさを増す。歴史を紐解けばそんな事例について枚挙に暇がないことは皆さんもご存知であろう。守るものがあればこそ、ヒトは攻めようとする生き物だからだ。結句彼女は発した。「どうして?」 と。
意中の人に尿をひっかけてはいけない理由、その深淵。果たして俺は26年の人生においてそんなことを考えたことがなかった。あるいは考える隙間もなかった……と記すべきなのかもしれない。だってそうだろ。俺は犬ではないし彼女は電信柱ではない。俺は酔ってもいないしそこは路地裏でもない。そこにあって 「小便をかけて欲しい」 という電撃的な申し出、情熱の律動。改めて彼女の顔を見遣る。そこにはかなり専門的な分野の処方箋を要する女の瞳があった――と言わなくてはならない。
「そ、そんなのは、良くないからだ」
俺はその言葉を発した瞬間、確実に負けた気分になった。惨めな想いもした。ダメなものはダメだから、ダメなのだ……そのロジック。中途半端で不誠実な単語の連続。いっそ
「嫌だ」
なり
「気持ち悪い」
などの好悪を表明し、待ち受ける結果はどうあれ、相手の価値観にまで踏み込む方が誠実だったと言えるだろう。そこで俺の言葉を反芻する。
『そんなのは良くないからだ』
良くない、それは果たしてどこの誰を基準にした良し悪しだったのだろうか。誰に依拠し、誰を標準とし、誰に向かって投げた言葉だったのだろうか。
詰まるところ俺は有象無象の中に漠然と流れる 「モラル」 というヤツに自分の発するべき言葉を託してしまったのだ。誠意も誠実さも、真摯な想いも、何もかもをかなぐり捨てて。
なぜか。己が心の中を詳らかにするのが面倒だったからだ。分かれよ、そんなもん……という俺の怠惰な心情が、それ以上の思索に対し一切のストップをかけてしまったのだ。
もう記憶も曖昧だが、それは確か穏やかな陽気に包まれていた日だったように思う。業界的にいえばピーカンの快晴だった。起き抜けの俺はいつもの様に酒に焼けた喉を潤すため、キッチンに麦茶を飲みにいっただろう。酔い覚めの水分は正に甘露である。ひとしきり喉を潤せば、当然に尿意へと意識が向く。だから、そのままトイレへと向かったのは作用機序としてかなり明確だった。
そして俺はパンツに手をかけた、その刹那
「おしっこをかけて欲しいんだけれども」
面倒くせえ……。俺がこう思ったとしても仕方がないし、それはフォントもデカくなる。もちろん実際に 「面倒だな」 と思うのはほんの少し先のことであるが、そんなのは誤差の範囲だ。現状この瞬間に思い返してみても 「何て面倒な申し出なのだ」 としか思えないあたり、再び同じ局面を迎えたとて思考を誤つはずがない。
是非の話ではない。
明確な答などどこにもない。
彼女はそうして欲しいと思い、俺はそれを面倒だと思った。
とことんまで意味を還元すれば、このエピソードはそれだけのことでしかない。
それでも、と思う。
我々は考えてしまうだろう。
無論理に無秩序に、ただ己が抱える歪な欲求、あるいは欺瞞などを、丸ごと受け止めてくれる存在がいれば、とそんな荒唐無稽なことを。子供にのみ許され得るそんな特権じみた心情を、哀しいことに、子供時代から離れるごとに強めてしまう大人の多いことを、俺はよく知っているつもりだ。
(結局、そいつらを丸ごと包んでくれるのが 『愛』 ってことなのか?)
そうかもしれないが、そうでないかもしれない。
少なくとも俺からしてみれば、相手から発せられる一方的な欲求を満たすことが愛とは思えないし、おそらくこれを読む大半の人もそうであろう。そういうシーンで発露する愛があっても構わない。だがそれを愛の全てだと据える人がいるなら、そいつは愛という文脈を誤読していることになる。たとえそれを愛と定義する人がいてもいいが、その行為は 『相手から嫌われないための努力』 というものに極めて肉薄していることを認識するべきだろう。とはいえ愛という言葉を厳密に定義できない以上、こんな俺の言葉も空論に過ぎないのであるが。
「この前、元カノのハメ撮り動画でオナニーしてるのを彼女に見つかって超怒られたんですが、どう思いますか?」
東大の入試も裸足で逃げ出すほどの一行問題である。だが、これは先日実際に俺のところに寄せられた言葉だ。彼の中に懺悔はない。悔恨もない。あるのは純粋な疑問、ピュアな探究心、それのみである。どう思いますか?この豪胆さである。めっちゃ怒られたんスけどもー……いうても、アルアルですよね!といった筆者の考えが透けてみえるようでもあり、まことに恐ろしい。
「いや、それ…は、ダメ、でしょ……」
それでも、何が是で何が非なのか?突き詰めてみたとき、それを完璧なほど詳らかに出来る人間が一体どれくらいいるのだろうか。
ハメ撮り→終わったこと
元カノ→終わったこと
オナニー→自己満足
さあ被害者はどこに?
と満面の笑みで問われたとき、俺は果たして何を言うべきで、あるいは何を言わないべきなのだろうか。
「あの、普通いけないでしょ、そりゃ、そういうの……」
普通。またしても俺は有象無象に掲げられた抽象的に過ぎる概念の中に逃げ場を見てしまう。普通。では、その人が普通でないとする基準はどこにあるのだろうか。普通。ともすればその考え方こそが異常への始まりなのではないだろうか。それでは、異常とは、果たして――
こうやって、いつでも俺は思考の迷路に迷い込む。あれもいい、これもいい。小さい頃から判断基準のないガキだった。何かをひとつに決めることなんて、まるでできなかった。いいとこどりばかりしようとして随分と苦しんだこともあった。
面倒くさいと思うようになったのは、その反動なのだろう。他方の価値観を切って捨てれば進む歩みも軽くなる。余計なことに頭を惑わされなくて済む。いつしかそういう風に思うようになった。それは数年の間、奏功していたように思い出される。
それは間違っていたのだろうか?分からない。だけど、最近になってそのような想いを抱くことが増えたのは確かだ。望んでいたような気楽な日々を手に入れることはできただろう。だけどここには何もない。面倒くさいと思える端緒すら、何も。
不可解なことに、それは確実な意味での欠落であった。
面倒なことは面倒だ、しかるに面倒とはなんぞや、と言問われたとて、それは面倒だからである……と禅問答を繰り返してしまう。だがそんなものは悟りでもなんでもない。思考の放擲でしかない。せいぜい1割方築き上げられたかどうかのロゴスの世界すらも、再びカオスの世界へと帰せしめる自滅極まりない考え方だ。行き着く先は糞尿造物主であろう。
考えなくてはならないのだ。
思考を思索を放擲してはならないのである。
異なる2つの考え方を前に、逃げ出すか相手を調伏するかの二元論ではなく、もう一つの解消法、即ち止揚(アウフヘーベン)すればいいのだ。あなたも正しい、私も正しい、だったらより正しい方法があるかもね、という発展的な思考を、思想を、俺は、我々は、身につけていかなくてはならないのである。俺はそう思った。
「ならさあ、もう彼女と一緒にそのハメ撮りビデオを見ながらさあ、すげえファックすればええやん。それは、もう、すごいファックを。これは、燃えるよ」
あなたも間違っている、俺も間違っている、だったらより間違った方法があるかもね。これも発展的問題解消法の一つだし、十分な止揚(アウフヘーベン)だと考えているし、実際に俺はそう言った。いや、本当にそう言ったのかは、ほとんど酔っ払っていたので正直よく覚えていない。けれども、酔いながらこれを書いている今そう思っているということは、確実にそう思ったに違いない。俺は自分の記憶を信じない。ただ自分の感性だけを信じている。その意味からすれば、現時点で何万回同じ状況に遭遇したとしても、同じ因果経路を辿るだろう。これはそういう話である。
「ハメ撮りを許せという話ですか?」
別にそういうことではない。
「許せない自分がいけない、ってことですか?」
もちろんそういうことでもない。
「じゃあ、何がいけないんですか?」
何もいけなくはない。
「結局どうすればいいんですか?」
そんなものは知らないし俺には分からない。
「何か、面倒くさいですね、色々」
全くなあ。
――といったやり取りをインターネットで知り合った初対面の人とし、何度も何度もその話に戻るものだから、いい加減酒に酔った俺がブチギレて 「テメーこのクサレが、さっきから聞いてりゃ同じようなことを何度も何度もよー、このクソボケが。井戸にでも叫んでろや。アー?!考える脳がねえなら生きてる価値もねえな!ハーほんま……マジで酒がマズくなるワイ。ホッピーください。いいか、もう一度言うけどなあ!?!お前マジ…アレだろ?同じような話色んなヤツにしたんだろ?それで 『分かる、分かる』 みたいなこと言われて……味をしめたのか!このゴミ野郎!マジ、そんなのってないよ。ダメですばい!あのなー、ホント……金払ったか?マジで。『分かる、分かる』 ってそいつらに金払ったのか?払えや。俺にも払えや。金返せや。貸してないけど返せよマジで。ロクでもねえ話ばっかり聞かせおってからによー。『分かる、分かる』 って全然分かんねえからな。良かったな、理解力のある友達が多くて。分かるわけねえだろうがバカ!はあ?「ヒドイ……」だと?ヒデエのはてめえの話運びだクソが!いわば俺は被害者よ。謝れよ。ホッピーください。あのなー、こんなに心が広いヤツはおらんぞ。なぜならなー、お前の話を聞いているからな……マジ、それだけで生きてて良かったレベルよ。思わんか?思えや。同じ話を何回もしくさってからに、俺は生まれたての人工知能みたいな扱いか?学習機能がアレだから……みたいなはからいか?しばくぞホントに。いっちょ前に酒なんぞ飲みくさってよー。そろそろ2時か……これからやな……アァ!?寝るまでが今日なんだよ!学べや!ホッピーください。いいか、話を紐解けばそもそも俺たちの出会いというものが間違っていたわけで、翻ってみればお前の人生それ自体が……いやでもまあ正味お前の話も分かるよ、辛いって気持ちは唯一無二で絶対値みたいなもんだからな、誰かと比べてどうだかこうだかと、そんなのは下らないもんよ。お前の辛さはお前だけのもんだ。そいつをなあ!安売りしちゃあいけない。まあ俺も色々言ったけど、ちょっと待ってね、ハイボールも下さい、まあそういうことで、俺も辛いんだよ。分かるか?そう、皆辛いんだ。チッ、このハイボール不味いな。やっぱりホッピーだな。浮気はいかん。何を苦笑ってるんだ。飲めよ。いや無理して飲むことはない。なんか眠くない?ていうか俺のスマホがない。知らない?」 ということを数十ダース回ほどブチかました結果、見事に酒乱という二つ名を手にしてしまったのですが、僕は一体どうしたらいいのでしょうか? (30歳 フリーター 練馬区)
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