結婚をしたから披露パーティーに来て欲しい、という連絡が旧友からあった。そいつの名をTとする。俺とTとは、小学校から高等学校に上がるまで、一緒だった。
Tは勝手な人間だった。そして俺も勝手な人間だった。俺たちは名前を持たない寂しさの埋め方をそれぞれの尺度でよく知っていた。俺たちは20歳を過ぎて少ししてから頻繁に酒を飲むようになった。暇とか無為とかいう得体の知らない感情を埋めたいと願ったとき、そいつを叶える一番手っ取り早い方法は同じような考え方を持つ人間と会うことだ、と知っていたゆえかもしれない。
俺たちはいつも中野で飲んだ。安い焼酎のボトルを頼み、そいつを安い水で割って、二人で飲んだ。つまみは決まってスパゲッティの揚げたやつだった。会計は大体において2000円に満たなかった。それでも俺たちはいい客だった。その店に行く時分には大抵俺たちしかいなかったし、店が混んできたら俺たちは黙って店を後にした。そのくらいの良識は、多少なりともあった。
俺たちはよく話をした。本当に、沢山の話をした。でも俺は、その全てを思い出すことができない。なに一つとして記憶の底から拾い上げることができない。俺たちは寂しかった。時間を埋めたかった。よく分からない無慈悲な感情を無理やりに糊塗したかった。だから俺たちは喋った。俺は俺のことを見ながら、TはTのことを見据えながら。結局、俺の言葉は俺だけに帰着した。Tの言葉はTだけに帰着した。
俺たちは目の前にいるのが誰でも良かった。俺はTでなくても良かっただろう。Tにしたって、俺でなくても良かっただろう。だけど俺たちはよく会った。酒も飲んだし、旅行にいったことすらあった。それでも、その相手がTでなきゃいけなかった理由はまるでなかった。Tの相手が俺である必要も、やはりなかったとしか言えない。
あの時の俺たちは寂しかった。何より、辛かった。原因の分からない寂しさや辛さを抱えることだけが、とにかく痛苦だった。だから俺はTを求め、Tも同じく、俺を求めた。対症療法、そいつのことを世間では友情と呼ぶのだろうか?もしそうなのだとしたら、あの時の俺たちの間には確かに友情という漠然として曖昧模糊なる不明確な概念が横たわっていたに違いない。だがそんな仮定に何の意味もないってことは、誰にでも分かる話だ。事実に事実以上の意味を与えようとするのはいつだって情緒だが、俺とTとの関係を情緒で以て語るには、あまりにも安すぎる。
俺は再びTからきた連絡を見返した。あれから10年に近い年月が流れた。Tが結婚したという情報は、俺からしてみるとそれ以上でもそれ以下でもない。俺はTを見ていない。Tもやはり、あの頃と同じように、俺のことなど見ていないだろう。Tは俺でなくても良いだろうし、俺としても何かのことがTである必要は、残念ながらどこにもないからだ。俺たちの関係は10年近く前から何も変わっちゃいない。
メールを閉じた。俺はTの披露宴には行かないことだけが確かだった。