「キテレツ、肛門を貸すナリ」
「はあ!?」
木手英一は思わず吃驚の声を上げる。それも無理ならぬことで、彼は唐突に、あまりにも唐突に目の前に鎮座まします名状し難い何か――コロ助と称されるそれ――に、己が菊座をレントして欲しい、という複雑怪奇極まりないオファーを投げ掛けられたからだ。
「さあ早く、ASAPで肛門を貸すナリ」
「おいこのクソロボット、お前造物主に対して何て口をきいてやがる。一度バラバラに解体してやろうか?このコロ野郎」
「身の丈に合わない強い言葉は自分を安く見せるだけナリよ、キテレツ。なに、初めては誰にも等しく訪れるナリ。ここは気楽に吾輩に身を委ねるのがベターナリね」
こいつの頭脳に何が起きた?遠隔操作のそれか?木手英一は瞬時に様々な可能性を模索する。昨日までのコロ助は日がな一日コロッケを愛でるだけの白痴であったはずだ。それが、なにゆえ。木手英一のアヌスに対し興味を示すこととなったのか。木手英一の理解は、思考は、現実に追いつこうとしない。
「オーケー、コロ野郎。まずは落ち着こう。冷静さ、という状態を保つことは極めて重要だ。それは人間である俺でも、機械であるお前でも、だ。肛門、成程アヌス。それは在る、俺にもある、トンガリにもミヨちゃんにも等しく在る。だが機械たるお前に菊座は存在しない。その帰結としてお前は一番身近な人間、換言すればそれは俺ということになるのだが、その俺の肛門に少しく知的好奇心を刺激された。そういうことだな?」
「キテレツの肛門に吾輩のヘッドをブチ込みたいナリ」
「ナノレベルに千切り殺すぞこのクソ風呂桶が!!?」
話にならない。木手英一の心は暗澹たる色に染め上げられた。なぜ、なにが、どうして。思考は錯綜し、空転する。確かなのはただ、少しずつ木手英一ににじり寄るコロ助の脳内が歪んだ劣情に支配されていること、それだけだった。
「あの日見た花の名前を吾輩はまだ知らないナリ。キテレツ、キテレツのけしからん臀部の間に咲く可憐な花の名前を吾輩に教えるナリ」
「奇天烈斎の野郎、なんつーもんを子孫に遺しやがった……」
三十六計逃げるに如かず。狂気を孕む対象を前に、理を以て臨むのは下策の極みだ。そう考えた木手英一は、ポケットに忍ばせておいた愛用の鉄製ヌンチャクを振りかざすと、一息にコロ助の脳天に向かって振り下ろした……はずだった。
「オイタは駄目ダスなぁ」
「貴様、勉の字!いつの間に!?」
木手英一ご自慢のヌンチャクが狩野勉三操るトンファーによって防ぎ止められる。瞬間、押し並べては刹那の出来事。勉三はいつから、どこから来た――?考える木手英一の思考は、またも空回りするばかりで、その先ではコロ助がクツクツと、クツクツと、不気味に哭いていた。
「コロちゃん、お遊びはこの辺で仕舞いダス。さっさとサモンダークネスを詠唱するダス」
「仕方ないナリね。ネギボ・ウズ!ここに顕現するナリ!」
「ヘイラッシャイ」
鈍色の気(オド)と共に現れたるは、八百八第13代店主・熊田熊八だった。気前の良い店主だった。気風の良い旦那だった。だった、だった。総じては、過去形。彼の方の放つ腐臭は、熊八が既に現世の住人でないことを十二分に物語っていた
「手前ら、それでも人間か!?!」
木手英一は吠える、吼える。死者を愚弄し我が物として扱う、ふたつのけだものに向かって。
「キテレツは阿呆ナリ。吾輩が人間であるはずがないナリ。眼鏡のかけすぎでついに狂ったナリか?」
「コロちゃん、思春期とは真にセンシティブな時期ダス。そっとしておいてあげるのが良いダス」
「ヘイラッシャイ」
「熊八はすぐに寒いギャグを飛ばす癖をどうにかするナリ。聞いてて疲れるナリ」
「ヘイラッシャイ」
絡繰りと浪人と屍と。それぞれが一様に不気味な笑みを浮かべて騒ぐ。理性と現実の混沌の狭間で、木手英一の頭脳はほとんど平静を失しかけていた。
「お遊びはここまでナリよ、キテレツ。さあ熊八や、キテレツの菊座を開いて差し上げろナリ!」
「ヘイラッシャイ」
「やめろ、やめ……」
やめろおおおおおおお!!!その声は、極彩色に染められた絶望の咆哮は遠く、遠く、遥か遠く。練馬区月見台すすきヶ原に居る一人の少年たちの鼓膜を、確かに揺らした。
「始まったようだぜ、のび太」
「ああ、僕にも聞こえたよ。木手英一の叫び声が。いや、木手少年のそれだけじゃない。パーヤン、チンプイ、ウルトラB……次元の壁を乗り越え、様々な奏者の絶なる叫びが交響曲のように押し寄せているんだ。彼の、ドラえもんの言った通りだ!」
「じゃあ、成ったのか?あいつの言う、あの、パラ、パラ……」
「パラダイムシフト。いい加減に覚えろ、このマヌケ」
「ど、ドラえもんさん……!」
瞬時に剛田武は直立不動になる。ドラえもんは鬱陶しそうにいしころ帽子を投げ捨てると、その場に腰を下ろし目を瞑った。
「首尾は上々だよ、ドラえもん」
「当たり前だ。誰がこの絵図を描いたと思っている。この俺、ドラだ。失敗などあろうはずもない。成功するか、大成功するか。俺の歩く道の先にあるのは、常にその二択だけだ」
「へ、へへ……計画を初めて訊いたとき、俺はついにドラえもんさんが狂ったのかと思ったもんでしたよ……でも狂っていたのは、蒙昧に過ぎたのは、ただ俺だけだったってことですね……へっへへへ……」
揉み手をしながら剛田武は卑屈に笑う。雑貨屋の倅、性根にまで染み渡った客商売のDNA。その張り付いたような笑顔は、しかし、ドラえもんの心に何の動静も与えない、伝えない、届かない轟かない。
ことの始まりは、いつだったのか。この物語は何時に紡がれ始めたのか。歯車と歯車とが噛み合い、並べての回転を生じさせた契機は、果たしてどこにあったのか。
「あのクソ眼鏡、今日という今日は我慢が表面張力の限界だ……!」
それは、どこかに横たわった世界線。度重なるのび太の馬鹿に付き合わされたドラえもんは、結果として発狂した。時間を超え、空間を超え、有象無象問わずの現象を踏み越え、そうまでしてのび太に尽くしたドラえもんがこの日、この朝、のび太から向けられた言の葉、それは
「ドラえもん、おねしょを誤魔化す道具を出して欲しい」
気づけばドラえもんの目の前には、ミクロン単位で分解されたのび太が、いや、かつてのび太と呼ばれた何かが、そこに散逸していた。肩で荒い息をつきながら、ドラえもんは黙ってかぶりを振る。5分か、5時間か、あるいは5秒くらいの間逡巡して後、半ば義務的に四次元ポケットに手を差し入れ、タイム風呂敷を引き出そうとした――その刻。
「時間は不可逆か?否、可逆だ。では、因果は不可逆か?否、同じくしてこれも、可逆だ。そうだ、そうだったんだ。出来る、俺には出来る。因果律の全てを司り、総じてを支配することができるのは、そう、この俺。ドラえもんを置いて他にはいないんだ!」
Fの世界で!俺だけが!!ドラえもんは啼き、喚き、笑い散らす。その両の眼は完全に倫敦と巴里に向かって旅立っていた。
「巻き込む。凡ての世界を、總てのFを。アルファがベータをカッパらったらイプシロンする世界を生じさせるために。それには……」
ドラえもんの眼前にはタイム風呂敷によって完全に復元されたのび太の姿が在った。穏やかな、実に安らかな寝顔を浮かべていた。それはまるで無垢という概念を余すところなく現したかのような表情だった。
「概念を覆さなくてはならない!そこは出口が入口になる世界!!禁忌が常道と化す世界!!!のび太ぁ、のぉぉぉび太くゥゥゥゥん!!一緒に、遊びましょぉぉぉぉぉぉう!!?」
ポポントゥリネラ!形容し難い音を立てながらドラえもんの拳が、掌(たなごころ)が、のび太の菊座に格納されていく。アール・ヌーボー!束の間に新しい芸術を叫びながら、のび太は直ぐに絶命した。無理ならぬことだ、この時ののび太はまだ普通の少年だったのであるから。この時点での野比のび太は、未だ。
「ダメじゃないかのび太くゥゥゥゥん!!直ぐに壊れる玩具にはJISマークを付けられないよぉぉうおうおう!!!それ、ここで再びタイム風呂敷だ!!!のび太カムバック・アゲイン・エンドレス・フォーエバー・リターンオブザフィナーレ・プライベートエディション!」
それから何度も。幾度も。際限なく。のび太は絶命し、蘇生し、そしてまた絶命して蘇生した。ドラえもんの右腕は、最早完膚無きまでにのび太と同化していた。
「はじめて君とひとつになれたね、のび太くん……」
右腕に植わる形而下のオブジェと化したのび太に対し、ドラえもんはそっと囁く。那由多の回数を超える破壊と再生を経たのび太は、既に小腸にまで達したドラえもんの掌(たなごころ)を悠然と受け止めながら、陽の光を眺めていた。
「どうやら僕は、覚めない夢でも見ていたつもりだったらしい。いつの間にか、覚めていたけど。ドラえもん、だから、始まるんだね」
「そうだ、のび太くん。始まるんだよ。要するところの――」
終わりが、始まるんだ。右手に植わったのび太を日輪に向かい高々と掲げながら、ドラえもんは囁くように呟くように、だけれども決然と、そう言った。
「しかしてドラえもん、策はあるのかい」
己が肛門からドラえもんの右腕を引き抜きつつ、のび太は問うた。如何に崇高な目的とて、それがただのプロパガンダに終始するのであれば、結局は下らない夢想に過ぎない。手段、筋道、実現性。総じてのものが必要不可欠なのである。
「隗より始めよ、だ。先ずは雑貨屋の倅。アレを堕とす」
二人で、はじめた。いや、二人だから、はじまった……と言うべきなのだろうか?分からない。分かる意味もない。生じた事象に意味などない。ただ、事象が続くこと。そこにこそ意味が芽生える。それだけなのだ。
「トリックオアトリート!ジャイアン、なぞなぞだよ!出口だと思っていたものが入口だったものってこーうもん?」
「やめろのび太、ドラえもん!お前たちは少し疲れているんだ!」
「突かれるのは君さ、ジャイアンもとい雑貨屋の倅よ。オープンザゲート、物質的な豊かさなんざとことんまで意味を還元すればクソでしかないんだぜ」
「やめろ、やめ、おやめになってーーーーーーーーーーー!!!」
そして、このものがたりは、頁を開いた。
・・・
「20世紀へのアクセスが遮断されている……?」
22世紀、地球、日本。突如として大地が鳴動し、空は紅色に染まり、月は西から昇ろうとしていた。
『コーション!コーション!時空乱流が発生!原因は20世紀!練馬区月見台すすきヶ原に存在する模様!』
「兄さん……!」
常識が崩れる。倫理が壊れる。時空が乱れ、因果が逸する。何が、一体この世界に如何なる咎が訪れようとしているの……?
「キャアアア!!」
突然、傍らに。時空の裂け目が生じて蠢く。終わるの、だろうか。総じてが崩れ、壊れ、滅失するのを待つほかないのだろうか。嫌だ、そんなのは、嫌だ。私はまだ、生きたい。生きてこの世界を、生きていきたいのだ。
「ドラミさん!」
「で、出木杉さん?!」
「ここもじきに崩れる!すぐに僕と来るんだ!!」
私は、出来杉さんに手を引かれ、時空の裂け目に飛び込んだ。そこにはニヒルに笑うスネ夫さんと、名状し難い何か(後にそれはオバケであると判明する存在)が、居た。
だから、語ろう。
ここに、全てを。
わたしと、わたしの兄との、物語を。
(つづく)
頼むから投げっぱなしにしないでくれ!!
何なんだこの無駄に壮大なストーリーはw
続くなこりゃ
気になってきた…