というよりも、僕はやりたいことがあると周りが見えなくなり、これはもはや猪突猛進としか形容の仕方がないくらい突っ走ってしまうんです。今回の更新劇にしてもそうですし、実を言うとこれ以外に持っているブログ、ミクシだかクンニだか言う場所でも今日だけで5回更新しました。やりすぎや。
こういうのを暴走というのでしょうが、僕の暴走っぷりは各所にて発揮され、軽い例で言うと今日も今日とて「嗚呼、すき焼きが食べたいなあ」と思ったが早いか財布をムンズと掴み取り、スーパーに牛肉を買いに走る。30分後には完食。まるで動物ですやん。
その他にも「嗚呼、今日は焼肉が食べたいなあ」と思ったら最後、最早脳内は焼肉一色に染められ見るもの全てが焼肉に見える。焼肉のことしか考えられない。焼肉以外は有り得へん。そうなるともう駅に着いたが早いか速攻で焼肉屋にピットイン。一人?孤独?ふざけるな!焼肉にそんなものが関係あるか!(青龍刀を振り回しながら)
また、違う例で言いますと「ああ、ムラムラする」と考えたが最後、脳内はビデオ屋のAVコーナーをフライング気味に浪漫飛行。息子よ、今日は何がいいかな。そうかそうか、素人モノがいいと、お前はそう言うのか…こうなるともう大変、道行く女性が総出で僕を誘惑しているように見えますし、分別のある僕としては襲い来る破壊的な欲求と21年間で培ったモラルとが脳内で大戦争を繰り広げます。
なぜこのような性格に、いつからこんなにこらえ性がなくなってしまったのか。よくよく考えてみたらそのような傾向は小学生の頃に既に形作られていた。
僕は運動が苦手な方で、体育とかは大嫌いでした。ドッヂボールとか駆けっことかを心底憎んでおり、運動ができる奴は早晩に死に絶えろ!とか、臆面も無く思ってた。
そんな僕でしたので、小2くらいの時に体育の課題だった「のぼり棒」など当然できるはずもなかった。というより、なんで垂直の摩訶不思議な棒、存在意義すら疑われかねないタダの鉄の棒に上らなければならないのか、心底謎でしかたなかった。
それでも従順な子羊である僕たちは先生に言われるがままにのぼり棒にのぼる。のぼっては降りる。何と不毛な行為なのか。見る人が見たらこれは虐待になるんじゃないのか…とか思ったり思わなかったりしながら、僕も僕とてトライするのですが、これがビタイチ上れない。周りの友達がスルスルとお猿のように上っていくのを尻目に、ピョコンピョコンと無様に動き回る僕、てなもんですよ。まあいいや、所詮棒だぜ、と思っていたんですが、ヘラヘラとしていた僕に対して担任の先生は容赦がなかった。
「肉欲くん!なんでこんな棒くらい上れんのんね!」
いやいや、こんな棒くらい、ってアンタ、そう言うんなら何でこんな棒に上らなけりゃいけないんですか。そんな感じで憤懣遣る方なしといった思いだったんですが、所詮小学生が先生に逆らえるはずもないので、僕は泣く泣くその棒に上るべく必死の練習を重ねたんですよ。脚の絡め方がまずかったのだろうか?それとももっと腕力を使うべき?小さい脳味噌で必死に考えながら、そして鍛錬を繰り返しながら−−健気です。こういうのを健気と言うのでしょう。
すると、何回目かの挑戦で、ついに天辺まで上ることに成功したんです。これにはさすがの僕も喜んだ。努力は実るという言葉を信じてもいいかな、と思った。
で、まあ一回成功したらやっぱり人間調子に乗るじゃあないですか。調子に乗って何度も何度も上っては降り、上っては降りを繰り返してたんですね。あれほど猿みたいだとバカにしてた行為を、猿よりも猿みたいに繰り返してた。
その時ですよ。体に異変を感じたのは。
いや、のぼり棒上ってたら、股間がごっつ気持ちええんやって。
これには焦った。のぼり棒を10cm、また10cmと上っていくと、なんでしょう、モサモサと股間のあたりが気持ちよくなっていくんです。え…なにこれ…ちょっと気持ちええやん…!そんな風に戸惑いを覚えつつも、身体は正直なので、また10cm、さらに10cmと僕は進みます。そしてついに天辺に!
フィニッシュしてましたね、確実に。この時小2でしたけど、ありゃあ確実にオナニーだった。
天辺から見下ろす景色は絶景で、さらに全身を包み込む恍惚感。これか…先生が教えたかったのはこれだったのか…!と感動を新たにしたのを覚えています。なんつー小学生だ。
それからはもう大変、ですよ。再びあの快楽を手に入れんが為、もう脳内はそのことで一杯になるという寸法です。昼休みになるが早いか友達を引き連れ「おい、のぼり棒上りにいこうぜ!」とケイン・コスギよりもエネルギッシュにのぼり棒を上るもんだからさあ大変ですよ。友達としては、それまで完膚なきまでにインドアだった僕が、急に外で遊びたがる、それもいきなりのぼり棒で…?と、性転換したカルーセル麻紀ばりの変貌を遂げたというのだから、その驚きたるやいかばかりか。ハッキリいって僕は狂ってたよ、お母さん…。よく友達をなくさなかったな、と思いますね。
そういう訳で、僕の見境の無さは幼い頃からということになります。こうなるともはやこれも一つの才能として認めざるを得ないわけでして、これから先に治るかというと見通しは限りなく暗いのではないか、と思います。でもいいんです、それで、いいんですよ…。
あの日上ったのぼり棒は、小学校のグランドにまだあるのかなあ。
最後だけ見れば情緒的なのにwwwwwwww