「ウソよ!」
反射的にエイレーネーが叫ぶ。彼女の髪が窓から差し込んだ朝日を受け、まばゆく輝いていた。
「タカベは、タカベは既に30歳を超えているはずよ!屈強な兵士だとも聞いたわ!あなたのような少年が、タカベであるはずがないじゃない!」
「この体は借り物です。地球と言う星から来た野比という少年が貸してくれました。信じる信じないはお任せします。ただ、エイレーネー帝だってお分かりのはずでしょう。私がかつてのパルスタに住んでいない限りは、先のような話ができないということくらい」
「……」
ロイ……いや、彼の言葉を信じれば、タカベになろうか。とにかく彼の言っていることはもっともなことだったし、彼の言葉が書庫で読んだ歴史の書物ともぴったりと符号しているのも確かである。それに、エイレーネー自身も伝え聞いてない部分も随所に散らばっていた。もちろんそれが真実であるかどうかを判断する術はない。けれど、ウソをついていると思うには目の前の状況があまりにも異常すぎた。
「……一つだけ聞かせて下さい」
「何でしょう」
「どうして、どうしてパルスタがトリユに救いの手を差し伸べなければならないのですか?トリユが勝手に出て行って、略奪まで行なって、それなのにどうして我々が彼らを救わなければならないのです?」
「トリユの先代……キャンベル・ベーツ初代国王が、どうして独立したかご存知ですか?」
「だからそれは自由を求めて……」
「違います。レオーン帝が死んでしまったからです。正直に言いますが、今のあなたにはとうに実権を持ち合わせていない。あなたはレオーン帝が死んですぐに即位したのですが、それからずっとエイレーネー帝をサポートしてきた人間、彼の存在がキャンベル帝をしてトリユの独立をせしめたのです」
サポートした存在、と言われた瞬間にギノの顔が頭に浮かぶ。ギノの影響でトリユができた?しかし一体、その因果関係はどこから導かれるのか。エイレーネーは次々と出てくる新しい事実に深い困惑を覚えた。
「10年前、レオーン帝が逝去される頃です。その頃パルスタの国力は無理な教育を推し進める必要のないくらい成長しておりました。帝自身も、その頃には教育制度と労働の制度を修正する方針でいた。けれどその時、レオーン帝は突然亡くなった……ま、私はギノが何かを企んだと邪推しておりますが。そのことは今はどうでもいいでしょう」
父がギノの手によって殺められた?まさか……。エイレーネーはその言葉を信じまいとはするのだが、心の動揺は已むことを知らない。タカベはなおも話を続ける。
「ギノは大佐兼任の摂政に即位すると、すぐさまレオーン帝の遺言を握りつぶした。遺言というのは教育・労働制度改正のことです。それを知ったキャンベル氏は深く落胆しました。彼は当時中央教育機関の責任者だった。キャンベル氏はその現場で、段々とパルスタの人々が変容していく様を見続けていたのです。そして彼が下した結論は『このまま行けば、パルスタは確実に潰える』というものでした。独立はその末の決定です」
「なぜです。教育と労働の何が悪いのです」
「いいからお聞きなさい。
我々が子供の頃は、まだ大戦の最中だったのですが……それはひどいものでした。そこかしこに死体がゴロゴロ転がっている。人々の目にはおよそ希望の光なんてなかった。それはそうですよ、明日その死体が自分と取って代わらないとも限らないのですから。
けれど、そこから我々を救ってくれたのがレオーン帝だった。大戦を制することによって、死の恐怖から我々を解放してくれた。いつしかパルスタが立国され、家も何も持たなかった者も等しくそこで住むことができた。その内に段々と我々の目にも希望の光が満ちてくる。その時の教育の現場は楽しかったとキャンベル氏も言っていました。
『目の前の人間が、目を輝かせて勉強をしてるんだ』
と……それはやりがいもあるでしょう。けどね」
「けど?」
「その光が消えていったんですよ。パルスタが安定することによって、逆説的に。ここから私の仮説ですが、その原因はおそらく、民に『先』が見えるようになったからだと考えています。民はパルスタの現状に浸りながら思う。
『このまま1年中勉強して、そして労働を課されて、そのまま死んでいく。だったら俺と、今隣に座っているやつと、いつ入れ替わっても何も変わらないんじゃないのか』
そんなことを」
「……」
「キャンベル氏はこのようにも言っていました。『目の光が、大戦中と同じに戻った』とね。もちろんそれが全てパルスタの制度によって起こったとは申しませんが、かなり強い因果関係が存することは確かでしょう。結局、生きながらにして死んでるような状態、それが今のパルスタですよ。そしてそれは現在のトリユも同じことです」
「どういうことですか?」
「キャンベル氏はトリユを建設しながら『発展する精神こそが生きる希望だ』と考えた。だから敢えて苦労を買って、何もない地での立国を決意した。立国作業は本当に楽しかったそうです。死にそうな出来事も何度か経験したそうですが、そこには常に目標があった。大げさな言い方をすれば、希望があった。そんな中で出来たのが、トリユなのです。
けれども、そのトリユは……もうどこにもありません。
昨年私がトリユに渡った時、それは驚きました。みんな穴の空いたような目を――死んだような目をしているんですから。キャンベル氏ではありませんが、私もその時に思ったんです。『ああ、大戦の頃の目と同じだな』と。
トリユの民は自由という言葉の傘を借りて、何もせず、何も目的を持たず、ただ一日を暮らす。食べ物も少なく、ひどく貧しい。それでも誰も働かない。物を作る知識もない。つまるところそこにあったのは――緩やかな死でした」
「……あなたは何が言いたいんですか?」
「そうですね……私が言いたいのは、もうトリユだのパルスタだの、国家だの出自だの、そんなことを言っていても何も変わらないということです。
ヒストリアの歴史の凄惨さは、帝もご存知でしょう。そして今、また――一部の権力者のせいで、この星の人間はゆっくりと死にゆこうとしています。
エイレーネー帝、あなたは聡明な方です。だからお願いです、もう国で人を分けないで下さい。ヒストリアの地に立つ人間はそもそも皆、等しいのです。だからどうか、トリユの人間のことを責めないであげて下さい。どうか決して……踏み潰さないであげて下さい」
エイレーネーはもう何も口を差し挟まなかった。ただ、黙ってタカベの言葉に耳を傾けた。私は皇帝に即位してから一体何を見てきたのだろう?一体何をしていたのだろう?分からない、今は何も。
――トリユでもパルスタでもなく、ここはヒストリアなんです。
タカベの言葉が耳朶に蘇る。
答はどこにも転がっていなかった。
「タカベさん!」
突然寝室のドアが開いた。そこには頭にバンダナを巻いた屈強な男が立っている。見たことのない兵士だった。
「そろそろ限界だ!ここから脱出します!話は終わりましたか?!」
「ああ、もう大丈夫だ。ありがとう、のび太くん」
「じゃ、すぐにこのロープの端を握って!」
促されるままに目の前のタカベが縄の端を握る。その瞬間、2人の体が発光した。しかしそれは一瞬のことですぐに光は已み、またもとのように2人は部屋に立ち尽くしている。と、タカベがエイレーネーの方を向いた。
「へえ、本当にしずかちゃんにそっくりだあ」
途端にタカベの口調が変わった。いや、おそらく目の前の少年はもうタカベではないのだろう。それは雰囲気で察せられた。あまりにも不可解なことが立て続けに起こるものだから、エイレーネーは多少のことでは驚かない。
「のび太くん!行くよ!」
どやどやと2人の少年、そして不思議な生物が入ってくる。この生き物は一体なに?少しだけ耐性の付いてきたエイレーネーだったが、目の前の光景はさすがに受け入れ難かった。しかも、喋る。
「とりあえず、トリユに向かおう!」
奇妙な生き物のポケット(らしきもの)からかなり大きなドアが飛び出した。もう何でもアリだ。私は多少のことでは驚かない。
「トリユへ!」
声とともにドアが開く。するとそこには、室内だったはずの空間に見慣れない風景が広がっていた。
もう、何が何だか分からなかった。
・・・
「のび太さん!」
「しずかちゃん!」
ドアの向こうには静がいた。ふとのび太が目線を上げると、ぐいぐいともの凄い勢いでロイを引っ張っているのが見える。一体トリユで何があったのだろうか?その光景からは事態が把握できない。肩越しにはミヤイが倒れているのが見えた。
「パルスタの軍本部に行って!」
静がとんでもないことを言い出した。軍本部だって?そんなのは自殺志願者の言葉だ。あそこでは今も激しい攻防戦が繰り広げられているはずである。しかし――
「ドラちゃんも!タカベさんも!皆も早く!」
「は、はい!」
そこにいたのはいつもの静ではなかった。ものすごい剣幕に押され、思わず返事をしてしまうのび太。
「私も、私も連れて行って下さい!」
僕とドラえもんの間に割り込みながらエイレーネー帝が声を上げる。並び立つ2つの静の顔、そして静の背後にいる僕と全く同じ顔のロイ。それはあまりにも異様な光景で、それを見ていると「何だかもうどうでもいいや」という気分になってしまった。
「ドラえもーーん!!」
「あーもう!どうなっても知らないからね!パルスタ!軍本部!」
どこでもドアの扉が、ゆっくりと開いた。
【続く】