「タ、タカベさん?!」
「え……?」
のび太の声に気付くと、タカベは頬に暖かいものが伝わっているのを感じた。ああ、俺は泣いているのか。涙を流すなんてことは一体何年ぶりだろう。自分の顔を想像して、ひどく情けない気持ちになる。だけど今はいい。今だけはこのままで、いいような気がする。タカベは真っ直ぐ前を直視したまま、涙を縷々と流した。
「パルスタにいたら……」
「何ですか?タカベさん」
「俺がパルスタにいたままだったら、戦争はすぐに終わっただろう。もしかしたら戦争すらなかったかもしれない。けどそれじゃあダメなんだ。対症療法じゃダメなんだ。この星の病は、もっと根が深い。みんな、自分が弱いと思ってるんだよ。弱いから、簡単に暴力で解決しようとする。弱いから、楽な方に逃げようとする。簡単に裏切る。だから俺は、トリユに渡った」
「……」
「逃げるばかりじゃ自由は手に入らないことを知って欲しかったんだ。自由を得るために戦う人間の強さを、パルスタの人間に教えたかったんだ。お前たちは弱くないってことを、トリユの人間に教えたかったんだ。逃げずに戦うことの意味を、その尊さを。遠まわしで、血の流れるやり方だったかもしれない。けれど俺は、そうすれば……そうやってこの星の人間の気持ちを少しでも変えることができたら……」
――きっと戦争はなくなる、そう思ったんだ。
――不器用で、結局どうにもならなかったけど。
――それでも親父と約束したんだ。
ナシータを静寂が包む。タカベの涙は既に止まっていた。
「タカベさんの戦う理由は、夢は……自由を守るとか、トリユを守るとかそういうことじゃなくて、戦争をなくすことだったんですね」
のび太はタカベに問いかけた。そう言えば彼の言葉はいつだってトリユに肩入れするとも、パルスタに肩入れするとも付かないものだった。おそらく彼にとってはどこにどんな国があろうと些細な問題なのだろう。彼はこの星を愛していたのだ。父を育み、自分を受け入れてくれたこの星を。
「ゆ、め?」
「ええ、タカベさんの夢はだから戦争を……」
「ユメ……ユメ?のび太くん、ユメって、なんだい?何の言葉なんだ?」
「え?」
「ふふ、初めて聞く言葉だな。ユメ、何だかいい響きだ。一体どういう意味なんだい?」
「ユメっていう概念が存在しないんだ……」
ドラえもんがポツリと呟いた。夢って言葉を知らない?そんな、まさか。けれど見上げたタカベは、きょとんとした顔をするばかりだった。
ヒストリア人は生きることだけで精一杯だった。気を抜けば、すぐに戦争。昨日まで生きていた友が、次の日には死んでいるなんてザラだった。明日死ぬのは自分かもしれない、そんな極限状態の生活。国は大国に吸収され、いつしか己のアイデンティティまでも失っていく。それでもただ、目の前の一日を生きていくことだけに没頭した歴史。
そんな中で、きっと彼らは、夢を抱くゆとりも、時間もなかったのであろう。
「タカベさん、夢っていうのは……」
ヒストリア人の歴史を、タカベの過去を想像して思わず嗚咽が漏れかける。ダメだ、ここで僕が泣くな――夢も持てない社会なんてそんなの――どんなに自由でもそれは――
「タカベさん、夢っていうのはね、『あんなこといいな、できたらいいな』って思って……思い続けて……だから僕らは、それに向かって精一杯生きていって……それで……」
何かを堪えているのび太の様子を察したのだろう。タカベはのび太の頭をぽん、と叩くとニッコリと笑った。
「分かったよ、じゃあ俺のユメは『戦争をなくすこと』だ。一つ賢くなれた、ありがとう、のび太くん」
言葉に、やはりのび太は泣き虫でなくはいられなかった。
「……ドラえもん。この国を、いや星の人たちを、助けよう」
「のび太くん、それはできないんだ。僕たちは歴史を変えちゃ……」
「道案内、してあげなきゃ」
のび太はドラえもんに近寄ると、グッとその体を抱きしめた。
「キミの言葉、腹を立てたこともあったけど、今やっと分かった。だから僕も……せめてタカベさんに、皆に、道案内くらいはしてあげたいんだよ」
「のび太くん……」
「何か方法があるのか?」
のび太がタカベの方を振り向くと、こくりと頷いた。
・・・
【パルスタ城】
・・・
「夜明けね」
エイレーネーは寝室から窓の外を見て呟く。東の空は赤く染まっており、時折鳥の鳴く甲高い声が聞こえた。その間を縫うようにして銃撃音。交戦はどうやら、未だ続いているらしい。それにしても馬鹿に近いところで戦っているものね、とエイレーネーは思った。
彼女が物心付いた頃には、既に皇位に就いていた。だから父親の記憶はほとんどない。彼女はただ王座に座っていればよかったし、国のあれこれは全てギノがこなしてくれた。時折民衆の前に顔を出して手を振ったり、あるいは儀礼的に官位を与えたりする。そんな生活が彼女の全てだった。
もちろん国の実情や、あるいはトリユとの関係を知らないわけではない。勤勉な彼女は、ほぼ幽閉に近いその環境の中で本だけを友とした。とりわけヒストリアの歴史を学ぶことを特に好んだものだ。暇を見つけては書庫に篭り、一日を過ごしたりする。たまにそのまま寝入ってしまい、何度も女官に叱られたものだった。
コンコン
「誰?」
不意に自室のドアがノックされる。こんな時間に一体誰が?と訝しがったが、もしかしたら戦闘が終了したのかもしれない。エイレーネーは特に何も考えずに「入りなさい」とだけ言うと、再び窓の外に目を遣った。すぐ目の前にやけに体の大きい鳥が羽を休めており、思わず体を引く。
「失礼します」
聞き覚えのない声にエイレーネーはドアの方を振り返る。バタン、と音がしてドアが閉まると、その前にどこかで見たことのある顔をした少年が立っていた。
「初めまして。私はトリユ国国王ロイ、ロイ・ベーツです」
鳥の羽ばたいていく音がエイレーネーの鼓膜を揺らす。
・・・
「侵入者だ!侵入者がいるぞ!」
「ちくしょう!もう見つかっちまった!」
「ここで食い止めるんだ!絶対にエイレーネーのところまで行かせちゃいけない!」
ドラえもんの声に3人が「おう!」と声を揃えて叫ぶ。4人は息を整えると、それぞれに武器を構えた。
【パルスタ城内防衛線】
「どこから入ってきやがった!とにかく撃て!生きては帰すな!」
城内に残っていたパルスタ兵士が続々と城の2階、皇帝の寝室前に集まる。敵影は全部で4つ。中には奇妙なからくり人形らしき姿もあった。
「撃てぇぇ!」
大尉の声と共に小銃が掃射される。けれど一体いかなることか、前に立ったキツネのような少年と狸のようなカラクリの手によって銃弾の全てが壁に突き刺さった。
「何をやっておる!もっと撃て!撃たんかっ」
大尉の言葉が終わる寸前に廊下を一筋の閃光が走った。次いでその横から放たれる空気の圧縮弾。兵士の2、3人が纏めて吹き飛ぶ。
「のび太、後ろだ!」
振り向きざまにショックガンの光線が窓に向かって走る。速射で3発、正確に兵の体を捉えるとそのまま下向きに落下していった。
「応援!もっと応援だ!」
「軍本部の防御で手一杯だというのに、何ということだ!おい、貴様!」
「はい!」
「倉庫からガトリング砲を持ってこい!」
「しかしここで使っては城壁に著しい損傷が!皇帝の身の安全も保障できません!」
「やかましい、黙って持ってこんか!城内に侵入されてるんだ、万一皇帝が死んでも賊の仕業ということで処理できるわ!」
少将の代わりに指揮を執った中尉が叫ぶ。は、はい!と兵士が応えると脱兎の勢いで階下に向かった。
「生きては、帰さんぞ!ガキども、そして……タカベ!」
【続く】
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