スネオの眼下に青く丸く寸胴の影が見えた。
ジャイアンの視界の端に、白く丸っこい手とひどい短足が映った。
のび太が目を開けると、円錐のような形の銃弾が胸の寸前、ほんの10cmくらいのところでピタリと静止していた。その更に10cm後ろには白いお腹に長い猫髭、赤い鼻にまん丸とした目の、だからそれは――
「ドラえ……もん?」
銃弾の向こうに目を上げると、青頭。タンマウォッチを持って笑顔で立っていた。
「ドラえもん!」
自然と涙が溢れる。のび太はそれを拭うともせず目の前にいたドラえもんに手を広げて抱きついた。機械であるはずの彼の体はあんまり温かくないのだけれど、のび太の体はじんわりと温もっていく。
「ドラえもん……ドラえもん……」
のび太はそれ以上の言葉を接げない。嗚咽を漏らしながら何度も何度も彼の名を呼ぶと、さめざめと泣いた。のび太の頭が優しく撫でられ、その光景を見たスネオとジャイアンも思わず目頭を熱くする。彼らも今、同じように故郷の母のことを思った。
「さ、あんまり時間を止めたままじゃいられない。しずかちゃんはどこ?こんなとこからはすぐに帰ろう!」
ドラえもんがポケットに手を突っ込むと、するするとどこでもドアが出てくる。これで終わる、この旅とそして、僕たちの戦いが。そう思った瞬間、全身からどっと疲れが沸いた。これでやっと――
(終わる?)
では果たして、何が終わるのだろう。考えながらのび太は後ろを振り返る。タカベの左手が所在なげにのび太の肩のところで動きを止めていた。一体何をしようとしたんだろう――とは思わなかった。タカベさんはきっと、あの一瞬のうちでも僕を助けようとしたのだ――のび太は悟る。
「ドラえもん……」
「さ、しずかちゃんの場所を教えて。どこに――」
「頼む。力を、キミの道具を、貸してくれ」
「いや、でも」
「守りたい人がいるんだ」
「ドラえもん、俺からも頼むぜ」
「僕も、このままじゃ帰れないんだ」
スネオとジャイアンものび太の頼みを支える。てっきりすぐに帰るものとばかり思っていたドラえもんは思わず眉をひそめたが、3人が適当な気持ちで言っているわけではないことを知ると、浅い溜め息を付いた。
「一体この星で、何があったっていうんだよ」
「それは今から話す。とにかく今はタカベさんの手当てを先に」
「タカベさん?」
ドラえもんはのび太の後ろに立っていた屈強な男を見据えた。傷痕に戦闘服、小銃にそして腹から流れた血。決して穏やかな状況ではない。ドラえもんの知っているのび太ならば、一も二もなくこの場から逃げ帰っているはずだった。
「分かった。どこか安全な場所はあるの?」
「うん、トリユってところが――」
そこまで言ってハッと口をつぐむ。そうだ、トリユにはロイとミヤイがいるのだ。裏切った者と裏切られた者。その両者がかち合いかねない場所に行くのは、決して賢明な判断ではないだろう。
「ナシータ、ナシータに行こう!」
・・・
ジャイアンが固まったままのタカベを背負うと、4人はどこでもドアの扉をくぐってナシータへと足を踏み入れた。久方ぶり、と言ってもそれは精神的なレベルの話であり、最後にここを離れてから未だ24時間も経っていない。ナシータの中はタカベを担ぎ出した時と寸分違わぬ様子でそこに在った。
「よし、とりあえずタンマウォッチを解除しよう」
ドラえもんがカチリと音を立てて時間の流れを元に戻す。それと同時にタカベがどすんと腰から崩れた。
「タカベさん!」
「のび太くん?一体ここは……」
混乱した様子でナシータの内部を見渡すタカベ。それも無理のないことで、寸前までリツブの森で銃口を向けられていたはずなのに、気付いた時には全く違う場所にいるのだ。取り乱すなという方が無理であろう。
「ここはケンジュか?!ぐっ……」
「タ、タカベさん!ひとまず横になって下さい!ねえ、ドラえもん!」
のび太がドラえもんに声を掛けるよりも早く、ポケットから道具が出てくる。久しぶりだな、この感じ……こんな時だというのに、のび太はその状況が染み入った。
「『すぐきずを治すばんそうこう』を貼っておいたからもう大丈夫だと思うよ」
「すまないな。ところでキミは……」
「ご紹介が遅れました。こんにちは、ぼくドラえもんです!」
ドラえもんときたら、異星でしかもこんな状況だというのに自分のスタイルを崩さない。のび太は何やらおかしくなって思わず吹き出す。
「ところでさあ、ドラえもんはどうしてここまでやって来たの?」
「そうそう、分身まで置いてきて万全の準備だったのにさ」
「急に虫の知らせアラームが鳴り出したんだよ。でものび太くんは家にいるんだ。そう言えばここ何日かのび太くんの様子がおかしかったのを思い出してね。それで彼に問い詰めたら、とうとう白状したってわけさ。全く、勝手な真似されちゃ困るよ!」
ここに至ってようやく怒りを思い出したのか、ドラえもんがもの凄い剣幕で3人を怒鳴りつける。反論する道理は全くないのび太たちは、シュンとしてうつむいた。
「いや、ドラえもんくん。そんなに怒らないであげてくれ。のび太くんは……3人は、何度となく私たちを助けてくれたのだから。責められるとしたら、それは彼らの帰る手段を奪った私だ。だからどうか彼らを怒らないでやってくれ。この通りだ……」
タカベが黙って顔を伏せる。まさか目の前の屈強な男からこんなに丁寧な謝罪を受けられるとは思っていなかったのだろう、ドラえもんはひどくうろたえながら「いいんですいいんです!」とまくし立てた。
「それでドラえもん、タカベさんが今すごく困っているんだ。見ただろ?この星で大きな戦争が起きているんだよ。だから……」
「ちょっと待ってよのび太くん、一つ聞きたいんだけど、どうしてキミたちはこの星にやって来たの?」
3人が「あ」と短く叫んで顔を見合わせる。端末の結果――忘却の彼方にあった『それ』の存在を不意に思い出した。
「そうだよドラえもん!僕らは宇宙完全大百科端末機で無人の惑星を調べたんだよ!それなのにこの星には人がいたんだ!一体どういうことなんだよ!」
「そうだよ、あの機械壊れてるんじゃないの?」
「壊れてるってそんな……うん?」
『未来デパートからのお知らせ』
「もしかしてキミたち、3日前にあの端末機使わなかった?」
「3日前?ええとあれは確か」
「トリユに来て今が2日目で、その前日に端末使ったから……そうだね、3日前だ」
「やっぱり……。未来デパートから手紙がきてたんだけど、丁度その時端末のデータベースに障害が発生してたんだよ。おそらくそのせいだろうね」
点と点が線となって繋がる。これでようやくヒストリアに人がいたことに説明が付いた。それにしてもいくら壊れていたからと言っても、あまりにデタラメな結果ではないだろうか?3人は内心で憤りを抑えきれない。
「もう一度調べてみればきちんとした結果が出るはずだよ」
ドラえもんは淡々とした調子で喋りながらポケットに手を突っ込む。今更調べたって、と思わないでもなかったけれど、のび太は止めなかった。
(この戦争の行方が分かるんじゃないか?)
宇宙完全大百科端末機、その膨大な量の情報は惑星ほどの大きさにまで膨れ上がっており、データベースは宇宙空間に人工衛星のように浮かんである。これで分からない情報はないよ、とドラえもんは豪語していた。それならばヒストリアの未来すらも、そこから弾き出されるはずだ。のび太は固唾を飲んで見守る。
「この星の名前、何だっけ?」
「ヒストリアだよ」
「よし……ええと、惑星ヒストリアについて……検索」
すぐに端末がガタン、と音を立てる。確かあの時はほんの10cmほどの紙切れしか出てこなかったはずである。のび太たちが端末の後ろ側を注視していると、すぐに検索結果が排出されはじめた。しかしそれは10cmどころではなく、ゆうに3mほどの長さとなった。
「こ、こんなに?!」
「……よく分からないが、もしそれがヒストリアの歴史に関しての資料ならば、そのくらいの長さがあっても不思議はないさ」
突然タカベが喋ったので、のび太はドキリとした。戦争の歴史、争いの系譜。それがこの紙の中に全て収められているのだとしたら。確かに3mでも短いくらいなのかもしれない。ドラえもんが出てきた紙を切り取ると、手にとって目を通した。
「ふんふん……ほうほう……」
「ふんふん、じゃなくって……僕にも読ませてよ!」
「ちょっと待ちなよ。せっかちだなあ。はあー、ものすごい争いの歴史だ。ここまで戦争に特化した歴史って、ちょっと他にはないよ」
くるくると紙を巻きながら、ドラえもんは上から下まで目を通して行く。ふだんはぼうっとしていることの多いドラえもんであるが、その処理速度は中々のものなのだろう。かなり速いスピードで紙面に目を通していった。
「ん……!」
そしてついに最後の一行あたりまで差し掛かった時。ドラえもんの表情が一変する。
「そんなバカな……この文化レベルでどうしてこんな……!あり得ない!こんなもの作れっこないはずだ!!」
次の瞬間、ドラえもんは目を剥いて叫んだ。同じ行を何度も何度も目で追っている。紙を持つ手はぶるぶると震えており、どう見ても尋常な様子ではなかった。
「ドラえもん!一体どうしたってんだよ!見せろよ!」
奪い取るようにしてドラえもんの手から資料を引ったくる。スネオとジャイアンも神妙な面持ちで後ろから覗き込んだ。
「ええと、パルスタがトリユから分裂して……ああ、ここまではいいや。○月×日、ケンジュ戦争勃発。『ケンジュ攻防戦』『リツブ攻防戦』『パルスタ軍本部激突』などを経たが、両軍の密約であった『トリユ軍将軍タカベの首をパルスタに差し出す』は遂に果たされなかった。トリユがタカベの身を匿ったと考えたパルスタは、これを重大な約定違反と目することになる。そして同日某時、パルスタからの最終攻撃が行なわれる。用いられたのは……核兵器?!」
のび太はその文言を目にした瞬間、飛び上がるばかりの勢いでおののいた。唖然として言葉が出ないのび太の手からスネオが紙を奪い取ると、続きを読み上げる。
「核の破壊力を見誤ったパルスタは、この攻撃によりトリユのみならず自国までも滅ぼしてしまう。その時ヒストリアに住んでいた人間は根絶してしまい、同惑星は無人となっている……」
「マジかよ……」
信じられない、といった口調でジャイアンが呟いた。スネオも呆然とした様子であるが、何度か読み返しているうちに何かに気付いた。
「そうか……ドラえもん、この冒頭の部分を見てくれ。『ヒストリア星は本来、人間が住むのに好適な星である。』そして末尾、『惑星は無人となっている。』これは僕の仮説なんだけれど、おそらく端末が故障したことによってこの冒頭の部分と末尾の部分だけがくっ付けられちゃったんだ。だから僕たちは……」
『人間が住むのに好適な星である。惑星は無人となっている』
結局、端末は大枠において何らウソを付いていなかったことになる。しかし――
『真実というものは往々にして細部に宿っているものです』
先ほど捕虜に言われた言葉を思い出す。全く以てその通りだった。
「滅びるのか、この国――いや、星は」
「タカベさん……」
隠してもどうせ分かることだ。のび太は素直に頷いた。タカベは驚くでも悲しむでもなく、ただ受け入れるように平坦な表情をしている。
「ヒストリアらしい末期かもしれんな……」
タカベは自嘲気味に笑う。のび太は何と声を掛けていいのか分からなかった。あそこでタカベを助けなければ良かったのだろうか?『首が渡らなかったことが契機で』、端末にはそのように書いてあった。ではタカベさえパルスタに差し出されれば……
(――なんて)
そんなことを今更思うはずがない。あの時、自分が死んでもタカベを助けたいと思ったのは、偽らざる真実の気持ちだったのだから。そして考える。同じようにして、タカベが死んでも守りたいものを。
「タカベさん。もう一度聞かせて下さい。どうしてあなたは戦っていたんですか?どうしてわざわざ、トリユに渡ったのですか?」
「……」
タカベを見つめるのび太。無言でのび太を見つめ返すタカベ。悠久にも思える時間がゆっくりと過ぎ行く。タカベものび太もそれぎり黙って言葉を発しなかったが、諦めて先に口を開いたのはタカベの方だった。
「……分からないんだ、俺にも。どうしてあの時トリユに渡ったのか。宣戦布告の知らせを聞いて、気付いたらトリユに足が向いていた。当然歓迎されてね、俺はすぐに軍の指導を始めた。初めて自分を受け入れてくれたのが嬉しかった――けど、それは後付だな。そもそもどうしてトリユに行ったのか……」
どうしてなんだろう、どうして俺は、タカベは口の中で呟き続ける。その時、突然先ほどトリユ兵に銃口を突きつけられた場面がフラッシュバックした。
『恨み?俺を動かしているのは、そんなチープな感情じゃない。俺も、父も、人を殺したのはいつだって『結果』だったさ。』
幼い頃の憧憬が瞼の裏に蘇る。誰よりも強かった親父。誰よりも怖かった親父。そして誰よりも優しかった、親父。
『マサキ、強い男になれ。父さんみたいに強くなれ』
『父さんくらいって、どのくらい?』
『そうだな、戦争を止められるくらいに強く、だ』
『戦争?』
『いいかマサキ、この星にはもう一度必ず戦争が起こる。必ずだ。そしてマサキ、その時はたぶん父さんはもういない。だから今度は、お前が止めるんだ。俺よりも強くなって、俺よりも上手い方法で、戦争を……』
―――この星から戦争をなくすんだ、マサキ―――
【続く】
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