「どこだ?!」
のび太は暗視ゴーグルに目を凝らしながら早暁の空を翔る。発砲音は耳に捉えたが、未だトリユとパルスタの兵は見えない。戦闘は森の中で行なわれているのではないのだろうか?もう森は抜けた?そしてリツブの森から目を上げたのび太の視線の先に、パルスタ軍の要塞の陰が飛び込んだ。見るとそこだけに光の渦が集中している。そこにあるのは多くの人間の怒号、銃声、爆音そして聞こえるはずもない、呪詛。あそこに――
ぱん
消えてしまいそうなくらい微かにだけ鳴った銃声。のび太は首を捻じ切るようにして下を向く。ぽ、と小さな光が森の中で灯りその後にまた、ぱん。
タカベはあそこにいる。直感したのび太は一気にその光を目掛けて急降下した。
・・・
「……しょっと」
幾分疲れた色の声を出しながら、タカベは背中に負ぶった兵を地面に落とす。まじまじと見ることはしないが、何百発もの銃弾の盾になってくれた『勇敢な』パルスタ兵の遺体はもはや原形を留めているはずもなかった。
「すまんな。成仏してくれ。次に生まれ変わるならトリユとかパルスタとか何も関係のない世界に――」
刹那、右頬に軽い違和感。その次に焼けるような熱さ。そして液体の流れ出す感触、もっと後から、痛覚。一番最後に意識したのが、乾いた発砲音を確かに聞いた記憶だった。たった1秒かそこらのことなのに、全ての刺激が順繰りにゆっくりと伝達されたかのような錯覚を受ける。総毛立つこの空気、それは久しく味わっていなかった『誰かに確実な照準を定められている』感覚だった。
瞬時に地面に倒れこみながら、銃弾の放たれた方向にあたりをつける。パルスタに着けられたのか?!馬鹿な!そんな気配はどこにもなかった。だとしたら、一体――
パン、今度は先に銃声が聞こえた。右の脇腹が燃えるように熱くなった。どくどくと流れ出す血が、リツブの大地に吸い込まれていくのを感じる。囲まれたのか?痛みに顔を歪ませながらタカベは背後を振り向く。
そこに立っていたのは、間違いなくトリユの兵士だった。
「タカベさん、いや……タカベ。ここで死んでもらう」
平板な声が鼓膜を揺らす。小銃を杖にして立ち上がると、そこにはトリユの兵が2人銃口をタカベに向けたまま立っていた。
「どういうことだ」
冷静を装って言葉を返すタカベだったが、足に力が入らない。流れる出す血も止まる気配がない。払暁のうすぼんやりとした光に照らされた2人の兵は色のない顔でタカベを睨み付けた。
「どういうことだ!」
大声を出すと腹部が裂けるように痛んだ。思わず腰を落としかけるが、気力で耐えた。おそらくこの2人のどちらか一方の銃弾がタカベの頬を掠め、もう一方のそれが脇腹を貫いたのだろう。
「国王の命令だ。あんたをパルスタに差し出せば戦争は終わる。トリユも元通りだ」
「あんたは強すぎるんだよ、タカベさん。パルスタもトリユも、皆持て余しちまってる。上はな、あんたがいる限り国家が動揺し続けるって思ってんだ。だからあんたはここで死んでくれ。トリユのために、ヒストリアのために。それで全部終わりだ」
トリユのため、パルスタのため、ヒストリアのため。
空疎な言葉だな、とタカベは思った。
いつからこの星の人間たちは、そんな綺麗な大義名分を振りかざしてしか戦争ができなくなったのだろうか?根底にあるのは薄汚れた欲望でしかないはずなのに。
『ヒストリアにはまた戦争が起こる』
父の言葉がふと蘇る。
ああ本当、その通りだったよ。
でもね父さん、俺はこれを最後の戦争にしたかったんだ。
「パルスタの兵も随分殺せて、恨みも晴れただろう?」
こいつらはいつだって分かっちゃいなかった。
恨み?俺を動かしているのは、そんなチープな感情じゃない。
俺も、父も、人を殺したのはいつだって『結果』だったさ。
そんなこと誰も信じちゃくれなかったけれど。
「……俺は、俺の血は、タカベだ」
胆力を込めて、自分に確かめるようにタカベは口を開いた。
「さよなら、タカベ」
2人の兵が、同時にトリガーを引いた。
・・・
タカベは静かに目を閉じる。何も感じることはなく、また何にも祈ることはない。
俺はこのヒストリアという土地でただ生きた。
そして今、ただ死んでいく。
俺の血はこれから更に流れ出し、リツブの、パルスタの、そしてヒストリアの大地に吸い込まれ溶け出し昇華するのだろう。
俺の中にある戦いの血よ――タカベの遺伝子よ。
欲しくもなかった最強の称号と共に、国に星に混ざり込め。
そしてヒストリア、いつまでも戦争を絶やさず残せ。
この地から争いがなくならないのは、俺たちが常に血を流すおかげなのだから。
トリユもパルスタも根底にあるのは同属嫌悪だ。
同じような人間が銃を持ち寄って撃ち合いをやっている。
何て不毛なのだろう。
そしてその不毛さに気付けないことがまた生み出す、不毛。
それは未来永劫循環していく不毛の連鎖。
俺は何人殺したか?
分からない、けれども。
俺は確かにこの手で不毛の根を毟り取ろうと思ってたんだ。
でもそれも今は叶わない。
できないくらいならあんなに沢山の人間を殺すこともなかったのかもしれない。
それはカルマなのだろう。
死んでも拭いきれない、俺の中にある罪業。
それが今爆発する。
鉄の礫が俺の体を引き裂いて、体の中から罪を放出させるのだ。
それは死ぬことでしか達成されないのだ。
ならば俺は受け入れよう。
そしてそれを餞にして、ヒストリアよ滅びろ永遠に。
タカベはゆっくりと目を開けた。
・・・
目の前には戦闘服を着た小さな兵士が、両手を広げて立っていた。
・・・
のび太は突然、音のない世界に飛び込んだ。眼下には銃を杖にして弱弱しく立っているタカベの姿。そこから数メートル離れたところに銃を構えた2人の兵士。
『タカベの首を――』
いいえ、ロイ。それはできないんだよ。だって僕がこれから『責任』を果たすんだから。そしてタカベさんは『自由』を生きるんだ。そりゃ僕だって、少しだけ不便になるかもしれないけれど、その後僕にだって自由が来るんだぜ、ロイ、ロイ――
のび太はタカベの目の前に着地する。足元からもうもうと砂煙が上がった。突然のことに何が起きたのか把握できないトリユ兵士。けれど指に込めた力は既に不可逆であり、左右それぞれから放たれた銃弾は素早くそして正確に、のび太の体目掛けて中空を切り裂いた。
「 ・・び太・・ぁ ・・!」
リツブの上空でジャイアンが悲鳴のような声を上げているのが遠く聞こえる。スネオも、大声で喚き散らしながら瞬間接着銃を放つのだけれど、それより一瞬先にトリユの兵が引き金を引いた。
タカベの目に映る。横顔だけを見せて自分に笑いかける少年の笑顔が。タカベはその肩を掴んで払いのけようとするのだけれど、体には塵とも力が入らない。
銃弾は中空を舞う。
のび太は瞳を閉じて、遥か地球へと思いを馳せた。
(なんだっけ……)
『僕ができるのは道案内まで!』
ちぇっ、こんな時に思い出すのがドラえもんの言葉かよ。
冴えないなあ。
でもまあ、いいか。
あいつとの付き合いも短いようで長かったような、
長かったようで短いような、ええと、
もうよく分かんないや。沢山ケンカもしたっけか。
『ケチ!』
『分からず屋!』
ああほんとに僕は、分からず屋だったかもしれないよ。
でもドラえもん、お前も随分ケチだったぜ。
ドラ焼き分けてくれたこと、一回でもあったか?
おやつの取り合いもしたっけ。
それでも。
何度も家出の手伝いをしてくれたよね。
今回のこともちゃんと話せば分かってくれたのかなあ。
――もうどうでもいいか、そんなこと。
ドラえもん。
もう一回キミと空を飛びたかったな。
ドラえもん。
ドラえもん……。
「ドラえもぉぉぉーん!!」
「キミは本当に泣き虫だな」
【続く】
キタアアアアアアアア!!!
ドラえもん、ドラえもん…!!