「トリユとパルスタの関係について、どのあたりまで知っているのですか?」
「えっと、30年前にパルスタが国を統一して、それから20年後にトリユが独立して、それからトリユに行く人が増えて、1年前に宣戦布告を受けて……」
天井を向きながらタカベとロイの言葉を頭の引き出しから引っ張り出す。細かい部分ははしょったが、大体外れていないはずだった。
「そうですね。大枠はそれで合っています。けれど真実というものは往々にして細部に宿っているものです。細部、それこそがこの戦争を紐解く鍵になるのです」
時折難しい言葉を交えながら男は語る。細部?ロイとタカベが語っていない事実が何かあるっていうの?その時不意にのび太はタカベの言葉を思い出した。
『国家には国家の論理がある』
あの時聞いたのは、トリユの論理。そうだとするならば、これから語られるのはパルスタの論理なのだろう。のび太は注意深く耳を傾けた。
「トリユの先代国王……現国王ロイの父親ですね。トリユは彼の立ち上げた国です」
「それは知ってる」
「最初は小国でした。それはそうでしょう、いくらパルスタが厳しかったといえ、何もないところから国を立ち上げる何て無謀もいいところです。その苦労は相当のものでしたでしょうね。それでも彼は血を吐くような努力を重ね、ついに何もなかったトリユの地に人が住めるだけの土壌を築き上げる。トリユの第一歩です。ところで君、先代がトリユを立ち上げることができたのはどうしてだと思います?」
出し抜けにそんなことを聞かれた。あまりにも理解に苦しむその質問にのび太は憮然とした様子で答える。
「だから、ロイの父さんが頑張ったからでしょ」
「それは二次的要素です。そもそも頑張るためには、その基盤が必要なんですよ」
「どういうこと?」
「知識ですよ。作物を作り、建築の基礎を知り、絶やさずに火を起こすスキルを持つ。それがあって初めて『頑張る』土台ができるのです。そして、その知識を与えたのがパルスタの教育なんですよ」
勉強と、教育。二つの言葉は似た意味合いのはずなのに、実際に耳にするとその響きは全く異なって聞こえた。
「自由に、そして扶け合う……でしたかね。トリユの国訓は。素晴らしい標榜だと思います。それはパルスタもトリユも関係なく目指さなければならないでしょう。おそらく最初の何年かはそれを実践できていたんでしょうね。国を立ち上げる何て、一人でできることではありませんから」
「……」
ヒストリアに来た当初、ドラえもんの道具を駆使して何の苦労もなく生活環境を整えたのび太には耳が痛かった。のび太はこの時、自由は本来絶え間ない苦労の末にあるものだと知る。
「自由を担保するものは何だと思いますか?」
「え?た、たん?」
「責任ですよ。誰も彼もが自由に過ごして、そんなので共同生活が成り立つわけないじゃないですか。誰かの自由を支えるために誰かが少し我慢する。その代わりに誰かが我慢してくれたお陰で、新たな自由を手にする。そうやって少しずつ扶け合っていったから、自由国家トリユは誕生したんです」
男は淡々と、諭すように語り続けた。
ふと放課後の掃除のことを思い出した。月に一週間だけ割り当てられる掃除当番。その時はものすごく面倒だけど、よく考えたら残りの三週間は他の誰かがやっているんだよな――そんなことを思った。
(もしかしてそんなことを言っているのだろうか?)
考えながら男の顔を見るのだけれど、その表情からは何も読み取れない。
「しかしながら、トリユの自由は段々と歪になります。建国に協力した者以外の民が増えすぎたんですね。新しい移民者からすればたどり着いたトリユは何もない大地ではなく、最初から国家として『そうあるもの』として存在しました。当然、その裏にある苦労も辛酸も知りません。パルスタで厳しくされた分、働きもしません。傲慢な自由ですね。先代国王も何度か方針を変えようとしたらしいのですが、まあそれはできないでしょう。何せ、そこで労働を強いたらパルスタと同じなんですから」
「で、でも!そんなのって後から来た人があんまりにも勝手じゃないか!」
「それを許したのは、トリユでしょう」
口調は優しかったが、厳しい言葉だった。
「働かない。頭を使わないから知識は消える。人はどんどん増えていく。当然国家は立ち行かなくなる。そうして先代国王が死んだ2年ほど前から、トリユの民による略奪がパルスタ国内で起こり始めます。楽して生きようとした人間の成れの果てですね。悲しいことです」
「略奪って、そんな……」
「信じられないですか?でも君、トリユで少しでも畑を見ましたか?まあ元々あそこは農作業にはあまり向いていない土地ですがね。信じる信じないは自由ですが、とにかく私の語る『事実』はそうです。幾ら歯牙にも掛けない小国とは言え、そこまでされたらパルスタも黙っていられません。遂に1年前、宣戦布告を行なった、というわけです」
語られなかった細部。それはあまりにも厳しい――そう感じてしまうのは、のび太の幼さ故なのだろうか。のび太はゆっくりと考えながら、思い出す。トリユの人たちの顔に覇気がなかったのは、何も戦争だけが理由ではなかったのかもしれない。
「君は素直な少年ですね」
見上げると、縛られているというのに男は笑っていた。
「突然悲しそうな顔になりました」
悲しくない、といえばそれはウソになる。トリユはのび太の求めた社会そのものだったのだ。けれどその実態はあまりにも悲しく業が深く――
「大事なのは自分の信念を見失わないことです。トリユの人だって、ぐうたらしてる人ばかりじゃないでしょう。こうやって戦争になれば戦う人もいる。私の言葉だけを鵜呑みにしては危険ですよ」
腐したり持ち上げたり、目の前の男は一体どういう神経をしているのだろうか。のび太は不思議に思いながらも、何だかおかしくなった。
「それにもうすぐ、この戦いも終わります」
「え?」
「タカベが討ち取られますからね――」
「どういうこと?!」
勢い込んでのび太は叫んだ。そのあまりの剣幕に、男が初めて表情を崩す。
「タカベがいなくなればこの戦争は終わるんですよ」
「でたらめ言うな!」
「本来であれば、敵軍の指揮官を討ち取ったくらいで戦争は終わりませんよ。ロイ国王――彼を討ち取るか、あるいは国家が降伏するか。そのどちらかです。でもね、『こと』はそう単純じゃないんですよ」
「うるさい!うるさい!」
「聞きなさい!」
男はピシャリと言ってのけた。その鋭い声に、思わずのび太は体を硬直させる。
「知っているかもしれませんが、タカベは元々パルスタの民だったんです。それが1年前、丁度宣戦布告を前後してトリユに渡りました」
知らなかった事実だ。1年前だって?てっきりタカベはもっと以前からトリユに移民したものとばかり思っていた。
「パルスタとしては最初、宣戦布告さえしてしまえば簡単にトリユは軍門に下ると思っていたのです。しかしそれを阻んだのがタカベだった。彼はろくな兵力もなかったトリユに渡り、戦闘のイロハを一から仕込んだ。トリユにも名が響いたタカベでしたからね、皆諸手を挙げて歓迎したことでしょう。逆に言えば、タカベさえいなければ、そもそもトリユには戦争をする術すらなかったんです」
のび太は言葉を発せないままでいる。
『血だよ。戦闘しろって騒ぐんだ』
先ほどのタカベの声が耳朶に蘇った。
「タカベがトリユに渡った理由、それはおそらく怨恨なのでしょう。君もタカベの父親のことは聞いたんじゃないですか?」
思い出す。迫害され、差別された不遇の兵士。もしもその意趣返しとしてトリユに渡ったのだとすれば。
「その怨恨が続く限り、譬えトリユが潰れても意味がないのです。いつしか問題は『トリユを抑えること』から『タカベを消すこと』に擦り替わっていました。結局タカベが生存し続ける限り、第二第三のトリユが現れ続ける可能性があるのですから」
タカベの言った言葉、戦争という因果の螺旋――。あれは、もしかしてそういう意味だったのだろうか?ヒストリア人であり続ける限り、戦争はなくならない。タカベは確かにそう言った。
「でも、そうだとしても。タカベさんがそう簡単にやられるわけがない!」
のび太はポケットにしまったタバコの箱を握り締める。タカベとの再会の記し、タカベはタバコを吸うためにきっと戻ってくる。のび太はそう信じていた。
「……普通にやればそうでしょう。けれどいかに屈強な兵士といえども背後から撃たれたら」
「え?」
「死ぬだけです」
『タカベの首を差し出しましょう』
ミヤイの言葉が捕虜の言葉と結びつく。
「もしかして……」
「トリユの首脳は、承諾したそうですよ。」
言葉を最後まで聞くことなく、のび太はテントから飛び出した。
・・・
「スネオ!ジャイアン!すぐに来てくれ!」
糸なし糸電話に怒鳴りつけながらのび太は走った。その間に幾人かの兵士が何事かとのび太の方に振り返ったが、最早視界には映らない。
「のび太、どうしたんだ?」
中央のテントに辿りつくと、外にはスネオとジャイアンが立っていた。
「すぐにタカベさんのところに行こう!」
「おい、どういうことだ?」
「このままだとタカベさんが殺されちゃうんだよ!」
その声に周りにいた兵士も一斉に振り向く。
「何だって?!タカベさんがどうして!」
「説明してる時間はないんだ!ねえ、タカベさんはどっちに行ったの?!」
近くにいた兵士を捕まえて、のび太は問い質した。
「ぱ、パルスタの城だよ。途中にある軍本部を一気に突き抜けて、城まで攻め入るつもりらしい」
それだけ聞いくと、のび太はタケコプターを付けてタカベのいたテントへと飛んだ。
テントには誰もいなかったが、幸いにもランタンの火は落とされていなかった。のび太は無言でずんずんと中まで入ると、広げられていた地図に目を落とす。
(パルスタは……ここだ!)
「おいのび太!きちんと説明してくれよ!」
「そうだよ!わっけわかんねーよ!」
声にのび太が顔を上げる。その表情は泣いているような、怒っているような、複雑な色を浮かべていた。
「ロイが、裏切った」
「ええ?裏切ったってお前……」
「タカベさんを殺したら戦争を止めてやるってもちかけられたんだ!ロイは、それに乗った!」
涙交じりの声でテントを飛び出す。むせ返るような暑さがのび太を包んだ。途端に汗が噴き出す。 ベト付いた手でポケットの中のタバコを握ると、のび太は星を纏って空を飛んだ。
のび太は、タケコプターを最大出力にして夜空を切り裂く。発砲音は未だ耳に届いてこない。パルスタ軍の本部まではおよそ20km。タカベと別れてからはおよそ2時間は経過している。ふと見ると、東の空が薄っすら白くなり始めていた。
「……び……の……!」
遥か後方から2人の叫ぶ声が聞こえる。のび太は待とうとする素振りも見せずにケンジュの草原を突っ切った。
…タタ……タ…タタタ……
(聞こえた!)
音と同時に前方に漆黒の広がりが現れる。おそらくあれがパルスタの眼前に広がるリツブの森だ。そしてタカベも、そこに。
のび太は速度を落とすことなく、斜め下に向かって降下した。
【続く】
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