「…てぇぇ!」
地を這うように低い声だった。タカベは指示と同時に土を踏み付けて立ち上がる。兵たちはタカベの声を聞くが早いか、暗闇に慣れるために瞑っていた瞼をこじ開けると立ち尽くすパルスタ兵に向かって小銃を掃射した。最初にウガクスに赤く瞬いたのはタカベの一発、続いて数百のマズルファイヤーが森を左右に広がっていく。赤く激しく明滅するその光は、パルスタの兵士を次々となぎ倒して行った。
「右舷!左舷!留まるな!展開しろ!」
タカベが叫んで左方に転がった次の瞬間、パルスタ兵が掃射した銃弾が光の渦となり、タカベが先刻までいた場所に植わる草木をミンチにする。完全に乱戦にもつれ込んだが、パルスタ兵は先ほどまで余裕の雰囲気を醸していただけに、その混迷の度合いは大きい。先手は取った、後は蛸壺から出てきた兵を始末するだけだった。
「走れ!走りながら撃て!」
地理的条件もトリユに味方した。森の迷彩、生い立つ木々、加えて今は夜である。ケンジュにぽつねんと立ち尽くすパルスタ兵には、トリユの弾がどこから飛んでくるか把握できるはずもない。草原からでたらめな調子で銃撃がやってくるが、銃弾というのはそもそもかなり小さいものである。狙いも付けずに発射してもそう簡単に対象に命中するものではないのだ。大半の銃弾はパルスタ兵の願い虚しくウガクスの木々を削り取るばかりだった。
「馬鹿者どもが……!引けぇ!倒れた兵はもう見捨てろ!とにかく引けぇ!撤退だっ……」
森の暗闇に一つの明かりが灯る。温かみはなく、ただただ激しい真っ赤な灯り。そこから発せられた鉄の礫は闇に溶け宙に舞い、ケンジュの大地で声を限りに叫んでいた指揮官の脳漿を正確に吹き飛ばした。確認はしない、手応えはトリガーを引いた瞬間に感じているのだから。タカベは小銃を撃った次の瞬間、再びウガクスの闇を駆け出した。
・・・
タカベが前線にやって来た時、物量に劣るトリユの軍勢は完全に劣勢の状態にあった。加えてパルスタの兵は蛸壺に身を隠しながら射撃を行なっていたため、幾ら撃ってもそ中々弾が当たらない。このままいくと徒に兵力が減耗していくのは自明だ、と考えたタカベは、兵たちに大胆な作戦を指示する。
『何もせずに伏せてろ。弾が当たっても声を出すな』
タカベは、パルスタ兵に『トリユの兵が撤退した』と錯覚させて蛸壺から引きずり出そうと考えたのだ。トリユ兵は指示通りにウガクスの闇に溶けて沈黙する。最初の内はパルスタからの銃撃が止まず、幾らかの銃弾は伏したままのトリユ兵に突き刺さった。それでも兵はタカベの命令を忠実に守り、声は上げない。そのまま絶命した兵も幾十人――。
(ここだ……)
沈黙を保ってきっかり三十分後、タカベは遥か前方に手榴弾を放った。慌てて顔を伏せ、光を見ないようにする。そして耳をつんざく大音声。次いで右舷、左舷からも爆発音が聞こえ、大地が鈍く鳴動した。タカベの思惑にはまり、蛸壺からぞろぞろと沸いて出る兵士。まだだ――もう少し、あと少し引きつけろ――もう2メートル――1メートル――
「…てぇぇ!!」
・・・
これが、この数分の間に起こった全ての事実。
結果パルスタの先行兵、その9割がケンジュに滅した。
「撤退したか!?」
駆けていた足を止め、タカベは誰ともなしに叫んだ。ケンジュからの銃撃は既に止んだようであったが、未だ油断はできない。タカベは身を低くしてケンジュの様子を窺うべく目をこらした。兵の姿はない……かに見えた次の瞬間、直近の蛸壺に駆け寄るパルスタの兵の姿が見えた。
馬鹿な、単独で一体何ができる――?
タカベはそんなことを思ったが、その兵士のシルエットを見て戦慄した。小銃よりも随分でかい重火器を持っている。
そう、あれはおそらくパンツァファウスト――
(あんなもん撃ち込まれたら何人吹き飛ぶか分からんぞ!)
思考より体が先に動く。DNAに刷り込まれた流体力学が、ごく自然な動きでタカベに小銃を構えさせた。一瞬でパルスタ兵に狙いを定めると、タカベは無感情にトリガーに力をこめる。けれど小銃からはガチリ、と乾いた音がするばかりで銃弾が発されなかった。
「クソッ、ジャミング(弾詰まり)しやがった!」
一気に感情が昂ぶる。見るとパルスタ兵はパンツァファウストを携えて今まさに蛸壺に飛び込むところだった。撤退だ――いや、間に合わんか――どうする――!
「伏せろぉぉぉ!」
「ドカン!」
タカベの叫びと同時に遥か頭上から大きなダミ声が聞こえた。一瞬後に草原の方からドウッ、という音が響く。タカベがケンジュに目を遣ると、先ほどパルスタ兵が飛び込んだ蛸壺からもうもうと土煙が上がっていた。
(今の声は……ジャイアン君か?!)
一体何が起こったのか、もはや分からないと言うつもりもない。聞き覚えのある彼の声。トリユ軍のキャンプにまでやって来たのび太たち。そして彼らの持つ不思議な力、道具――そして目の前の土煙と、パルスタ兵の沈黙。
(また、助けられてしまったな)
苦笑しながら天を仰ぎ見る。木々に覆われて空はほとんど見えなかったけれど、僅かに覗いた葉の隙間からのび太たちがこちらに向かって降下してくるのが見えた。
「タカベさん!」
ジャイアンが空気砲を放ったが早いか、のび太はウガクスの森へと降下した。暗視ゴーグルを着けているとは言え、星の明かりもまばらにしか届かない暗闇の中ではその機能は期待するほどの役割を果たさない。草むらに降り立ったのび太は即座に周りを見渡し、タカベの姿を探す。
「タカベさん!タカ……」
その時、後ろから腹部に何か硬いものが押し当てられるのを感じた。決して大きくないそれは棒状、いや筒状の何かで、おそらくは……。のび太は全身からどっと冷や汗が出るのを感じた。
「戦場で大声を出すなよ、のび太くん。狙ってくれと言っているようなもんだ」
言葉と同時に禍々しい感触が消え去る。確かめるまでもない、それはタカベの声だった。
のび太が振り返ったそこには、全身が土にまみれたタカベの姿があった。彼のトレードマークであるバンダナは今にも解けそうになっている。おそらく木々を駆け抜けたからだろう、戦闘服から露出された手足には無数の擦り傷があった。それら全てがここで行なわれた戦闘の激しさを雄弁に物語っている。
「タカベさん!」
のび太は先ほどからそれしか口にできない。
『さっさと帰れ』
3人を突き放すように発せられたその言葉が、今も鼓膜にこびり付いている。
「タカベさん、俺、俺たち……」
いつの間にかやって来ていたスネオとジャイアンの声が背中越しに聞こえた。彼らも、それ以上の言葉は接げないでいる。その時タカベが無言で腕を上げるのが見えた。
(ぶたれるのかな)
その痛みも甘受しなければならないのかもしれない。遊びではなくこれは戦争。誰よりもその言葉の意味を知っているタカベの言いつけを、僕たちは破ってしまったのだから。のび太は奥歯を噛み締めて目を閉じた。
「ありがとう」
突然、頭の上に感触が生じた。タカベの手は大きくてゴツゴツしてて、でも暖かかった。髪の毛をくしゃくしゃと撫でられていると、火薬の香りが微かにのび太の鼻腔をくすぐる。ぶたれるものばかりだと思っていたのび太は、目を丸くしてタカベの顔を見上げた。タカベはのび太の言わんとすることを視線で察しゆっくりと口を開く。
「言ったろ、君たちの気持ちは、理解できるって」
その言葉に、ナシータでスネオの頭をくしゃくしゃと撫でたタカベの姿が蘇った。
「無茶ばかりする子たちだ」
暖かく笑いながら、なおものび太の頭を撫で続けるタカベの顔を見上げる。
「…っきてて……生きてて……よっ、よかた……」
涙が溢れた。止まらなかった。
「タカベさん!パルスタの敵影はもう見えません!撤退した模様です!」
嗚咽の止まらないのび太の耳にトリユ兵の声が届く。頭上の暖かな感触がそこで消えた。
「のび太くん、スネオくん、ジャイアン。君たちの助けがなければ一体どのくらいの被害が増えたか分からない。本当に感謝している。ありがとう」
タカベが深々とお辞儀をする。しかしそれも一瞬のことで、頭を上げたタカベは再び軍人の顔つきを取り戻していた。
「我々はこれからパルスタに進軍する。再びケンジュに突っ込まれたら今度こそ防衛できないだろう。夜明けを待ちたいところだが、生憎そんな余裕すらないんだ。 だから――」
「で、でも帰りませんよ!」
タカベの言葉が終わる前にのび太は声を荒げて答えた。
「僕たちだって、役に立てるんだ!」
スネオものび太を後押しする。ジャイアンも一歩前ににじり寄った。
「タカベさん、俺らの道具の凄さは分かってんだろ?今は少しでも兵力が欲しいんじゃないのかよ!足手まといにはならねえ、約束する!だから……」
「帰れなんて言わないさ」
「……タカベさん」
その時、トリユの兵が突然割り込んできた。おそらく本来ならならば、こうやって悠長に話している暇すらないのだろう。タカベが何やら早口で兵士に指示を出すと、再び4人だけの世界になった。
「お願いがあるんだ。君たちにはウガクスの森を守るのを手伝って欲しい」
「ウガクスを?」
「ああ、俺たちはこれからパルスタに乗り込む。けれどその間隙を突いてパルスタ兵がトリユに乗り込まないとも限らない。だから、残る兵と一緒にここで防衛ラインを築いて欲しいんだ」
「タカベさん――」
野球で失策しては詰(なじ)られ。
テストで0点を取っては叱られ。
未来道具を使っては失敗し。
いつも誰からも、バカにされていた。
そんなのび太に寄せられた、最強の軍人からの信頼の言葉。
「任せて下さい!僕が、僕たちがいる限り、トリユには蟻の一匹だって通しません!」
力強く言い切ったのび太を、タカベが優しい眼差しで見遣った。
「よし、じゃあまず傷病兵の回収を手伝ってくれ。スネオくん」
「は、はい!」
「僕をトリユまで運んだ時、僕の体を軽くしてくれた道具があったね。あれを使って倒れた兵士の体を軽くしてくれないか?」
「はい!」
スネオは嬉しそうに頷くが早いかすぐに駆け出した。
「ジャイアンもそれを手伝ってあげてくれ。君なら2、3人は担げるだろ?」
タカベはそう言って挑戦的な笑みを浮かべる。
「バッカにしないでくれよ!5人は軽いって!」
このようにして人の心の機微を読むのに長けているというのも軍人としての必須条件なのかもしれない。
「さて、のび太くんだが……ちょっと付いてきて欲しい」
「え?」
戸惑うのび太をよそに、タカベはスタスタとケンジュに向かって歩き始めた。のび太は慌ててその後を追う。
「この塹壕だな」
たどり着いた先は、空中からジャイアンが空気砲を放った塹壕の目の前だった。のび太の視線の先にパルスタ兵がぐったりと倒れているのが見える。空気砲には殺傷能力が備わっていないから、おそらく気絶しているだけなのだろう。ぽつねんと倒れた兵士を見ていると、タカベがその中にぴょんと飛び込んだ。
「しかしまあ、よく暴発しなかったもんだ」
何かしらぶつぶつと呟きながらタカベが塹壕の中で動いた。どうしたんだろう?というように見つめていたのび太だったが、目の前にいきなり真っ黒な物体を突き出され、驚きの声を上げる。
「わ、わ!な、何ですか?」
「ちょっとそれ持っててくれないか?」
強引にその物体を受け渡される。ズシリとした重みが、腕全体にのしかかった。思わずふらつきそうになる足ををぐっと堪える。
「なんですかこれ!?」
「パンツァファウスト。ま、大砲みたいなもんさ」
事も無げに言いのけるタカベだったが、思わずのび太の目の前がクラクラした。
(子供に大砲を持たせるなんて、一体どういう神経をしてんだろ?)
そんなことを考えていると、タカベがパルスタの兵を負ぶって塹壕から這い上がる。
「よし、じゃあ一旦森に戻るぞ」
「タカベさん、その人は?」
背負われたパルスタ兵を見つめながら、のび太が怪訝そうな声を出した。敵を背負うなんて、一体――そんなのび太の疑問を察したのか、タカベが歩きながら口を開く。
「あのままあそこに寝かしとくわけにもいかんからな。かと言って殺すわけにもいかないだろ。ホリョ、ってやつだよ」
「ホリョ?」
のび太が間抜けな声を出した。その声にタカベは苦笑しながら「ま、人質みたいなもんだよ」とあっけらかんと答えた。
「傷病兵の回収、ならびにパルスタへの進軍準備、整いました!」
森に着いたと同時に、ピンと背筋の伸びた兵士がタカベの下に駆け寄る。分かった、と静かに呟いたタカベは、手近なトリユ兵を呼ぶと背中に負ぶったパルスタ兵を引き渡した。
「のび太くん」
タカベはバンダナを巻きなおしながらのび太を見据える。
「君の仕事は、あの捕虜の見張りだ。もちろんそれだけに縛られることはない。戦場で求められるのは柔軟さ、臨機応変な機転だ。ヤバいと思ったらすぐ逃げる、仲間がピンチだったら何を置いても助ける。軍人の鉄則だよ。いいね、忘れちゃいけない」
タカベはそれだけ言うと、親指で自分の眉間をぐい、とこすった。眉間に付いたひし形の傷痕はかなり深そうだったが、そういう仕草をとるあたりタカベ自身は結構気に入っているのかもしれない。
「分かりました。でも、約束して下さい!」
「なんだ?」
「……軍人の鉄則。ヤバいと思ったら、すぐに逃げて下さいね」
予想外の言葉にタカベはきょとんとした顔になったが、すぐに参ったなという風に笑った。
「笑わないで下さい!ね、タカベさん。約束ですよ」
タカベはそれには答えず、無言でポケットから吸いかけの煙草の箱を取り出す。何だろうと思って見ていると、タカベはそれをのび太の手の中に押し付けた。 のび太の父親はチェリーという煙草を吸っていたが、手の中にあるのは全く違う煙草だった。
「なんですかこれ?」
「俺はな、ヘビースモーカーなんだ。一日に三箱は吸う。俺の生活からタバコがなくなりゃ、まあ死ぬな。で、そいつは最後の一箱なんだ」
「タカベさん……」
「大切に持っといてくれよ。折角生きて帰ってきても、そいつがなかったら俺は死ぬぜ」
その言葉に、のび太とタカベは盛大に笑った。
「じゃあ俺は行くよ。少々喋りすぎた」
タカベが小銃を抱えなおす。のび太はその言葉に無言で頷いた。
「兵士を、トリユを、頼んだぞ!」
瞬間にタカベは駆け出す。森の中は深い暗闇だと言うのに躓く様子すらなかった。のび太が暗視ゴーグルを掛けてタカベの背中を追うと、視線の先にはうすぼんやりと何百かの兵士が待機しているのが見えた。
「……!……スタ……う……!」
何事かタカベが大声で叫ぶ声が、遠くに聞こえる。次いで、大勢の男が雄たけびを上げた。
「……進軍……!!」
トリユ兵が集団の群影となり、ケンジュを北に駆け出す。のび太はその様を遠巻きに見ながら、静かにそして丁寧に……敬礼した。
【続く】
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右翼!左翼!が適当かな?