のび太は公民館から全力で駆け出した。松明の薄暗い明かりでは足元が覚束ず、何度もコケそうになった。けれどその度に足を踏ん張ってタカベの家まで駆け抜けた。
「のび太さん!」
入り口のところで静が驚いたような声を上げる。のび太はハアハアと荒い息をつきながら、少しだけ深呼吸すると静に向かって笑顔を見せる。
「僕は今から、タカベさんのところに行ってくる。スネオとジャイアンは、どうするか分からない。しずかちゃんは公民館で傷ついた人の手当を手伝ってて欲しい」
「そんな!無茶よ!本当に死んじゃうかもしれないのよ!」
「分かってるよそんなの!でも、僕にだって分からないけど、分からないけど、ここでじっとはしてられないんだ!助けたいんだよ、タカベさんを!トリユの人たちを!」
のび太は大声で叫びながら、どうしてこんなに自分が必死なのかを考えた。ふと、今日の昼間のことを思い出す。
『タカベさんの守りたい自由と、そして僕が求めた自由と
そこの間には、きっと何の違いもない
それだったらタカベさんを守ることは
僕の自由を守ることなんだ』
ああ、そうなのか
タカベさんはきっと、僕だ
そんなことを言ったらタカベさんは嫌がるかもしれないけれど
ごめんなさいタカベさん
今はそう思わせて下さいね
タカベさんは僕で、僕はタカベさんで
そういう風に思ったら何だか勇気が湧いてくるんだ――
「のび太ぁー!」
背中から聞こえる聞きなれた声。振り返らなくても誰かは分かる。のび太は静に向かって無言で頷くと、タカベの家の中に入った。
部屋の奥に入ったのび太は手早く道具の山に手を突っ込んだ。まず手にするのはショックガン、次にタケコプター。念のためにグッスリガスも持っていくことにした。それと――
「のび太!空気砲も出せ!」
背後でジャイアンが叫んだ。頷いたのび太は、空気砲と瞬間接着銃、それとタケコプターを2つ取り出す。のび太はその他にもいるものはないか、と道具の山を漁った。
「ジャイアン!のび太!こっち向いて!」
振り返った瞬間にバチン、とこの星に来て何度も耳にした音が鳴った。思わず自分の体を見る。そこにはタカベが着ていたのとほとんど同じデザインの戦闘服があった。
「やっぱこういうのは、形からも入らないとね」
そう言ってスネオがはにかむように笑う。タカベと同じ格好になると、一層力が湧いてくるような気持ちになった。
「おいスネオ、この頭に付いてるのはなんだ?」
「それは暗視ゴーグルだよ。夜でも周りが見えるようになるんだ。て言っても見よう見まねで描いたから、上手く作動するかは分からないけどさ」
「スネオ!後の道具は適当に見繕っといて!」
残りの仕事をスネオに任せると、のび太はタケコプターを頭に付けて夜空に飛び立った。行く先は、中央会議場。暗視ゴーグルはスネオの心配とは裏腹に、きちんと作動してくれた。
眼下に会議場を見る。うっすらとではあるが、明かりが漏れていた。おそらくロイはあそこにいる……のび太は高度を落とし着地すると、走って会議場の中に入った。
「ロイ!」
会議室ではロイとミヤイが地図を広げて話し込んでいた。その方にのび太はつかつかと近づいて行く。
「何だ貴様は!今は会議中だぞ!」
ミヤイの怒声を無視して、のび太は地図を覗き込んだ。
「タカベさんは!」
「え?」
「トユリの軍隊は、今どこにいるんだ!」
のび太は一気にまくし立てた。あまりの剣幕に怖気づいたのか、ロイは「ここに」と呟いて地図の一点を指差す。ケンジュからウガクスの森に少し入ったところ、そこにトリユの軍本部が展開されているとのことだった。
「分かった!」
それだけ確認すると、のび太は会議室を後にする。呆然としていたロイだったけれど、去り行くのび太の姿にようやく平静を取り戻したのか、慌ててのび太の後ろ姿に声を掛けた。
「の、のび太くん!まさかそこまで行こうってんじゃないだろうね!」
「ああ、その通りさ!」
「無茶だ!子供の遊びじゃないんだぞ!」
唾を飛ばしてロイが叫ぶ。ミヤイは口の端を持ち上げて侮蔑的に笑っていた。
「……無茶でもなんでも、僕には守りたい人がいるんだ!」
それだけ言ってのび太は会議室を後にした。
「馬鹿な子供だ」
「……」
「国王。とにかく先ほど申し上げた通りです。パルスタの密使の言うことに従いましょう」
開戦から既に6時間。
それぞれの思惑が、静かにゆっくりと動いていく。
・・・
「のび太、早く行くぞ!」
タカベの家の前に戻ると、スネオとジャイアンはすっかり準備を整え終えていた。
「本当にいいのかい?無理して君らまで僕に付き合わなくても」
「バーカ、それはこっちのセリフだっつーの」
「そうそう、のびちゃん一人で何ができるって言うの?運動神経も全くないくせに!」
2人は軽い調子で言い合って、のび太を笑い飛ばした。普段なら腹を立ててしまうようなその言葉は、今日だけは妙に嬉しい。のび太は笑いながら「うるさいなあ!」と言うと、拳を上げる素振りを見せてまた笑った。
「行くか……」
ひとしきり笑い合った後にジャイアンが静かに呟く。のび太とスネオも無言で頷いた。
「スネオ、この暗視ゴーグルちゃんと使えたよ!」
「よし、じゃあそれを着けて出発だ!」
トリユの夜空に、地球から来た小さな兵士が3人、勇ましく飛び立った。
「方角はどっちだ!」
「タカベさんの家があそこで、僕らが抜けてきた森の出口があそこだから……左だ!」
「本当に大丈夫かよ、のび太のナビで!」
自信があるとは言えなかったけれど、さっき見た地図は必死で頭に叩き込んだはずだ。それに戦闘が繰り広げられているのならば、嫌でもそのマズルファイヤーは目に付くはずだった。3人は無言で速度を上げる。
「スネオ、ジャイアン!あそこ!」
叫んだのび太が指し示した先、森の中。
おそらくトリユの野営であろうか、うすぼんやりと光っている部分があった。暗視ゴーグルでその光が増幅され、とりわけ目立った。
「降りよう!」
「待て、のび太!このまま降りたら僕らが敵と間違われない保障もない。これ、被れ!」
そう言ってスネオが2人に何かを手渡す。見ると、それは石ころ帽子だった。
「よくこんな物持って来てたなあ」
「かくれんぼの時にでも、一人でこっそり使おうと思ってたんだよね」
この時ばかりは、のび太はスネオのこすい考えに感謝した。
姿を消してトリユ軍本部に降り立つ。ピリピリとした空気が辺りを包んでいた。テントの入り口には見張りと思しき兵士が2人立っていた。3人はその間を堂々と歩いてテントの中に入る。中では、タカベが難しい顔をして地図を睨んでいた。その顔を見ると、のび太の胸にじんわりと暖かいものが広がっていく。
「タカベさん……」
思わず声が出た。タカベがその声に即座に反応すると、脇においてあった小銃を目にも止まらない速さで構える。
「誰だ!」
「ぼ、僕です、のび太です……」
「のび太くん……?」
そこでのび太はようやく自分が石ころ帽子を被ったままだと気が付いた。相変わらず小銃を構えたままのタカベを前にしてのび太、そしてスネオとジャイアンは帽子を脱ぐ。
「タカベさん、来ちゃいました……」
そう言ってえへへ、と笑うのび太。突然現れた3人の姿に一瞬ぽかんとした表情になったタカベだったが、すぐに怒ったような表情になって怒鳴った。
「何をやっているんだ!こんな所で!いいか、これは遊びじゃないんだ!戦争なんだぞ!すぐにここから帰れ!」
「そ、そんなことは分かってます!戦争だってことくらい、分かってます!それでも僕はタカベさんを守りたくって!」
「俺を守る?ふん、俺も見くびられたものだ。こんな子供に守られようなんてな」
タカベは自嘲気味に笑った。その様子にショックを覚えるのび太。自分たちがやって来たら喜んで迎え入れてくれるに違いない、そんな思いがどこかにあったのだろう。けれど実際に目の前に出てきたタカベは、昼間見せた表情とは全く違う、軍人の佇まいだった。最強の傭兵の息子の顔だった。
「気持ちは嬉しい。けれどな、戦況は君たちがやって来たくらいでは変わらないんだ。それに君たちはトリユとは何の関係もない」
「関係なくなんてない!」
タカベの言葉を遮ってのび太は言った。
「トリユの人たちが目指した社会は、僕が地球で夢見た社会と全く同じものでした。そして今、それが脅かされようとしている。それだけじゃ理由になりませんか?理由にならないんだとしたら、じゃあ、タカベさんが戦う理由って、一体何ですか?」
「俺が戦う理由……」
「隊長!一次防衛ラインが突破されました!」
テントの中に兵士が飛び込んでくる。のび太たちのことを見て一瞬怪訝な顔をしたが、今はそれどころではないのだろう。荒い息を付きながらタカベの指示を待った。
「残りの兵の数は?」
「正確には把握できませんが、3000は割っています!」
「パルスタの兵は?」
「およそ10000です!」
「分かった、これより前線は俺が指揮を執る!お前もすぐに戻れ!」
やって来た兵に指示を飛ばし、タカベはその場から立ち上がる。もう一度地図を睨み付けると、足早にテントの出口に向かった。
「タカベさん!」
「血、だよ」
「え?」
不意に発せられたタカベの言葉に、思わずのび太が頓狂な声を上げた。
「戦う理由、それは俺の中に流れる血だ。騒ぐんだよ、戦え戦えってな。だから、それが俺の理由だ。自由も、トリユもパルスタも関係ない。俺はただ戦うことが――好きなんだよ」
それだけ言ってタカベはテントを後にした。スネオとジャイアンと、そしてのび太は、冷たく言い放たれたタカベの言葉を聞いてしばらくその場から動けなかった。
・・・
「反撃が止んだな」
パルスタの先行部隊がケンジュに掘った塹壕に身を隠しながら呟いた。
「元々戦力ではこちらがずっと勝ってるんだ。敵さんが黙り込むのも当たり前だろ。ちょっと時間が掛かりすぎたぐらいだな」
「違いないな」
蛸壺の中で兵士が軽口を叩き合う。隣の塹壕から二、三発ほどぱん、ぱんと乾いた発砲音が聞こえたがそれも少しのことで、すぐにまた静寂が闇を包んだ。
「こりゃ、本格的に降参したんじゃないのか?」
「既にウガクスから撤退したかもな」
言いながら兵士たちがククク、と声を絞って笑った。その刹那。
ドオオオオ……ン!
「なんだ?!」
「ウガクスからだぞ!」
兵士が素早く蛸壺から顔を出した。再び轟音が鼓膜に突き刺さる。視界の端に鈍い光を捉えた。次いで、また轟音。
「おい、ウガクスにすげえ爆撃が起こってんぞ!」
「ウガクスに砲撃!?どこの部隊だ?!」
「知るか!けどこれで決定的だろ。直に突撃命令が来るはずだ!」
「そんなの待つ必要ねえよ!おい、手柄は取ったモン勝ちだ!行くぞ!」
「おい!上官の指示を待てって!」
しかし昂ぶり切った兵士は制止を聞くこともなく、うおお、と雄たけびをを上げると蛸壺から飛び出した。見るとケンジュの平原には、暗闇に紛れて数多くのパルスタ兵がウガクスに向かって疾走している。彼はそれを見て苦々しい気持ちになりながらも、功を立てたい気持ちは同じであるらしく蛸壺から飛び出すと前を走る兵士の後に続いた。
「全軍!進軍を止めろ!」
ケンジュの草原に立ち、指揮官が叫ぶ。先ほどから胸騒ぎが止まない。おかしい、そもそもあのような爆撃の指示すら出していないのだ。しかし実際にウガクスの森に三発の爆発が発生した。そして突然起こったトリユ軍の静寂。できすぎている、あまりにも。
「止まれ!止まらんか!」
野生の動物は火を恐れる、と言うが人間はどうなのだろうか。この夜、ケンジュ草原に潜伏していたパルスタの兵士はただでさえ大量に分泌されていたアドレナリンが、先のウガクスの大爆発を見ることによって一気に臨界点に達した。爆発、そして発光。その光景は兵をすくませるのではなく、殺人の本能を一気に鼓舞したのだ。指揮官の声はもはや遥か遠く、どの兵士の耳にも届かなかった。
「一番乗りだ!」
喚声を上げながらパルスタ兵がウガクスの森に足を踏み入れた。せめてもの頼りである月の光も高く生い茂った木々の葉が遮り、森の中は漆黒そのものに包まれている。その後に2人、3人10人とパルスタの兵が続いた。
先ほど起こった突然の爆撃、その閃光。そしてケンジュよりも更に深い闇を孕んだウガクスの森。様々な要素が相まって、パルスタの兵士は完全に夜目が利かなくなっていた。だから彼らには見えようはずもない、暗闇の中に潜んだトリユの兵・数百の姿が。
【続く】
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「トユリの軍隊は、今どこにいるんだ!」
のところです