「あ、タカベさん!」
会議室から出てきたタカベの下にのび太が駆け寄る。ジャイアンとスネオは図書館にあった本を枕にして、机に突っ伏して眠っていた。静はひとり黙々と本を読んでいる。
「待たせたね。さ、とりあえず君たちを寝床に案内しないとな。おっと、その前に」
タカベは静の方を見た。静もそれに気付いたようで、読んでいた本をぱたんと閉じると、真面目な顔つきでタカベの目を見つめ返す。
「さっきのタカベさんの言葉、あれは一体どういう……」
「のび太君が我が国王に瓜二つであるように、静くん、君はパルスタの皇帝・エイレーネーに生き写しなんだ」
やはりな、とのび太は思った。ナシータでタカベが静に見せたあの殺気、そして先ほどの国王の狼狽具合。静もそれはある程度予想していたらしく、ぽつりとそうですか、と呟いた。
「でもさあ、トリユにしてもパルスタにしても、どうしてそんな子供が国王とか皇帝をやってんのかな。おかしいじゃん、だってこんなに沢山大人がいるってのにさ」
いつの間にか目を覚ましていたスネオが脇から口を挟む。確かに考えてみれば、それは不自然なことのように思えた。
「エイレーネー帝は、先代パルスタ帝の一人娘なんだ。数年前に先代が病で急死したから、自動的に娘であるエイレーネーが皇位を継いだのさ。もちろんそれは形だけのもので、実際に政治を指揮してるのは別の人間だがね。傀儡政権、と言ってもいいかもしれない」
「か、かいら……?」
「操り人形ってことだ。王様だけど、何もできない、言われるがまま……ま、パルスタのような大国を年端もいかない子供が指揮できるはずもないから当然なんだけどな。それで、トリユなんだが」
「やっぱりロイさんも、エイレーネーと同じで二代目なの?」
のび太は聞きながら、自分と同じような顔をした人間のことを『さん』付けで呼ぶことには少し違和感があるな、と思った。
「ああ、それもある。けれどトリユの場合、大人があれこれ政治的実権を持つことはよろしくないと考えたんだ。子供の方が自由って言葉に対して貪欲だからね。子供の持つ純粋で、悪意のない意見。それをこの国の指針とする……結果、今の国王がいるってわけさ」
子供の持つ純粋で、悪意のない意見、か――のび太は考えながら、自分が理想した社会がトリユに極めて近いことの理由がなんとなく分かった気がした。
「世襲した二代目国王同士の戦争か。因縁の戦いってわけだね」
「因縁の争い!血で血を洗う抗争!仁義なき戦い!親分ー!」
ひとり苦悶の表情を浮かべ芝居がかった声を出すジャイアンを見ながら、こいつってこんな奴だったかな、とのび太は思った。
「そういうわけだから、静くんはなるべく顔が分からないようにして欲しいんだが……」
「そういうことだったら、な!スネオ」
「任せてよ!」
まとめられた道具の中から手早く着せ替えカメラを取り出すスネオ。紙を広げると、ささっと静のためのイラストを描いた。
「じゃあしずかちゃん、こっち向いて!」
バチン!と音がして静の服装が変わる。ボーイッシュな装いで、頭にはベージュのハットが乗せられている。ご丁寧にメガネまで装着されていた。
「うん、いいね。それで髪の毛をハットの中に上げちゃえば」
「こう?」
言いながら静がお下げの髪を帽子の中に入れ込む。パッと見ただけでは女の子とは分からないような容貌になった。
「しずかちゃん、メガネも可愛いねえ」
のび太がデレデレと笑った。その隙にスネオが何やらカメラをいじったかと思うと、バチン!と音がして一瞬でのび太の服装が変わる。
「わっ!何するんだよスネオ!」
「よっ!国王!」
よく見ると、のび太の服装が先ほど会った国王の服装と全く同じものになっている。
「ほう、こうして見ると本当にどちらがどちらだか分からなくなるな」
その姿を見て、タカベが率直な感想を漏らした。スネオとジャイアンも「よっ!色男!」などと言って持て囃している。
「よし、じゃあ行こうか」
「ちょ、ちょっとタカベさん!僕、このままですか?!ま、街がパニックになるんじゃあ」
「はは、のび太くん。さっきも言ったと思うけど、我が国王はそんなに権威的なものではないんだ。民との中もすこぶるいい。街をふらふら歩いてたとしても、別段珍しいことではないさ。それに」
そこでタカベはいたずらっぽい笑みを浮かべると、腰を落としてのび太の目線に合わせた。
「何か、面白そうじゃないか」
タカベはからからと朗らかに笑った。のび太は未だ納得いかない気持ちだったが、楽しそうに笑うタカベの顔を見ているうちに「まあ、これもいいか」という気持ちになった。
「木の多い国ですねぇ」
坂道を来たほうに下りながら、スネオが率直な感想を述べた。つられてのび太も顔を見上げる。なるほど、確かにトリユの街にはそこかしこに大振りな木が生えている。
「そうかもな。街にある自然は切り崩したりしないようにして家屋を建築してるからな。パルスタはその逆で、路をきちんと整地したり、邪魔な木々はどんどん伐採しているんだけれど」
ふと、のび太は自分の住む町のことを思い出した。昔にくらべるとあの町からも随分緑が減った気がする。かつてであれば他人の庭先に生えた柿の木から柿を盗んだりして怒られたりもしたけれど、今では柿の木自体ほとんど見なくなったように思う。
「ここが俺の家だ。皆はここを自由に使ってくれていい。ま、そんなに大した物はないけどな」
タカベが右手に示した先には、古いとも新しいともつかない木造の家が建っていた。どこか宿か何かに案内されるものとばかり思っていた4人にしてみれば、いきなりタカベの家に案内され少し驚く。
「お気持ちはありがたいんですが……タカベさんはどうするんですか?」
「俺かい?俺はこれからしばらく軍の本部に戻るよ。おそらくしばらくは帰ってこれない。だから気兼ねせずに使ってくれ」
「軍の本部って……」
のび太は再び『戦争』という言葉を思い出した。タカベと談笑しているうちにすっかり失念していたけれど、今トリユ国は戦争の真っ只中にいるのだ。そうだとすれば、軍人であるタカベがいつまでも自宅でゆっくりしているはずはない。それは当たり前のことであるはずだが、しかしのび太は戦場に赴くタカベの姿を想像して暗澹たる気持ちに包まれた。
「それじゃあここでお別れだ。元気でな。皆が無事に地球に帰れるように祈っておくよ。じゃあな」
軽く手を上げてタカベは踵を返す。足早に4人の下から遠ざかっていくタカベの背中に、強い西日がじりじりと照りつけられていた。
「タカベさん!」
意識してのことではなく、のび太の口から自然と声が出た。その声は思いのほか大声で、思わず周りの3人もびくりと肩を震わせる。タカベが立ち止まり、まっすぐにのび太に振り返った。
「また、会えますよね!」
突然強い風が吹き、むき出しになった地面から砂埃が舞い上がる。慌てて腕で顔を覆うのだけれど、どうやらメガネの隙間から砂が入り込んだらしい。のび太の目が涙で滲んだ。
「……るよ!」
「え……?」
砂埃に目が眩んでいる瞬間、タカベの声が鼓膜を揺らす。けれどその言葉はどうにも上手く聞き取れなかった。のび太はごしごしと強く目をこすると、もたつく手でメガネを掛けなおしてタカベの背中を目で追った。視界に捉えたタカベの背中は今は遥か遠方、すぐにでも森の中に入ってしまいそうな場所にあった。
「タカベさーん!」
もう一度、声の限りにのび太が叫ぶ。ねえタカベさん、さっきあなたは何て言ったんですか――そんなような思いを託して。タカベはしかし、振り返ろうとはせずただゆっくりと右手を上げて応えると、迷彩の戦闘服が森に溶けて消えていった。
・・・
「退屈だなあ、それにしても」
タカベの家のベッドにごろりと寝転んだまま、ジャイアンが不満の声を上げる。あたりは夕景に包まれており、窓の外に目を遣ると、日が完全に落ちてしまうまでに、もう何時間もないことを感じさせた。
「それにしてもテレビもないなんてなあ」
ジャイアンは相変わらずぶつくさと言っている。退屈はのび太も感じていたけれど、無言で消えていったタカベの背中が妙に頭に残っており、胸がざわざわと騒いだ。
「ねえ、ロイさんのところに行って一緒にご飯食べましょうよ!」
「国王のところで?一緒に食べてくれんのかなあ」
「地球の食べ物を食べましょうって言ったら、きっと興味を示してくれるわよ。それにロイさん、そんなに偉そうな感じじゃなかったわ。もし断られても、ここでジッとしてるよりはいいじゃない」
結局3人は静の意見に賛同し、のび太がグルメテーブルかけを手にするとタカベの家を出た。通りにはほとんど人がいない。トリユの民も夕食を摂っている頃なのだろうか。
「あれ?ここを左じゃなかったっけ?」
「右だよ、この方向音痴!」
タカベの家から中央会議場はそれほど遠くなかった。5分ほど歩くと先ほど下った坂道が姿を現す。4人とも何となく無言になってしまい、沈黙を保ったまま坂道を登りきった。
「夕方に来ると、あの大きな木がちょっと不気味だよなあ」
会議場裏の大木が西日を受けて真っ赤に映える。会議場も、背中に日の光を受けているせいか、ほとんど真っ黒な建物に見えた。のび太の目にはその光景が少しばかり異様に写り、思わず寒気がした。
「まだ居てくれたらいいんだけど」
図書館にはさっきまでまばらにいた人たちの姿が既になくなっていた。シーンと静まり返った図書館は、まるで本だけがその世界を支配しているかのような佇まいだった。
「ごめんくださ……」
会議室のドアをノックしかけたのび太の手が止まる。ジャイアンがどうしたんだよ、とばかりにのび太の肩を掴んだが、のび太はすぐに振り返って「静かに」というようなジェスチャーをした。
「……トリユは捨てて……逃げるべきです……!」
「……それでは……兵士たち……」
耳をそばだてると、中から諍うような声が聞こえてきた。トリユを捨てる?逃げる?声の主はおそらくロイと、側近のミヤイのそれだった。
「揉めてるの?」
スネオがのび太に小声で問いかける。のび太は口の形だけで「分からない」と伝えた。そのままじっと集中して会議室の会話を盗み聞く。
「……スタが恐れているのはタカベ……やつの首さえ……」
「……カベは仲間だ……できない……!」
のび太は思わず息を呑んだ。どうしてここでタカベさんの名前が出てくるの?同時に、脳裏に先ほどのタカベの煤けたような背中が浮かぶ。どうしようもない胸騒ぎが心臓のあたりに小さな穴を空けると、それは一気に体中を駆け巡った。
『何か、よくないことが起ころうとしている』
それは幾多もの冒険を潜り抜けた、のび太の直感だった。
「失礼します!」
さっきよりクリアーな声がドア越しに聞こえる。次いで、怒ったような強い足跡。誰かがこのドアから出てくるのだと理解した4人は、慌ててドアの前から飛びのいて壁に体をくっ付ける。バタン。大きな音でドアが開き、ミヤイが肩を怒らせながら会議室を後にした。
「何が、あったんだろう」
図書館を抜け、ミヤイの姿が消えたことを確認してからスネオがぽつりと呟いた。何かがあった。しかし何があったのかは、分からない。
「とにかく、ロイさんと話してみよう」
「おう、俺はもう腹がペコペコだぞ」
「ジャイアンはいつもペコペコじゃないの」
スネオとジャイアンがいつものように掛け合う。その何気ない光景が、のび太のざわつく心を優しく癒してくれた。
【続く】
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