のび太は決意した。タカベさんの守りたい自由と、そして僕が求めた自由と。そこの間にはきっと何の違いもない。それだったらタカベさんを守ることは、僕の自由を守ることなんだ!その思いが言葉となってのび太の口から発せられた。
「でも、どうやって?」
「スネオ、あれ持ってきてただろ。『出っちょう口目』!」
スネオは無言で頷くと、道具の山の中から『出っちょう口目』を取り出した。のび太が素早くそれを受け取り、梯子を上るとナシータの入り口を僅かに開けてそこから出っちょう口目を外に飛ばす。
「どうだのび太、見えるか?」
「うん……いた!たぶんパルスタの兵士だ……大きな武器を抱えた兵士が一人と、その後ろに二人……草むらの中に隠れながらこっちに向かって進んでる。距離は……すぐ近くだ!」
「こっちに向かってるの?!」
「そう言えばさっき、姿を見られたのかもな……」
「分からないけど……でも、この先には森があったよ。タカベさんが隠れていたのもその森だった。もし、森の先にトリユがあるんだとしたら。そこに向かっているのかもしれない。あ、また動いた!」
「スネオ、ショックガンと空気砲持って来い!」
ジャイアンが怒鳴るような声で叫んだ。スネオはOK!と応えると、手早くショックガンと空気砲を取り出す。
「よし、これをぶっ放して追い払ってやるぜ!」
ジャイアンは腕まくりをして空気砲を装着した。しかしのび太はその様を見ると、強い口調で制止する。
「ダメだジャイアン!パルスタの兵士は草むらに隠れてる。空気砲を撃つために外に出たら、それこそ格好の餌食だよ!」
「じゃあ、どうするっつーんだよ!このままだとここに攻め込まれちまうぞ!」
「スネオ、着せ替えカメラはある?」
「うん、ここにあるよ」
「よし、だったらすぐにタカベさんの着ている服と同じ模様のヘルメットを絵に描いて。描き終わったらカメラに入れて、僕を撮ってくれ!」
普段ののび太では考えられないくらいテキパキとした口調でスネオに指示を飛ばす。スネオは無言で頷くと、すぐさまイラストを描き始めた。
「のび太さん!一体どうするの?」
「僕の取り柄は、あやとりと射撃だけ……ってね」
のび太は無理しておどけたような口調で喋ると、静に向かってにっこりと微笑んだ。けれど静の瞳には映っている、かたかたと震えるのび太の膝が。
「のび太、こっちに向かって立ってくれ!」
「うん!」
振り向いた瞬間、バチンと音がしてシャッターが切られる。次の瞬間、のび太の頭には迷彩柄のヘルメットが乗っかっていた。
「皆はここで待っていてくれ!」
それだけ言ってのび太は梯子の方に駆け出した。目を閉じて、出っちょう口目の視界を瞼に映す。パルスタ兵の頭上で虚空にぽかんと浮かんだ目玉が、更にその高度を上げた。
(ナシータの位置がここで……兵士がここにいて……よし)
脳内で外の地図を描いた。手がぶるぶると震える。ショックガンのグリップを握る手が、じんわりと汗で湿った。大丈夫、僕ならやれる。ギラーミンと対峙した時は、もっと怖かったさ――これまでの大冒険の記憶が、のび太に勇気を与える。
『のびちゃんは、やればできる子だからねえ』
脳裏に、大好きだったおばあちゃんの言葉が浮かんだ。おばあちゃん、だるまさんは起きたよね。僕も今、ちゃんと立って、起きてるよ――どうしてか、急にそんなことを考えた。そのうちに全身を包んでいた震えは、自然と収まっていた。
(行くぞ!)
弾かれたように梯子を握ると一気に最後の数段を駆け上げる。それと同時に、ナシータの入り口を目の高さに持ち上げた。目の前に広がる草むら、位置関係は全部分かっている。後はこの銃を撃つだけだ。
それは瞬間のことだった。のび太の内にある集中力の全てが、この時射撃に向かって収斂した。バカン。入り口の蓋が開く。それと同時にケンジュの草原に顔を出すのび太。疾風よりも速く右手のショックガンが現れると、その銃口がぱ、ぱ、ぱ、と三度光った。
刹那が永遠よりも長く感じられる。トリガーを三度引いたのび太は、すぐに蓋を閉めると転げ落ちるようにナシータの中に戻った。
「大丈夫か?!」
「平気、のび太さん!?」
ワッと声を上げて3人がのび太の下に駆け寄る。のび太ははあはあと口で息をつきながら再び瞼を閉じた。虚空に浮かんだ目玉の視界。見える、倒れている兵士が一人、二人……そして三人。目を開けたのび太は、みんなに向かって曖昧な笑顔を浮かべながらVサインをした。
「やったぜのび太!」
スネオが絶叫のような声を上げて、のび太に抱きついた。次いでジャイアンがボディプレスのようにその上にのしかかる。のび太は思わず苦しい、苦しいって!と悲鳴を上げたけれど、顔はくしゃくしゃになって笑っていた。静は眼じりに涙を溜めながらその様子を見守っている。
「そうだ、こうしちゃいられない。兵士が気絶しているうちにタカベさんを帰さないと!」
「で、でもタカベさんはグッスリガスで眠っているからしばらくは起きないはず……」
そんなことを言いながらスネオがタカベの方を振り返る。そこには、想像だにしない光景が広がっていた。
「油断、したよ……」
スネオが昼食べたハンバーグランチ。その時に使われたフォークを、タカベは右手に握っていた。フォークの先には、べったりと赤い血。未だ眠気が覚めやらぬのか、タカベは壁にもたれかかりながらフラフラとこちらに歩いてきた。その左足からはうっすらと血が滲んでいる。
「不思議な武器を、持っているんだな……」
怒っている様子はなかった。相変わらず穏やかな様子で笑うと、タカベは一歩、また一歩と梯子の方に歩んでいく。
「た、タカベさん!その、眠らせてしまったことは謝ります。けれど、あの時はああでもしないと……」
「いや、いいんだ。そこの彼の気持ちは、俺にだって理解できるさ」
言葉と共に、タカベはスネオの方をチラリと見た。バツの悪そうな表情を浮かべるスネオだったが、穏やかに笑うタカベがスネオの頭をくしゃくしゃと撫でた途端に突然ぽろぽろと泣き始めた。
「ごめん、なさい……」
「分かってる。君は、君たちは、優しいんだな……」
「た、タカベさん!表にいたパルスタの兵士は、みんなやっつけました!」
のび太の言葉に、スネオを撫でていた手を止めるタカベ。君たちが?という表情をのび太に向けたタカベだったが、その言葉を聞いて緊張の糸が切れたのだろうか。その場にどっさりと座り込んだ。
「すごいな、君たちは……」
「そんなこと……あ!し、しずかちゃん!」
「分かってる!」
のび太が言うよりも早く、静は包帯を持ってきた。再びするすると包帯が伸びて、タカベの左足に巻きつく。いくら眠気を覚ますためとはいえ、随分と無茶なことをしたものだった。
「これで外はもう安全です。でも、その状態だと上手く歩けないだろうから僕たちがトリユまでタカベさんを運びます!」
「いや、そこまでお世話にはなれない……」
「大丈夫ですよ!僕たちは色んな道具持ってるんですから。タカベさんをトリユまで運ぶなんて、朝飯前ですよ!」
「それに、トリユの人たちにも会ってみたいしな!」
ジャイアンがそう言うと、皆気持ちは同じらしく、うんうんと頷いた。
「……すまない、何から何まで」
「そういうのは言いいっこなし!さ、行きましょ!」
涙を拭いながらスネオが言った。のび太が『おもかるとう』を持ってくると、タカベの体重を紙ほどに軽くする。
「こりゃ楽ちんだな!」
タカベの体をジャイアンがおぶると、5人は揃って外に出た。皆、笑っていた。けれど往々にして世の中というものは、笑っていられる時間が短いものなのだ。
「ど、どこでもドアが!」
ケンジュの草原に出た5人の目に、絶望的な光景が広がる。おそらく先の爆発のせいであろう、そこには粉々になったどこでもドアの姿があった。散り散りになるドアの残骸、のび太は涙を浮かべながら、その前にへなへなと腰を砕いた。
「こんな、こんなことって……」
「ど、どうするんだよ!どこでもドアがなくなって、一体どうするんだよ!」
のび太の背後からジャイアンが詰め寄る。それでも呆然としているのび太は何も答えられない。静はバラバラになったどこでもドアの姿を見ると、手で顔を覆ってさめざめと泣いた。
「帰れなくなった、のか……」
その様子を見て、タカベが掠れた声で問いかけた。放心したような表情ののび太は、頷いたのか、それとも絶望してのことなのか、無言でがっくりとうなだれた。
「すまない、俺のせいで、こんな……」
「いえ、おそらく大丈夫だと思います」
その声に4人が一斉に振り返る。声の主は、スネオだった。
「すぐに、とは言わないですが、おそらく帰れることには帰れると思います」
「ど、どういうことだよスネオ!」
「ほら、のび太とジャイアンが分身と約束してたじゃないの。『一週間で交代しよう』って。もし僕たちが一週間で帰らなかったら、きっと分身がドラえもんに騒ぎ立てるんじゃないかな。もちろん一週間きっかりでドラえもんが来るかどうかは分からないけどさ」
その言葉に3人は、あ、と声を上げた。裏山で交わした、分身との約束。少なくとも後五日もすれば、4人の異変は地球に届くかもしれない。そんな希望がのび太たちの胸に湧いた。
「そっか、そうだよな!少し頑張って待ってたら、きっとドラえもんがやって来るんだよな!」
「そうだよ!それに僕たちにはドラえもんのくれた道具もあるんだ。5日くらい、すぐに過ぎちゃうって!」
「そうと決まったらこんな危ない所にはいられない。適当に道具と荷物をまとめて、トリユに行こう!」
先ほどまでぐったりとうなだれていたのび太が立ち上がると、駆け足にナシータへと向かった。続いて静とスネオがその後を追う。
「帰れそうなのかい……?」
「大丈夫ですよタカベさん、俺たち、こういう冒険には慣れてますから!」
ジャイアンは強い調子でそう答えると、へへへ、とはにかむように笑った。その笑顔を見てタカベは「強いな」と穏やかに呟いた。
「トリユは、どっちの方向ですか?」
ベッドのシーツに包んだ道具をのび太、スネオ、静の3人が背負って飛ぶ。先頭には、タカベを抱えたジャイアンが飛んでいた。
「もっと右だな」
「皆、右だ!」
ジャイアンが舵を取ると、一行は南に向かって速度を上げた。
「トリユってどんなところなんでしょうね」
「分からないけれど、きっとみんな幸せで、素晴らしい土地に決まってるさ!」
喋りながらのび太は再びトリユの地を思い描く。皆が笑って、幸せそうな顔で、ゆっくりとした時間を過ごす。そんな理想郷のような土地を頭に思い浮かべていた。
「あれじゃないの?」
4人が一斉にスネオが指し示した方を見た。森を抜けたあたりに、集落のような場所が広がっている。もう少し遠方には、大きな建物と巨木がそびえている。
「あれがトリユだよ」
ジャイアンに背負われたタカベが嬉しそうに口を開いた。それを聞いた4人は少しずつ高度を下げる。足元を見ると、地表は土がむき出しになっていた。ケンジュの草原と違って、トリユの土壌にはあまり草が生えていないようだ。
「もう大丈夫、ジャイアン。自分で歩けそうだ」
出し抜けにジャイアンと呼ばれたことに照れてしまったのか、でへへ、と奇妙な笑い声を上げながらタカベを背中から下ろした。
【続く】
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