「本当に悲しいのは、変わってしまうことなのだろうか。それとも、何も変わらないことなのだろうか」
実家に帰って『いいひと』という漫画を読んでいると、そのような旨の言葉があった。
僕が産まれたのは下関という片田舎だ。
その街の高台にある市営住宅で高校を卒業するまでの18年を過ごした。
子供の多い住宅地だった。
外に出れば大抵遊び相手には困らなかったし、スポーツのできる子供も漫画の好きな子供も、スケベな子供も、それは色々な子供がいた。
僕を基礎付けるものは全てそこで作られたのだと思う。
駅前には大きなデパートがあった。
そこには不良も多く「子供だけでは行くなよ」と口を酸っぱくして言われていたけれど、親や地域の大人の目を盗んで子供だけでそこに行くのが、何より楽しかった。
あの頃のことを「青春の日々」と言ってしまえば、それは大仰な言い方になるだろう。18年を過ごした下関という土地は、何もそんな綺麗な言葉でまとめる必要はない。たまたま生まれたところが下関だっただけのことで、それはある意味で記号的な意味しか持たない。外の国から見れば、下関も沖縄も東京も北海道も一つの日本である、というレベルで僕が下関で生まれ育ったことには大した意味はないのだ。
けれど、もし生まれ育った土地としての「下関」が記号としての意味しか持たないのだとしても、引越しを経験していない僕はその記号を一つしか持ってない。確かに100人の人間がいれば100の生まれ故郷があるのだから、その限りで生まれ故郷なんて誰でも持っているものだけれど、その事実が僕の生まれ故郷の意味を失わせるわけでもない。
山口県下関市。
今でも、いつまで経っても好きにはなれない場所だ。しかしながら僕の中で下関に生きた時間は消えることはない。もしかして、これからも好きにはなれないかもしれないけれど、大切な土地であり続けるような気がする。
それは矛盾した言い方になるかもしれない。だけど、好きではない、というのと、嫌い、というのは、必ずしも同値ではないだろう。
追憶の中で幼い自分と共にある場所は、下関でしか有り得ない。育った土地を捨象したまま己の18年間を喋り、思い出すことはできないからだ。自分、という存在を考えた時に、下関という土地は僕から切り離せない。手や足、あるいは頭。それと同じように、僕を育みかつ組成しているものの一つが下関であることは確からしい。
「ほんと、下関っつーのはどうしようもない土地でね……」
僕がよく言う言葉である。貶すことでしか生まれ故郷のアイデンティティを語ることのできない自分は、本当に浅薄な人生経験しか有していない。照れてしまうのだ、故郷を褒めるという行為そのものに対して。
「生まれた時から何も変わってないんだからあそこは!マジよマジ!」
若い人は地元を離れ、人口は年々減っている。産業は停滞しているし、町並みにしても主だった変化は見て取れない。その限りにおいて確かに僕の故郷は産まれた時から変化がない。
けれど、僕の記憶にある下関と、今の下関との間には著しい齟齬がある。
塾の帰りによく立ち寄った駄菓子屋は、とうに閉店した。
こっそりとエロ本を買いに行った本屋も、今は違う店となっている。
小さい頃いつも遊んでいた公園は更地になった。
「でも何年か前にようやくスタバもできてさー!」
いつまでも何も変わらないで、と願うことはおそらくエゴなのだろう。
その土地にはその土地なりの歴史があり、また地域社会の論理がある。
昔からあった馴染みの本屋が潰れて、都市型の大規模な書店が進出した。それでも、そのことを個人的な「良し悪し」の観点からのみ論じることは不可能だ。思い出と経済とは、同列に扱うことが難しい。
「いつになったら駅もデカくなるんだろうねー」
下関駅は1年前に焼失した。空腹に苛立ったホームレスの放火だった。
今では新しい歩道と外観が構築されている。
記憶の中にある下関駅と、今の下関駅。
両者は決して同じではない。
大晦日に下関駅に降り立って駅の外観を眺めた時、何やら全く違う土地に来たような感慨すら覚えた。
そのことを地元に残った友達に話してみるけど
「そんなこともあったね」
と言うばかりで、僕の感傷は談話の中に消えていく。
こうやって『変化』は『変化』でなくなっていき、それらは『事実』と『歴史』の中に埋まっていくのかもしれない。
おそらく、いつまでも変わってしまったことを情緒的に考えてしまうのは、結局僕自身が下関から『外』の人間になってしまったからなのだ。
『内』の人間は、きちんと変化を受け止めている。
「儚むくらいだったら、変わっていくのが嫌なんだったら、実家に帰ればいいじゃん」
結論はそこに尽きるのだろうか。
自分だけ違う場所に行き、あの頃とは違う夢を見て一人歩いているのに、地元にだけ変わって欲しくないと願うのは、とても卑怯だ。
「いやー、言うても変わったらいけんやろ!下関は!」
けれど卑怯な僕は、自分のことは棚上げしたまま、故郷の変化が止むことだけはしっかりと願ってしまう。どうせ願っても変わるものは変わっていくのだから、せめてエゴイスティックな願望くらいは持っていてもいいのではないか?――そんな道理はどこにもないのだろうけれど。
「来月にはここ、引っ越すから」
来月から実家が変わるのだそうだ。父の言葉を、ああそう、と受け流して僕は市営住宅の柱を撫でた。
街が変わり人が変わりそれを悲しいと嘆く僕がいる。けれど、どのみち最小限の居住単位が変わることすらも止めようがない。何かが変わって欲しいことも、あるいは変わって欲しくないことも、願うことすら能わない。
「もっと、広い家に住みたい!」
幼い頃、そんなことを親に懇願したこともあった。
変化を求めたあの頃の僕と、やっぱり変わって欲しくないと願う今の僕。
結局何もできないことと、現状にぶつくさと文句を言うばかり、という部分だけは何も変わっていないのだけれど。
「肉ちゃんも変わったねー」
同窓会で言われた言葉。
果たしてその評価は、いいことなのか、それとも悪いことなのか?少し考えてしまう。別に、良し悪しの話じゃないのかもしれないけれど
「別に変わっとりゃせんよ!おら、乳首見るか!?」
自分が変わるにしても、変わらないにしても。
過去にあったことや、知り合った人とのあれこれが、後から変わるわけじゃない。どれだけ愚痴を重ねても絶対に万物は流転するんだったら、その時々をしっかりと生きるしかないのだろう。月並みだけど、今の僕にはそのくらいしか思いつかなかった。
「肉ちゃんさあー、オレこの前転職してさー。休みが少なすぎやったけえ耐えられんでね……。でも前に比べて今は給料も下がったし、やっぱ何だかんだでキツイし……。あああ!マジで良かったんやろうか……」
「んなもん、今は分からんやろ!決めたことなら仕方ないんやけえもっと深刻な悩みが出たら、そん時悩めばええやん!」
僕は酒臭い息で友達を叱咤した。きっとあれは自分自身への結論だったのだと思う。色々な変化を前に悩んだり悲しんだりすることは多いけれど、結局自分ができることなんて驚くほど少ない。思うことはあれこれあるが、突き詰めれば僕らにできることは、自分の目の前に提示されたことにどう取り組むか、あるいは別の道を選ぶかくらいしか、選択肢はない。その過程を生きていって、最後の最後、死ぬ前に笑えていれれば、悩んだことも、変わったことも変わらなかったことも、全部まとめて幸せに思えるのかもしれない。
「肉ちゃんはそんな気楽に言うけどさ、もっと先も見据えんと、やろ!お前不誠実やなー!」
だから僕の言葉を不誠実となじってくれるな。
沢山頑張って、それでもやっぱり悩んだ時は、酒でも一杯奢るから。
「下関も、変わったのう」
「変わっちょらんやろ!俺なんか昔っからずーっとこのままやぞ!」
その代わり、お前らもいつまでもそのままでいてくれたら、ちょっと嬉しい。
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自分も先日同じようなことを考えていました。
結局は都合のよさとかエゴとかなのかな、うーん…寂しい。
これから先、変わっていくのか変わらなければならないのかもわからないっすけど…
前に進めている事さえわかっていればいいのかも知れませんね…( ´・ω・)
渦中に居て混沌としている時も、思い出になってからも、それが自分の血となり肉となればいいよね
神輿担ぎたい気分になってきたよ
今どうなってんのかなぁ
でも、変わりたくないと思う自分がいる。このままでいいんだろうか。
振り返った時、笑えるといいな。
少し感傷的な肉さんも素敵ですね
私には実家がないので
今いるアパートが私の全てなので
なんだか羨ましいです。
土地の話だけになってしまった!
家を出て戻ってきて、家族とまた元のように笑いあえるのかな…。
同い年なのに大人だと感じた。
僕が大人になった時なんてわかるべくもないけど、なんか今日の更新で考えが変わった気がする。
この一文の深さに感動したのを思い出しました。
この前、小さいころによく遊んだ公園に行ったら、あの頃あんなに明るく差し込んだ日の光は、周りに立ち並んだビルにふさがれていて、自分の周りも変わったな、と思いながらブランコに座ると腰が窮屈になっていて、一番変わったのは僕かも知れないな、あはは、と笑ったのです。
村○春樹読んでいらっしゃらないのに、でもこれは…春樹的表現。
兄ちゃんのこういう記事読むと、案外彼と書き方に通ずるところあるな、と思いますよ。
実家、大切にしますっ。
きっと、肉さんの年齢に追い付いたらもっとズキッと来るのだと思います。
どっちも必要だわね
良いと思えるのは、過去の良い記憶だけなんですよね。
僕の故郷も駅が高架で新しくなっていて、正月に帰った時に戸惑ってしまったので。
新しくなった事に喜びも確かにあったのですが、駅から出て振り返った時に、旧駅舎が
まだ取り壊されずに残っているのを見たとき、上手く言えない寂しさを感じたんです。
きっと時間が経てば寂しさも薄れるのでしょうが、故郷の変化を求める自分と拒む自分がいます。
だからせめて、どんなに外観が変わろうとも、そこに住む人々の心というものだけでも
変わらないで欲しいと思うのはやはり、肉さんの言う所のエゴなのかもしれないです。
長文で米欄汚しすいませんでした。
後ろ見て、[あの時こうしてれば…]。俗に言う[たられば]。そんなこといくらでも言えるけど、そんなくだらないこと言って悩んでる暇があるのならば、["今"何をすべきか]考えた方がいいですよね。
モノがウマレタ瞬間、それも変化。
モノが存在する時点で変化な訳で…、変化しないモノは存在しない訳で…。
僕はどちらかというと変化を好むタイプですね。昨日いた場所に立つことを拒んだり、昨日は好きでも今日は嫌いとか。ケースバイケースで感情は違うし。
一度きりなら前見て急いで、遠回りしても近道してるヤツらより進んでればいいんですから。
聞いていた、まさにそれですね。
身近な人に、悩んだって「何も解決しない!なるようにしかならん」
という人がいます。
〜〜に似ていると言い方良くないと思いますがリリーフランキーに似ていると思います。
読んで手少し目頭熱くなりました。
大嫌いだけど大好きなんです。
俺は近々山形を出ます。でもいつも故郷に想いを馳せるんだろうなと思います。
でも、自分自身の中あるそこで育った記憶は絶対に変える事はできないし忘れてはいけない。
肉欲さんの文読んでたら地元が恋しくなってきた(´;ω;`)
故郷を恋しく思う感情が少し羨ましいです
いい意味でも、悪い意味でも。
でも思い出は何も変わらない。
それが情景というもの。
「故郷は帰る場所ではなく、常に思う場所だ」みたいな内容だったと思います。
川の両岸はコンクリートで埋められた。
海には波止場が出来、流線型のボートがたくさんもやってある。
わたしの町も変わってゆきます。でも、いまでも子供達が遊ぶ声がたまに聞こえたりします。
私も変わりゆく変わらない街、下関が好きですよ。
駅前の式場には閉口ですが
エゴとか矛盾とか、難しいけど、そうして前に進んで行くのが人間ですよね。たぶん。
奇しくも、先日実家に帰ったときに前住んでいた地区に遊びに行ったのですが、見る影もないぐらいに変わっていて胸が締め付けれられた記憶があります。
あれ・・・ここにあったゲーム店は?
古本屋もないじゃんって。
小さい頃遊んだ場所がほとんど消えたときの空虚感寂しいけど、それを乗り越えていかなきゃ駄目なんでしょうね
やっぱり小さい頃はない物をねだり、大人になると今あるものを大切にしたいって気持ちが芽生えるんでしょうか・・・
俺もこっからはなれたくないな・・・ってまだ中学生w
悩む、という行為じたいが僕らに必要なのかもしれませんね
仮に読んでいないにせよ、現代日本文学に触れている時点で“春樹の呪縛”から逃れるのは難しいのでは。