下ネタ、と一口にいっても、そこには様々な形式がある。笑える下ネタ、泣ける下ネタ、ムカつく下ネタ、絶望的な下ネタ。その色合いは実に種種雑多だ。
下ネタ、というカテゴリの間口は相当に広い。故に 『そもそも、どこからが下ネタなのか?』 という哲学のテーマに足を踏み込んでしまうと、たちまちのうちに議論が錯綜してしまう。
■性的なワードが会話の中に盛り込まれた時点で下ネタ
基準としては明快だ。だが、これだと日常生活のそこかしこに下ネタが氾濫することになる。ともすれば性教育の授業でさえ、下ネタという俎上に載せられてしまうだろう。それは過激派の論調でしかない。
■話者に邪な気持ちが芽生えた時点で下ネタ
内心に立ち入る基準である。指標としては繊細で、またフレキシブルな対応を期待できる。だが、お分かりの通り、内心というものは眼に見えない。大体の場合、我々は誰かの内心を 『現れた外部的な行動、現象』 からしか判断することしかできない。結局この基準も、各々の主観的な判断に依るしかなくなり、最終的には 『あの人の顔面は卑猥だから……』 という、ある種の過激派的な論調となってしまうだろう。
■聞いた人が 『これは下ネタだ!』 と思えば、それは下ネタ
現在の通説である。たとえばあなたが憲法の前文を読み上げていたとして、それを聞いていた方が 『これは紛れもなく下ネタ!』 と判断してしまった場合、客観的な評価、法的な評価はどうあれ、ともかくその人の中でそれは下ネタ、ジャスト下ネタ、として昇華されることだろう。
残念なことに、瞬間的に抱かれてしまったその妄念を覆す手段は、どこにもない。コギト・エルゴ・スム、並べて世界は主観的にしか決定され得ないからだ。甚だ理不尽な話ではあるが、最早仕方がない。
もっとも、そういう偏狭な価値観の方々は、我々が考えも及ばないところで様々な不利益を受けている筈なので (思い込みが強すぎて、コミュニティから村八分を受けている……など) 、全体としてのバランスは保たれていたりもする。世の中というのは往々にして上手くできているものだ。
何かの話が下ネタであるかどうかは、聞いた人の判断に委ねられる。一見すれば乱暴で粗雑な基準であるが、これでいいのだ。なぜか。社会生活を営む我々相互の関係において、ある種の価値観が著しく乖離する、という事態はそうそう起こり得ないからだ。
『下ネタ』、その明確なラインは引きづらいにせよ、
「ああ、これは下ネタだな」
この部分は、曖昧模糊とした心象風景の中で割と明確に共有できるものである。それは先の日記で挙げた 『ヤリマンの定義』 と近しい話だ。言語化はできずとも、共感はできる。価値観が時々刻々と千変万化する現代情報化社会においては、そういうファジーな感情も許容されるべきであろう。
「この前シた女がさぁ……」
飲み屋のテーブル上、突如流れ始めるイカ臭いAメロ、下ネタのバラード。シた、とは即ち、"セックスを行った" との意である。
「パイオツが超カイデーでさぁ……」
我々をアンサーを待たずとも朗々と紡がれる桃色のリリック、アンダー・ザ・つぼ八。これが未だAメロなのか、既にBメロ佳境なのか、余人には判断がつかない。また、判断する必要もない。
「で、風呂場でパイパンにしたんだけど……」
突然訪れる破調、転調、超激情。オッパイがデカイ→パイパンにした――僕が最高裁判所調査官の身分なら、両者の間に存する著しい論理の飛躍に激しい糾弾を浴びせかけることだろう。だが、僕は最高裁判所調査官ではないし、また、そもそもその話に裁判はまるで関係ないため、こちらとしては黙って彼の奏でるドドメ色のロンドに耳を傾けるほかない。
「これ、写メなんだけどさぁ……」
五官の作用をフル活用した下ネタ、もはやAメロBメロ言ってる場合ではない。事態は超絶クライシス、我々は耳をファックされ、眼球をファックされ、心はすっかりファックされ尽くしている。一体この下ネタの着地点は、どこに?!リスナーの想いは千々に乱れた。
「いやぁ、ピグで出会ったんだけどさぁ、ホント、ラッキーだったわぁ……」
ドヤ顔で煙草の煙を吐き出す男。おもむろにジョッキを手に取り、静かに一口。彼の瞳に喜色満面たる光が宿る。何かをやり遂げた――彼の方の表情にあったのは、だから、そんな男の矜持であった。
俺「……それで?」
「え?それで、って」
俺「いやいや、いやいやいやいや……お前はセックスをしたと、その女のパイオツがカイデーだったと、あまつさえその女をパイパンにしたと、その女とはピグで出会ったと。それは分かった。で?そっから何が言いたいの?なあ、オイ」
「いや、別に……ただそれだけだよ……」
俺「死ねよ。割とマジで。そんなのはmixiにでも書いとけやボケが。お前の話はつまんねえんだよファッキン・ゴミクズ・クソ野郎。お前、それ、ただの報告じゃん。事実の経緯を淡々と述べただけじゃん。死ねよ。死ねよなう。何なの?マジで。巨乳とヤッた、パイパンにした、ピグで出会った、とか、そんな一山いくらでどこかしこにでも売ってるような話を、安っぽい三文エロ小説を、お前ドヤ顔で語って、何なの実際。お前、並びに、お前の御両親はどういうおつもりなんだよ。どういう塩基配列してたらそんなクソくだらねー話ができんだよ。おい、答えろよファッキンピグ野郎」
「いや、楽しいかなー、と」
俺「楽しくねーよちっとも。お前のクソくだらんアフター5の話になんて1厘の価値もねえよ。お前、何様だよ。何KB48だよ。特別気取りか?オイ、マジか、オイ。お前、やっちまったな。セックスしました、欲望のままにセックスしました、非常に満足しました、ドヤァ、とかお前、完全にアホの思考回路、他人からすれば何も楽しくないし、いたずらに時間と鼓膜をすり減らされただけの陰惨な事件でしかねえわ。どうすんのよこれ。ビールが苦げえよ」
「あ、うん。なんか、ごめん」
俺「謝ったら時間が戻んのかよ。マジで。パイパンにしようとしたらカミソリでクリトリス削ぎ落としちゃいました★みたいなワクワクトークが繰り広げられるかと期待してたのに、その有り様かよ。お前どんな人生の歩き方してきたんだよ。脳味噌ツルツルなのかよ。働かせろよ、シナプスを。少しは。ニューロンの存在意義とか考えろ」
「ホント、すいませんでした……」
俺「おう。次からは気をつけろよ」
――以上は、酔った際の僕の口調をかなり克明に再現したものであり、また、かつて実際に存在したやり取りでもある。
思うに、男の語る下ネタとは、極端に暗いか、極端に明るいものでなくてはならない。抑揚のないトーンで語られる下ネタなど、1ミリも価値がない。だからこそ下ネタは 『下』 の 『ネタ』 なのである。下賤なネタを喋るのであれば、それ相応の覚悟を有するべきなのだ。
それは、自分を貶める覚悟である。
「昨日、オナニーしてさあ……」
お察しの通り、スタート直後から驚きの黒さだ。これほど誰も得をしない表明もない。だが、これこそが本来的な意味での下ネタだ。ピッチングの動作に入るや否や、『オナニーしてさあ』 自らを貶める。極めて分かりやすい指標だ。
「オナホを天日干ししてたらね……」
常人は紡がない、いや!紡いではならないバラードが、そこに。そのワンフレーズだけで、その後に待ち受けるエピソード・オブ・ヘルに対する期待値が否応なしに高まる、というものだ。
「彼女の家で浮気相手とセックスしてたら彼女が帰ってきてさあ」
もういい!休め!こっちも胃が痛い。だが、続きが聞きたくなるこの気持ちは一体、なんだろう。
つまるところ下ネタ、下(げ)のネタというものは、本来、そうあるべきではないだろうか。勝者はいない、敗者もいない、残るのはただ、悲しみだけ。そんなしどけない悲しみの中でしか生じ得ない "おかしみ" 、そういうものがあればこそ、我々は、僕は、下ネタというものに対し、たまらない憧憬を抱くのはないのか。
「いやー、ずっと狙ってた○○ちゃん!ようやく落としたよぉ〜。夜も中々凄くてねぇ、フヒ」
いらないのである。なぜならそれは事実の伝達に過ぎないからだ。穴を掘りそこに向かって好き勝手叫んでくれて構わない。
巨根の先輩「やっと落とした彼女なんだけどさぁ、この前セックスしたのよ!そしたらさぁ、彼女、言うのよ。『すごい大きい!今までで二番目に大きい!!』、って」
俺「え、それはどういう」
巨根の先輩「前彼、西洋人だったらしいわ」
分かるか?!この切ない色彩の加減が。ちなみにこれは実際にあった話である。おそらく以前の日記でも触れたことがあるはずだが、とにかくも哀しい話、としか言いようが無い。もちろん僕は、死ぬほど笑わせてもらった。
『誰それとチョメチョメをした』、その会話のトーン。それは、現在の社会通念に照らし合わせれば『下ネタ』という概念の中に落とし込まれるのだろう。
ただ、再三になるが、それは受け手の勝手だ。下ネタかそうでないかを決する契機は、絶えず揺れ動く無名の誰かの情緒の中にしか存在しない。
故に、話者が
「ずっと友達のアイツだから、誰かとセックスしたことも、虚飾なくちゃんと伝えないとね……」
そう信じているなら、話者の内心においてその話は『下ネタ』とはなり得ない。誰かとセックスをした、それをお前に伝えたかった、そんな感じの "情報の共有" でしかない。僕にしても、そういう種類の話であればキッチリ耳を傾けるし、笑顔で酒の一杯も奢るだろう。
全ては状況、ただ、状況。下ネタを下ネタと峻別できる点は、そういう曖昧なライン上にしか存在し得ない。
しばしば
『女性の下ネタはえげつない』
と言われることがある。僕の考えによれば、それは、彼女たちの語る下ネタがひたすらに 『事実の報告』 に終始しているからではないだろうか。
経験に基づき、経験を吐き出し、経験則に向かって結論が収斂していく。"事実" という側面から一ミリも外に出ず、実直に粛々と実体験を吐き出すだけの下ネタ。
ここまでであれば、おそらく、男女ともに共通する 『下ネタ』 のテンプレートであろう。誰も事実や経験以上の下ネタを語ることはできない。「一角獣とファックしたい!」と願うのは個人の自由だが、それは下ネタではなく、ファンタジーあるいは北欧神話の領域である。
そこから先のところについて、思うに、性差は現れる。
・・・
男A「いや、マジで元カノがいきなりアナルファック求めてきたことには引いたわ」
男B「いや、でもさあ、仕込めばガッキーだってアナルファックを求めてくる可能性も十分にある、っつー証左じゃねえ?」
男A「石田ゆり子がアナルファッカーである可能性も微粒子レベルで存在している……?」
男C「聞き捨てならねーな。お前らばっかにいいかっこさせてられっかよ!」
・・・
女A「マジ、あのクソ野郎がいきなりアナル触ってきてさー」
女B「あるある。男ってそんなのばっかだよねーww」
女A「出口だっつーの。入り口じゃねーって。バカじゃんwww」
女C「つーか、私が前ヤッた野郎もいきなり "アナル、いける?" みたいな。韻踏んでんじゃねーよ!みたいなwww」
女B「素直にマンコに挿れとけっつーの、マジで!www」
女A「マジ男ってどうしようもねえっつーか」
女C「アナル好き過ぎっしょ。バカじゃんwww」
・・・
前者と後者、男と女。その会話の展開について、どちらに是があるとも非があるとも、決することはできない。決する意味もない。性差、そして性差。それだけの話なのかもしれない。
だからこそ。性差があるからこそ、せめて我々男は、ただただ事実の報告に終始するべきではない。先に、自分を貶めてこその下ネタ、と僕は書いた。だけど貶める、ということは、精神的にしゃがみ込む、ということだ。
しゃがみ込んだ後に、より高くジャンプして欲しいのである。
貶めたまま、ずっと自分を貶めろ!などというつもりは、毛頭ない。
しゃがみ込んで、力を溜めて、また違う方向に飛翔できれば。それほど嬉しい話は、ない。
僕の目指す下ネタ、目指したい下ネタは、経験を踏まえ、それでも理想を求め、未来に指向していくそれだ。経験を踏まえ、経験に拘泥し、過去に閉ざされるばかりの下ネタなんて、見ていてつらい、あるいは聞いていて、つらいだけだ。それこそ 『えげつない』 と称されるばかりだろう。
事実を摘示し、そればかりを槍玉に挙げる。
当たり前のことを、当たり前の顔をして、当たり前に言う。
そんなものに、いかばかりの価値があるのだろうか。
夢を見て、現実を見て、それでもやっぱり夢を見る。
そういう生き方だって、あっていい。
夢を語る、なんていうものの価値が、紙切れよりも薄くなってしまった昨今である。だからこそ、せめて下ネタくらいは、夢を語れる余裕を持ちたいし、持っていて欲しいと、そう願う次第だ。
【次回 肉欲企画】
その日、更新作業を終えた肉欲。
安堵の中で飲む酒は、ウマイ。
だがその時、一通のメールが舞い込んできた。
以下は、その全文である。
・・・
【件名】相談です
【本文】いつも楽しく読ませていただいてます!
ちょっと相談なのですが、私には7年くらい付きあった人がいて、この間給料袋から風俗勤めがバレ、別れました。付き合う直前にピンサロで働いてたことも、jkの頃援やってたのも知ってて付き合ってくれてました。
私はデリ3年、現ソープで、浮気も沢山してきました。
バレた時に、ピンサローと適当な嘘をついてしまったのですが、一週間後に「俺は許せる!もうしないだろ?」と突然言われ、復縁を迫られました。(面倒だったので流しちゃいました)
ちなみに彼にとって私が初めてヤった女だったようです。肉さん的な見解が知りたいです!よろしくお願いします!
・・・

割とマジでこんな顔になってしまった肉欲。いや、マジで、どうすりゃいいのさ?悩んだ挙句、肉欲は一通のメールを射出。
「とりあえず、飲みましょう」
そして迎えるアンサーソング。
「いいですよ」
トントン拍子に決まる予定、日程、戦いのワンダーランド。決戦の日、6月18日。その日俺は何を見、あるいは、何を見ないのか?
次回、肉欲企画 【タダマン】
二日酔いの頭で吸う煙草の味は、苦い。
この調子でどんどん更新してくださいね!!
与えられた情報だと、なんか粘着っぽくてキモチワルイ…
マジレススマソw
配信とかしてほしいな〜〜。
しもねたについて、こんなに語っている方、初めてです。笑ってしまいました。