なんたらかんたら
僕とキティさん (『なんたらかんたら』の管理人さん) が知り合ったのは遡ること6年前、2006年のことで、当時の僕は虚栄心と勢いばかりが空回りした、蒙昧な22歳。とにかくアクセスが欲しい!そんな浅はかな想いが先走るあまり
「相互リンク希望です!」
振り返るのを心が拒否するレベルで恥ずかしいメールをあちこちに射出していた。
あの頃の僕は、2ちゃんねる『ニュース速報VIP』板でしばしばスレを立てていたのだけれど、『なんたらかんたら』はある日、そんな僕のスレッド (ドラえもんにマンコが存在し、結果として皆の肉便器にされる……とか、そういう内容) を紹介して下さった。
僕はすぐにメールをした。このスレッドを立てたのは自分であり、宜しければ相互リンクをして欲しい……と。失うもののなかった僕はいくらでも厚顔になれた。
ほどなくして、キティさんは『なんたらかんたら』に肉欲企画のリンクを貼ってくれた。RSSにも肉欲企画を登録して下さった。この頃から、ちょくちょくメールのやり取りなんかもするようになった。
「今回、こんなスレを立てました!なんたらで紹介して下さい!オナシャス!!」
本当に、いくらでも厚顔になれたあの頃。
「ブログのトップ画像をリロードするたびに変わる感じにしたいんですけど、どうすればいいんですかね?!教えて下さい!オナシャス!!」
もし、タイムマシーンがこの世にあれば。あの日の俺を殺してくれて構わない。
でもキティさんは数日後、こんなステキなアンサーソングを僕に奏でてくれた。
肉欲タンに捧げます (はきだめ キティさんの個人ブログ)
浅学で馬鹿な僕でもすぐに実装できるよう、謎の文字列を丁寧に記してくれたキティさん。縁もゆかりも何もない僕に対して、である。あれは本当に嬉しかったし、今を以て感謝の念は尽きない。もちろん、数多くのトップ画像を描いて下さった平野楽器さん、その他トップ画像を下さった多くの方々にも、心から『ありがとうございます』とお伝えしたい。その恩義に報いる術は、何もなかったけれど……。
時は流れる。移ろい、変わる。同じ一日は二度と来ないし、誰もが時々刻々と前に進んだり後ろに下がったりする。
いつしか、『なんたらかんたら』の更新もまばらになってしまった。時間の流れる故である。
キティさんにもキティさんの生活があるのだ。そのブログが趣味の範疇で更新される以上、運営態様が実生活に支障をきたすレベルでは有り得ない。キティさんとはメールでのやり取りしか交わせなかったが、ブログの開設から2年3年と経過するうち、大学卒業などに伴いご自身を取り巻く社会状況が変化していったらしいことが、何となく分かった。
そして、2010年7月28日を最後に、なんたらかんたらは更新を停止した。キティさんらしく、彼の敬愛する桑田佳祐氏に関するスレッドのまとめだった。
僕がインターネットをするようになって、今年で13年となる。多くのサイトの閉鎖を目にしてきた。運営主体が個人である以上、"終わり" は必ず訪れるからだ。だからといってその喪失感までも是とできるわけではなく、未だ 『Not found』 の紡ぐ無慈悲なテイストは、頭に心に馴染もうとはしない。
かつて僕が心から愛し、楽しませてもらったコンテンツは、最早ほとんど残ってない。並べて消え、総じて止まった。事実としての話である。
最近、斎藤アナスイくんと酒を飲むことが多い。女の趣味と文章に対する距離感とが近しい僕らは、感傷的な部分もまた、近しい。
「ブログとか日記とか、オワコンなんすかねー。やっぱ」
安い酒を啜りながら、しんみりと語る瞬間。何度飲んでも、何日飲んでも、会話の最後の辺はそこらに向かって軟着陸してゆく。
「みんな。昔みてーにもっと日記とかブログとか、書かねーかなー。金とか何とか、関係なくですね」
「どうだろうね……」
土台、無理だろう。お互いそのことは分かっている。インターネットユーザーの数は劇的に増えた。かつてと比べ、その在り方は日々目まぐるしく変わっている。大量生産され大量消費され、大量忘却されるしかない昨今にあって。日記という形式、あるいはブログという在り方は、既に 『歴史』 の範疇に差し掛かりつつある。
ただ、分かっているからこそ、無理と知っていているからこそ、口に出してしまう。そういうシーンは確実にあるのだ。
「どこいっちゃったんスかねー。あの人たちは、今頃……」
「twitterとか、facebookとかモバゲーとか……とにかく、何かやってんじゃねえの」
いつまでも変わらない、ということがどれだけ難しいことなのか。28歳になったいま、ぼんやりと理解しつつある。
"結果として変わらないこと"
は怠惰の産物であるが、
"主体的・積極的に変わらない、変わろうとしないこと"
その行為は、恐ろしくタフなメンタルを要する。こと年若い時分にあっては尚の事であろう。
ただ、それでも。
僕たちが 『変わる』 という部分から、決して身動きが取れない存在なのだとしても。
変わって変わって変わり続けて、虎がバターになるくらいに回り廻った結果、もしも最初と同じ地点に戻ることがあるのだとすれば。それは、どこかの誰かにとって、望外の喜びを与えるもの、かも、しれない。
なんたらかんたらの更新が再開されたことは、だから、僕にとってそういう位置づけだ。おかえりなさい、キティさん。
日記、書く人減りましたねぇ。だからこそ自分は書こう!という気持ちと、どうせ見てくれる人もいねーし。という気持ちが相半ばな感じです。
ちなみにツイッターもfacebookもやる予定は無いです
肉欲企画も末永く続いて欲しいです。
これからも更新楽しみにしてるのでやめないで下さい。
頑張って下さい!