『プロ仕様』
『材料店』
これらの単語を耳に、あるいは目にし、心躍らないオスはいない。そこには実に原初的な興奮が眠っているからだ。
彼らは巧妙なやり口で、僕らに潜む "心のあそび" をくすぐってくれる。
僕は目的が明確化された旅行が嫌いだ。四角四面で窮屈だからである。そこには自ずと "あそび" が少ない。行った先々で感銘を受けることはあるが、どうしても予定調和の印象を拭えない。
「そこに、何があるのだろう……?」
いつだってサプライズを期待したいのだ。待ち受けているものがハズレであろうと当たりであろうと、そこに大した意味はない。大切なのは
『お前かよ……』
迎え撃つ予期せぬ感情であり、意外性なのである。
僕にとって、旅と合コンは似ている。
両者は
『事前準備と、後の反省会が、一番面白い』
そこで共通しているからだ。誰が来るのか分かっている合コンがつまらないように、どこに行くのかが明確な旅も、同じくつまらないのである。
未知性、不確定性。
どうやら男は、僕は、そのあたりの響きにたまらないパッションを抱くらしい。それでも傍らに添えていいものがあるとすれば、『温泉がある』『海が近い』『ナースが勢ぞろい』『右も左もリストカッター』、そんな些細な情報くらいだ。
「何が飛び出してくるのか?!」
かかる生涯冒険野郎のマインドを満たしてくれるのは、間違いなくホームセンター、ないしプロ仕様の店である。
「このチェーンソー、裏の杉を切るのに適している」
お察しの通り、僕に杉を切るという予定はない。もっといえば、裏に杉など生えていない。だがそういう話ではないのである。
「『プロ仕様 カナダ産豚バラブロック 4キロ(冷凍)』、2400円か……」
恍惚の表情で手に取るだろう。もちろん、そんな肉塊を使う用途はどこにもない。
それでも、『必要がない』ということは、決して『無為である』ということを意味しない。チェーンソーにはチェーンソーの、海鼠釉には海鼠釉の、みやこ麹にはみやこ麹の、それぞれの役割がある。
「いつかはこれを使う日も訪れるかもしれない……」
思いを馳せながら手に取る家庭用芝刈り機には、瞬間、特別な意味が付与される。5秒前まで興味の『き』の字もなかったはずの芝刈り機が、たちまちにして人生劇場のパーツへと組み込まれていく感覚。値札を確認し、悩み、
『5回払いなら、いけるか……?』
嫌に生々しい債務計画を打ち立てる、絶妙な味わいである。
旅と同じくして、ホームセンターに立ち寄る場合も、なるべく無目的である方がいい。目的があるにせよ、目的外の時間も許す心のゆとりは、なんとか与えて欲しいところだろう。
男「見てよこのマチェット!この重厚さ、この鋭さ。こいつなら亜熱帯の森林でも藪漕ぎに難儀することはないだろうね〜」
女「ハ?藪漕ぎ……?」
一方に心の余裕がないときに生じがちな、絶対零度もかくやの温度差だ。
女「今日は自転車を見にきたんでしょう!?」
論理圧で攻められてはこちらとしても打つ手がない。目的を決めた外出において起こりやすい、切ない悲劇である。
男「おっ、この水平器、いいねぇ。俺の生活には一切関係ない、ってあたりがすごく素敵だなー」
それでも男は、俺は、かかる予期せぬ出会いに心かき乱されることだろう。行けば確実に出会えるものになど、何らドキドキ感を覚えないからだ。そんなものはamazonで買えばいいし、見目麗しいだけの女を見たいのなら、高級なキャバクラに行けばいい。
「昨日、精神安定剤一気飲みしちゃってぇ〜」
プロであれば絶対に吐かない生々しい台詞、魂の逆営業トーク。そいつを耳に出来る機会は、1000%の確率で "ハズレ" の合コンへと帰納していくことだろう。ただ、対外的・客観的にはハズレであっても、僕からすれば大当たりである。
「いっやぁー、とんでもねえクリーチャーだったな……」
しみじみと述懐しながら、仲間と共に思い出をつまむ。その際に口腔を満たすアルコールは、確実にウマイ。プロ相手では味わうことのできない滋味がそこにあるのだ。並べて意外性・偶発性だけに産出の許された、グレートサプライズというべきだろう。
そしてそのサプライズは、ホームセンターやプロ仕様の店にも、等しく用意されているものなのだ。
男「見てくれよ、この紙やすり!この目の粗いこと。超擦るよ、超擦る、マジで」
女「で、それが何の役に立つの?いま必要なの?!」
心も凍てつくモーメントだ。もちろん、女性の言い分は全方向的に正しい。今のところこの男について紙やすりを使う用はないし、おそらく今後もないであろう。だが、繰り返すが、そういう話ではないのである。
どうしようもなく楽しいのだ。
無意味で、不必要なものを検分する、という行為が。
いつか訪れるかもしれない "その日" を想像することが。
僕たちにとってみれば、たまらなく面白いのである。
もっとも、忙しい我々のことなので、週に何度もホムセン、ないしプロ仕様の店に足を運べるわけではない。合コンなどは言わずもがなである。
だからこそ、僕は対案としての "スーパーマーケット" を推したい。ホムセンやプロ仕様の店とまではいかずとも、スーパーにだってサプライズは満ち満ちているからだ。
「ほう、粉わさびね……」
これは先日、僕が実際に呟いたヒトコトだ。年をとると独り言が多くなる、というが、それはおそらく正しい。生じた感情が脳内で留まる回数は年々減り、表面張力を決壊した液体のように言葉の数々が口を衝いて出てしまう。
粉わさび。当然それを使うアテなどない。むしろ、使い方すら知らない。だからこそ、そこにはたまらない訴求力がある。
「ふむ、ヤングコーン……」
蠱惑的なフォルムで僕を魅了するヤングコーン。食べる予定は一切ない。だが、僕の視線はカロリー表記、原産国、加工責任者、などの項目を慎重になぞる。ひとしきり満足を覚えたあと、ヤングコーンを元あった場所へと戻す。
心の旅なのである。これは何だろう?どうやって使うのだろう?誰が何のために作ったんだろう?etc...せわしない日常を過ごすしかない僕にあって、スーパーに赴くという行為は、心の旅を経験できる稀有な時間なのだ。
中でも、近所のスーパーに設えられた鮮魚コーナーは、昨今、僕の心を捕らえて離さない。なぜか?
ときに鮮魚のラインナップが、明らかに常軌を逸しているからである。
論より証拠、ここである日の鮮魚コーナーの様子をご覧になって頂きたい。
アンコウ、シイラ、ウツボに真鱈……お察しの通り、狂気の一言である。別段これは年末年始のヒトコマ、ということではなく、何でもない平日における光景だ。どこの家庭で鱈を一本、ウツボを丸ごと、使用するというのか。飲食店の並び立つ街中であればともかく、このスーパーの近辺は完膚なきまでに住宅街である。
そう考えればこそ、この鮮魚コーナーの在り方はたまらなくロックで、どうしようもないほどにステキだ。
僕は写真の如き光景を見かけた場合、心の中で 『鮮魚担当がはっちゃけた日』 と呼称することにしている。
ただ、ここ数ヶ月の鮮魚コーナーは常識的な落ち着きを見せているため、鮮魚担当が左遷された可能性も否定できない。事実であるとすれば、何とも辛く寂しい話である。
再びあの狂気に満ちた鮮魚コーナーに出会える日、僕はそいつを心待ちにしている次第だ。
(余談となるが、この日、僕は 『ウツボを買うべきか否か?』 というラインで、1時間ほど真剣に悩んだ。結果として購入は見送ったが、やはりあの時購入しておくべきだった……という後悔は根強く残っている。このことから僕が得た教訓は 『Leap before you look (まずはやってみろ)』 ということであった)
鮮魚から始まるイッツ・オートマティック。精肉コーナーにも傾けられるアツい情熱は、もはやとどまることを知らない。げんこつ(豚の脛骨・大腿骨)を手に取り、そいつをハンマーで砕く僕の姿を想像し、悦に浸る。なぜ普通のスーパーにげんこつが置いてやがるのか……という部分に、僕は関知しない。関知などしたくない。脇には豚の背脂。こいつは一度購入したことがある。背脂をトロトロに煮込み、白米にぶっかけて "ラードご飯" を楽しんだ日のことが想起された。
「大五郎4Lペットボトルか……」
酒販コーナーにおいてもたぎり続けるパッション。"アル中の終着駅" との呼び声も高い大五郎の巨大パックは、圧倒的な重量、存在感、腐敗臭を僕にギフトしてくれる。いつか俺も、こいつに手を出す日が訪れるのだろうか?願わくば、ないままであって欲しいーーそう願いつつ、白ワインの3Lパックを買い物かごにドカンと投入する俺。地獄の釜の蓋は、既に開きつつあるのかもしれない。

(me & you & DAIGORO)
かくして、僕のショートトリップは終わりを告げる。縁のあったブツ、なかったブツ、全てをないまぜにして、心の旅は終着を迎えるのだ。
いい旅、したな。
口の中でそっと呟きながら。
繰り返される日常にあって、我々は心ならずも変化を求める。けれど、変化は生半には訪れない。世の中は簡単には変容せず、また自らの感情の佇まいも、軽々には変わろうとはしない。
だから、せめて目線を変えることができれば。都度都度、目線の高さを上げたり下げたりすることができれば。
「おい見ろよ、この南部鉄器のすきやき鍋!ナイスなフォルムだよぉ〜」
旦那が唐突にそんなことを言ったとき、できることならば!温かい目で見守ってやって欲しいのである。その時の旦那の胸中には、確実な意味で "暖かく、柔らかな心の変容" が生じているはずなのだから。
小さな幸せや、ちょっとした興奮。
そいつはきっと、日常のそこかしこに、潜んでいる。
ありがとうございました。
地下足袋が主を求む子犬のように思えた日もあったなぁ。
どこか恥ずかしさがあり、あまり親しくない人には旦那の職業を明かさないできたのですがこれからは胸を張ってもいいですか?
なお、僕らが彼女らに心の旅への理解を求めるとき、それは常に「ウインドウショッピングの荷物持ち≒彼女らにとってのある種の旅」とバーターである気がしてなりません。
二杯目からは、どうでも良くなる。
ほう…新製品か。薬なんてめったに飲まないのに気になって悩む
結局数時間居座って安いジュースだけ買って帰るのが楽しい。