2006年3月、大学を卒業した僕は鹿児島県へと移り住むこととなった。
当時の鹿児島へのイメージは、おそらく皆さんの有するそれと大差ないところだろう。焼酎、桜島、黒豚、西郷隆盛、以上。
地理や歴史に素養のある方は別であろうが、僕はそのいずれにも該当しなかったため、移り住んでしばらくしてからも鹿児島についての印象は曖昧模糊としたままだった。
だが、焼酎だけは違った。
鹿児島における最大のマストアイテムである焼酎は、初っ端から僕に鮮烈なパンチをお見舞いしてくれたのだった。
引っ越した当日のことである。腹の空いていた僕は、目に留まった 『王将』 に入った。餃子5個190円、そのキャッチに惹かれてのことだった。
そして扉を開け、席に座ったアズ・スーン・アズ。
「いらっしゃい!餃子にしますか!?」
地元の方はご存知の通り、鹿児島王将ではこのやり取りがデフォだ。
『席に着くや否や、餃子の要否を尋ねられる』
察するに、調理上の便宜によるものらしい。優しさのような無機質さのような、その土地ならではのシステムだ。
※余談となるが、鹿児島王将は "大阪王将" とも "京都王将" ともその店舗形態を異にしている(ただ、厳密には京都王将=餃子の王将、の流れを汲むものである)。詳細はwikipediaに委ねるが、簡単に引用しておけば
『日本国内における王将フードサービスの直営及びFC以外で“餃子の王将”を名乗る事が出来るのは鹿児島王将のみである。また、鹿児島王将は餃子の王将との間で「鹿児島県内における出店は餃子の王将ではなく鹿児島王将に一任する」旨の協定を結んでいる。』
よって、鹿児島王将のメニューは、他県にあるそれと比し、相応に異なっているのだ。なお、味は抜群に美味い。特に天津飯はかなりのレベルである。もし鹿児島に行かれることがあれば、是非お試し頂きたい。

(天津飯 450円)
店員さんの声に呼応し、餃子を一枚注文した。
改めて店内を見渡す。餃子だけでは何とも寂しいので、ビールでも頼むとしよう。そんなことを考えていた僕の目に、とある表記が飛び込んできた。
焼酎 150円
いやいやいやいや。ノンノンノンノン。おかしい、いくらなんでも。150円は常識の枠外だ。今日びソフトドリンクだってもっと金を取る社会情勢である。焼酎という体で、実際はエチルか何かなのだろうか?
百聞は一見に如かず。
真実を見極めるべく、すぐさま件の焼酎を頼んだ。
「はい、どうぞ」
ほどなくして店員のおばちゃんが目の前に焼酎を置く。小さめのコップに並々と注がれた芋のお湯割り(後になって分かったが、鹿児島王将の焼酎はお湯割りしかない)。
とにかくも匂いを嗅ぐ。正しく芋焼酎の香りだ。
味を確かめる。口中に過不足のない味が広がった。
予想以上にしっかりとした味わいである。
率直に言ってうまかった。
(これが焼酎王国の日常なのか)
半ば唖然としながら、届いた餃子に箸をつける。
これもまた美味い。熱々の餃子に、温かい焼酎が不思議とマッチする。すぐに焼酎は空になり、返す刀でビールを頼んだ。未だ日の高い時間であった。
※なお、その後価格の変動があったため、現在餃子1枚200円、焼酎1杯160円である。
鹿児島県民の誰もが酒好きな訳ではない。
『鹿児島の人はお酒が強いのでしょう?』
というイメージが抱かれがちだが、当然そこには個人差がある。強い人もいれば、弱い人だって、もちろんいる。
それでも、確実に言えることがあるとすれば。
『焼酎に対する敷居というものが、他県のそれに比して恐ろしく低い』
ここの部分だろう。
そいつを物語るエピソードが一つある。
越してから2ヶ月ほどして。仲良くなった友人を介し、飲み会以上合コン未満、といった会が催された。
集まった先、とある居酒屋にて。
地銀に勤めるOL二人がそこにいた。
僕「何飲みますか?」
女「えっと、お酒はちょっと苦手で……」
僕「鹿児島の方ってお酒強いイメージありましたが、やっぱり人によるんですね。じゃあカシスか何かにします?」
女「いやあ、カシスとかもちょっと……」
僕「ああ、なるほど。じゃあソフトドリンクにs」
女「焼酎なら飲めますよ!」
ヒリつくほどに実話である。
酒が苦手で…=カシスもちょっと…=焼酎ならOK牧場!
これがご当地ロジックなのだ。
事実、これと同様の場面に何度となく遭遇したものである。
僕「お酒はイケる口なの?」
女「うーん、あんまりですね」
僕「焼酎は?」
女「焼酎なら、大丈夫です」
何が大丈夫なんだ?オイ!!思わず僕は叫びかけたし、実際叫んだ夜もあった。しかしながら、そこに確たる理屈はないのだ。並べてその土地にだけ根付いた "地域の文脈" なのである。焼酎と彼らとの距離は、僕たちが想像するよりもずっと、近しい。
よって、大抵の店には焼酎が置いてあった。居酒屋は勿論のこと、定食屋にもラーメン屋にも、あるいは一部の喫茶店にすら、焼酎は用意されていた。
喫茶店に焼酎。
まことに恐ろしい話だし、いくらなんでも喫茶店で焼酎を頼む奴がいるのか?という話である。
僕「すいません、焼酎下さい!」
いた。比類なき俺だった。
友人「お前、正気かよ……」
僕「いやいや、だってブラフ(嘘、はったり)の可能性もゼロではないわけじゃん。だったら、本当に焼酎が出てくるのか?出てくるとして、どういう形で出てくるのか?ってのは、やっぱきっちり確かめとかないとマズいだろ、色々」
友人「何が『マズいだろ』だよ。ちっともマズくないよ」
メニューに記された焼酎、そこに記載された値段は 『250円』 である。王将に比べれば幾分高いが、それでも全国的に見れば随分と安い。また "コーヒーよりも焼酎の方が安い" というシーン、こいつもやはり全国的にはレアであろう(他県でも 『場末の酒場』 にいけばあり得る話だが、この喫茶店は中心街の比較的小奇麗な一角にあった)。
「はい、おまちどおさま〜」
瞬間、ドカンと音を立てて机に置かれる徳利・ザ・焼酎。
注がれた量はといえば、表面張力の限界に挑戦されておられた。
僕「オイ、正気か、これは……」
友人「いや、お前。量もさることながら……これ、生(き)だぞ」
※生(き)=焼酎ストレート。相手は死ぬ。
僕「だからアイスペールと水持ってきたのか。そりゃ、生では飲まんしなあ……」
友人「まあ、とりあえず飲もう。まだ昼の2時だけど、しゃあない」
こうして僕たちは極めて不本意な形で酒盛りを開始した。喫茶店で徳利を操るという、煉獄の如き絵面を放ちながら。焼酎は黒伊佐錦だった。それを1合(180cc)250円で出そうというのだから、立派なものである。
その日、当該喫茶店において。
僕と友人とはきっちり8合の焼酎を飲み、泥になった。
会計は3000円もいかなかった。
ーーこのようにして、鹿児島にいる数年間僕は、焼酎を飲んで、飲んで、飲み続けた。焼酎が好きだったのもあったが、それにも増して、焼酎以外に飲む酒がなかった……という部分が大きい。
もちろん、酒販店にいけば各種酒(ワイン、日本酒、スピリッツetc)は取り揃えられている。だが、ほとんどの居酒屋では選択肢が限りなくゼロに近い。関東以北では400円程度で飲める日本酒が、鹿児島の居酒屋では800円もする……そんなのはザラである。需要がないからだ。
「ビールは……もういいだろ!すいませーん、焼酎をボトルで!」
"ビール、もういいだろ" の基準、それは大抵の場合1杯を飲んだ時点で下された。もっともそれは、僕の周りだけだったのかもしれないが。
それでも、女性だけと思しき飲み会において、何度となく焼酎一升瓶をボトルキープしているのを見るに、さほど間違ってはない基準でもあるように想像される。
例外もあった。
それは年に一度、今はなき鹿児島三越のビアガーデンに赴く時だった。
「おいモッチー(僕の名前)よ、今日はビールしか飲んだらいかんばい」
当時懇意にしていた長崎出身の方は、決まって僕にそう言った。ちなみにこの頃、僕の身体は1杯以上のビールは飲めないそれに成り果てていた。
僕「いやあ、どれ、そろそろ焼酎に……」
「きさん何言うとうとか。ワシがいまビール注いできちゃあけん。そこ座っとれ」
選択肢はどこにもなかった。なお、言葉面からは想像し辛いかもしれないが、彼は大沢たかおを更にシャープにしたようなイケメン、かつ細マッチョであり、この秋からは弁護士になる筈である。
「ガハハ!かんぱーい!楽しいのう、モッチーよ!ほれ、グッといかんね。グッと!」
結局この夜、2時間足らずのうちに計12杯のビールを体内に叩きこむ羽目になった。酔いよりも何よりも、胃袋がキツかった。余談となるが、長崎の方は最終的に延べ15杯のビールを臓腑に送り込んでおられた。
終わって後、僕らはきっちり二次会に行ったし、その席において
「やっぱりビールばっかじゃ飽きるたい」
号令一下、焼酎の5合瓶を皆で2本、計一升ほど開けた。
ゆえに翌日、二日酔いどころか三日酔いレベルの症状に苛まれたのは、ほとんど当然のことであったといえよう。
それでも。
鹿児島にいた時のどのシーンを切り取っても、全てが楽しい酒だった。
事前の印象では、食べ物といえば黒豚ばかりを想起していた。
しかし実際は
『黒豚?そんなもん普段は食べんよ』
という話であり、現実目の当たりにする鹿児島には、美味しいものが想像以上に沢山あった。首折れサバ、地鶏のたたき、にがごり、つけあげ、かつおの腹皮、等々。例を挙げれば枚挙に暇がない。
僕「美味いっすね、マジで……」
店長「今日は八幡のはなたれ(初垂れ)があるから、それ飲んでみなよ!サービスでいいからさ。きびなごはねえ、こうやってホラ、素手でも捌けてねえ……ちょっと酢味噌につけて食べると、すごく美味いよ。焼酎にも合うんだよ……」
地産の食べ物を地産の酒で頂く、この楽しさ、嬉しさ、美味しさ。その辺りのことを、この頃ようやく知った次第である。
さりとて、過去における酒との付き合い方が遡及的に灰色になる、ということはない。
無目的に飲み、柿ピーなどの乾物を齧り、一気飲みを強要された日々。
社会的評価の是非はともかく、僕という個人史において "酒とのそういう付き合い方" が楽しかった時期、それは確実に存在した。
要するに、楽しみ方の尺度が変わってしまったのである。
成長と加齢と境遇の変化とを経るにつれ、酒との向き合い方も違う方向へと進んでいったーーそれだけのことだ。
「今日、家に誰もおらんのやろ?ブランデー持ってきたんよ!!」
「なーんで持ってんのwwwなーんで持ってんのwww」
あれはあれとして、大切な青春の思い出なのである。
どこにでもある、僕にしかない、感傷の群像。
そこに価値の高低をつける意味など、あるはずもない。
そんなことを、一人過ごす鹿児島の夜の下、焼酎片手にしばしば思った。今はすっかり遠くなってしまった東京へ、下関へ。寂しさとも懐かしさともつかない思いをそっと、馳せながら。
年の頃、24歳になんなんとしていた時分のことである。
ここのリズム感がすごい好きです。