とある対象について、そのもの自体は好ましく思っているのに、時として "絶妙な何か" が介在することにより、対象のことを愛でられなくなる。
僕たちには、そういう瞬間が確かにあるのだ。
■ 好きになった女の名前が美智子だった
これは僕にとってはかなり "絶妙なケース" である。もちろん、世にはびこる美智子さんに何らの恨みがあるわけではない。ただ、この際ハッキリと宣言しておくが、美智子とは僕のたらちねの名前なのだ。
※垂乳根(たらちね)=母親
恋心を抱かされた女の名前が、母親と同一であった。極めて絶妙なモーメントである。彼女の名前を聞いた瞬間、たちまち脳裏にオカン・ファントムが過ることだろう。その再現性は尋常じゃない。
言うまでもなく目の前の美智子はオカンとは別個独立の存在、いわばアナザー・美智子である。頭ではそのことを理解している。しかし、永年身体に、心に刻み込まれたMICHIKOの響き、MICHIKOのしらべ。そいつは軽々には拭いがたいところだ。
もしも、インザベッドの段階において。
何とか認識を誤魔化し、大脳新皮質を麻痺させ、熱いキッスを交わすことに成功したとしよう。だがその日、その夜。彼女は確実にこう言うだろう。
「ねえ、名前で呼んで」
逃げても逃げても、どこまでも追いかけてくる美智子の幻影、MICHIKO PHANTOM。ストッザタイ!シャリラウ!我慢出来ない!待ち受けているのは確実な意味での悪夢だ。繰り返すが、美智子に罪はない。ただ己が心の弱さを呪うばかりである。
これが僕の定義する "絶妙な瞬間" の一例だ。お分かり頂けただろうか。幸い、28年生きてきた中で、美智子を名乗る女と恋に落ちたことはない。だが、今後も絶対にない、とは言い切れない。そのとき、どう動くか?正に絶妙な判断が迫られることだろう。余談となるが、僕の場合喜代子もアウトである。脳裏に祖母の幻影をチラつかせてまで、誰かと恋をする自信は、僕にない。
その意味からすれば、もし好きになった方から振られるとして。その理由に
「父と同じ名前だから……」
これを出されたら、僕は即座に応諾するだろう。2秒で身を引く構えである。その辛さは痛いほどに分かるからだ。この日記を読んでいる女性におかれましても、もし誰かを振るのに難儀したら、ひとつ 『そういう手もあるのか』 という部分、覚えておいて損はないかもしれない。
■ 流れるBGMがノラ・ジョーンズ
最初に言っておくが、もちろんノラ・ジョーンズに罪はない。そこは念押ししておきたい。
僕が19歳の頃付き合っていた女性は、精神的にかなりヘビーな女性だった。インターネットスラングな言い方をすれば、メンがヘラしていた方だった。
夜中に情熱的なリリックを綴ったメールを数十通射出してきたり、一緒に寝ていたかと思えば、夜中3時ころ、突然部屋の隅で体育座りをカマしたりと、かなりのトリックスターっぷりを発揮なされていた彼女だ。楽しい思い出も沢山あるが、率直なところ辛く苦しかったメモリーも、同じくらいある。
その彼女が好んで聴いていたのがノラ・ジョーンズなのである。というか、ほとんどノラ・ジョーンズしか聞いていなかった。来る日も来る日もノラ・ジョーンズ。エンドレスで流される ♪サンラーイズ サンラーイズ のメランコリックな歌声。真面目な話をしていても ♪サンラーイズ サンラーイズ、バカな話をしていても ♪サンラーイズ サンラーイズ、悲しい話をしていても ♪サンラーイズ サンラーイズ、インザベッドの瞬間も ♪サンラーイズ サンラーイズ、この按配だ。気持ちは分かる。だが、もういいぞと。いい加減沈んでもいいんだぞ、と。太陽、レッツサンセット、と。強く思ったものだった。
(何度でも言うが、ノラ・ジョーンズに罪はない)
ノラ・ジョーンズの楽曲を耳にしてしまう場面。それもまた、僕における "絶妙な瞬間" だ。複雑な感情が一瞬にしてフラッシュバックをカマし、抱える精神年齢がたちまちのうちに19の頃にゲットバックしていく。彼女の住んでいた東伏見の下宿において、数限りない諍いに遭遇した暗い気持ちが蘇る。ハートの弱い僕なのである。
個人的な感覚となるが、音楽と過去の記憶とは、かなり綿密にリンクする関係にあるような気がする。おそらく、何かの経験・体験と関連付けて覚えやすいからであろう。察するに皆さんにしても、聴いた瞬間に過去の記憶が津波のように押し寄せてくるような楽曲のひとつやふたつ、あることと思われる。良きにつけ悪しきにつけ、音楽にはそういう側面が確かにあるらしい。
その筋からすれば、もっとも鮮烈なのは "匂いの記憶" であろう。
■ SAMURAIのスメル
高校時分、香水がやたら流行していた時期があった。たぶんあれは全国的な風潮だったとは思うが、もしかすると僕の郷里においてのみ顕著なムーブメントだったのかもしれない。分からないが、とにかくも15歳~17歳の頃、僕の周囲では香水をつけることが隆盛の極みを得ていた。
当時、友人たちがこぞって購入していたのは『ウルトラマリン』という香水だった。いまはよく思い出せないけれど、爽やかで嫌味のないフレイバーだったように記憶している。誰も彼もがウルトラマリンをその身に振りかけていた。その意味からすれば、ウルトラマリンは僕の青春のスメルである。
そして、SAMURAI。これもまた香水の商標だ。
高校の先輩から居酒屋に呼ばれたときの話である。僕は未だピチピチの15歳で、とにかく早く脱童貞したい!ということだけを願っていた。まあ、時代がどれだけ移ろおうとも、青少年の抱く矜持というものはそれほど変わらないものだ。
そこに一人の女性がいた。往年の矢井田瞳の顔面に5回ベホイミを唱えたような、割と可愛い女性だった。にこやかに話しかけてくる彼女のことに、僕は2秒で恋をした。
先輩「肉欲、こいつ(矢井田ベホイミ)、俺の彼女な!」
恋の花は1秒で散った。人生とはかくもままならないものである。目の前で矢井田瞳(ベホイミ)の乳にタッチする先輩。憎しみで人を殺せたら……体が剣で出来てたら……心からそう思ったものだ。
だが、その後も矢井田瞳(ベホイミ)は優しかった。僕たちが同い年だった、というのもあるだろう。酒の力を借り、余勢を駆った僕はその後も矢井田瞳(ベホイミ)とベムベラベロベロと話し続けた。
刹那、鼻腔をくすぐる柔らかなフレイバー。
そう、彼女がつけていた香水こそ、件のSAMURAIだったのだ。
甘くそして切ない、香りだった。
その後のことはよく覚えていない。確かなのはしたたかに酔ったことと、家へと向かうタクシーの後部座席から、車窓を外にゲロを吐いたことと、その2点だけだ。複雑酩酊状態で帰宅した僕は、そのまま布団を被り、泥のような眠りを眠った。
この話は、翌朝終わる。
目が覚めてPHSのメールを見たとき、世界が鳴動した。
件名:お前
本文:昨晩俺の彼女めちゃくちゃ口説きよったらしいやん。どういうこと?お前ちょっと明日、ボコるから。
僕は明日を迎えるのを待たずに先輩のところに赴き、ジャンピング土下座をお見舞いした。機先を制された格好の先輩は 『ま、まあ別に……酔ってのことやし……反省してるんならそれでええよ……』 、と気楽に許して下さった。常に綱渡りのような人生の僕である。
結果として僕の脳内には、SAMURAIのスメルと共にビタースイートなメモリーが刻み込まれた。いまだにSAMURAIのフレイバーを鼻にすると、当時の苦くて甘酸っぱい記憶が鮮烈に甦る。SAMURAIの香水に接することなどほとんど絶無であるが、もし再びその場面に遭遇したとすれば、それは僕にとって "絶妙な瞬間" となること請け合いだろう。
このようにして、人はそれぞれ "絶妙な瞬間" というものを有している。その内実はトラウマスイッチであったり、興奮ポイントであったりと、様々だ。それらの絶妙さ加減は
『第三者からすれば、知らなきゃ絶対推知できない』
ここにある。それを "人付き合いの妙" と捉えるのか、"地雷" と捉えるのかは、中々に難しい話だ。僕についていえば、『ノラ・ジョーンズがトラウマスイッチである』 これを誰かに推知しろ、と強要するのは無理ゲーでしかない。従って、心に若干の陰を覚えつつも鷹揚に笑って流すことだろう。
さりとて、好んで誰かのトラウマスイッチを踏みたい人間なんて、おそらくいないはずだ。出来る限り虎の尻尾を踏むことは避けるべきである。だが、それはどうしても無理ゲーに近い。付き合いの浅い時分とあれば、なおのことだ。
リスクを減らす方法としては、五官の作用、とりわけ聴覚と嗅覚について慎重になるべきだろう。再三になるが、おそらく聴覚と嗅覚とは、過去記憶との結びつきが強い。であるならば、相手の人となりが分かるまで、その二つには積極的に斬り込まない方が無難である。なるべく無臭に、無音に。要するにそれはリスクヘッジ、というヤツである。
「あんたの髪、うちのオトンと同じ臭いがするんだけど……」
笑えないエピソードだ。恋よサヨウナラ、父性よコンニチハ、である。
「あなたのスメルって何だか、お父さんみたい!」
ちびっ子から言われれば感慨もひとしおだが、意中の女性からこう言われて、喜ぶ男性は少ないだろう。
ちなみに僕は言われたことがある。
その日の酒はとびきり苦かった。
しかし、ここで議論は錯綜する。一部の方からすればにわかには信じがたいかもしれないが、世の中には当該 『おっさん臭いスメル』 を好む女性が、一定数存在するからだ。
「汗臭いっていうか、ハードなフレイバーっていうか……ある種の加齢臭?的な。そういうの、何かクラっときちゃうときがあるかも」
たゆまぬ実地調査により得られた結論がこれだ。もちろん、一部で全部を論ずるつもりはない。だが、こういう "一部" の声もあること、それは確かだ。
「なんて言うか、野趣にあふれる感じでいいよね」
や、野趣?!今日び、野趣という単語を口語で用いる御仁もそうおるまい。ちなみに大辞泉によれば、野趣(やしゅ)とは 『自然のおもむき。また、田舎らしい素朴な味わい』 この意味だ。そういう説明を施されれば、確かに分からないでもないが……。
いや、でも、言われてみれば?僕としても女性の側が野趣に満ち満ちたスメルを放つ姿を想像するに、興奮を覚えない訳ではない。いや率直に!興奮する可能性が極めて大である。それは概ね以下のような場面である。
僕「さあ、俺のトランスフォームしたペニスでコンボイの謎に迫ろうぜ……」
「ダメ、今日は汗をかいたからシャワーを浴びないと……!」
僕「We can't stop the music!つくろうこと不得手な性格なんだ」
「DA PUMPはやめて!お願い、シャワーを浴びさせて頂戴!」
僕「無理だ、もう我慢できない!クンクン、スーハースーハー」
「クウッ!悔しい、恥ずかしいわ!クウ〜ウッ」
確かに。こういう方程式に置き換えさせて頂ければ、女性サイドの言わんとすることも分かる。その抱える恥ずかしさをねじ伏せ、無理矢理にその方の野性味を鼻に迎え入れる、そのシーン。そいつに興奮しないのかと訊かれれば、僕は曖昧に、しかし確信を持って 「興奮、するよね」 と答えることだろう。好きな相手であるからこそ、包み隠さぬ野趣までも余さず愛でたいところなのである。
もちろん、何ごとにも例外というものは存在する。
以下は、近所の居酒屋で主婦が実際に交わしていた会話である。
「マジで亭主の加齢臭が度し難くてねぇ」
「でもさあ、木下優樹菜が『フジモンの加齢臭がいい!』とか言ってたじゃん。そういう需要もあるんじゃないの?」
「ハァ?んなもん、頭がお花畑のうちだけに決まってんでしょ。その人のことが好きだから好きなのよ。脳味噌がハッピーだから許してるだけ。どうでもいい男の加齢臭とか殺意モンでしかないに決まってんじゃん」
「ああー、確かにそういうもんかなー」
「マジでさー、亭主の身体を丸ごとハイターに漬けてぇー」
※ハイター=漂白剤
オーウ……マジでノーマーシーな話デース……いや、でも、しかし。おそらくそれは真実なのだろう。僕だって全く興味のない女性の野趣を嗅ぎたいとは思わないし、思えない。それは積極的に勘弁な案件であり、事と次第によっては法廷闘争も辞さない構えだ。最高裁まで争う気概である。
「だ、ダメだよ……汗臭いよ……(///)」
もとい、もとい!!この間合、この呼吸なのだ。
『ダメらよぉ…』→俺『ダメじゃない!!!』
『やめてへぇ…』→俺『やめない!!1!!』
答えは全て提示されているのだ。『ダメじゃない!!』、仮に俺たちがそうシャウトした瞬間、取り巻く全ての事象は 『ダメじゃない世界』 として定義されるのである。ここでいう "ダメじゃない" とは、僕なりの翻訳を施せば 『マジでウェルカム』 という意味だ。アンダーラインを引いて覚えておいて欲しい。
「ねえ、早くしようよ……(///)」
「いや、シャワー浴びようよ」
なぜならその反対解釈として。我々だって、言うべき時はきっちり言うからである。好きな人のあばたはえくぼであるが、嫌いな坊主は袈裟まで憎いのだ。それは男女の別など関係なく、そうであろう。業の深い我々の抱える真実の精神作用である。
「あなたって加齢臭がするね!抱いて……(///)」
「あなたって加齢臭がするね!帰って……(´^ω^`)」
実に微妙な分水嶺である。スイッチがポジティブ方面に入るのか、ネガティブ方面に入るのか。それは多分に博打的側面を含んでいると言わなくてはならない。
「今すぐ、ハイターに浸かって頂戴!!」
意中の人からそんなことを言われたら、おそらく立ち直れないだろう。そうである以上、やはり僕たちはトラウマスイッチに敏感でなくてはならない。
その意味からしてみても、口臭に気をつけるだとか体臭に気を回すだとか、過度に趣味性の高い分野に切り込まないであるとか。何でもないことのように聞こえるかもしれないが、それら一つ一つと丁寧に、慎重に向きあうことは、人付き合いという分野において実に大切なことである。
「それは、嫌われないように生きろ、ってこと?」
そうではない。好かれたくもない人に嫌われたところで、何の問題もない話だ。
ただ、油断をするなという話である。
リスクヘッジをした上で嫌われるのならともかく、無意識・無頓着の果てに嫌われるのは、予想外のリスクを強いられるものだ。いわゆるところの "あらぬ噂" というものは、そういうシーンから生まれがちなのである。人間関係とは実にファジーでいい加減なものだ。だからこそ余計に繊細で、面倒くさい。
「好かれたい人にだけ好かれればいいよ」
普段からそう公言して憚らない僕であるが、だからこそどうでもいい人に対して、過剰なまでに気を遣って接するようにしている。その人に与える印象が、巡り巡ってその "好かれたい誰か" に対し、予想だにしなかった影響を与える可能性があるからだ。
そういう意味で。他者の抱える "絶妙な瞬間" 、並びにトラウマスイッチには、人並み以上に敏感な僕なのである。
初対面の方、ないし立ち位置のよく分からない人に対しては、努めて毒にも薬にもならない話をするよう注意する。踏み込まず、踏み込まれず、曖昧に笑って話をぼかす。次に会った時、どうとでも動けるようなライン取りを心がける。
ここ数年、そういう接し方をするようになった。
僕も歳をとってしまったな、と。
否応なく感じさせられる昨今である。
トラウマスイッチって流行語にありそう
we can't stop the musicを検索したのは自分だけではないはず
この台詞を吐く女性はそうそういないでしょうが・・・。
しかし子供の頃ガチで汚いと思ってたものも年とると汚いと思わないようになってきますね。
B’zですねwww