肉欲企画。

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2012年01月08日

この世はバラ色の ボンボンみたいね

完成された変態について、僕はそれほど興味を持てない。

何がしかの性的傾向が萌芽する瞬間。
あるいは芽吹いてから、成長する最中の様子。

そいつを垣間見る方が、何だか胸がトキメイてしまう次第だ。

 
こういう性質のブログを書いているため、年に何度かは 『SMクラブに行きませんか?』 ないし 『ハプニングバーに行きましょう』 といったオファーを受けることがある。僕はその都度曖昧に笑い、その誘いを遠慮する。あまり興味を持てないからだ。

それらの集いを低く見ているから、ではない。SMクラブはともかく、ハプニングバーには何度か行ったことがある。それ自体はとても得難い経験だった。ただ感想としてはそこで終わってしまう。レアではあったが、興奮はしなかった(ここでいう興奮とは、知的好奇心を指すそれである)。

居合わせた6割方の人たちは、僕の目からしてみれば、ある種『完成された変態』の方々であった。自らの行いに何の恥じらいも持たず……というより、そういう浅い境地はとうの昔に潜りぬけ、威風堂々とハプニングバーに鎮座まします方々だったのだ。

主観の話なので実際は違うのかもしれない。
だが少なくとも僕の目からはそう見えた、それは確かなところだ。

ステキなことである。自らと向き合い、自らと討論し、そして一つの結論へと到達する。その結論の発露の場としてハプニングバーをチョイスする。そこで同好の士と語らい、交じり合う。通俗的な評価がどうあれ、その精神性にケチをつける道理はどこにもない。自分だけの歪な尺度で他人のココロの在り方の良し悪しを測るのは、ヤボでゲスな行いだろう。内心の自由、というヤツである。

自らの性的傾向を100%理解するなんていうのは、並大抵のことではない。誰もがそこで迷い、苦しむ。道徳や倫理規範が国や歴史に応じて千変万化するせいもあるし、己が日々絶えず成長するせいもある。どのような角度から分析するにせよ、とにかくも自己の抱える性的傾向の御姿をつぶさに把握することなど、僕からしてみれば "およそ不可能" であるように思えてならない。

ゆえに、あの日僕がハプニングバーで 『確信に満ちた目で公開プレイに及ぶ50(♂)VS 20(♀)』 のバトルシーンを目撃した際には、完成された世界を目の当たりにした気がした。他者がそこに何かを足すことは出来ないし、引くこともできない。介入の余地があるとすれば、刑法を盾にした公権力くらいのものであろう。

世界が完結してしまった彼らに対し、僕みたいなものが

「公開プレイは、ちょっとどうかと……」

訓示をカマしても、その世界に動静は生じない。何だか無粋な奴が来たな、という部分に想いを馳せてから、彼らは再び二人の世界に耽ることだろう。

これが僕の定義する 『完成された変態』 の姿である。変態、と呼称したのは便宜上のことで、別に僕は彼らのことを変態だとは思っていない。許されるならば "確信に満ちた人々" という風に表現させて欲しい。

確信に満ちた人々。
彼らの見る世界は無垢で清潔で、何より泥臭いに違いない。

無垢な気持ちで自分と向き合い、清潔な感情で対象と向き合い、泥臭い息を社会から吹きかけられる。そんな世界だ。

その世界は永続するとは限らない。

無垢な気持ちを喪失し、清潔な感情は押し流され、泥臭い息に潰される。そういう瞬間も容易に訪れ得る。非常に分かりやすい例で言えば

"逮捕→起訴→実刑"

という様式美である。それらの生々しいアーカイブをご覧になりたい方は、今はもう更新を停止されてしまった 『変態さん、いらっしゃい』 というブログをご覧になることをオススメする。

だが、当たり前の話であるが、崩壊するまで世界は続く。抱き続ける限り、確信は確信として成り立ち続ける。性的傾向は逃げない。逃げ出すのはいつも人間の方でしかない。

だからこそ、確信に満ちた人々は、僕の目から見てどうしようもなく尊く、そして輝いて見えてしまうのだ。

そしてそれが輝いて見えれば見えるほどに、僕のその方に対する興味は、反比例的に低減してしまうのである。その方に何かの関わりを持つこと自体が野暮になる気がして。あるいは、それ以上広がりを持たない(であろう)世界の住人と接しても、何だかつまらないような気がして。

いつまでも迷い立ち止まっていたい僕なのである。閉じて完結してしまった世界は美しく、そして眩く映る。けれど僕にとってのそれは、息苦しさの象徴でしかない。

「なんで、どうして俺はこんなものに興奮しているんだ?!」

エンドレスに自問自答していたいのだ。終わらない青春症候群の真っ只中を、もう何年も抜け出し切れない僕なのである。

もちろん、そんな想いを他人にぶつけることはない。

「どうしてアンタはそんなもんに興奮しているんだ?」

訊くのは簡単だろう。だがそんなものはマジでビッグなお世話だ。

「おめえには、関係ねえだろ……」

一蹴されることウケアイであり、その論理には一点の曇りもない。また、訊いたら簡単に返ってくるような答えになんて、何らの意味も見出すべきではない。

「どうして彼らはあんなことをしているのだろう?」

もし考えるべき点があるとすれば、それのみである。それにしたって、心のなかの僕は2秒で即答するだろう。

「好きだから」

話はそこで終わりだ。それ以上の思索は、ほとんどの場合無意味で不必要である。99%の噂話がそうであるように、無限の仮定・伝聞を積み重ねた結果、大胆に誤った結論へと軟着陸する可能性が極めて大である。

「人に見られるのが好き、というのは、おそらく幼少期に他者からの承認欲求が満たされず、それにより得るべき経験が積み重ねられなかった結果として……」

死ね、の一言だ。その行為は、思考経路は、他者への理解ではない。ひたすら 『自分にとって分かりやすい結論へ導くための、強引な推論』 でしかない。自分は一歩も動こうとせず、相手をこちらに近づけるようなやり方は、いかにもさもしい。もちろん、精神分析を生業としている方であれば、そういうアプローチも必定なのかもしれないが。

結果として僕は、確信に満ちた人々について 『そうあるもの』 としてしか接しないし、接せない。総じて結論は 『好きだから……』 という、実にプリミティブな理由にしかたどり着かないからだ。

「じゃあ、どうして好きなの?

こんな残酷な質問もない。途端に酒も不味くなるだろう。もし僕がその質問を投げることがあったとして、それは相手のことが大好きか大嫌いか、そのどちらかの場合である。そういう方であれば、『俺は残酷な質問をしているな』 という覚悟を携えながら、最後の一線まで切り結ぶ気概を持てるからだ。5日5晩くらいは話に付き合ってやるだろう。

しかし悲しいかな、世の中の九分九厘は 『大して好きでも嫌いでもない人』 で組成されている。確信に満ちた人々も、大抵の場合そのカテゴリに分類される。そうなると、どうしても

「ああ、あの人はそれが好きなんだ。羨ましいな。でも別にどうでもいいかな。だって彼らの世界は、今のところ完結してしまっている訳だし」

こうなる。冒頭にて 『完成された変態についてさほど興味を持てない』 と述べたのは、そういう趣旨である。いつも通り長い前置きですまなんだな。

個人的な話となるが、僕は常に惑い、もがき苦しみたいのだ。どうして俺は、こんな……?!そういう自分のココロの在り方と、いつだって向き合いたいのである。それは別段僕の感情にだけ向けられた話ではない。

「俺、最近なんだかリクルートスーツにモヤっとくるものがあって……それだけのために就職説明会に通っているっていうか……でもそんなの誰にも言えなくて……このキモチ、どうしたらいいんでしょうか!?」

活きた魂のシャウトである。止まれない、曲がれない、前にも進めない!ヴィヴィッドなドドメ色の感情が、確かにそこに。

「ボーイ、朝まで飲もう!

俺は彼にビールを奢るだろう。俺の分のお通しだってくれてやるさ。そして俺は言うだろう。『俺もその袋小路に、ここ5年くらいは立ち止まっている』 と。舘ひろしの声で。

いつまでも発展途上でいたいのだ。青いつぼみのままで在りたいのである。

「いいっすよね〜。俺も彼女にリクスー着せてするセックス、好きですわ!」

ご理解頂けるだろうか、この分かってない感じ。そーいうことじゃ、ねえから!俺は叫ぶだろう。叫んで焼酎を奪い取るに違いない。そういう蒙昧な輩に飲まれる焼酎が不憫でならないからだ。焼酎サイドにだって選択権はあっていい。

「ハメ撮り?そんなの簡単ですわー。こうしてああしてベムベロベラベラ」

はいはい良かったね。はいはい良かったね!良かったからお前は壁を向け!そしてビール片手に微笑む岡本夏生のポスターに向かって喋ってろ。何度も言うが、そういう話ではないのである。スピードの向こう側のトークをしたい訳ではないのだ。

「どうやったらスピードに追いつけるのか?」

ここを大切にしたいのである。思い出が思い出だから美しいように、憧れは憧れであり続けることに意味がある。手にしてしまえば、追いついてしまえば、途端に色褪せてしまうだろう。

今日の日記は、妬みや嫉みの類の内容ではない。ただ僕には僕なりの欲望への向き合い方があり、その在り方は少しだけ難儀なものであると、それだけのことだ。そこから逆算したとき、欲望を十全に手にしてしまった方々のことは羨ましくも思う反面、乾いて見えてもしまう。矛盾のない、素直な気持ちだ。


♪本当の愛なんて歌の中だけよ


『夢見るシャンソン人形』という歌の一節だ。
胸に突き刺さる響きである。
また、舞城王太郎は著作の中でこう記した。


『ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ』


理想や欲求、ピュアな下心というものが、この僕の中に存在するとしても。それが叶うことはないだろうし、あるいは叶ってはいけないようにも思う。それはフィクションの中にしか存在しないから美しく、余計に儚い。現実に立ち現れれば、砂上の楼閣のように脆く消え去ってしまうに違いない。きっと、かつてあった情念と共に。

歌の中にしか、嘘の中にしか存在し得ない、何か。
それを希求し、どうして俺はそんなものを求めているんだ?!というところで立ち悩み、少しブログに書いてみる。確信に満ちた人々からのコメントを受け 『そうじゃ、ねえんだよなあ……』 と独り部屋で呟き、またブログを書く俺。

たぶん2012年も、そんな感じで。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

今年もひとつ、肉欲企画と僕のことを、なにとぞよしなに。



肉欲拝


posted by 肉欲さん at 04:30 | Comment(14) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
まとまってんだかそうでないんだかw
Posted by   at 2012年01月08日 05:10
あけましておめでとうございます。
Posted by at 2012年01月08日 08:57
あけましておめでとうございます。

今日の日記は激しく同意の一言です
Posted by at 2012年01月08日 10:25
ぶっちぎりですやんか
Posted by at 2012年01月08日 10:35
今年も変わらずですね
Posted by at 2012年01月08日 11:56
明けましておめでとうございますw
マスクドさん帰ってきて欲しいですねぇ。。

読んでて童貞だった頃のドロっとした
感覚を思い出した。世界がキラキラしてたなぁ。。。
Posted by   at 2012年01月08日 16:10
理想は遠くにあるからこそ美しく、手にするとそれはつまらぬものにすぎぬ。そのことを知るのが怖いのだ。私は世界に色褪せて欲しくないのだ。

こんな感じ?

違うか

【肉欲より】

そんな感じもあります。
Posted by うんこ at 2012年01月08日 16:38
なんかふと思ったんですが、ドラえもんには完結して欲しかった。

何故かはよくわからない。
Posted by うんこ at 2012年01月08日 17:04
一読して、棒太郎氏の趣向はこんがらがってるなぁと思いましたが、
少し自省してみると、自覚度に大きな差があるけれども、『追いつかなあたものを追いかける時スゲー燃える』傾向は僕にも大いにあって、
なんか棒太郎氏と共犯意識、これは嬉し恥ずかしですぞぐへへへって感じな同性愛者の僕です。
Posted by いるま at 2012年01月08日 22:42
セッ◯ス中に『このまま食べられたい』って思う

叶って欲しいけど叶ったら死んじゃう。。。ってジレンマ

世の中変態ばかりだねー
Posted by at 2012年01月09日 00:54
今年も肉さんの文章が読めて嬉しいです。よろしくお願いします。
Posted by at 2012年01月09日 01:06
なんだろう、そういう葛藤にならない困惑って言葉にして誰かに伝えたら消えていっちゃいそうな気がする
Posted by at 2012年01月10日 18:52
昨日のケンカを思いDA-SU?
Posted by あおい at 2012年01月11日 00:40
舞城王太郎は九十九十九が好きです。
Posted by at 2012年01月11日 01:06
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