・ お姉さんに癒されたい
なんともしどけない表明であるが、しかし真っ先に思いついたのがこれなのだから、もう仕方がない。俺は自分を誤魔化す術など知らないし、誤魔化す意味も分からない。いつでも胸を張って生きていく所存である。皆さんも遠慮せず生きていけばいい。
これについて誤解を抱いている方もいるかもしれないが、人にとって、男にとって "お姉さん" とは、年齢の上下によって定義されるものではない。あくまでも対象が "お姉さん性" を有しているか否か?議論の肝はそこに帰着する。
今年の初頭、インターネット界の話題を掻っ攫っていった『まどか☆マギカ』というアニメ作品がある。そこに登場する "巴マミ" という少女がいるのだが、あれなどは分かりやすい "お姉さん性" である。巴マミの設定は中学3年生であるものの、彼女から放たれる説明不要のお姉さん性は、異常だ。僕は年齢差の垣根などを気軽に飛び越え、一回り以上歳の離れた彼女のことを 『マミさん!お姉さん!』 と認定するのに、些かの躊躇いもない (余談となるが、僕自身は杏子派である) 。
要するにそういうことなのだ。"お姉さん" を論ずるにあたり、年齢などそれほど意味のない概念なのである。巴マミだとよく分からない、というのであれば、赤木剛憲を想起してくれれば良い。性別は異なるが、彼もやはり "理屈など吹き飛ばす説得力" を有するキャラクターであろう。もし目の前に赤木キャプテンが現れたらば、僕は1000%敬語で話す自信がある。お分かり頂けるだろうか。
非常に微妙で繊細な話なのであるが、別に僕は母性を求めている訳ではない。こういうことを言うと 『じゃあ、お姉さん性と母性とって、どこがどう違うの?』 その疑問も当然抱かれることだろう。それについての言語的な説明は、少々難しい。それは十人十色に異なるだろうし、厳密な定義などは、おそらくまだ存在していない。
個人的な願望でいえば "こたつでミカンを剥いて欲しい" そういう表現になる。あ〜、この人にこたつでミカンを剥いて欲しいなぁ〜。そういう欲求を抱かせてくれる女性は、たとえ歳が10も離れた方であれ、彼女の中に "お姉さん性" を見出すことだろう。
僕が求めているのは、以下のような状況だ。
「みかん、食べる?食べるのなら、剥こうか?」
僕「ニャ、ニャーン!!!!」
これが母性であれば
「ほれ、ミカン剥いてやったで。食べ」
僕「もぉおおお!!ええけん!!!自分で剥くけん!!!!」
「ほれ、白い筋も取ってやったで(ドヤサァ」
僕「もぉぉぉおおおおおおお!!!!」
こういう感じだ。
尊いシーンではあるものの、僕の望みを叶えるそれではない。
「お雑煮にモチ、三個入れといたでぇ〜」
僕「もぉぉおおおおお!!!」
「おしるこ作ったのだけど、食べる?」
僕「ニャニャーン!!」
求めているのは、だから、そういうことなのである。
お分かり頂けるだろうか。
今回ばかりは分かって頂けるか、僕としても心配でならない。

(件の巴マミさん)
・ ハメ撮り
貫禄のニ発目がこれだ。僕は2012年、ハメ撮りだけを目標に生きていく気概である。
付き合った人については、根掘り葉掘り過去の男性経験を訊かずにはおられない……という新機軸の性癖を具備している僕であるが、極めて高確率で同時上映される光景があるとすれば、それはハメ撮りをオファーするシーンへと収斂していく。気分はまさにスタンリー・キューブリック。
「お前、俺の作品で、銀幕を飾ってみねえか?」
僕は時々の彼女に笑顔で申し向けてきたし、その時々の僕の心に、一切の嘘偽りは存在しなかったと言わなくてはならない。
「バカじゃねえの?」
いつでもフラットな言葉が返ってきたね。僕みたいなもんと付き合うくらいの女性は、大抵において肝が太い。放つ言葉もオン・デマンドだ。曖昧な言葉で誤魔化そうなどとはせず、きっぱりと『NO!』を告げてくる。それはプロ vs プロの図式、心もヒリつくひとときよ。
かくして僕は全ての勝負に敗けている。各種記録媒体にブイ(VTR)が収められたことは、一度もない。いつでも僕はキューブリックのキモチであったのだが、どうやらそれは上手く伝わらなかったようだ。自分の口下手さが憎くてしょうがない。
「大体そんなもん撮って、どうしようってのよ!!」
幾度と無く叫ばれた御言葉であるし、おそらくこれからも叫ばれ続ける呪言であろう。気持ちは分かる。だが並べて芸術というものがそうであるように、そこに確たる理由などない。撮りたいから、撮りたい。そこにくだくだしい説明など、一切必要ない。俺は多くは語らない。語りたくなどないのである。
「へえ、撮りたいんだ。じゃあいいよ!撮っても★」
そのとき、俺は目の前にいる女を黄泉へと送ることだろう。
そういうことではないからだ。
別に僕は、僕たちは、安易にオッケーされたい訳ではないのである。むしろ積極的に!拒んでくれて構わない。どちらかといえば拒んで欲しいくらいだ。拒まれて、否定されて、悪罵されて。そのとき初めて、僕たちの抱える芸術欲求は更なる高みへと上り詰めていく。燃えてしまうのである。
「気持ちは分かる!だが、そこを何とか!!」
「しつこい!サイッテー!!」
満点の答案だ。
拒まれてこそ咲く花というものは、確かにある。
その意味からすれば、唯々諾々と
「えぇ……こ、困っちゃうな……でも撮りたいっていうのなら、いいよ……」
そんなことを言われる状況になど、何の真実も眠っていない。お前はそれでいいのか!?激怒と共に、俺はあんたに説教をカマすだろう。『撮りたいのなら、いいよ』 、この言葉に "愛" を見出す輩もいるのかもしれないが、僕からすればそんな言葉は、主体性の喪失された空っぽの言辞でしかない。
「イヤだっつってんだろ!ブチ殺すぞ!!」
そんな女性に『イエス』を言わせたい。
数多なる否定を受けた後にだけ、肯定の言を得たいのだ。
それは魂と魂のぶつかり合いなのである。
あなたと僕との情熱に温度差があればあるほど、そこに生じる絶対値的な熱量は、凄まじいものとなるだろう。空前絶後の芸術が爆誕するに相違ない。故に理解も共感も不要だ。
『ハメ撮り?イイヨ!なぜとなれば、前の彼氏とも同様の試みに打って出たことがあるし☆(ゝω・)vキャピ』
まるで的外れな物言いなのである。そのアンサーソングを受けた瞬間、俺は憤怒の表情でその場に立ち尽くすだろう。立ち尽くし、そのブイの提出を求めるだろう。そしてひとりで帰宅し、そっとそのブイを再生するだろう。3発……いや5発は、抜くだろう。『お前こんな……俺と出会う前にお前、こんな……クゥ~ウ!』 それはNTR的な観点からすれば満点の解答だ。ハナマルだってあげちゃうぜ。だがそれとこれとは別問題なのである!話を混ぜっ返さないでくれないか!!
再三になるが、未だ僕はかかる芸術 (ブイ撮り) を誕生させることに成功していない。しかし、それは喜ばしいことなのだ。
安易に迎合する女性がいない、という事実は、丸ごと 『これから先、芸術をこの手に出来る可能性に満ち満ちている』 このことを担保してくれるからである。
その意味からすれば、あんたがたは俺の俺による俺のための 『撮りたいから、撮りたい』 この情念を理解してくれなくとも構わない。むしろ理解してくれない方がいい。
「頼む!!犬に噛まれたとでも思って、撮らせてくりゃれ!!!」
「死ね!あっという間に死ね!!」
僕の芸術は、そこがスタートなのだから。
かなり真剣に考えてみたのだが、どうしてもこれ以外の希望、願望は思いつかなかった。常日頃からブログ上に自らの願望を吐露しているからなのだろうか。いずれにしても、願いが二つしかないという点から鑑みるに、なんとも謙虚な人間である。もっと望んでもイナフなのに!そんな声なき声が聞こえてきそうであるが、いいのである。僕はこれくらいで十分なのだ。
皆様も肝に銘じておいて欲しいところであるが、過度な願望は必ずあなたを破滅へと導くことだろう。人は足ることを知らなくてはならない。
小さなことからコツコツと。
刻むような人生を歩んでいきましょう。
僕と一緒に。
でも来年の事を言うと鬼に笑われちゃうぞ!!
おねぇさん性…。
ところでおねショタと言った類のものはどうなんでしょう?
言葉ではなく魂で。
やはり癒されたいのは「おねえさん」でも「おねぇさん」でもなく「お姉さん」なんですよね。各語のイメージから受けるイメージが肉さんと全く同じなわけではないと思いますが
「お姉さん」
やはりこの表記が一番ぐっときます。
番外で「姐さん」も好きですがこれだとまた違う分野になりますね。好きですが。
自分は「姐さん性」に惹かれますね。多分一種のギャップ萌ですが