戦いに向けてのアウトラインは、非常に粗雑ではあったが、まずは整いつつあった。もちろん、まだまだ詰めるべき箇所は山積している。出木杉とドラえもんとは日が落ちてもなお、膝を付き合わせての議論を繰り広げていた。
「22世紀の世界にあって、どうして人類はサンタを叩きのめせないのだろう。撃滅できない理由は、ドラえもん、どこにある?」
「その答を提示するのは簡単だが……その前に、出木杉。お前は、なぜ俺達が奴らを撃退できないままでいると考える?」
「思うに、ひみつ道具の無効化、じゃないだろうか」
「その通りだ。まァ、厳密に言えば少し違う。通じる道具もあるが、大半の道具は奴らに通じない」
「通じるものと、通じないものとの別は、何だ」
「完全に判明した訳じゃない、というエクスキューズを付させてもらったうえで聞いてくれ。思うにあいつらには、直接的強制力のある道具しか通用しない。それ以外の影響……例えばあいつらに対し、『因果律をねじ曲げるような干渉』を行おうとしても、軒並み無力化される」
「要するに、もしもボックスで『もしサンタがこの世からいなければ』というのは、まるで効果を発揮しない、という理解でいいのかな?」
「そうだ。ほかにも、悪魔のパスポートで『人類に従え』という命令をしても、それは通じない。現にそれを試した人間もいたが、結果は無残なものだった。どくさいスイッチなんかもまるでダメだ。ただ、ショックガンや空気砲、無敵砲台とか……そういうものは有効だった」
「一体、どういう原理なんだろうな」
「それは分からん。だが西暦2105年の戦闘において、奴らは印象深い台詞を残している。曰く『理屈の分からん科学を何とする?敢えて言おう、それは魔法である』と」
「その話から逆算すれば、サンタ陣営は22世紀の世界において、現存する科学知識とは異なる独自の科学体系を有している、という仮説が構築できる。奴らは、22世紀の人間からすれば及びもつかない知的財産を指し、『魔法である』と称した……」
「分析の無力さを感じるだろう?出木杉よ。それが分かったところで、じゃあ俺達に何ができる?何ができた?奴らが俺達の持つそれを凌駕する科学を有している、おそらくそうであるらしい。そいつが分かったところで、出木杉、そんなもんに何の意味もないのさ。大事なのは奴らの体にはきっちり鉛玉が届く、そこのところだけだ」
「もう一度確認したい。ひみつ道具について、サンタ側に『物理力的な影響を与えられる道具』以外のものは、無力化される。では、フィンランドまでどこでもドアで赴くこと、こいつは可能なのか?」
「可能だ」
「奴らの本陣に直接乗り込むことは?」
「それは、できなかった」
「たとえば悪魔のパスポートで、戦闘意欲のないものを無理やり洗脳し、サンタ側に特攻させることは?」
「可能だ」
「なるほど……何となく分かった。これはひとつの推論だが、もしかすると奴らは『遊んでいる』のかもしれない。サンタ側が本気になれば、ドラえもんのいう『直接的強制力』そのものだって排除できる可能性もある。F22での攻撃は奏功するのに、それよりもっと先進的な技術であるはずのふしぎ道具が通用しないという事実について、合理的な解を導くとすれば、いまのところそう考えるのが自然だ」
「遊んでいる、か。出木杉、おそらくお前の見立ては正しい。奴らは基本的にフェアだ。俺たちの仕掛けるやり方と、大体同じような戦術概念で以て襲いかかってくる。想像の裏をいくような搦め手は使ってこないし、ほとんどにおいて火力オンリーだ」
「ほとんど。では、例外もある?」
「あるには、ある。ただ、それにしても直接強制力の枠からは出ない。奴らは時に、奇妙な歌で以て我々のことを惑わしてくる。歌を耳にした者は即座にその精神を崩壊させる。メカニズムは謎だ。防ぐ手立ても見つかっていない」
「まさに魔法、だな」
出木杉はひとつ息をつき、じっと天井を見上げた。物言わぬ木目が静かに少年の顔を見つめ返す。『理屈の分からない科学、それは魔法』−−先にドラえもんの発した台詞が、しつこいほどに頭の中でリフレインした。
「いずれにせよ、出来ることは限られているんだ。熟考は大事だが、迷妄は無駄でしかない。考えすぎてドツボにハマるよりゃあ、小さいことを地道に積み上げてく方がなんぼかマシだろうよ」
言いながらドラえもんは四次元ポケットに手を突っ込む。それほど広くない室内が、あっという間にひみつ道具で満たされた。それら道具の群れをしばらく眺めた後、手早くリストアップを始める。察するに、来るべき戦いにおいて使える道具とそうでないものとを仕分けているらしい。確かにそれは、小さいながらも重要な作業だ。
「ドラえもん、どこでもドアを借りるよ」
「構わんが……どこに行くんだ?」
「さっき情報を得たデカブツ、まずはあいつを説得しなけりゃならない。とはいえ、かつての日本に心酔し、『忠臣は二君に仕えず』とまで言ってのけたヤツなんだ。そう難しい交渉にはならないだろう」
「うん、まァそのあたりのことは、全て任せるよ」
助かる。それだけ言って、出木杉はすぐに部屋から姿を消した。
後に残ったのはドラえもんと、そしてのび太。
「一体、どうなっちゃうんだろうね。ドラえもん……」
弱々しいトーンで話しかけるが、その背中は黙して何も語らない。ドラえもんは相変わらずひみつ道具の確認作業に余念がない。
「26日を迎えたころ、僕たちの地球は、どういうことになっているんだろう。僕たちの町は、僕たちの世界は、それまでと同じようでいられるのかな?いつもの皆が、いつものままで、そこで笑っててくれるのかな?」
なおもドラえもんは語らない。ドラえもんとのび太とを隔てる空間には、あたかも粘度のある障壁が介在しているかのようで、声も温度も、届かない。それでものび太は問わず語りに言葉を投げる。何が起きちゃうんだろう、と。僕たちの周りは、どう変わってしまうんだろう……と。
「なァ、のび太」
どのくらいの時間が経った頃であろうか。出し抜けにドラえもんが口を開いた。重く鈍く、錆びついたような声色だった。
「俺は運命論者じゃない。全ての理は最初から決まってる……なんて意見は、糞にまみれたゲロ袋みたいなもんだ。ひどくつまらないし、空疎だろ。そんなのって」
「それは、どういう」
「仮に全ての運命が変えようのないものだとしても。そんなモン、俺からすりゃあ知ったこっちゃない。なぜなら、運命がどうあろうと、『俺の認識する』『俺だけの世界』は、誰にも、何にも、揺るがすことは出来ねえからだ」
ドラえもんの認識する、ドラえもんだけの、世界。のび太はその時、ふと思った。彼の目にする世界は、果たしてどのような色彩に満ちているのだろう。彼はその双眸で何を見て、何を見ていないのだろう、と。
「取り巻く世界が100回瓦解したところで。俺の認識する世界が壊れていなけりゃ、俺はそれでいい。全てを決めることが出来るのは、他の誰でもない、俺だけだ。そこんところからすりゃあ、のび太。世界ってなァ、どうにか『なっちゃう』もんじゃあない。俺の考えからすりゃなあ、のび太。世界ってなァ、どうにか『する』もんなんだ」
「どうにか、する、世界……」
それだけ言ってから、ドラえもんは再び口を噤んだ。その瞳には、既に彼の世界しか映っていないのだろう。彼にしか見えない、彼だけが描ける、孤独で優しい、虚無の世界が。
「それでも僕は――」
そこから先は言葉にならなかった。言えば、全てが嘘になる気がした。ドラえもんの見える世界とのび太のそれとは、決して同じではない。時に近寄ることはあったとしても、焦点を結ぶことは、永劫ないのであろう。だからのび太は、黙って部屋を後にした。
「それでも僕は、君と僕と、僕を取り巻く世界の全てを、守りたい」
『なる』世界を、『する』世界へと導くために。
「……なァ、のび太くん」
ドラえもんは呟く。
「何かを守るって決め、それを達成した、その瞬間。
それは確実に――
別の誰かの抱く、別の世界を。
こなごなに壊しちまうんだ」
誰もいなくなってしまった部屋の、虚空に向かって。
ーー同刻、フィンランドーー
粉雪が舞っていた。あの日と同じように、美しくも儚い、物言わぬ粉雪が。
「あなた」
妻の声に後ろを振り返る。見れば、絹のように美しい掌をこちらに向かって捧げている。その中には小さな小さな、人形のような物体がひとつ、ちょこんと鎮座していた。
「S.AN.TA、完成しました」
「そうか、ご苦労だった……」
Soldier of ANti-human TAlisman(排外の守人)。
その日、北欧で誕生した凄惨なる撃滅兵器。
それはサンタクロースの妻の手の中に、確かに。
「いつ出立なされるのですか?」
穏やかに微笑みながら妻は問う。それはまるで、夫の旅程を確認するように緩やかに、優しげに、一握の狂気と共に。
「わしは、サンタじゃ」
妻の手からSANTAを受け取り、指先で弄ぶ。最前まで小指の先ほどの大きさだった人形が、見る間に十尺ほどの巨躯へと姿を転じた。
「サンタが夢を運ぶとあれば、聖夜をおいて他にあるまい」
獣と化したSANTAは、ねっとりとした唾液を撒き散らしながら咆哮を上げる。ひとつの地点から発せられた雄叫びは、やがて海練となり津波となる。気づけばそこに、数千数万のSANTAの実存が、猛り生じた。
「聖夜に運ぼう。醒めない夢を。終わる世界の朝日を前に」
サンタの顔が悪意に染まる。気高く歪んだ横顔を肴に、妻は己が股間をまさぐる。漆黒の森と化した獣の群れは声を限りに叫び続けた。空気が震え、大気が揺らぐ。その時、雪嶺から大規模な雪崩が生じた。
見える世界、見えなかった世界。
なる世界と、する世界。
崩落に任せるほかない雪を契機に。
取り巻く世界の、終焉が始まる。
ドラえもんの言葉に濡れた
SANTAにワクワクした!
続きが楽しみ!
肉たん、いつもありがとう!