肉欲企画。

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2011年12月08日

その駅が、その駅になるとき

ひとりでいる時間が好きだ。

それは別に『誰かと一緒にいたくない』ということではない。

友人と共に過ごす時間はかけがいのないものだ。
また、寂しがりやな僕は、出来る限り誰かと一緒にいたいと思うことが多い。

だけど、それとは全く別の意味で、ひとりの時間は尊い。
誰かと一緒にいる時には見えなかった、見ることのできなかった世界。

それはひとりの時間の中にだけ、ひっそりと佇んでいる。

 
ひとりの時間を過ごすには、目的を定めない方が心地よい。何となく外に出て、何となく歩いて、何となく電車に乗って、何となくどこかの駅で降りる。言葉にすると安っぽいけれど、そういうのが一番、気軽で楽しい。

先日、練馬のとある駅で下車した。

いつも通過するだけの駅、名前だけはよく見知ったはずの駅でも、ひとたびホームに降りれば、そこはまるで未知の世界である。心が踊り、胸が弾む。駅名という記号が、実体を伴った存在として立ち現れてくる瞬間、いつでも僕の心は興奮で満たされる。

駅を出る。『駅には必ず表と裏の顔がある』と表現したのは白石一文であるが、それは本当にそうで、いずれの駅にも『栄えている方』と『くすんでいる方』が、確実に存在する。その駅に関していえば南口が繁盛していた。北口の方は、のんべんだらりとしたロータリーがあるばかりだった。

出て、右に歩くか左を行くか。それだけの迷いが、なんだか楽しい。別にどちらでもいいのである。何もなければ引き返せばいいだけの話なのだ。ローリスク・ミドルリターンな賭け。僕は右に歩いた。

ほどなくして商店街に出くわした。昼下がりの商店街は、てんでばらばらに活気づいている。右手の練り物屋では気ぜわしくおでんが売られていた。左手の帽子屋では、レジ奥で店員が難しい顔をしながら新聞を読んでいた。

知らない街、知らない場所でも、確かに誰かが生活を営んでいる。

それはごく当たり前のことであるはずなのに、僕は外に出るといつでも、そのことに驚きを覚えさせられてしまう。普段接している世界だけが全てになりがちな自分のことに、ぼんやり気が付かされる。

脇を小学生が駆けていく。彼はこの街を、この商店街を、郷里として永年記憶していくのだろう。たまたま訪れただけのこの土地には、何千何万もの人知れぬ郷愁が、確かに根付いているのだ。

おでん屋で牛すじを注文し、串のまま食べた。したたった汁が指を伝って肘の方まで下りてくる。僕は慌てて腕を振るのだけれど、既に汁は肌着の中でじんわりと広がっていた。仕方なく腕まくりをする。食べ終えた串を店員のおばちゃんに渡し、再び商店街を歩いた。

金物屋に強い訴求力を覚えるのは、きっと多くの男の性ではないだろうか。分からないが、少なくとも僕にしてみれば、そうだ。

薄暗い店内の中、鈍色に光る金物の数々は、正体不明の生命力を力強く主張する。買われるのをじっと待つ出刃包丁を見る。それを振るってメダイを三枚におろす自分のことを想像し、なんだか楽しくなる。奥の方に置いてある大鍋でブリ大根を作ったら、さぞ美味しいに違いない。空想はとめどがない。客のいない金物屋の中で、全ての商品は、手に取られるのを待っている。

更に歩く。何でもない中華料理屋が待ち構える。こういう時、僕は決まってショウウインドウを眺める。埃をかぶった蝋サンプル。肉団子、1000円。一体誰が頼むのだろう。僕は考える。五目タンメンって、食べたこともない。ビールはアサヒか。店内を窺う。店主と思しきおじさんと、その奥さんとが、無表情にテレビを眺めている。様式美のようなその在り方。僕は密かにうれしくなる。

脇道に入る。どこにでもある、ここにしかない住宅街が、緩やかに立ち並ぶ。掲示板に貼られるポスターを見た。近々、公民館で落語の集いがあるらしい。果たして人は集まるのだろうか。僕は無用な心配ばかりをしてしまう。

公園を見つける。遊具は何もない。中央に設えられた水道に、かつて水鉄砲を片手に駆け回っていたときの記憶が蘇る。試しにひねってみる。どうして公園の水道とは、かくも勢い良く水を垂れ流すのか。だから昔は、水鉄砲の小さな受水口から水を満たすのに、随分難儀したものだった。おでんの汁で濡れた肘のあたりは、とうに乾いていた。

駅の方へと戻る。帰るときは、行きとは違う道を選ぶ。何でもない酒屋に入り、何でもないビールを買う。値段は350mlで230円。量販店ではない酒屋で買うビールは、コンビニで買うそれより、少し高い。奥から出てきたおばあさんは素っ気なく小銭を受け取り、素っ気なく奥へと戻っていった。

ほどなくして見つけた精肉屋でコロッケを買う。茶色がかった紙に収まったコロッケはほんのりと温く、しんなりしている。1個60円。噛めばじんわりとじゃがいもの味がしたが、すぐにビールと共に流れて消えた。

鼻炎の僕は、いつもティッシュを持っている。油で汚れた指をティッシュで丁寧に拭い、ビールの缶をゴミ箱に捨てた。じきに日が傾く。今日の晩御飯は何にしよう。ぼんやりと考えながら駅へと戻る。道すがら、豆腐屋が目に飛び込んだ。思い立つまま量販店で498円の土鍋を買い、帰路に着いた。

帰りついた大泉学園の駅は、いつもとまるで同じ風情だ。だからひどくほっとするし、落ち着く。10分前までいたあの街が、あのおでんとコロッケとが、ばかに懐かしいように思い出される。駅舎の中には文明堂があった。珍奇に聞こえるかもしれないが、僕はその日、はじめてその文明堂を文明堂として、認識した。少しだけ考えたあと、水ようかんをひとつ、買った。

帰宅して、498円の土鍋を包みから出すと、スポンジで手早く洗った。その中に水を満たし、料理バサミで切り込みを入れた昆布を放り込んでから、ビールをあけた。電気毛布を膝にかけ、漬けておいた蕪をかじりつつ、ゆっくりビールを飲む。時折、作っておいた塩麹をかき混ぜたりしながら、次は何の野菜を漬けようと、考える。

昆布がしんなりした頃、買ってきておいた1丁の絹ごし豆腐を鍋の中に入れ、弱火にかけた。昔は、湯豆腐が嫌いだった。湯豆腐をおかずに白米を食べさせようとする母は、なんてひどい人なんだろうと思っていた。だけど、今なら分かる。母は、父は、湯豆腐で白米を食べようとしていなかった。彼らはただ、お酒ばかりを飲もうとしていた、そのことが。

湯がぐらつく前に火を止めた。鍋敷きはないから、布巾を机に置いて、そこに土鍋を載せる。豆腐の芯まで火が通るか通らないかの、曖昧な茹で加減。僕はそういう湯豆腐が好きだ。神妙な面持ちで箸を入れた。音も立てずに、豆腐の4分の1ほどが、切り崩された。それを更に半分にして、ポン酢につける。口に含む。どこか不器用な感じの大豆の味が、口いっぱいに広がった。日本酒を買っておけば良かったな、と思った。

とんすいの中で、ぐったりと伸びきった長ネギを眺めながら。

赴けば必ず出会えるものなんて、てんでわくわくしないよなあ、と思った。

そこにあるちょっとしたもので、予想もしなかったくらい心を粟立たせ、どうしようもなく胸を弾ませてくれるもの。僕はそういうものに強いこだわりを持っているのだと、しみじみ感じた。

その日に降りた駅は、その日に降りる必要のなかった駅で、その日出会った金物屋と中華屋は、その日に出会う意味も理由もまるでなかったけれど。

だからこそ、どうしようもなく、楽しい。
ばかに尊いのである。


寝る前、スマートフォンで何となく日本地図を眺めた。妙にわくわくしながら。


水ようかんは結局、食べずにまだ、冷蔵庫の中にひっそりと、鎮座ましましている。
posted by 肉欲さん at 03:56 | Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
こういうの好きよ
Posted by at 2011年12月08日 05:06
しんしんとしている文章の中にちょっとした事がコミカルに書いてあったりして、色々心をくすぐられる感じで、純粋に素敵な日記でいいっすね。
Posted by at 2011年12月08日 09:00
どっか行きたくなった
田舎過ぎて最寄りの駅まで歩いて40分位かかるけど…
Posted by at 2011年12月08日 12:15
あー、なんか死にたくなるほどのノスタルジーに襲われましたわい
Posted by at 2011年12月08日 13:19
なにこれ。

肉さん、なんかどうでもいいくらい素敵やわ
Posted by at 2011年12月08日 21:18
武蔵関か、柳沢か、はたまた田無か…
武蔵関いいとこだよ肉さん
Posted by at 2011年12月09日 00:00
綺麗な肉さん
Posted by at 2011年12月09日 04:07
いいじゃないか。
Posted by at 2011年12月10日 01:33
散歩の極意。
「のんきな迷子」ですね。

古本屋とか見つけたら静かに心が弾みだしたりしますよね。
Posted by at 2011年12月10日 02:46
同意できすぎて辛い。
この日記をバイブルにしたい。

肉さんの文章が本当に好きです。
Posted by at 2011年12月11日 11:59
いい日記です。
Posted by at 2011年12月15日 18:04
読みながらワクワクしました
素敵やん…
Posted by at 2011年12月18日 13:53
言葉にできない、というか、してこなかった気持ちがどんどん出てきて、びっくりするくらい共感しちゃった!
Posted by naka at 2011年12月19日 12:32
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