うるせえ死ね!タイトルを見た瞬間脊髄の反射でそのような言葉を発してしまった皆さん、どうか落ち着いて欲しい。頼むから穏やかな心で僕のする話に耳を傾けて頂きたいのである。僕が一度だって皆さんにウソをついたことがありましたか?ありましたね。そう、このようにして僕は、自らの非を認めることの出来る素直な人間……そんなピュア極まりない人間が、どうして皆様のことを無碍に扱うことができようというのか。
『確かにそれは大いに疑問、肉欲さんはいつだって僕らの味方やったんや!』
皆様におかれましてはシャブ中の如き目付きで以て是非そのように感じて頂きたい所存です。
これを読んでいる方の中には、この春から新大学生と成り果てた若人もいることと推察する。まずはご入学おめでとうございます。今、あなたの送るカレッジライフはハッピーですか?まあアンタがたの9割9部9厘はハッピーと程遠いライフを謳歌しているものと断定させてもらおう。
「なぜ一方的にそのようなことを……肉欲、即刻獄門に処されるべき」
語気荒く抗弁したい気持ちは理解する。人は誰しも自らが不幸のズンドコにいるなどと、認めたくはないからだ。かつ、主観はいつだって自由なものだし、客観的態様がどうあれ、一度あなたが自らのことを指して 「私は幸せなのよ!」 と宣言すれば (その通用範囲はごく小さい宇宙の中に限局はされるものの) 確かに幸福たりえる。幸福の尺度は常に相対的でしかあり得ないからだ。
しかし今の僕にそんな冗長な三味線を弾いている暇はないし、そういった幸福論については過去ログにおいて掃いて捨てるほど語ってきたため、最早触れまい。
幸福の尺度それ自体は個々人に委ねられているのだとしても、その尺度が常に健全に機能しているか否かは、また別の問題だ。幸福の尺度、換言すれば価値観、は人それぞれであるが、その物差しが年単位ではなく1日単位、あるいは時間単位や秒単位で変わっていくのであれば、それは既に『適式な尺度』とは評価し難いだろう。
【自らの不遇から目を逸らすためだけに伸長収縮する精神的物差し】
これが精神衛生上好適と言えるか否かは、果たして疑問である。超短期的スパンでいえば、確かにその物差しは、あなたに精神的安寧を与えてくれることであろう。具体的な例を挙げるなら、大体次のような場面を想像されたい。
A「あー、接客業超疲れるし……やっぱテレアポとかいいなあ。時給良さそうだもんなあ」
B「ウチやってるけどスッゲ楽だよww夜間だとコールないし好きに過ごせるからマジ楽勝ww」
A「……つっても、やっぱ顔の見えない仕事って、どうなのかなーって。接客ってさあ、人の好き嫌い言ってられないからマジすげー対人スキル上がるよ。やっぱアタシは接客一本かなー」
上掲したAの変節、そこにはやっかみ、負けん気、自己肯定……等々、様々な精神的屈折が存することはご理解いただけよう。今回はその一素因としての『幸福尺度のねじ曲げ』、その部分に着目したい。
くだくだしい解説を施すまでもなく、Aは超短期間に自らの価値基準を激シフトさせている。
@接客は嫌だ、相対的に時給も安い ⇔ A接客も悪くない、金銭を超えたメリットがある
どちらが正しい考え方か、という話ではない。ただ両者が相矛盾するものであることは確かだ。しかしAは、@とAの間に横たわる矛盾の絶壁をいとも容易く飛び越えている。ひとえに、自らの(場当たり的な)精神的安寧を求めるが故の思考作用だ。
このような歪な主観態様までも含めて 『本人が幸せといえば幸せなのよ』 と嘯くこと、それを "是" として良いのであろうか?難しい問題ではあるが、個人的には甚だ疑問である。主観が自由であることは認める。けれども、古来より指摘される通り、自由にはしばしば "責任" の二文字が付随するのだ。
秒単位で変わる主観、それに伴って変わる自らの幸福観、価値基準。果たしてそこに "責任" の二文字が在るのかどうかと問われれば、実際、かなり怪しいところである。どちらかと言えばそれは、自己の内に 『稚拙な詐欺師』 と 『従順な子供』 その双方を具備しているだけの人、酷薄な言い方を許して頂ければ、非常に精神的に脆い人――そのような評価を胸に抱かされてしまうのだ。
目に映る葡萄の甘さを知りながら 『いーや、あの葡萄は酸っぱい、そうに違いない、そう信じる俺の心は自由だ!味覚障害乙!』 と叫び散らすこと。それはもう自己肯定の枠を超えすぎてしまっている。
長々しく語って何が言いたいかというと、まあアレよ、大学に入学したことそれ自体は喜ばしいことだけれども、その結果待ち受けていたのがこんなド底辺のブログを読むだけの時間であった!なんてさ、それはもう丸っきり不幸でしかあり得ず、だってそうでしょ、真実真正の意味でライフがサティスファイしているのであれば、こんなブログ読みませんもの。書いている俺自身が言うのであるから含蓄もひとしおというものである。
「違いますのん!本音、本心で肉たんのブログが好きですのん!なんでそんなこと言いますのん……ああ悲しくて哀しすぎて鴨川疎水に身を投じたい……」
黙れメス豚!いやオス豚かもしれないが、違うそんなことはどうでも宜しいのだ。確かに数ヶ月単位で放置していたこのブログを未だ慈愛の目と共に訪問して下さるあなたのことなので、もしかしたらエブリデイがサティスファクションに満ち満ちているにも関わらず、ついこのブログを確認してしまいますの……悔しいっ……!という太陽系に選ばれしアホも存在するのかもしれない。がしかしそれはやはり太陽系に選ばれしアホであることには変りないので、というか図らずも銀河体系に選ばれしアホということが完全証明(Q.E.D)されてしまったので、いずれにしてもアホでしかあり得ない。ようアホ。今日も元気にアホか?優しい僕は他言語にも配慮するし、me「Hi, Aho. Are you fine today?」 you(Fine, thank you!) me「OK, Let's fuck till next morning.」 you(Oh, I have no skin!) me「Don't worry, I have some coke.」 you(HOO!Fuck me hard!) OITA Police Department 「a-ha?cocaine?」 me「No!This is just coke!」 OITA Police Department「Oh sorry!See you next time, bye-bye!」 me「バイバーイ^^」
【和訳】
「やあ子猫ちゃん、元気かい?」あんたら「ニク、アタイはとってもファインな気分よ」僕「イナフだね。朝まで灰になろうか」あんたら「だめ、私、避妊しない人とはできないの…」僕「オーケー子猫ちゃん、俺の手にあるモノは何だ?そう、コーラだ」あんたら「腰が砕けるまで抱いて!」大分県警「何、コカインですって?」僕「ノー、ノー。これはただのコーラです」大分県警「そのようですね。ではまたいつか、お会いする日もあるかもしれません。お暇いたします」僕「さようなら」
逸れましたが、とにかく。これを読んでいる大学に入りたてホヤホヤのお前らが、自らのことを指して「ワイは幸せや!人の内心を勝手に決めないでくれ!」と主張すること、ザットはフリーだ。おっとまだ英語の癖が抜けないね。言い換えよう、自由だ。しかしそれは、悲しいことに、おためごかしでしかないのである。根拠はない。いつだって俺の言説に根拠などない。だがその前提が成り立たないとこの後の日記が進まないので言わせて欲しい。これを読んでいる皆様におかれましては強引に『今自らは不幸である』と思い込んでつかあさい……後生だから……。
ということでたった今不幸であることが確定してしまった皆さん、こんにちは、肉欲です。そんな境遇にあっても飯は美味いか?俺はといえば今飲んでいるハイボールが美味い。風が語りかけなくても美味い。
ここでようやくタイトルに冠した話題に触れることができるのであるが、率直に言って現状独り身である大学生諸兄におかれましては、マジ今を逃していつ彼女を作るの?と思わざるを得ないほどの好機であり、そのことをわざわざ警鐘する僕のことを、感謝することはあっても誹謗中傷をカマすなどの行為に打って出るのは、本当にご勘弁願いたいものである。あんたらは鬼やよ。
シーンは6月を迎えようとしている。これを読んでいる現大学生、並びに元大学生はご存知であろうが、結局この時期からなのである。周りの人間の『ナマの人間性』が発露し始めるタイミングというものは。
浮き足立つような4月、舞い散る桜、華やかな入学式――まあ今年については例年と同じように語ることは難しいが、とりあえずそこは捨て置き――あの局面において、浮き足立たないヤングはいない。これから始まる大学生活に胸を踊らせ、茫洋と広がる未来に想いを馳せ、新居に身を置き、ドキがムネムネする、そんな春である。目に映るもの全てがバラ色に見えたし、自分が幸せになるに違いない、そういった確信を抱いていた、抱くしかなかった、そんな4月、そんな卯月。
死ねばいいのである。僕は昔から春が嫌いだ。日本全体を包みこむ、あの一種独特な『春は心機一転の素晴らしい季節だよね^^』『フレッシュマンの瑞々しさ!なんだか活力もらっちゃうよね^^』などという、何か
『皆ですごい一体感を感じながら、なし崩し的に幸せ気分になっちゃおう☆(ゝω・)vキャピ』
そういった同調圧力が、反吐を催すほどの嫌悪感を掻き立てるのだ。春において唯一僕を癒してくれるのはリクルートスーツに身を包んだ女子大生の姿のみである。それ以外は軒並みクソよクソ。『春が好き♪』などと臆面もなく抜かす人間を、僕は永劫、信じない。
以上展開されたパーフェクトロジックからもご理解の通り、要するに春は人をバカにさせる季節でしかあり得ず、そこに加えて
『新しく始まったカレッジライフ……もう頭の中がフットーしちゃいそうだよう(><)』
型の形而上のヘロインをキメ過ぎてしまった若者たちがどういった行動に打って出るか、それは火を見るより明らかであり、専門的な言い方をすればセックスである。噛み砕いた言い方をすれば交尾である。学童にも分かる説明をすれば『や・・だっ!子宮口が下がっ・・てき・・てっ・・・ンンンッッッ!んらめ・・・ぇ!そ・・こばっか・・り突かない・・・でぇ!!』という、一連のアートを伴った、あの行為である。
その前提条件からいかなる結果が導き出されるか。それ即ち、これまで何度となくこのブログでも提唱してきた通り、純白なる乙女たちにおける操の消失、そいつだ。胸が苦しくなるな……。
しかしこれは真実の物語であり、過去幾度と無くトレースされてきた真実でもあるし、かつ、これから先何十年何百年に亘り続けられるであろう、我々の負う業でもある。運命の歯車から逃れられる術はどこにもない。春が訪れるたびに乙女の純潔はフットサル部のチンポの黒い奴らに散らされる宿命に迫られるのだ。憎いよな、お前らも憎いと思う、俺も心からフットサルが憎い。おのれフットサル!
三本目の足によるフットサル部はどうでもいいのであるが、とにかくも春、そこには魔が潜んでいた。異論もあろうが、春は魔の棲む季節、これは一定程度の事実である。永らく僕はそのことを忌々しく想い続けてきたし、今を以てその気持ちに変化はない。
だが、多角的な思考を紡げるようにはなった。いかに春に操を散らす人間が多いといえど、それは決して全ての新入生、あるいは新入社員、ないし新入某かへと敷衍していくわけではない。そこには必然的に例外が生じる。要するにそれは 『雰囲気に流されない、確固とした自我を有する人』 、その人である。
浮ついた春の雰囲気に流されず。
フットサルサークルの黒チンポどもから押し寄せる『君可愛いね^^陰核のこと肉ボタンって呼んでもいい?^^』という甘すぎる誘い文句に騙されず。
あるいは三重県津市から出てきたエクストリームビッチ(しかし外面的には大人しそうな女)から3次会あたりに『あなたって可愛いね^^チンポで流しソーメンしていい?^^』という極上の蜂蜜のような言葉にも篭絡されず。
ただひたすらに己の価値観ないし確信を胸に携え、『あたし彼氏できちゃったww』『俺も彼女できたかもww』という同調圧力にも流されず、懸命に己を律し続けた、そんな淑女たち。あるいは、紳士たち。
彼、彼女らの存在が際立ってくる時期、それがようやく今なのだ。春という幻想が掻き消えたこのシーズンだからこそ、真実真正の意味での "ニンゲン" が立ち現れてくるのである。浮き彫りにされてしまうのだ。
甲子「そういえばさ、4月にできた彼氏とはどうなったの?」
乙美「んー、何か違うなーと思って…別れた、かな」
この時期、学食に行けば一山いくらで投げ売りされている会話がこれだ。そしてこれを聞いた皆さんはこう思うべきなのである。乙美が有史以来稀に見るハイパービッチであると判明して良かった、と。そのようなことを。
だってそうでしょう。4月に出会って4月に付きあって4月に即ハメ。そこに何らの真実がありますか?価値観はそれぞれ?眠たいこと言ってるんじゃないよ。お前らはアレか?セミか?すぐ死ぬからヤラないとちょっと……とか、そういう生き物なんですかね。FUZAKERUNAYO!!ユーアヒューマン、乙美、お前は人間なのである。精神性がセミレベルであるとしても、お前は人間なのだ。喘ぎ声がセミよりもうるさいとしても、お前は人間なのだ。セミに近い人間なのである。人語を解するセミなのだ。ノン、違う。セミ語を解する人間なのだ。いやまあ、何かもうどうでもいいや。セミにも穴はあるしな。
さておき、最終的に経験則の話になってしまうのをご容赦いただければ、大学において(ともすれば社会人においても)4月に付き合ったカップルが5月にないし6月初旬に別れる確率は尋常ならざるものがあり、そのあたりのことをよく観察しておけば、マジで色々と捗る。そこにおいて見るべきポイント、それは大きく分けて二つだ。
a 自己防衛、自己弁護に終始する人 (デモデモ!ダッテ!)
b 故意犯として自らの体験を語る人 (ヤッチマッタワーガハハ!)
している行為(≒sekkusu)が同じだとしても、aとbとはその精神構造が驚くほど異なる。b(前後が逆になるので念を押しますが、後者であるbです)はカスではあるものの、僕的には信頼のおける人間だ。翻ってaはクズでしかあり得ず、未来永劫信頼を置くことはない。そしてそれ以外の人物は、ざっくりと
c 春に何もなかった人、何も興味のなかった人 (ナニソレオイシイノ)
ここに分類される。もちろん、cについてはその先にも様々な概念区分が存するものの(例えばそれが消極的姿勢として何も起こらなかっただけなのか、積極的選択としてその道を選んだのか、あるいは宗教上の理由からそうならざるを得なかったのか、等)、少なくとも 『春に心惑わされなかった人物』 という評価を下すことは可能だ。
「いや、めちゃくちゃセックスしたかったのだけれども、相手がいなかっただけという可能性も」
やめなよ兄さん。
お前の握るその業物、ちょっと人を殺しすぎるぜ。
だが、その言説が真であるのだとしても。
『相手がいなかっただけ』というのは、あくまでも4月時点での暫定的真実でしかない。
そして時はまさに6月に移ろうとしているのだ。
それが果たして何を意味するのか。
乙美「ハァ―……こんな時期に彼氏いなくなるとか……夏も近いのに……」
俺は多くは語らないし、語りたくもない。そしてこれはあくまでも理屈の話でしかない。しかし、それでも。夏を見据えたこの時期に、あなたはキャンパスを闊歩するハイエナの面持ちで!過度に弱体化しきった餌を目がけて!二番煎じを掻っ攫う。弱った獲物を付け狙う、篭絡する。それもまた、楽しい青春のあり方ではありますまいか。ありますまいか。あなたは乙美にとってのラオウとはなれないが、今頑張れば、トキにはなれるかもしれない。
「い、いや、それは結局、時期を移しただけでやってることはフットサル部と同じなのでは……!?」
気持ちよかったらそれでええやないの……お互いええ大人なんですけん、フォースの導きに従いましょうや……。落ちてる銭は拾うでしょ?あんたらだってさぁー。ちょっとした小銭くらい、何も言わずにポッケにナイナイしたらええのんよ。それでお金を使ったら、どうなりますか。小売は喜ぶ、地域は喜ぶ、経済も回って皆喜ぶ。誰も不幸な人などいない、そう、いないのである。いないのである!
それは極論であるとしても、少なくともこの時期から後に至るまで身持ちが固く、軽々に価値観を伸長収縮させずに己を律し、粛々と自らを生きる人間。それがようやく明らかとなってくるのがこれからの時期であり、再三となるが経験則上、春に惑わされず交際を開始した人間というものは、概ね長期に亘る交際期間を獲得するものだ。もちろん恋愛感情というものを理性で語るのは甚だしくナンセンスではあるが、それでも僕の見てきた世界では、そういった標準偏差が生じているのも確かなところである。
だから大学生は急いで恋人を作れ……いや、作れとは言わないが、目星くらいは付けてもいい。
夏になってからでは遅い。今こそが時期だ。
ということでシーユーネクスト!バイバーイ(^^)/
今後はちょいちょい更新していくはずなのでtwitter再開して更新通知します。
更新する気がなくなったらまた退会します。
アカウント→b2949
かく言う肉さんが、狙いのリクルート二番煎じをNTR?
現実をトキ避けですね。分かります。
何はともあれ、信者は垂涎の喜びです。
でもそれはそれで楽しい思い出
つ…強がってなんかいないんだからね!!
喘ぎ声がセミ
流石だ。
更新頻度最高!!