肉欲企画。

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2011年05月30日

あなたが聞きたくない話、そいつを俺は喋りたい

基本的に会話なんて好き勝手にすればいいと思っているものの、個人的にひとつだけ苦手な会話類型が存在する。それは僕の中で【誘い受け】と呼称している会話のやり方である。

ざっくりとした具体例としては以下のようなシーンだ。

・・・

A「カレーとラーメン、どっちが好き?」

B「うーん、今の気分で言えば、カレーかなあ」

A「ほうほう。俺はどっちも好きなんだけど、やっぱり一番はピラフだよなー!あの素朴な味付けが何とも言えないし、というか昨日も家でピラフ作ってさあ、それで云々かんぬんベムベロベラベラ」

・・・

――お分かり頂けただろうか。
 
 
ほとんどお察しの通り、上例のAは、一応Bに対し何がしかの興味を抱いている……ような雰囲気を出しつつ、結局のところ自分の話ばかりに終始している。おそらくAはBの発した「どちらかと言えばカレーが好き」という発言に興味など抱いておらず、というか最初からBの話を聞く気など毛頭なく、ひたすらに「自らのピラフ愛、並びに自炊しちゃってる俺カッケー」なトーク、これを展開するためだけに冒頭の質問を投げかけている。

このようなシーンを見かけることは存外に多い。程度の差こそあれ、我々は利己的な要素を具備している。他者との会話の場面に限局していえば、その利己性は『できるだけ多く自分の話を聞いて欲しい』あるいは『自分が興味のある話だけを聞いていたい』、そのような形で発露される。

もちろん、そのような生々しい感情を分かりやすく外部に向かって発信する人は少ない。一重にそれは、我々大人のほとんどが "社会性" を獲得している故である。

従って、これから社会性を獲得する段階にある学童などにおいては、どうしても『あのね!僕ね!』型の会話形式が目立ちがちだ。そんな彼らだからこそ、大人の話を遮って『ねえねえ!遊ぼ!』と無邪気に言ってのけることができるのである。

幼少期に顕著な、そういったダイレクトな欲求を緩和させていく素因、それはやはり社会性ないし協調性と呼ばれる概念群であろう。

であるがため、一定程度の年齢に達した人間、あるいは若年であれそれなりの経験を積んだ人間は、会話の運びについて慎重にならざるを得ない。我々が根底において利己的であることが事実だとしても、その事実性を振りかざして

「結局皆自分のことしか考えてないんだし、好き勝手に喋ろうぜ!」

こんな突飛な価値観は受け入れられ難いからである。

突き詰めていえば我々は利己的でしかあり得ない――そんな事実を認めるにつけ

「相手にも喋りたいことがあろう、今回は少し聞き役に徹するかな……」

そういった結論を導く方向に傾いていくことであろう。集団生活、あるいは社会生活を上手に営むには、必然的にそういった思考を迫られるように思われる。

そして、思うに、そういった先にこそ、近年やたらと耳にする「コミュ力」というものの真髄が存するのではないだろうか。

なんだかあの人と話していると、心地良い。また会いたくなるし、話したくなる

相手の利己心を上手にくすぐることができるのであれば。
そういった感慨を抱かせるのはむしろ必然なのだ。

例外はあるにせよ、一般論として考えてみれば、会話というのは微妙で繊細なバランス感覚を要求させる。我々が利己的であることが確かなのだとしても、

『利己的=自分のことだけを話したい』

とはならない。自らのことを喋りたいだけ喋り、一定程度自分のことをつまびらかにしたと仮定した際、その次に人は何を思うのか。

『で、お前はどうなのよ?』

このような心情へと至る公算が非常に大なのだ。換言すれば、それは『ここから先はある程度お前の意見も押さえておきたい』という利己心である。コミュ力について論じられたテキストにおいて、しばしば【聞き役に徹するだけではダメ】と言及されるのは、おそらくそういった理由からであろう。

ここで冒頭の話に戻る。要するに件の会話類型が苦手なのは、Aのやり口が、僕の尺度において、あまりにも利己心に満ち満ちているからだ。そしてその利己心を猪口才なテクニック (一応お前の話にも耳を傾けているよ、という体) で隠そうとしているあたり、並ならぬ殺意を抱かせる次第なのである。こういったシーンに直面するにつけ、自らの中のSAN値がダダ下がりしていくのを感じる。

だってそうじゃない。俺がカレーが好きかラーメンが好きか、そう聞いてくるものだから「あらヤダ、この子ったらアタイに興味があるんねえ……しょうがないわぁ……」などと、束の間にくすぐられた利己心が、僕をして「やっぱり僕は、とんこつ醤油ラーメンちゃん!」そうシャウトせしめたにも関わらず、Aときたらそんなの全くお構いなしの体で「なるほど俺はミラノ風ドリアが大好きで、というかサイゼリアのシステムというのは非常に効率化されたそれで」などと、おそらく前夜に見たであろうNHKスペシャルの知識を延々と垂れ流し、以て『博識な俺、どやさ!』みたいな顔をするんですよ……どうなんですか皆さん……武家諸法度に則れば前世、現世、来世、その全てを追い回して縊り殺すのも合法、そう断ぜざるを得ない案件では御座いませぬか……そう思うでしょう。思って欲しい。思いなさい。ヘイ思え。

いや、まあ、別にそれでもいいんだけど!?なぜとなれば、そういう会話を展開するのもAの自己責任だし、結果としてAが僕から疎まれたのだとしても、あるいはその逆に『いやー、大宝律令に則ってお前のことを以て手拳で殴打したいぜ』という表情を隠そうともしなかった僕がAから嫌われるのだとしても、その全ては自己責任、自らが負うべき問題だからです。余談にはなりますが、基本的にそういった状況に遭遇した場合、僕の耐久時間はM78星雲生まれのアイツらよりも脆弱で、2分もすれば『その話は長いの?まいてまいて』『この話はいつまで続くの?要点だけ喋って』『あ、すいません、追加注文いいですか?』などのタームで封殺し続けたため、気付けば周りから友人が消えました。素晴らしい社会性と言わざるを得ません。今後はコミュ欲と呼んでくれてもええんやで。

逸れましたが、とにかく。当ブログでも何度か言及した通り、言葉というものが、その性質上、自らの口をついて外に出た瞬間その解釈の全ては他人に委ねるほかない……という性質を有する以上、発言者本人が如何なることを企図していたのだとしても、その言の葉を誤解・曲解される、そういった場面は必然的に訪れよう。そういった悲劇を避けるためにも、ことに自らにおいて重要であると位置づけている方と喋る場合、我々は言葉選びを慎重に行わなければならない。

しかしそれにも限界はあるし、如何に至高のコミュ力を具備する男とて、その容貌の在り方によっては 「こっちおいで。アニメとか漫画とかこっちおいで」 と、まるで詩歌のように美しい言霊を女児に投げ掛けた瞬間、豈図らんやそれは陰惨な声掛け事案となる可能性があるのだ。再三となるが、言葉というものはそれが外部に発露した瞬間、話者の主観とは完全に途絶されてしまうのである。真実真正なる気持ちにて『アニメ、漫画、たくさん見せてあげるよ』という慈悲深い言葉を発したのだとしても、だ。悲しい真実と言わなくてはならない。

だから僕は思うのである。上述したような誘い受けであるとか、相手の利己心を斟酌するとか、コミュ力であるとか。そういうの、もう、どうでもいいんじゃないかと。ビジネスシーンにおける最低限の礼儀さえ遵守できるのであれば、後はもう皆さ、裸一貫ドーンとぶつかっていきましょうや。腹の探り合い、やめにしましょうや。

A「昨日NHKスペシャルで見たけどサイゼマジぱねえんだよ!それによるとだな!」

B「マジか!俺もサイゼでパイオツカイデ―なチャンネー見たけどサイゼに蔓延るDQN率は異常!」

C「ヒュー!それにしても季節はまさに夏、スカトロの季節だなぁ!」

D「ヤック・デカルチャー!ランカちゃんホア、ほ、ほ、ホアアーッ!!」

紛れもなく池沼の集団である。が、何だかフリーダムで素敵!って感じじゃない?どことなくHIPHOPシーンのdisり合いを彷彿とさせるような。自らの欲望と情念と顕示欲ばかりをぶつけ合う会話のドッヂボール、否、会話の湾岸戦争。ひたすらに強者だけが会話の主導権を握り、敗者は唯々諾々とそれに従う。声のでかいヤツが勝つ、そんな明快極まりない戦闘規則。

実のところ、古来よりそんなバトルルールを引っさげ、毎日のように血で血を洗う壮絶な戦いを繰り広げている戦闘民族がこの地球には存在している。ボヤかした言い方をすればマンコ型生物、歩くアワビ、二足歩行型赤貝、クリトリスを触りながら『お前の陰核…ビンビンやで……肉芽って呼んでもええか……』そんなことを囁くとすごく怒る生き物、要するに女である。

全てがそうとは言わないが、彼女らにおいて会話は並べてゲリラ戦であり、AからZへの論理の飛躍などお手の物、『今現在したい会話を、する!』そういった明確極まりない価値観の下繰り出される言葉のマシンガンは、一種の芸術にまで昇華された――そう評価するにやぶさかではない。


今よりも若い時分は、そういった彼女らの精神性を唾棄すべきものだとして見ていた。何でアイツら人の話聞かねえんだよ……ていうか人の話を聞けよムール貝みたいな顔しやがって……タッパウエアーなどに満たした塩水の中に入れ冷暗所に保管して以て砂利など吐き出させた上で酒蒸しにするぞコラ……しばしばそんな憤りを覚えたものである。

しかしながら、中途半端な社会性を具備し、様々な会話場面において『我慢する』ということの必要性に迫られることの増えた今となっては、対話という名の原野をゲリラのように駆け巡る彼女らの姿が、たまらなく綺羅びやかに見えてしまうのだ。たまらなくロックだ、と。

僕「あー、ねみい……」

そういえばこの前枕買ったのー!超可愛いの!

シビれるやり取りである。ただ、これなどはまだ『眠い→寝具→枕』という一連の連続性が保たれているため、比較的軟弱なロックさではある。仮にこれがシド・ヴィシャスのような女であれば「あー、ねみい」→「そうそう、眠いといえばこの前アタシiPhoneに替えてさ」と、事象の垣根をブブカもかくやの勢いで飛び越えていくため、油断ならない。

『どの角度からiPhoneの話にスライドできんだよ……シナプスが全て破壊されているんじゃあねーの……!?』

そう憤る気持ちは分かるが、考えてはならない。感じるのだ。それがジークンドーの教えが導く帰結なのである。

かような価値観の変遷を経た僕であるため、いつ頃からか四の五の考えずに思ったことを口に出すように努めている。論理の連続性?そんなものは糞食らえの話だ。モラル?倫理?法的規範?そんなものが、果たして、役に立った試しがあっただろうか。あっただろうか!

故に僕たちはもっと自らに対して素直に生きるべき、素直な感情で会話を繰り広げるべき、いまはそう強く確信してならない次第なのであります。


女「だから職場でちょっとギスギスしてて〜」

僕「あーでもさ、最近オナニーとかしてる?」

女「は?」

僕「爪長いしなー、察するに膣派ではなくクリ派だよな」

女「は?」

僕「Gスポットってホントにあるのかな?ねえ、どう思う?」

女「は?」

僕「すいませーんハイボール下さーい」

女「え、なんなの?!?」

僕「ハイボールってのはさぁー、炭酸により生じた泡(ボール)がグラスの上(ハイ)に上る様子を指してハイボールって言うんだぜ(ドヤァ」

女「は!?」

僕「見てご覧、ホラ、泡(ボール)が上(ハイ)に、ね?(キリリリィ」


――今では、僕の携帯が鳴動することは、滅多に、ない。



posted by 肉欲さん at 01:25 | Comment(12) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
更新続いて嬉しいです。
Posted by at 2011年05月30日 01:51
天才だよあんたァ...
Posted by at 2011年05月30日 07:14
歩くアワビwww
Posted by at 2011年05月30日 11:30
シナプスの下りで爆笑したw
Posted by at 2011年05月30日 12:28
肉さんみたいな会話が上手そうな人にコミュ力について論じてほしいとは常々思っていた
Posted by うが at 2011年05月30日 16:35
俺がメスだったら幾らでも…
Posted by at 2011年05月30日 20:01
この記事を読んだ上で、またスカイプしたいであります
Posted by 梅 at 2011年05月30日 20:58
肉芽wwww
Posted by at 2011年05月30日 21:19
戻ってきたな…!!
Posted by at 2011年05月30日 23:18
女性との会話で「あ〜、ねみい」って
心配してもらおうとか、寝不足自慢とか、そんなしょうもない内容にしか繋がらないと思う
Posted by at 2011年06月03日 16:13
楽しかった
Posted by at 2011年06月06日 09:11
面白かったよ、にく!
Posted by at 2011年06月06日 09:37
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