その間『ホワイトデー』という単語が脳内に何度かチラついたが、結論からいえば『面倒くさい』『恥ずかしい』という至極ナチュラルな感情と共に、全てを見ないフリしてやり過ごした。
迎える始業式。フレッシュな雰囲気を惜しげもなく垂れ流す新入生たちを眺めながら『俺も先輩になったんだよなあ』という不思議な感慨を覚える。制服を着ているのか、制服に着られているのかよく分からない彼らをぽつねんと見つめつつ、自然と心は『どこか可愛い子はいねえかな』、そんな方向へとシフトしていった。
「新入生にめちゃ可愛い子がおるらしいぞ!」
友人の竹野くんが高いテンションで教室に飛び込んでくる。そのホットな情報を耳にし、にわかに色めき立つ我々。これは確認するに如くはない、一致団結して1年生の教室へと向かった。
そこにいたのは目鼻立ちのハッキリした、分類でいえば美人系の女子だった。なるほど、確かにかなり目立つ顔立ちをしている。将来的には相応の美貌を獲得するに相違ない、ぼんやりとそんなことを考えつつ、「いやーマジかわええやん!ええわーアレええわー」と、興奮覚めやらぬ竹野くんの声を聞くに任せた。
特に事件も起きぬまま、時計の針はゆっくりと夏に向かって動き出す。部活は相変わらずハードコアそのもので、僕はさしたる上達も見せないまま、先輩たちの引退と共に部内最高学年に成り果てた。肌の色は既に漆黒を超え、夏の間に皮膚は3度ほど剥けた。揺るぎない包皮、それのみを除いて。
件の川崎さんと先輩とのことがどうなったのかといえば、結局何も起きなかった。校内で何度か視線を感じることもあったが、殊更に何かコンタクトを取ってくるわけでもなし、実に穏やかな日々が過ぎていった。その内 『先輩の方は新しく彼氏ができた』 という話を耳にする。思春期の時分にあって、心の四季の移ろいは驚くほど激しい。彼女の興味はいつの間にか僕から他へと移ったのであろう。
そして迎えた9月、新学期。物語のフェーズは次の段階へと移行していく。何の素因がそのような事態を巻き起こしたのか未だに謎ではあるのだが、この頃からやたらと見知らぬ女子からガン見されることが増え始めた。見知らぬ、つまり先輩ならびに後輩からの視線である。
最初の方は『まあ何かの勘違いだろう、自意識過剰、乙であります』『まさかとは思いますが、その視線というのは……』と自らに言い聞かせていた。が、偶然や気のせいで片付けるには、どうにも頻度が高すぎる。というか廊下を歩いていたら見知らぬ先輩から「あ、あの肉欲君、だよね?」「はい、そうですけど……」「えへ、へへへ(///)じゃ、じゃあ!(タッタッタ)」などという、まさにそれなんてエロゲーム?そう形容する他ないイベントが発生すれば、いかな朴念仁であろうと気づかないわけがない。
そしてその中には、当時の僕としてはにわかに信じがたかったのであるが、例の可愛い新入生も含まれていた。
渡り廊下を歩いていると、どうにも上方よりホットな視線を感じる。なんだろう、と思い上を向くと、何事か「キャア!」などという不可解な嬌声をあげながら教室の中に隠れる影が見えた。その先にいたのは確かにあの新入生だった。そういうことが幾度かあったし、もっと直裁にいえば、程なくして吹奏楽部に所属する同級生から
「あの子、肉欲くんのこと好きみたいだよ」
ダイレクトに聞かされたのだから間違いがあろうはずもなかった。
確変は続く。このブログでも何度か言及したが、僕には健二君という、今に到るまで仲の良い友人がいる。ある日の帰宅途中、その彼が突然「実は俺、3組の南野のこと、ええと思っとるんよね」などと謎の供述をカマし始めた。確かに彼女は見た目が麗しく、掛け値なしに美人であった。健二君が好意を寄せるのも何ら不思議なことではない。
「ええやん、頑張ってな!」
そのようなエールを送ると、えへへと照れ笑いを浮かべる健二君。自意識ばかりが肥大しがちな中学生時分にあって、自らの感情を素直に吐露すること、それは相当な勇気を要したことだろう。僕は健二君の純情に報いるためにも、どうにかしてその恋が成功することを願った……僅か3日後。
「南野さん、肉欲君のこと好きみたいよ」
誰だこの脚本書いたカスは……北川悦吏子ですらここまで酷いもの生み出さないんじゃないでしょうか……思わずそう呪詛を呟くも、これは丸ごと現実のお話で、現実、それはいつだって酷薄な様相を呈してしまうらしい。
程なくしてこの件は健二君の耳に入った。健二君は何も言わなかったし、僕も何も言えなかった。また、臆病で小心だった僕は、南野さんに対して結局何らのアクションも起こさなかった。だからこの話はここで終わりで、それ以上でもそれ以下でもない。
余談となるがこの南野さんとは成人式で再開を果たすこととなる。大概へべれけであった僕は、南野さんがいるカラオケの部屋にて突然チンポを鬼露出、そのまま部屋の中を駆け巡るという些かスパイスの効き過ぎた成人式典を催してしまったそうであるが、その辺りの記憶は定かではない。ただ、微かに覚えているところによれば、南野さんが僕に対し場末の赤痢を見るかの如き視線を浴びせていたので、強ちウソではないのであろう。返す返すも実話である。
季節は秋となった。この頃になると三年生が受験モードへと切り替わるため、なんとなく校内は慌ただしい雰囲気に包まれる。それに伴い、生徒会も代替わりの時期を迎えた。僕は兄が生徒会副会長を勤めていたため、生徒会というものに人並み以上の関心があった。
結論からいえば、僕は生徒会長に立候補し、生徒数600人の中学校にあって、2位に500票もの大差をつけ、圧勝した。
今考えればあの時点で全校生徒に対し票数をつまびらかにする必要はあったのか、と思わないでもない。公平の観点からすれば当然の処置だったのかもしれないが、それでも給食時の校内放送で、淡々と500票差をアナウンスするのは、まさに公開処刑、まさに外道、と言わざるを得ない。おいおい、大丈夫かよこれ……とまるで他人ごとのように心配した僕であったが、不幸なることに予想は的中、2位の候補は放課後に亘るまで校内より失踪を遂げた。夕方時分、教師がトイレですすり泣く対立候補を発見した、という話を後に聞いた。そらそうよ。
かくして生徒会長という身分を手に入れた僕は、爾来、毎月頭の全校朝礼で生徒に向かって何事か喋るという、一部の人からすれば絶望極まりないイベントに強制エンカウントすることと相成った。が、僕はといえばその『一部』に属する性格ではなく、どちらかと言えば目立つことが好きでたまらなかった性質を具備していた故、嬉々として毎月の全校朝礼へと臨んだ。
これが如何なる結果を生み出したかというと、もうほとんどお察しの通り、廊下を歩いている際に熱視線を向けられる頻度が激増した。しかし、それでも僕は、頑なまでに『自らがモテている』という事実を認めようとしなかった。なぜか。それは別段謙遜の感情があったから、ではない。
「本当にモテている、というか、好意を向けられているのであれば、相手の側から何らかのアクションがあるはずに違いない。むしろ向こうの方からキスを迫る、胸を出して『揉んでもええんよ』と宣う、放課後の教室でスカートをつまみ上げながら『好きにしてええんよ』、などの言質が未だに取れない以上、その好意がどれだけ真剣なものなのか、甚だ疑問」
掛け値なしにバカ、神に選ばれしアホ、上澄み液のようなチンカス、そう言わざるを得ない案件である。ウソ偽りなく、当時の僕は真剣にそのような結論に達していた。自分から何かアクションをとるのは嫌だ!でも、お前らがこっちに近づいてくる分には、ウチ、全く構わへんよ……?揺るぎない価値観、そいつが僕の胸中に建立されていたのだ。
時計の針が!あの日あの時に!戻ってくれれば!!願うが、現代にドラえもんは存在しない。僕達はしどけない想いを胸に、粛々と現在を生きる他ないのである。戻って何をしたいのか?それについて、僕は多くは語らない。ただなけなしの貯金を崩して当時出たばかりのデジタルハンディーカムを購入することは間違いない。その用途について、僕は多くは語らない。多くは、語りたくなど、ないのである。
季節は移り、いつの間にやら晩冬が郷里・下関を包みこんでいた。それは切ない別れの季節。厳粛なる雰囲気のもと、母校において卒業式が執り行なわれた。ちなみにバレンタインを飛ばしたのは、当時の僕は『去年も貰えたのだし、今年もきっと貰えるに相違ないぜ』という大腸菌以下の確信を携え、部活を騙し騙し日が暮れるまで校内をうろついていたのであるが、結果として最後まで僕に声をかけてくる女子は皆無であり、僕は自らの浅ましさにたまらない羞恥を覚えながら帰路に着いた、途端、校門のところで2組の上田さん(後にハイパービッチと化す女性)から声を掛けられ、キタコレまったくお前は昔からシャイガールやで、などと思いながら最高の笑顔で「なんだい^^」と返すや否や「はっしん(橋本くん、後に当時上田さんと付き合っていたことが判明)見てない?」という、あまりにも事務的極まりない言葉を賜り、様々な感情が激流のように胸へと訪れ、半ばパニックになった僕は「い、一緒に探そうか」という、どの方面に対する優しさなのかまるで不明確な返答を猛ギフト、なぜか上田さんと一緒に日の暮れた校内において橋本くんを探すという誰得イベントに興じることとなったからである。そんなしょっぱい話、さすがの僕も語りたくないんよ。
戻って、卒業式である。さすがに14年も前のこと、式典の仔細は忘却の彼方なので省略する。とにかくも式が終わって後、先輩方は皆名残が尽きぬらしく、体育館脇のあたりには黒山の人だかりができていた。よし。僕は一呼吸ついて、意を決する。
「ハイハーイ!ここにいますよー!僕がいま、ここを通ってますよー!!」
心の中でそんなことを叫びつつ、銀河に選ばれしバカが卒業生の中を何度となく往復する姿がそこにあった。
しょっぱい、あまりにもしょっぱ過ぎるその御姿。意図するところは明確で、ご存知の通り「俺サイドから何かするなどの行為をカマす気は一切ないが、皆さんサイドから僕のことを心地良くさせるイベントを催してくれるのなら、甘んじて受けるぜ」、そのような精神性の発露であった。これを読んでいる皆様にお願いがある。もしもタイムマシンが出来たら、辛いだろうがあの日の俺を殺して欲しい。
結果として何が起きたかといえば、3人の先輩からボタンを求められ、数葉のツーショット写真を撮ることとなった。見事に僕の目論見が奏功した格好である。その中には件の新入生も含まれていた。聞けば彼女は4月に転校する、とのこと。なるほどね。
えっ。
また、ボタンをもぎ取っていった先輩方に『これからどうするんですか』と言問うたところ
「いや、普通に高校に行くよ」
とのことだった。要するにこの学校からはいなくなるという意味だ。なるほどね。
えっ。
えっ。
分かりますか――
ほぼ間違いない好意を向けられていながら――
その対象が今を境に目の前から永劫いなくなってしまう――
その切なさを、やるせなさを――
『だから、抱いて欲しい』
『最後に、私の桜を散らせて欲しい』
『何も言わずに足跡だけを残して頂戴。アタイのインナーワールド、膣に』
森本レオが脳内で優しいナレーションをカマす。しかしそれはドーパミンの出過ぎた僕の幻聴でしかあり得ず、皆々様は最高の笑顔と共に『じゃあ、ありがとうね!』、そんな一銭にもならないファック・タームばかりを残して三々五々消えていった。残ったのは無意味で不必要な寂寥感、そして一部ボタンを失った学ラン、それのみであった。
名状し難い倒錯感を覚えつつ、粛々と帰宅する。珍しく早い帰りであった母が僕の姿を認め、そして口を開いた。
「ボタンないやん」
「あげたんよ」
「ほいで、どうなったん」
「どうもならんよ」
短いやりとりの後、母は居間へと向かう。戻ってきた母は、僕に向かってこう言った。
「ほれ、替えのボタン。付けんと困るやろ」
「お、おう」
こうして僕の中学2年生のシーンは、静かに幕を閉じたのであった。
つづく。
■補遺
本筋とはあまり関係がありませんが、当時健二君と勤しんでいたのはこういった行為でした。