今回より始まるであろう一連の日記は人によって大層不快な思いを抱かせるかもしれませんが、どうせまあこんな注意書きを書いても『読む人は読む』、というか結局のところ『読まなければ快不快の別は判明しない』わけだし、大体においてこのような注意書きは「おう、俺は注意したからな、後で文句言うなよ」という、非常にど汚い大人の政策的配慮であり、あまり意味は成さないというのが僕の見解でありますため、あえてこう言いたいところです。ガタガタ言うな、気楽に読めよ。
小学生の頃の僕は若干ぽっちゃりしていて、髪型は通年でスポーツ刈り、真冬でも半ズボン、習い事は週5回、という実に健全極まりない小学生だった。趣味は落書き帳にマンガを書くこと、ミニ四駆を走らせること、兄とゲームをすること、等々、比較的インドアな子供であったように記憶している。もっとも今を以てインドア派であるが。
よって女性関係については実に壊滅的な状況であった。小学生とはいえ6年生ともなれば、マセた友人などは『彼女めいたもの』を作り始めていたし、あるいは精通・初潮を迎えた彼・彼女らは、誰に言われるともなく『性的なサムシング』(胸を揉んだりとか、そういう関係)を、親並びに教師には内緒でカマしていたものである。
「放課後に1組の田辺の胸揉ませてもらったんよ」
喜色満面でそう語る友人(11歳)。それを聞きながらコチンをガチガチにさせる俺(11歳)。彼が田辺さんの胸を揉んでいた刻、僕がしていたのは「トルクチューンモーターにするかな……でも速度落ちそうだし……」と、ミニ四駆の改造について想いを馳せることだけであった。これが格差である。
こうして、何ら華やかなメモリーを覚えることなく小学生時代は過ぎていった。ジャンプで連載されている電影少女を読みながら「大人はこんなことしとるのか……ええなあ……」と夢想しつつ、しかしついぞ田辺さんの胸を揉むことのできなかった僕と、胸を揉みしだいた友人との絶望的な乖離を何度もリフレインし、最後には
『要するに俺にそういうチャンスは永劫訪れないのであろう』
と、過度に悲観的な未来予想図を描きまくっていた。
転機は中学時代にやってきた。通っていた中学校は『全ての生徒は必ずいずれかの部活動に所属しなくてはならない』というマジファックな不文律が存在し、であるが故、僕も何がしかの部活を選ぶ選択に迫られた。上述した通りインドアであった僕は、運動の二文字をこの世の何よりも憎悪しており、運動をしなくて済むなら血の滲むような努力も惜しまない、と公言して憚らなかったものの、やはり僕を除いた若い価値観というものは
『スポーツが出来る=カッコイイ!』
そんな腐った評価基準が根づいていた次第で、それを更に進めた形で一部の過激派どもは
『文化部=カマドウマか何か?』
要するに文化部を選択すること、それは中学校社会において社会的な死を意味していた。まことに狂った尺度である。
苦渋の選択を突きつけられた末、最終的にソフトテニス部をチョイス。小学生時分、月に二度ほど地域のスポーツ少年団でソフトテニスに興じていた故である。自己に具備されていたものが壊滅的な運動神経であったため、せめて一日の長のある分野を選びたかったのだ。
待ち受けていたのは地獄であった。あくまでも当時の僕の価値観からすれば、というエクスキューズはつくが。まず、毎日必ず3キロは走らされた。もちろんテニスというのは運動量の多いスポーツなので、その指針も理にかなったものではあるのだが、それまで運動の二文字を怨嗟の念と共に眺めていた少年にあって、いきなり毎日3キロ走らされる−−この痛苦、お分かり頂けるだろうか。
加えて休みは基本的にゼロだった。平日放課後は日が落ちるまで、土日は9:00〜17:00、夏休みのうち部活が休みなのは延べ5日、結果として僕の肌の色はゾマホンとなった。というか日差しが強すぎて全身に水ぶくれが生じたレベルだった。アレはマジでビビったわ。
しかしながら中学時分における部活というものは並べてそういうものであるらしく、地域で最もハードコアであると噂に名高かった我がバスケ部など、夏休みの休みは2日しかなかった程である。彼らの前で「いやー、俺ら5日しか休みなくてさあ……」などと言おうものなら「ちょれーwマジちょれーww俺らとか2日しか休んでないわー 実質2日だわー」と、囚人が鎖の長さを競うシーンを彷彿とさせるそれが待ち受けていた。部分社会における負の側面である。
枕が長くなってしまったが、そろそろ本筋に入ろう。そのようにして比較的ハードな運動量を(好むと好まざるとに関わらず)我が身に強いた僕が結果としてどうなったのか。まず顔つきが変わった。それまで割合ぽっちゃりとしていた頬はガッツリと無駄肉が削げ落ち、また成長期も相まって、中学入学時は149センチしかなかったのが、冬を迎える頃には160センチまでに伸びていた。成長痛のせいで膝がすこぶる痛かったのを覚えている。乳首もシコリができて痛かった(ギャグではなく、これは中学生男子のほとんどが経験します)。
そして髪も伸ばしていた。確たる理由があったわけではないが、さすがに中学生になってまでスポーツ刈りはちょっと……という、色気があったのは確かだ。当時は資生堂『アズイズ』という整髪料が流行っており、僕はCMに出ていた加藤晴彦の髪型を見よう見まねで模した。
そう、ここからマイ未曾有のモテ期はスタートしたのである。
その日もその日とて「マジで顧問死んでくんねえかな」という呪詛を胸にたぎらせながら3キロを走っていたのであるが、グラウンドを何度か周回しているうちに、見覚えのないショートカットの女子(比較的可愛い)が、どうも僕の方を見ている気がした。暇なヤツもおるもんやなあ、俺もはよ帰ってFF7のレベル上げでもしたいわ、晩ご飯なんやろ、などと考えつつ、黙々と走っていたら急に、ラブレターを、渡されたので、ある!急に、ラブレターを、渡さ、れたのであ、る!!! QLK、急にラブレターが、きたから。
「肉欲くん、これちょっと、あの、ハイ!」
「(ハァッッハァッッハァ)あ、え、あ、アウアウアー(ハァッッハァッッハァ)」
滝のような汗をかきつつ、起こった状況を理解できないまま、(^q^)←こんな顔をしてしたためられた文を受け取る俺。いま、何が起こっている?この手紙はなんなのだ、読まずに食べるべきか?いや、食べない。俺は黒ヤギさんじゃない。曖昧に笑いながらジャージのポッケに文を突っ込むと、「じゃ、じゃあ!」と慌ててグラウンド周回を再開した。
パニックであった。いくら経験のなかった時分であれ、女子生徒から唐突に手紙を渡されるその意味くらいさすがに察する。しかし理解が追いつかない。なにせそれまで一切、本当に一切『女性から好意を向けられる』という経験がなかったシャイボーイだったのだから。だって当時の俺はといえば、100均で購入した手鏡を巧みに駆使し、後ろの席に座っていた女子のスカートの中身を猛覗き、それオカズにオナニーするくらいにはカスな中学一年生だったように記憶している。カスというか犯罪者予備軍である。それがまさか誰かに好意を向けられるとか、思うはずなかろうもん。ちなみに手鏡の話は実話であり、その後その女子から当該行為がバレる、という割とマジで洒落にならない事態に発展したことをお伝えしておきたい。さすがに自殺を検討しました。
ともかくも。文をポッケに突っ込んだまま、努めて冷静さを保ちつつ状況を整理した。見渡すが、特に誰かに見咎められた形跡はない。小さなコミュニティにおいて、上述したようなシーンを目撃されることほど残酷な事件はないであろう。少なくともその可能性を払拭できたことは幸いであったと言わなくてはならない。
ようやく3キロを走り終え、どの素因から生じたのか判断に困る動悸を携えつつ、なるべく自然さを醸し出しながら部室へと向かう。そこでようやくポッケの中の文を取り出すと、震える手でその内容を確認した。仔細な内容は覚えていないが、確か文にはおおよそ以下のようなことが書かれていた。
・拝啓、そなたは格好いい
・先ずは友達となることを願い候
・我は一級上の女学生、名は○○と申す
別に、武士階級であったとか、そういう話ではないけれども。
意味が分からない。そのような想いを鮮烈に抱いたことを記憶している。返す返すも当時の僕は『自分が誰かに好意を向けられるなど未来永劫あり得ない』と信じて疑っていなかったのだ。トレンディードラマにおいて見受けられる恋愛的サムシングは全て対岸の火事、そういう世界もあるんだよねワロス、と、頑なに信じていた時分だったのだ。なにもこれは自虐風自慢などではなく、当時の僕は本当にそう確信していた。
気の迷いに違いない。自己の精神に正当性を持たせるために導いた結論がそれだった。なぜ話したこともない先輩が俺のことに好意を持とうか。これは何かの間違いなのである。そう思い込み、僕は5人家族の住む市営住宅の屋根の下、峻烈なオナニーをカマしてから夜を寝た。
そして幾数ヶ月が経ち。
友達になろう!と言われたところで、じゃあ何を以て友達とするのか?など、当時から比較的面倒な考え方をする性質であった僕は、結局件の先輩と何らの進展を見せることのないまま、2月を迎えた。部活は相変わらずの忙しさで、当時といえば学校→部活→塾→帰宅→シコシコ!シコリ!→睡眠、という健全極まりない生活を送っていた。
だが運命の歯車は止まらない、止まれない。1996年2月14日、ほとんどお察しの通り、その日僕は件の先輩から可愛い箱に入ったキャンディーを賜ることとなる。またもや3キロを走っている最中に。いや、お前、もうちょっと選ぶべき状況とかあるんじゃあねえの!?とは思ったが、シャイ極まりなかった僕にそんなことを言えるはずもなく、またぞろ (^q^)←こんな顔をしながら受け取るほかなかったのであるが。
正直にいえば掛け値なく嬉しかった。親族を除いた異性からバレンタインに何かを賜ること、それは人生において初の経験。いやー参ったな、こういう時どういう顔をしたらいいのか分からへんわ、などと思いながら、部活を終えた僕はバッグに当該キャンディーを詰め込み、帰路に着いた。その時。
「肉欲くん」
校門のすぐそば、門扉の脇。そこには当時クラスの中で2番目くらいに人気であった川崎さんが鎮座ましましていた。まさか!瞬間、肉欲に電流走る。おいおいマジかよ……こいつら揃いも揃って頭がどうにかしちまってるんじゃあねーか……いや待て、違う案件かもしれない……「今度の選挙、親御さんには公明党に一票入れるように頼んでくれないかな?」「クリスチャン・ラッセンって知ってる?」「壺なう」などと、そういう心温まるトークである可能性も否定できない。
「これ、貰って欲しいんだけど……」
チョコなう。だった。まさかの2タテ。そもそも川崎さんは5組の小幡くんと付きあっていなかったか?にしても乳でけーな、揉ませろよあばずれ。など、様々な思考が渦のように脳内を駆け巡る。が、やはり小心であった僕は「ぱしへろんだす(^q^)」などと曖昧に笑いながら目の前のブツを受け取ることしかできなかった。揉みたかった、揉めなかった。
帰宅後、学習机の上に賜ったスイーツを並べしばし考え込む。が、あまりに浅い経験則しか有さない少年にあって、さほど有益な意見など生まれようもない。やはり頼るべきは先人の叡智、半ば義務感のようなものを覚えつつオカンのもとへと走った。
「オカン、オカンよ」
「なんよ」
「女の子からチョコやら貰ったんやけど、どうしたらええん」
「そりゃあんた、きちんとホワイトデーにお返しせんと」
「そうか」
「そらそうよ」
「これ、貰ったヤツやけど、とりあえず食べとってくれんかね」
「え、何言っとるん。アンタが貰ったんやろ」
「いやだって、人から貰った食べ物とか、何かキモイやん。食べれんよ」
1996年2月14日、それはクズ欲が萌芽した瞬間であった。マジでこういうこと言ったからな。俺が親なら無表情で撲殺するレベル。ありがとうおかあさん。
つづく。この話はたぶん長い。
そんな肉さんも素敵です。
続きが読みたい。
次にも期待
連投の予感……!