僕はしばらく考えたが、やはりこれから更に進むというのには気が引けた。迷う可能性はあったけれど、来た道を引き返すのが一番無難だと考えたのである。
「どうしたんだ?」
ツレの一人が僕に声をかける。僕は、なんでもないよ、という風に曖昧に笑うと携帯をポケットに収めて皆のところに戻った。
びゅう、とまた風が吹いた。ただ、今度の先ほどのように風は長く続くそれではなく、一吹き、僕らをからかうように吹き抜けていっただけだった。
「なあ、どうするよ…」
ツレが暗い顔で呟く。疲れ、怯え、そして恐怖。肉体的な疲れはさるものながら、精神的な疲労もかなりのものだった。千星さんの言葉を信じないわけではないが、これ以上知らない道を進むよりは今進んできた道を引き返すほうがまだ精神的に楽だと言えるだろう。
「戻ろう」
僕は皆にそう告げた。誰も言葉を発しないが、同意していることはなんとなく伝わってくる。僕は懐中電灯を握り締めると進んで先頭にたち、来た方向に向かって歩き始めた。
僕が二、三歩進んだ時、再び携帯が震えていることに気付いた。確認するまでもない、着信の主は千星さんだろう。僕はディスプレイも見ずに電話に出た。
「…もしもし」
「自分、どこに向かっとるん?」
「ええ、道路を目指して」
「いや、祠から右に行っとらんやろ?」
「え?」
「俺、言うたやん。祠に向かって右に進めって言うたやん」
「いや、それは…」
「何してんの自分?!死にたいんか!!」
瞬間、電話の向こうで千星さんが尋常ならざる絶叫を上げた。思わず携帯から耳を離す。これほどまでに狼狽しているということは…やはり僕らの進む方向は間違っているのだろうか。
僕は携帯を片手に持ったまま、進路を相談するために後ろを振り向いた。
「なあ…」
仲間たちは、僕の顔をまるでバケモノでも見るかのような目で見つめている。ある者は腰を抜かしそうになっており、またある者は歯をガタガタと震わせていた。
(まさか、歳火が…)
と思って僕は周りを見渡したのだけれど、視界はなんら変化するところはなかった。
「一体、どうしたん……」
そして僕は気付いた。彼らが恐怖しているのは僕以外の何かへではなく、間違いなく僕自身を恐れているということに。
「ちょ…ちょっとなんだよ!一体どうしちまったんだよ!何に怖がってるんだよ!」
僕は慌てて問いただした。俺をバケモノとでも思ってるのか?冗談じゃない。僕は正常だ。いや、もしかして…まさかこいつら、知らない間に歳火を見てしまったのか?それで既に発狂したのか?
考えたくなかったことだ。しかし、この異常な状況では何が起きてももはや不思議ではないような気すらしてくる。彼らが発狂しているかもしれない。その考えは少なからず僕へも恐怖を伝播し、僕はカタカタと震えながら彼らに問うた。
「おまえら、もしかしてもうと」
「・・・・・・がい」
質問は途中で遮られ、ツレが何かを喋りかけた。なに?と俺は聞き返す。
「・・・がい、だよ?この林・・・入ったときからずっと・・・圏外なんだよ・・・・・!!!」
「おまえ・・・誰と、何を喋ってたの・・・・??!!!」
全身から、血の気が引いた。ここが圏外?そんな、そんなことは…僕は慌てて握り締めていた携帯に目を遣る。そこには『通話中』文字が躍っていた。そしてその左上、アンテナ表示の部分には――
圏外
「…ああああああうあああああああ!!!」
僕は思わず叫び声を上げて携帯を地面に叩きつける。そして何度も、何度も踏みつけた。ガッ、ガリッ、バキッ。折りたたみ式の携帯は二度三度踏みつけると完全に真っ二つに割れた。そして僕らはお互いの手を握り合うと、小枝で顔を擦ることすら気にせず来た道を一気に駆け戻った。
どれくらい走っただろうか。途中で何度もコケたり転んだりしてボロボロになりながら、ようやく国道を見つけたのはうっすらと東の空が白んでいた頃だと思う。道路を見つけた僕らは、歓声を上げる気力すらもなく、6人揃ってヘナヘナと道路の脇に座り込んだのだった。そこで、ようやく電波を取り戻した携帯電話を使って、僕らは警察に連絡を入れた。
警察に保護された僕らは、私有地に立ち入ったことをひどく咎められた。無理もない、僕らの行為は不法侵入である。ただ、そんな微罪で検挙するほど警察も暇ではないらしく、僕らは喉頭での厳重注意ということで見逃してもらえた。ただ、ひとつ警察は気になることを言っていた。
「にしても、お前らよくあそこに入って無事だったよなあ」
「ああ、言い伝えのようにならなくて良かったですよ」
「言い伝え?何のこった」
「え?だからこの辺りに伝わる歳火のはなし…」
「トシビ?なんだそれ。そんなんじゃなくて、ここ何年かであそこに立ち入った人間が急に発狂する事件が相次いでたんだよ。言い伝えなんて大げさなもんじゃないよ。ホント、ここ数年の話だからな」
「……」
そういえば、ここに昔から住んでいるツレもこの歳火の話は知らなかったようだ。というか、この話をしていたのも、よく考えたら千星さん以外にはいなかったことに僕は気付いた。いや、そうだ。そもそも千星さんはなぜ電話をかけることができたのか?なぜ圏外にいたはずの携帯に電波が届いたのか?
(彼に聞くべきことは、どうやら山ほどありそうだな)
そう考えながら、僕は方々の体で下宿に戻った。
角部屋に位置する僕の部屋。東向きで日当たりもよい。家賃はそれなりに張るけれど、間取りも広くていい物件だと思う。僕は自分の部屋に帰るより先に千星さんの家のチャイムを鳴らした。
ピンポーン
返事は、ない。
(旅にでも出たのだろうか?)
いや、そんなはずはない。昨日の今日である。それにあんな電話をかけているくらいだ、いくらなんでも僕のことを心配していないはずがない。
ピンポーン
もう一度チャイムを鳴らす。しかし、相変わらず返事はない。
「千星さん!いないんですか千星さん!僕です!いるんなら出てきて下さいよ千星さん!」
「どうしたんですか?」
声に振り返ると、そこにはどこかで見た顔があった。
誰だ?昔どこかで会ったような…僕は記憶を必死で掘り返す。
『…ちょっと値は張りますがね、いい物件ですよ、ここ』
そうだ、この人は2年前僕にこの物件を紹介してくれた不動産会社の従業員だった。実に2年ぶりである。記憶の隅に引っ掛かったのが奇跡的なほどだ。
「どうなさいました?」
訝しげな顔で僕の方に近づいてくる若い従業員。僕は彼の方に向き直りながら口を開いた。
「ちょっとこちらに住んでいる方とお話がしたくて…どうもご不在のようですけどね」
そう言って僕はバツが悪そうに笑った。従業員は相変わらず訝しげな表情を崩さない。
「あ、いえ。ほら、僕は角部屋に住んでる者ですよ。覚えておいででないですか?」
「ああいえ、あなたのことは覚えてるんですが」
僕は取り成すように言葉を繋いだが、どうやら彼は僕を不審に思っているというわけではないらしい。
「あ、そうですね。あんまりどんどん叩いてたら近所に迷惑ですもんね…アハハ、すいません」
「いえ、そうではなくてですね」
彼は首をかしげながら、あのう、と呟いた。
「お隣の部屋、あなたが入居したときから、誰も住んでいないのですけれども」
(END NO.2)
棒太郎さんの天才ぶり、秀才ぶり、
企画力に嫉妬。愛してる。
いや恐すぎだからUu
助けて