9月。身を燃やすような暑さは段々となりを潜め、季節は秋へと変わろうとしている。
我が家の庭先に植わった柿の木を眺める。
9月。夏はもう終わろうとしている。
夏が終われば、あの葉が緑を失う日もそう遠くはないだろう。
時間の流れが早くなったな、と最近思う。
時の流れ。幼い頃は意識すらしなかった。
最近では一日一日が、いや、一分一秒が強く意識されるようになった。
二十歳を迎えてからは、特に。
(だからもしかしたら)
もしかしたら、木の葉が枯葉へとその身を変え、中空から地面へと落ちるのも案外遠い話ではないのかもしれない。
「その頃までには」
気付くと、独り言が口の端から漏れ出していた。
その頃までには、行く末をきちんと決めなければ。
一人で、生きていけるようにしなければ。
「ロクジゴジュウゴフン!ロクジゴジュウゴフン!」
テレビの中から朝のニュース番組がやかましく時間を告げる。
その声は僕の安っぽい感傷を断ち切り、昨日今日明日と連綿と続く日々に僕を引き込む。
机の上にあった日経に軽く目を通すと、すっかり冷えたトーストを少しだけ口にして僕は玄関に向かった。
「あら、もう行くの?」
声のする方に振り返ると、母上が立っていた。
「ええ、今日は早い時間から面接があるのでござ……」
思わず口を閉じた。僕は曖昧に笑って、再び言葉を紡いだ。
「……あるんですよ。行ってくるでご……参り、ます」
今日もまた、僕の就職活動が始まる。
「ハットリ君の就職活動」
服部貫蔵。僕の名だ。
その昔、一人前の忍者を目指して伊賀の里から上京してきた。
それ以来、父が病に伏した時を除いてずっとケンイチ氏の家にお世話になってきた。
僕だけではなく、弟の心臓、更には僕の忍犬・獅子丸も一緒に。
三葉家の皆さんは、居候の僕らを嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。
父上、母上、ケンイチ氏。彼らには本当に――本当に、幾らお礼を言っても言い足りない。
だから、これ以上迷惑は掛けられない。
一日でも早く家を出なければ。
家を出て、自分の力で生活しなければ。
揺れる満員の中央線の中で新宿の雑踏を眺める。
ずっと忍として生きることを目指してきた。
今は、あの雑踏に溶け込むことを目指して進んでいる。
サラリーマンとして。
背景も信条も押し殺した、一人の社会人として。
(姿を消すのは、得意な方じゃないか……)
そんな自虐的な冗談を奥歯の方で噛み潰し、濁流のように流れる勤め人に揉まれながら、改札を抜けた。
僕が就職活動をしているのには訳がある。
忍者は、儲からない。
そんな当たり前の理由であり、そしてそれが全てだった。
話は1年前に遡る。
僕は修行の報告を兼ね、単身伊賀の里に戻った。
幼い頃は溢れるほどの緑を誇り、川と言わず山と言わず存在する全ての者が自然の力に満ち溢れている場所だった。
しかし、発展していく経済事情の中で、再開発の波は止めようがない。
それは伊賀の里といえども例外ではなかった。
緑の量は、年々目減りしていった。
川に棲む魚も、明らかにその数を減らしていた。
自然の力は、次第に衰えていった。
衰えたのは、何も自然に限ったことではない。
その中に住み、生きている人々もゆっくりと確実に磨耗していた。
そして1年前のあの日、久しぶりに帰郷した僕を目の前に座らせ、父は一言こう言った。
「忍者じゃあ、もう、食っていけん……」
噛み潰すように吐き出されたその言葉。
なぜだか、驚きはなかった。悲しみも同じように感じなかった。
理由は分からない。ただその言葉と、目の当たりにした里の変化と、そして二十歳という現実に――僕は何かを諦め、同時に何かを決意したのだ。
幼い日を思う。
物心付いたころから忍者になるのだと信じていた。
僕の世界は忍と共にあり、忍が僕の全てでもあった。
努力と研鑽を重ねて過ごす日々。
父の進言を受けて上京してからも、僕は昼と夜とを問わず修行に明け暮れた。
ケンイチ氏たちと遊ぶ時も、シンゾウを連れて街を歩く時も、ケムマキのちょっかいをかわす時も――その一瞬一瞬が、全ての時間が、修行だった。
耳障りな機械音がして改札の扉が勢いよく閉まった。
Suicaの残額はまだ存分にあるはずだ。
もう一度改札のリーダー部分にsuicaを押し付ける。
改札は頑なに開こうとしない。
思わず舌打ちが漏れた。振り返ると僕の後ろには中々改札を通り抜けない僕に恨みがましい視線をぶつけてくる人が数人立っている。
僕は参ったな、という風に曖昧に笑って駅員のいる窓口へと向かった。
仮に就職が決まったとしても、こんなようなことが毎日起こるのだろうか。
そう考えると、少しだけ目まいがした。
僕が上京してしばらくしたある日のことだ。
ケンイチ氏の父上が僕に対してこう言った。
「ハットリ君、君も学校に行ってみないか?」
親心――あれは、父上なりの親心だったのだろう。
今なら分かる。
忍者とは言え、修行とは言え、まだ年端もいかない子供が学校に通わないことは、あまりにも不健康な話だ。
今なら、分かる。
学校の果たす役割というのは、何も勉学に限ったことではない。
様々な人間との生活で団体行動のイロハを知り、組織に所属するという概念を実地で体験する。
真っ白いカンバスのような幼い心に、学校生活というものがどれだけ大きな影響を与えるのか。
そしてそれが、どれほど僕に必要なことだったのか。
今なら、分かる。本当に。
でも、あの時は――
「父上、忍者に学校は必要ないのでござる。お心遣い感謝でござる」
アルタ前の大通り前に立っていた。まだ9時前だというのに、目まいがするくらい多くの人間が僕の周りに立っていた。
携帯を耳にあて何やら会話をしている中年。
ガードレールに浅く腰をかけて気だるそうにタバコを吹かす若い女。
だらしなく顎を上げてアルタの巨大なスクリーンをつまらなさそうに眺める小学生。
目に写る雑多な人間は、手を伸ばせば簡単に触れられるほどの緊密な距離に存在している。けれど彼らが融和することはない。水と油は、液体という括りは同じだけれど永遠に溶け合わない。彼らもまた同じだ。
それでいいと思う。
人と人とは、違うのだから。
他人はどこまで突き詰めても他人でしかないのだから。
曖昧に笑って、肩を叩き合って適当に酒を酌み交わして、その先に一体何があるのだろう。
カップルが、手を繋いで脇を通り過ぎた。
彼らは寂しくないのだろうか。
愛を確かめ合うほどに寂しくなることも、あるんじゃないだろうか。
もし世界が水であるのならば、僕は油でありたい。
誰にも溶け合わず、世界との境界線を画然と保って、高潔に生きたい。
それも、自分の為に生きるのではなくして、他人の――たった一人でもいいから、他人ために忠義を尽くして死んでいきたい。
(ケンイチ氏・・・)
ただ一人、忠義を尽くせる人間がいればそれで、いい。
ずっと、それでよかったのだ。
そんな日々は、今では新宿のスモッグにまみれた空よりも遥か遠くにいってしまったのだけれど。
「次、23番。服部貫蔵。」
新宿西口にある面接会場。僕は食品会社の面接にやって来ていた。大企業などではない。インターネットで検索して、条件を数々に絞り込んだらやっと数件該当するくらいの、本当に小さな会社。
そしてそれが僕の現実――つまり、僕の身の丈でもある。
形式的な面接が始まる。志望動機は?あなたのセールスポイントは?わが社に求めるものは?将来の展望は?どこの会社も、似たようなものだ。幾つも回れば自然と分かる。そして質問に慣れている自分の存在は同時に、数え切れないほどの会社の面接を受け、その数だけ不採用だった事実にも、気付かせてくれる。
「―――ということです」
半分別なことを考えながら、それでも詰まることなく面接を負えることができた。不採用の数の多さは、だから、満更ムダとも言えない。だからと言ってこれ以上増やすつもりは毛頭ないけれど。
「そうです……か。うーん」
そう言って面接官はボールペンの尻の方で頭をぼりぼりと掻きながら、何やら険しい表情をしている。
だから、この後の展開もやっぱり、分かる。
不採用の数は、ムダに増えてるわけじゃない。
『キミ、なんで中学校も出てないの?』―――
どの会社でも、どの面接官も、口に付いて出る言葉は同じだった。
その事実は、結局人間というものは被っている面の皮が違うだけで、僕というフィルターを通してしまえ誰もが同じ内容になってしまうということに気付かせてくれた。
『中学校までは、義務教育なんだけどねえ』―――
参ったなあ、という顔をして笑う面接官たち。
なんでお前はここに存在しているんだ、そんな視線を遠慮もなくぶつけてくる。
彼らにとっては、法というルールから完全に逸脱している僕という存在は、異端でしかないのだろう。
『じゃ、ま、結果は後日、ということで』―――
言葉は、僕の予想から一ミリもずれることなくトレースされた。
硬さだけが特徴のパイプ椅子から腰を上げると、ありがとうございました、と口の中だけで呟いて僕は面接室を後にした。
キミも学校に行ってみないか―――
父上のあの日の言葉。
今となっては、遠い。あまりにも。

エロスなときと
ギャップが
ありすぎて
おもしろい。
間違えてストさんにしてしまいました>名前欄
申し訳ない。
>きよさん
腸転捻!腸転捻!
たまらない。エンドルフィンでます。さすが肉さん。
本当に、言葉を上手に操ってりますよね●´ω`●+゚