そんなことを考えたことのある人は少なくないと思う。
僕にしてもそうである。
それは、人生における "強くてニューゲーム" を望む瞬間。
ヒトとしての悲しきサガだ。
「肉体的には若返りたいが、精神的には一歳だって若返りたくない」とはリリー・フランキーの言である (『マムシのanan』か何かで書いていた気がする) 。
要するにそういうことなのだ。
実際的な評価がどうあれ、我々の局所的な認識は、自身について
『間断なく訪れる 【いま】【この瞬間】 こそが、精神的に最も高みにいる』
そのように捉えている。
1年前の、1ヶ月前の、1日前の、1時間前の、自分と。今の自分とは、確実に異なっているのだ。
それは、一般的な基準でいえば、成長という名の差異である。我々をして 「精神的に一歳たりとも若返りたくない!」 と言わしめる大半の理由が、そこにあるのではないか。
しかしながら現実というのは往々にして辛く切なく、そして汚い。
「いやー、一年前の俺ってホントにどうしようもなかったよなあ!最近はもうあんなパワー、ないわぁ〜(苦笑)」
ドヤ顔で語るのは個人の自由である。が、そういうのを大声で喧伝する人間に限って、周りからしてみれば
「え……別にいまだって……?」
冷ややかな気持ちにさせられるのがほとんどだ。
「カァーッ!ったく、未だに大学生はコール(※)とかやってんだねぇ〜!ま、俺らもああいう頃あったけど?(微笑)」
※飲み会における一気飲みの掛け声
そんなことをキリッとした顔で語るのも、やはり個人の自由だ。現状、僕の知人で大学生のようにコールを振る人間は絶無である。しかし、そのことを指して成長と呼べるのか否か、それは非常に微妙なラインだ。
「ま、ま、ままま!時間も早いしさぁー、次はちょっと、ちょっと!キャバクラ、って気分、じゃない?!」
コールというステージがキャバクラへとクラスチェンジしただけで、突き詰めればしていることは大して変わっていないのである。もちろん、行為の側面からすればコールとキャバクラとは全く異なる。だが
【非日常性に安寧・興奮を覚える】
精神性のレベルに焦点を当ててみれば、ほとんど同じようなものではなかろうか。それは決して成長などではない。せいぜい 「しみったれたマイナーチェンジ」 程度の呼称にとどめておくべきである。
「若い頃は時間があったから、クロサワ (注:黒澤明) とかオヅ (注:小津安二郎) とか腐るほど見て、タリーズなんかで討論じみたことしてたけど……今はぜんっぜん時間ないからなー(微笑)ホントもう、ぜんっぜん時間ないわー(溜息微笑)」
そういう野郎に限って、そこから唐突に 「ジョブズがいかに凄いか」 みたいなことを2時間くらい語り始めるものである。高円寺の喫茶店 『七つ森』 あたりで。安西先生も絶句するほかないだろう。
それくらいに、成長するということは難しいことなのだ。
ともすれば、皆さんの人生の中においても。
あ、俺って成長した!と、突然思う瞬間が訪れるかもしれない。
だが、そのうちの99%は、間違いなく勘違いである。経験値によるマイナーチェンジは果たせども、決して成長などしていない。ふとした瞬間、すぐに昔の自分へと戻っていくことであろう。そして残りの1%は紛れもなくヒロポンの打ち過ぎによる幻覚だ。悲しい話である。
今のまま、あの頃に戻れれば!そう思うことそれ自体は責められることじゃない。薄い布団の中で、空想に身を委ね。身体だけ小さくなった小学生のボクが、スラスラとセンター試験を解く……そんな妄念。抱いたって別にいい。
しかしながら
「どうせあなたはどんな道を選んだって今みたいな有り様になっちまうんだ」
某小説に出てくる台詞である。
そしてそれは丸ごと正しいように思われる。
根拠は一切ないけれど。
・・・
「夜景、綺麗だねー」
「う、うん……」
それは9年前の冬、北九州市門司港。僕は当時お付き合いしていた一つ年下の女の子とデートをしていた。西暦2001、童貞歴18、の頃である。
空に向かって首を傾けながら、必死に僕は耐えていた。あるいは祈念していた、と形容してもいい。果たして何を?
「来て良かったね!」
「う、うん」
海風がそっと彼女の髪をくすぐる。潮臭い匂いに混じり、柔らかなシャンプーの香りが鼻腔をそっと貫いた。
堤防に波が打ち寄せる。
同時に、僕の身体にも、波が訪れつつあった。
迸る、勃起の波が。
・・・
遡ること2週間前。
僕は彼女とのデートの最中、商店街のど真ん中で唐突に無残な悲劇に遭遇している。それは瞬間の出来事であった。僕が何気ない所作で、ファンシーショップか何かで可愛い小物を見ている彼女と、手を繋いだ−−その瞬間。
「…?どうしたの?」
「あっ、それ可愛いね……!」
突発性陰茎肥大症候群。
僕を冒した病理がそれだ。
分かりやすくいえば、勃起ということになるだろうか。
その日に限ってタイトなジーンズを履いていたことが奏功した。もしも緩めのチノパンであれば、店内はパニックに陥っていたかもしれない。それでも僕はASAPで前かがみにならざるを得なかった。
「だ、大丈夫?」
「何だろう……昨日食べた納豆がいけなかったのかな……フヒッ」
恐ろしいことに、勃起はそのまま2時間ほど続いた。別に面白さを狙って書いているわけではなく、8年前における現ナマの事実である。僕はあの日、生涯における最大量のカウパー液を放出したことであろう。帰宅して後、僕は泣きながらパンツを捨てた。
・・・
時間軸を戻す。
その夜、彼女から発せられる甘い芳香を鼻にするも、ウォーニン!ウォーニン!肉体がアラートを発した。あの日、犠牲となったパンツの勇姿が瞼の裏に浮かんで消える。
「そこに座らない?」
「お、おう……」
頷きながら、僕の中での警戒レベルが4から5へと引き上げられた。座るとなれば、当然近しい場所に腰を落ち着けなくてはならない。そうでなければ不自然であるからだ。しかし、それをしたとき、果たして僕の身体は、股間は、耐え切れるのか。
その刹那、感じる。
1週間前の、1日前の、1秒前の僕は、もうどこにもいない。
いまの僕は、刻々と流れる時の中で、常に最高の自分であるはずだ。そうであるならば……
漸次加速していく思考。
精神が肉体を凌駕していく。
あの日の僕はもういない。
克己。
その二文字を胸に湛えながら−−
「よぉーし、すわっちゃうかぁー」(ストン
「たくさん歩いたねー」(ストン
「ンンッ」
【ミニマム級8回戦 2R2分12秒】
△肉欲 ー 下半身△
「ホント、綺麗だねー」
「ソウダネ」
男、名を、マラ・ハンボッキ。
溢れ出す才気は、白濁色の覇気へとその身を変え、抗えどもその夜、関門海峡の眼前で彼のパンツをカウパーの海へと葬り去ったのであった。
さざ波に、ただ鼓膜を揺らせながら。
それは、9年前の出来事である。
・・・
あの日、あの夜に!現在の自己の知見で以て臨むことが出来たなら−−それはこれまで、幾度となく巡らせた想像だ。手を繋いだだけで勃起していたあの頃と、今の僕と。そこには相当の隔たりがあるだろう。
「夜景が綺麗だねー」
「そんなことより場所変えない?いい店知ってるんだ。つぼエイトっていうんだけどね」
ベムベロベラベラとそんな台詞を吐くに違いない。その上でキリリと冷えた冷酒か何かを叩き込み、判断能力を失わせた上で、エロホテルの1軒か2軒くらいは巡った可能性もある。アナルのひとつくらい舐めていた蓋然性も否定できない。いや、どちらかといえば舐められたい。そんな話はどうでもいいじゃないか!
だが、今となっては。
そんな妄想を抱いていた自分のことを随分と遠くに感じてしまうのだ。
別に性欲がなくなった、という話ではない。
そうではなく
(そこに何か意味があるの?)
思うのである。
できなかったこと(=セックス)、やれなかったこと(=セックス)。永いあいだ、そのことを 「motttainai!」 と思っていた、だからこそ 「あの日に戻れれば!」 と考えていたのであるけれど、巡るめく回顧の中で、あるとき唐突に
「ではあの日、今持ち合わせている小賢しい知恵と、そして経験とを駆使し、果たしてセックスに成功したとして、どうだったのか?」
虚無感しかないような気がした。もちろん場当たり的な征服感、達成感は得られることだろう。だけど、それだけではないか。そこから先にあるのは、いま、現在の僕が歩んでいる人生と、全く同じものしか拓かれていないのではないか。
経験人数の多少は変わるかもしれない。
それでもおそらくの着地点は、現在26歳である自分のそれと、さほど異ならないようにしか思われなかった。たかだか8年や10年を戻ったところで、これからの8年や10年が劇的に変わるとは、どうしても想像できなかったのである。
「どうせあなたはどんな道を選んだって今みたいな有り様になっちまうんだ」
それは個人的な感慨に過ぎない。そもそも、前提が狂っているのだ。強くてニューゲームができれば……というのは一種の思考ゲームである。それが現実に起こることなど、到底あり得ないだろう。
それでも、僕たちは考えてしまう。
あの日に戻れれば……と。
だが、どれだけ世界が終わろうとも。
揺ぎ無い過去は、現実は、常に一つしかない。
僕にとってのそれは、あの日、門司港のベンチに座って半勃起をした。なにかをしたかったけど、なにも出来なかった。
それだけのことなのだ。
そして、それが全てなのである。
「そろそろ門限かも…これからどうする?」
「じゃあお前の友達も呼んでこれから3Pしようぜ!」
これは無理やりヤリチンの思考になってひり出した台詞である。が、要するにそういう台詞・発想が (いまをもって、自然に) 出てこない時点で、何年前、何十年前に戻っても、結局僕は僕のままであり続けることだろう。ゲスな話ではあるが、そういう点に思い至って初めて
「自分はあまり成長していないんだな」
認識を新たにした。
過去に戻りたいなんていう迷妄を抱くことは、ただ虚しいだけでしかない……という、実に当たり前過ぎる現実も、同時に。
尤も、3Pをしよう!という発想が、そもそも成長なのか否か?という部分には、大いに議論の余地があるけれども。
大体が、何を以て成長とするのか?というのが、大問題なのだけれども。
いま、確実に言えることがあるとすれば。
ブログを始めた6年前と、いまと。
書いている内容を還元してみると驚くほど何も変わっていない現実を鑑みるに、僕はどうやら全く成長していない、そのところだけは確からしいように感じられた次第である。
そんなこんなで、長い枕となってしまいましたが、どうも皆さんお久しぶりです。
長く放置いたしました。ごめんね。
とりあえず、僕は元気です。
【追記】
8月はmixiにリハビリがてら日記を書いていました。
アカウントをお持ちでない方もいらっしゃるかもしれませんので、改めてこちらの方にもアップしておきます。
日記8/9
日記8/10
マーダーライセンス牙
ある夏の追憶
お酒の話
てんとう虫コミックス第63巻 3話 「さよならドラえもん」
父の名が克己です。
不可能性云々って師匠の言葉は僕を変えました。
未来のために現在あがくのです。
待ってたぜー
待ってました♪
肉たんにもかわいらしい時があったのね(´・ω・`)
待ってたよ!
この数ヶ月長かったです・・寂しかったぁ・・泣
路線も変わらずで落ち着く空間。
やっぱり肉欲企画だなぁ。