人の心には "見えないブレーキ" が設えられている。
それは 『理性』 や 『常識』 という名で呼ばれるブレーキだ。
野に放たれた動物とは異なり、僕たちは本能からの欲求を、そのブレーキにてコントロールしている。
ただ、残念なことに、そのブレーキの規格は未だ統一されていない。また、そのブレーキをいつ踏むのか、どの程度まで踏み込むのかなどの部分は、各人の裁量に任されている。
従って
『ブレーキがあるから、事故は起こらないだろう』
と安易に結論づけることは、できない。
心のブレーキの精度を高めるには、粛々と人生の経験値を積んで行くほかない。先人の教訓、自らの失敗体験、悲惨な事故例の目撃。そういった知見を得ることで、我々は自らに設えられた "ブレーキの具合" を知るに至る。
若い時分には様々な事故が生じやすい。だが、その事故は決して当人の愚かしさから引き起こされているわけではない。経験の浅さ――それが、凄惨なる事故へのトリガーなのだ。
『これくらいなら、いいだろう』
全ての悲劇は、大体においてこの手のマインドから始まる。
高校の頃の同級生に "ポエム" と呼ばれた男がいた。ポエム、とは即ち詩歌のことであるが、当のポエム氏本人はといえば、およそ詩歌界隈からは縁遠い顔面をしており、どちらかといえば 『週末が訪れるたびに鍛治工房に篭り灼熱の鋼を打ち付け、以て刀剣となすような行為が非常よく似合うよね』 などと吹聴されるような、極めてマッシブな容貌であらせられた。全然ポエミーじゃなかった。
そんな彼が、どうしてポエムと呼ばれるに至ったのか?摩訶不思議な状況ではあるが、真相はいつだってシンプルかつ明快だ。要するに彼は、高校1年生のある時、当時想いを寄せている女性に対し、実に "詩的な" ラブメールを射出したというのだ。
そのことを聞くや否や、僕はポエム氏に事情聴取を敢行した。
「どういうことなんだ。お前、ポエムって柄か!」
ポ「すいません、その話はやめてもらえませんか……」
沈鬱な表情だった、と言わなくてはならない。だが、実体的真実を解明するためには、追求の手を緩める訳にはいかない。僕は鬼刑事のマインドになって、その後もポエム氏を責め立てた。
「証拠はあがってんだよ証拠は!?エエー?!」
「何も知らないっス。自分、何も知らないっス」
尽力の甲斐なく、ポエム氏はカンモク(完全黙秘)を貫いた。が、その程度の抵抗で諦めていてはデカ失格である。僕は長い時間を掛け、宥めたり、慰めたり、機嫌をとったり脅したりをしつつ、最終的にはポエム氏の自供を引き出すことに成功した。
以下は、ポエム氏の供述を、私の手により再構築した調書である。
・・・
『――当時、巷では、携帯電話がかなり普及していました。僕も親にねだって、ようやく携帯を手にすることができました。それと前後して、タイミングよく当時好きだった女の子とメアドを交換したのです』
――結果、ポエムメールを射出した、と。
『待って下さい刑事さん。話を聞いて下さい。確かに僕は、最終的にそういったメールを発射しました。それは事実です。でもね、僕は脳も心もない泥人形じゃない。色んな想いがあって、色んな考えがあって、その上でメールを送った。それだけは分かって欲しいんです』
――具体的には。
『彼女とはね、割と頻繁にメールのやり取りをしていたんですよ。それは幸せな時間でした。学校ではあんまり話せなかったけど、メールだったら気軽に連絡が取れたんです』
『楽しかった。嬉しかった。僕はどんどん彼女のことが好きになった。でも、自分の想いだけは、どうしても伝えることができなかった。この関係が壊れることが怖くて、それで……』
『そんなある日。彼女から届いた一通のメールが、乾いていた僕の心を濡らしてくれた。止まっていた僕の心を、動かしてくれたんです。だから、それで』
――ちょっと待って下さい。その辺りのところ、詳しくお聞かせ願えますか?
『……が……んです』
――すみません、もう一度。
『ハートマークが……あったんです……』
――ハート、マーク……?
『ハートマークが!あったんですよ!!ねえ、刑事さん!!』
『あの日、彼女からのメールの末尾には!!ハートマークが!!そこに確かに!!あまつさえ二つも!!付けられて、いたんですよ刑事さん……』
『だから……惑わされっちまったんですよ、俺…… "何か今日いける気がする" って……勘違いしちまったんだ……』
『深夜ってのは……怖いですね刑事さん……お天道様も青空もないところだと、きっと人間ってのは狂っちまうんじゃあないですか…… "まともじゃない" ことが、 "まともなこと" に思えちまうんですよ……』
――それで、ポエムを。
『そうですね……比喩でもなんでもなく、気付いたときには、目いっぱいポエミーなメールが出来上がっていました』
『刑事さん、信じて下さい。あの時、あの瞬間、俺にはあのメールは、"とても普通なメールだ" って、確かにそう思えたんですよ。「これくらいならいいだろう、これくらい誰でも言うだろう」って、そんな風に確信してたんだ』
『だから送った!!夜中の二時に!!迷惑も顧みず!!彼女の携帯に!!』
『でもね、刑事さん。俺だってバカじゃない。朝起きてから、メールを読み返したんですよ』
――それで、どう思いました。
『死にたい、って。ただそれだけです』
――その後、どうなりました。
『ポエム、と呼ばれるように……あああ、あああああ!!違うのに!!俺は!!そんなつもりでああああばばばあばばばばっばば』
――おい誰か!鎮静剤を打て!!
・・・
要するに、あの日のポエム氏は、実に悲しい事故に遭遇してしまったのである。ただ、その主たる原因は、ポエム氏が己のブレーキを踏み間違った部分にある。
皆さんもご存知の通り、最高裁は「夜中に書くラブレター、夜中に打つラブメールは、非常に強い危険性を孕んでいる」と判示している。宵闇に包まれた時に覚える過度の興奮、相手不在のまま綴られるやたらテンションの高い文面、JPOPから丸パクリしたかの如き陳腐なリリック……これら全てが相まって、ミッドナイト・レターは "致死量の劇物" へと姿を変えるからだ。
そのことを熟知している人たちは、たとえ夜中にテンションが上がっても、軽々にはラブレターの執筆に着手しない。たとえ胸中に "あら、いいですね" の高波が訪れようとも、心のブレーキをベタ踏みし、事故を未然に食い止めるのだ。そして朝起きて、こう思うのである。『書かなくて、送らなくて、良かった』……と。
本件については、もう一つのチェックポイントがある。それは 『女性から放たれるメール中のハートマーク

思うのであるが、まるで興味もない男に対して、蛇口をひねるかのように軽々しくハートマーク


「ごめん、そんなつもりじゃなかったのに……」
ヤクザの手口である。麻薬をタダで若者に配り、身も心も麻薬中毒になってから、法外な値段でシャブを売りつける。ハートマークを乱発する人たちの行いは、そんな麻薬密売人の行動とよく似ている。要するに、人外魔境の仕打ちなのである。
もちろん、勝手に勘違いした我々に全く非がない、とは言わない。99:1くらいの割合で、僕たちにも過失はあるだろう。だが、残りの99は女性の罪だ。四捨五入するとおよそ100である。やはり僕たちは被害者である、と言わなくてはならない。
「つーか、今時さぁー。ハートマークくらい普通に打つっしょ。その程度でアレコレ言われるとかマジ心外なんすけどー」
お前らはそういうけどなあ!?普通だからいいじゃん、って、なあ、やってる行為は "普通" のことだから、何でもかんでも許されて然るべき……とか思ってるワケ?!『普通なんだからいいでしょ、なのに勘違いしないでよねこの豆タンク!』 とか、そういう宗教に入信しちゃってるってコト!?
あーいいよ。よござんすよ。じゃあそっちがそういうロジックでくるのなら?こっちにも考えがあるし?
"町中で出会い頭にクンニするのがナウなヤングにバカウケ!"
こんな論陣が大手新聞各紙で張られた日には、いいか!めちゃくちゃにクンニしてやるから、せいぜい覚悟しとけよ?!なぜならその時、その行い(≒町中での出会い頭のクンニ活動)は、アンタらの言うところの "普通" になっているのだから。僕たちは、そのような思想・信条に則ってクンニ行為に勤しんでいるに相違ないのだから。だからその日まで震えて眠れ!
逸れたましたが、とにかくも。
僕たちは自らの失敗経験、あるいはポエム氏型の失敗談を耳にすることにより 『夜中に打つメールには注意しなくてはならない』 的なブレーキを具備するに至る。それは成長と言い換えてもいいかもしれない。逆に言えば、何度失敗しても夜中にポエミーなメールを送ってしまう人というのは、その人の年齢が幾つであれ、精神的には全く成長していないことになる(ただ、本人が後悔していない場合は別である)。
メールに限らず、世の中のありとあらゆる事象には 『ブレーキを踏むべきポイント』 というものが用意されている。フォーマルな場であれ、酒の席であれ、スポーツの場面であれ。どんな状況にもそれは内在している。
だが、残念なことに。
世の中には、そういったブレーキポイントを察知する能力が著しく欠落した人というのも、確実に存在している。かかる人たちは、ある面からすれば非常にロックであるが、別の面からいえばひどく破滅的でもある。
それはひとえに、ブレーキのない車で公道を疾走しているようなものだからだ。
とみに酒の場において、そういう姿勢は顕著になりやすい。僕自身、自らの酒癖の悪さを何度もブログ上にて公表してきたが、それでも上には上がいる。それは決して崇められない、崇めてはいけない雲上人たちのフォークロアであり、常人には到底手の届くこと能わない現人神たちが紡ぐドドメ色の神話の世界だ。
通常、我々が酒の席で手痛い失敗を喫すれば、大なり小なり 「次回以降は気をつけよう」 という気になるものだ。つまるところそれが次回以降の心のブレーキとなるわけだし、そういう経緯を踏まえつつ僕たちは "大人の" 飲み方を学んでいくものである。
だが、ノー・ブレーキのワールドに棲む人たちは、どうやらそうではないらしい。彼らの場合、まず反省をしない。というか、反省するべき行為規範が脳内から抜け落ちてしまっているのである。
「お前、昨日ひどかったぞ……」
「は?酒ってそういうものでしょ」
皆が法定速度で走っている世界にあって、彼らは一人ハイウェイを疾走しているのだ。
「持てる性能を出し切らなくて、車に乗る意味があるの?」
これが彼らの抱える心のシャウトなのである。僕もあまり人のことは言えないが、やはりモノホンの人たちが抱える才能というのは、その輝きが違うな……と感じさせられる。そしてその才能は、生きて行く上でこれ以上なく不要なものでもある。
大学の後輩にSという女がいた。僕は未だかつて彼女を超えるほど酒癖の悪い女を、いや人類を、見たことがない。酔うと暴れる。ゲロを吐く。金を払わない。記憶のないうちに穴兄弟を量産しまくる。この辺りのことは、まあ、よくある話だ。僕自身も、彼女の更正を願いながら何度となく 「次からは気をつけろよ」 と、暖かい言葉を掛けていた。
だがある日、Sが僕の友人の家で酔った挙げ句に寝小便をカマした辺りから 『これはちょっと何か違うぞ』 と思い始め、その後に酔った勢いで 「オヒョヒョ」 と叫びながら山手線の線路に飛び込みかけた辺りで
「いよいよ万策は尽きた」
との想いを抱くに至った。野に放たれた野獣を前に、常人たる僕ができることは、あまりにも少なかったのである。僕はゆっくりとSのもとからフェードアウトしていった。
それからしばらくの時間が流れ。
ある日、僕のもとに一通のメールがきた。
「肉欲さん。
Sがタイの空港で暴れてムショにぶち込まれました。
Sのために嘆願書を書いて下さい」
僕は、そっと、メールを閉じる。
タイの人たちに、心の中で、謝りながら。
これがブレーキのない人の一例である。
本来であれば、人生経験の中で覚えるべきブレーキのタイミングを、完全に忘却してしまった人たち。
その生き方は、ある面からすれば実にスリリングで、かつ、刺激に満ち満ちたものなのかもしれない。だが、我々の生きる世界は野生ではなく、法と倫理と道徳の渦巻く現代社会なのだ。ブレーキのない人たちをいつまでも放っておくほどの寛容さはないし、あるいはそれを放置することを寛容とは言わないだろう。
子供の頃は許された行為でも、大人がやると許されないことというのは、数多くある。それはつまり、世の中の側が
「成長の過程で、きちんとブレーキの調整をしなさい」
と僕らに訴えかけている、ということである。自由であることと、無軌道であることとは、まるで違う。失敗は一度たりとも許さない、ということではないが、二度以上は失敗するべきではないのだろう。
そのためにも、僕たちは己のブレーキ加減を常に意識しておかねばならないのだ。
そんなことを、これまで女性に対し深夜にポエミーなメールを何度も掃射したメモリーを想起しつつ、また、この三月にタイで泥酔した挙げ句ホームレスに取り囲まれたというヤクい経験を思い出しながら、いま、この日記を書いている次第なのである。マジ全然覚えてねえわ。まあ酒ってそんなもんだよね!
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(;^ω^)あ ん た か
【肉欲より】
誤解が生じないよう申し上げておきますが、Sとの件とは完全に別件です。
ラジオやれ
そこまでは自信がないのか?
いい話だった。
僕も力になりましょう!
てかドラえもんとかあるしムリだろwww
しかも真昼間の京都で、面と向かって。
以来、彼は友人から「和歌のひと」と呼ばれています。
とても面白かったです
どんどん変り種の物語を考えていけばいいんですよ
例えば、セックス前は、あんなに紳士的だった男が、終わった後 女の顔めがけて思いっきり屁をかます。
怒った女は、復讐を誓うとか
当時は何も気にしてなかったんだけど、やっぱり「女」であるという側面から、男の人にとっては「対象」になってしまうこともあるんですね。
無知は罪。
昨日も せんずりした手のまま、ハンバーグをこねました。
息子にはブレーキ及び♥印の読みをきっちり教えておかないとあかんな....。