来月でブログを初めて丸5年になるんですが(seesaaに移転する前にMSNでブログをやっていたため)、ある程度の期間日記なんてもんを書いてると 「あ、これについて触れてみよう」 みたいなテーマを見つけても、過去の日記中で既にそのネタに言及している場合がよくあります。それ自体は仕方のないことなんですが、それでも同じネタについて、昔と今とでは考え方が変わっている……ということもあり得ます。
というわけで、今回は 『以前触れたことのあるネタについてもう一度言及してみよう』 という趣旨のもと、日記をしたためてみる次第。新規性に乏しく、また内容的に重複する部分もあるかとは思いますが、そこはまあご愛嬌ということで、ひとつ。
あのー、まあ、いわゆるところのエロ本とかAVとかね、そういうモンについてなんですけれども、僕自身にはそういう経験はありませんが、世に生きる男性の中には恋人の方から
「どうして私(=彼女)がいるのにAVなんて観るの!?」
といった趣旨のことを鬼のテンションでシャウトされることがあるらしく、なんというかその論旨としては
「自分がいるのだから、他の女で興奮するなんて言語道断。そんなのは精神的な浮気だ」
ということみたいなんですけれども、どう考えるべきなんでしょうね、このあたりの主張というのは。
言いたいことは分かる。僕としても、女性の方々が 『恋人がAVを観ているのってちょっと……』 と思う気持ちは感覚的に理解できる。好きな人だから、愛するパートナーだからこそ、自分のことだけ見ていて欲しい。そんな風に願っちゃうマインドってのは何も女性だけに特有なものでもないし、あるいは異性関係に限らず "好ましいもの" に対して執着心を抱くこと、独占欲を覚えること、それは誰にだってあることだ。
だけど、ここで考えなきゃいけないのは、そして最も気をつけておかなきゃいけないのは 『果たしてAVやエロ本を見ている男たちは、彼女から気持ちが離れているのか?』 この部分ではないだろうか。その疑問に対する答がイエスであるのなら、女性の皆さんも心置きなく男性を糾弾するといい。なぜなら、それは正しく "精神的な浮気" だからだ。
しかし、そうではない場合。言い換えれば "多くの男性はAVやエロ本を彼女とは違う次元で捉えている" ということになるのであれば。そのときは視点を変え、もう一歩進んだ議論へと踏み込んでいくべきだと思う。
AV、ないしエロ本というものは、大きく分けて二つの機能を有している。
ひとつには鑑賞的側面。これは 『AVやエロ本を見ること、それ自体が趣味』 といった人たちにとって重要となるファンクションだ。
古今東西ありとあらゆる官能物を収集し、それを眺める。
文化的な側面からそれらを熟読し、考察する。
その様子を、光景を、極めて表面的にだけ捉えれば
「いやらしい、またあんな本を見て」
ということになりそうである。
けれども、お察しの通り、彼の方々の目的は己が劣情を煽ることではない。AVやエロ本を鑑賞しているその瞬間に刺激されているのは、ひたすらに知的好奇心でしかあり得ず、もしも当人が読んでいるのが 『でらべっぴん』 であったとしても、それは
"その時読んでいたのがたまたまでらべっぴんだった"
という以上の意味はない。彼にとってはカーマスートラ(*)もでらべっぴんも (趣味の対象として) 同程度の位置に据えられるのである。故に、かかる人物に対し、その行動の極めて表層的な部分 (エロ本を読むという行為) だけを指して 「あの人はいやらしい人だ」 と侮蔑すること、それは賢い言動ではないのだ。
(*カーマスートラ……古代インドの愛の経典でおよそ4世紀から5世紀にかけて成立した作品といわれており、『アナンガ・ランガ』『ラティラハスヤ』と並んでインド3大性典のひとつとされる)
さて、AVないしエロ本にはもう一つの機能がある。こちらの方がより一般的な役割を担っていると考えられるのであるが、率直に言えばそれは "実用的機能" のことであり、俗な言葉で形容をすると "オカズ" というファンクションのことである。
エロ本やAVを、ひたすらに "性的な視線で" 鑑賞する状態のことだ。
結局のところ 『彼氏がAVを観ていた……殺したい……』 式の嘆きを解決するためには、この後者の機能をどう評価するか?議論はその辺りに行き着くのではないだろうか。
「彼女がいるんだから、オカズなんて必要ないじゃない!」
なるほど、一理ある主張だ。一度心に決めた人間がいるのに、その興味 (専ら性欲) を彼女以外の第三者に傾けるなんてとんでもない……その言い分は一面からすれば正しい。我々としても、帰宅するや否や彼女サイドから
「このAVはなんだテメー!ぶち殺すぞ!」
みたいな趣旨のことを北斗晶のテンションで叫ばれたならば、理屈よりも先に 「こらえてつかーさい!」 と土下座をカマすことだろう。そのような状況にあって下手な言い訳など何の役にも立たないからだ。
しかしながら。僕たちは勃起してしまうのである。あなたのことが好きで、大切で、どれだけ、愛していても。ふとした瞬間に、何かの弾みに、心が揺れ動いて、挙げ句の果てに、興奮――勃起を、してしまうスペクタクルが。確かにあるのだ。
芽吹く春。風は爽やかに吹き抜ける。見上げた先には咲き誇る鮮やかな桜。僕たちは陽光に目を細めながら、微笑みとともに舞い散る桜吹雪を瞳に映す。アスファルトの鈍色すらも美しく、そして儚く感じられる刹那。不意に思う。
時よ止まれ お前は美しい
風が、今度は先ほどよりも強さを増して、吹き抜ける。脚の間を何かが駆け抜けていくような感覚。頭を垂れるが、もちろんそこに人影はいない。春風の戯れ。四季への敬意。
「きゃっ……」
短くそして華奢な嬌声が、鼓膜に届いた。見るともなしに声のした方に目を遣る。
ひらり、ひらりと。
舞い散るような、一葉のパンツ。
「やだ、もう……」
眩く白いその布は、その日目にしたどの桜花よりも切なくて儚くて美しく、情感的だった。ふと顔を上げ、パンツの君の顔を閲(けみ)する。
可憐で、清楚で、瑞々しい力強さを内に押し込めた少女が、そこにいた。
瞼を閉じる。
そこに蘇るは白い軌跡と、白い奇跡。
舞い踊る、何度でも何度でも、くるくると楽しそうに、くるくると。
世界にひとつの土筆が、一本。
股間に聳えた。
「――そんなことが、あったから。女子高生パンチラもののAVを二本、僕は借りた次第なのです」
如何か。
現象は止められないのだ。
風の訪れを知り、女性の悲鳴が聞こえた瞬間。
我々は、考えるよりも先に 『その方』 を見てしまうのである。
この行動は、衝動は、誰のことを好きであろうが、あるいは愛していようが、抗える類のものではない。そして、ここからが肝要なのであるが、その結果としてパンチラを閲してしまった僕たちの心が、股間が、興奮してしまうこと――これもまた、抑え難いフェノメノン(現象)なのである。
現象は更に進む。一旦興奮してしまった心は、生半には冷静にならない。ともすればドミノのように興奮が高まることもあるだろう。
そうなると、僕たちの心はいかにも弱い。目は虚ろになり、気はそぞろ、両の手は震えに震え、四肢の自由すら奪われてしまう。せめてもの策とばかりに瞼を閉じるも、そこに浮かぶのは最前に見たパンチラの幻影。
そして最後に思うのだ。
オナニーをするほかない、と。
オナニーを以て真人間へと戻るしか途はない、と。
このような僕たちの心象風景について、では、女性の皆さんは何を思うのだろうか。憤怒?悲嘆?あるいは諦念?様々あるだろう。いずれにしても好意的な心情にはなり得ないこと、それは理解している。
だが、いくら皆さんが怒っても、悲しんでも、あるいは嘆いても、僕たちは僕たちとして在り続けることしかできない。
愛するあなたが怒るから、私はパンチラに興奮するのをやめる
――それは、不可能への挑戦でしかないのだ。
「じゃあ、興奮してもいいけどさあ……でも、別にオナニーしなくてもいいじゃん!興奮して、そこで終わりでいいんじゃないの!?」
気持ちは察する。だが、それは "理" の話でしかない。もしもこれがギャンブル狂いの話なら、僕としてもあなたの "理" に耳を傾けることだろう。だが興奮とは、性欲とは、もしくはオナニーとは、皮肉なことに "理" ではなく "情" の世界の話なのだ。これこれこういうわけで嫌だ、故にやめて欲しい――その理が耳に届いたとしても、心にまでは届かないのである。非常に申し訳ない話なのであるが、どれだけ皆さんが「嫌だ!やめて!」とシャウトしたとしても
『したいから、する』
これが僕たちの不文律なのだ。
もっと言えば
『パンチラの残像が瞼の裏に残っているうちに、させれ』
魂の叫びなのである。
このような想いのもと、実用的な側面ばかりを重視してAVを鑑賞する瞬間が、僕たちにはある。それは何もパンチラを見た瞬間にだけ顕著となるわけではない。満員電車で隣にボインなチャンネーが立っていた、就職活動中の女子大生がリクルートスーツを着ていた、銀行窓口に座るお姉さんの谷間が見えた……など、実例については枚挙に暇がない。そして僕たちは、その時々に非常に高い確率で 『オナニーを、させれ』 といった感想を胸に抱いてしまうのである。
下賎な奴らだ、と思われるかもしれない。
最低、これだから男は……と嘆かれているやもしれない。
それでもいい。
そう思ってしまう女性の皆さんの心の動き、これもまた現象だ。
止めることは誰にもできない。
しかし、これだけは覚えておいて欲しい。
僕たちは、その時々において、ひたすら "不定形のオカズ" しか求めていないのだ、ということを。極めて抽象化されたパンチラというものを、リクルートスーツというものを、胸チラというものを――ひたすらに、その心に、求めているのだけでしかないのだと、そのことを。
僕たちがAVを見ていたとしても、エロ本を見ていたとしても、個別具体的な "モデル" "AV女優" などに、さほど深い意味はない。好みの問題はあるにせよ、この人じゃないとフィニッシュできない!という状況は、ほとんどあり得ない (これは別途述べようと思っていたけれど、字数の都合上端折って書くと、そういう "決め打ちの人" は確かに 精神的な浮気人に該当しうる。そこは僕も認めたい) 。我々はAVやエロ本というフィルターを通して、ただただ 『"そういう" 状況』 を追想しようとしているだけのことなのだ。その追想の補助ツールとしてAVやエロ本を用いているに過ぎないのである。
AVを通して、架空の銀行員と決算的な官能を味わいたい――
エロ本を通して、形而上のCAと夢フライトをカマしたい――
そのような情熱を、誰が止めることができようか。
あるいは。
AVを見るな、エロ本を見るな!との訓告、それは
「そんな状況に興奮を覚えるな、劣情を催すな!」
と強要することに等しい。
だが、それは決して容易なことではないのである。
他の女性に目移りするな!ということと、パンチラに価値を覚えるな!ということは、決して同値ではないからだ。僕たちの心はそこまでシンプルには作られていないのである。風景・情景たるパンチラを、個別具体的な人物像と同列に扱うことは、とても難しいことだ。
かくして、僕たちはAVを観る。
エロ本を買う。
エロゲームだってするかもしれない。
けれど、それは決してあなたのことを軽んじているからではない。ただ自分の中の拭いきれない昂りを、センチメンタリズムを、劣情を、あるいは弱さを、抑えきれないから……というだけのことだ。そのことを指して浮気だ、裏切りだと糾弾されては、永劫にまともな議論は望めないことだろう。
だから、それを踏まえた上で。
「言い分は分かった、けどパンチラに興奮するようなあなたは嫌だわ」
あなたがそう言うのなら、僕はそれを受け入れたい。
なぜならそれは、あなたが自らの中で冷静に、何度も熟慮した上で導いた、かけがえのない結論なのだから。かつ、その帰結は、両者の価値観の相違から導かれているに違いないのだから。
価値観が異なる二人がいつまでも一緒にいることは難しい。
それが故に別れるほかないのなら、それはもう仕方のない話なのだ。
そして、その時は。
パンチラ的自己人格を選ぶか、彼女との生活を選ぶか。
僕たちにしても、その辺りのことを真剣に考える以外の選択肢は残されていないことだろう。
そういう風な男女の向き合い方だって、あっていいと思うのである。
もしもこれを読んでいる人の中に、パートナーや恋人、あるいはまだ見ぬ彼について 「AVを観ちゃう人はちょっとね……」 と思ってしまう人がいるのなら。辛く、無為に思えるかもしれないが、どうか今一度だけ
『どうして彼はAVを観ているのか?』
そのあたりのことを、できれば熟考して欲しい次第だ。
それでは、この辺で。
・・・
(参照)今日の話と似たテーマを扱った日記。
オナニー・シーン (2007/4/8)
・・・
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オッサンらしく若いコはイかせまくってやる!(`・ω・´)
・・・って気合入れてたけど反対にイかせられまくりな件wwwww
つか最近のコって腰 使 いとかフ○ラとかうますぎるわ!www
オレがやったことといえば「ア"ー!ア"ー!」って悶えてたぐらい(笑)
これで8万もらえるんだから楽な仕事だなwwwww
http://mao.acmahsjfms.com/me1oj59/
ところで上のスパムに違和感がないのは日記の内容のせいでしょうか、それとも肉さんだからでしょうか?
まぁ、なんだ、レディコミ読むのはええんかとそこをね。問いたいよね男としては。お前らホントにあったHな話とか読んで興奮してるんちゃうんかと。
はい、よくがんばりました。
フラダンスの話かと思って丁度始めようとしていたものだからまんまとクリックしてしまいました
どうすれば良いでしょうか?
アラサーとなった今では、「浮気じゃないし元気で結構」と気にしなくなるように…。
好きなんですけどね、見えない方がもっともっとセクシャルなんじゃないかと思うんですよね。
むしろ、パンツは見えちゃったら負けなんじゃないかと。
だって、見えないから見たいんじゃないですか?
だったら見たくて見たくてたまらないけど、見えないままでいて欲しいってのは贅沢な悩みなんでしょうか?
なんかもったいないと思う。
もったいない・・って、どういう意味ですか。
セクシーになれば・・って、どういう意味ですか。
愛〜って 〜よ〜く わか〜ら〜な〜い〜け〜ど
自虐自慰〜なかんじ〜が素敵。
もったいないというのなら
せっかくだから
「ここ噛んで〜〜〜〜〜」
しかしそもそも、唯一発情期に制限されぬホモサピエンスのオスが発する無尽蔵ともいえる射精欲求を単体のメスによる物理的な行為で充足させることなどどだい無理なのです。
それはメスの肉体と精神に過大なリスクを負わせますし、実際に私はある献身的なメスの一個体を社会的存在という意味合いで壊してしまった経験があります。
この同じ不幸を繰り返さぬよう、私は今日も自涜に耽るのであります。
ただ、愛するものを我が忌まわしきリビドーから守りたいが故に。
あほだな、あんた
この才能を他に生かせwww
生存本能からくる問題だもの。
いつでもやらせる尻軽なら話は別だけど。
彼氏に気に入られるなら下処理やら媚売るやらするのとおなじだぬ。
最近、セックスしてねぇなぁ。
やりてぇ。
男として書かれた心理はよくわかりますが、このあたり、女性は本当のところどう理解しているのか?
ないしは、どう納得しているのか?
そこに興味があります。
夫に悪いことしたと思います。
けど、やっぱり私は女なので、男性じゃないんで、この記事はとても分かりやすいのですが、理解しがたいのです。
どこかパートナーに馬鹿にされてる気がするのです。大事にされててもです。
私が女だから、夫が好きでしょうがないから今は分からなくていいと思います。けど今、この記事を見る前より苦しくないです。
愛する彼女(妻)を傷つけたくないと思うのでしたら、男性の皆さんはどうか「そういうの見てる」っていうのを悟らせないであげて下さい。