肉欲企画。

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2009年10月08日

それでもええじゃないか

 


 
もしかすると、皆さんは普段 『自分は常に理知的な生き方をしている』 と思っているかもしれない。あるいは 『自分については自信はないが、周りの人は常に理知的に生きているに違いない』 と思っているかもしれない。

だが、本当にそうなのだろうか。

■【理知的】りち‐てき
理知によって冷静に物を考え、行動するさま
「―な人」

■【理知・理智】り‐ち
理性と知恵。
また、本能や感情に支配されず、物事を論理的に考え判断する能力。


(大辞泉より引用)


『理知的に生きる』 という言葉を辞書的に読み解けば、それは 「本能的衝動に流されず、社会、常識、法慣習等と調和的に生きる」 といった内容になるだろうか。簡単に書いてしまったが、このことを徹底して遵守することは中々に難しい。

ただ、内心において 『自分が理知的だ!』 と思い込むこと、それは自由だ。客観的に見れば少しも理知的でない人であっても、その人に内在する "思い込みの心" は止めることはできないからである。そういう人にとって、辞書上の言語定義など、かなりチープな存在だろう。

辞書的な意味はさておき、僕たちは往々にして、自らのことを 『ある程度理知的な人間である』 と考えている節がある。その証拠に、多少乱暴な話にはなるが、例えば皆さんが友人から唐突に 『あなたって一つも理知的じゃないよね』 と言われたら、軽めに激怒する可能性が高い。いわばそれは 「自分は理知的な部分が多々あるのに、こいつは何を言ってやがるんだ」 と、当人が思っている証左ではなかろうか。とはいえ、激怒した時点で理知的ではなくなるのであるが。

別に揚げ足取りをしたいわけじゃない。率直に言うと、おそらく僕たちのほとんどは 『理知的』 という言葉を、辞書的なレベルより下の基準で捉えている。刑法犯にならないようにするだとか、公衆道徳を重んじるだとか、貞操を守るだとか、そういう 『最低限のライン』 を踏み越えないこと、そこに理知を見出している。

そのように考えてみれば、確かに僕たちの大部分は理知的たり得る。言い換えればそれは 『常識的に生きる』 ということであり、あるいは 『不合理なことはしない』 ということである。

おそらく、ここで多くの人は

「じゃあやっぱり自分は理知的だ。だって、常識外れのこと、不合理な行いなんてしない、したことがないのだから」

と思われることだろう。

だが、本当にそうであろうか。
真実に僕たちは、いつもいつでも、常識的論理的冷静沈着的に――生きて、きたのだろうか。

「そういえば、いまの彼女に告白するために、夜中にチャリ走らせて越境した記憶が。これってつまり、自分が冷静じゃなかった証拠か!?」

別冊フレンドでやれの世界だ。その例の場合 「こんな夜中にチャリをぶっ飛ばしている俺!熱い俺、カッコいい俺!」 という薄汚ねえ打算が働いているであろうことはほぼ確実なのであって、その意味でいえば十分理知的だと言える。だが、いま僕がしたいのはそういう話ではない。

ヒロイックな状況にあって、我々が打算や保身という考え方を打ち捨てるのは珍しくないことだ。チンピラに絡まれた女の子を助ける、道路に飛び出した子供をかばう、火事で燃え盛る家に飛び込む、199X年においてとある拳法家が核シェルターに弟とその恋人を押し込み自らは爽やかに笑いながらその扉を閉める、などの例は古来より枚挙に暇がない。いわゆる 『頭よりも先に体が動いてしまう瞬間』 というやつだ。

そのような場面において理知を放擲すること、無私の精神を発動させること、これは極めて "人間らしい行い" として評価されるだろう。この辺りのことは皆さんも感覚的に分かって下さると思う。

ただ、上に挙げたようなのはかなり特殊なケースだ。僕もそろそろ生まれて26年になるが、上述したようなシーンに出会ったことなんて一度としてない。おそらく、皆さんにしても同様のことであろう。僕たちは極めて平々凡々とした日常を過ごしている。そこにあって、僕たちが理知をかなぐり捨てることなど、あまり想定できない。

しかし、ないわけではない。皆さんも、特に男性諸兄は、胸に手を当ててよく考えて欲しい。僕たちの来し方行く末において、あの日あの時あの場所で、理性論理常識モラル、それらを一切合切破壊してしまったことが、おありになるのではないだろうか。非常に不合理なことを、社会性を身につけた人間としてはおよそ有り得ない行いをしたことが。

そう、言うまでもなくオナニー・シーンのことである。
オナニーに耽っている際、僕たちはしばしば人智を超える。

ここで注意して頂きたいのは、何も僕たちが『人智を超えたオナニー』をしているのではない、という点だ。人智を超えたオナニーというのは、まあそうですね、バナナの木をレイプした人とか、いるんでね、そういう人については 『人智を超えたオナニー』 という概念が当て嵌まるかと思うけれども、僕がここで論じたいのはそういう超人・偉人たちがカマしたウルトラCの話ではない。『普通のオナニーをしているときに人智を超える瞬間』、このテーゼだ。

これから語る内容は、もしかすると一部の女性にとって少しショッキングな話かもしれない。しかし僕が語る内容はいつだって史実、ないし事実に基づいている。だから、皆さんにも是非知っておいて欲しいのだ。

床射のことを。

床射。つまり僕たちの大半は、オナニー時に性的な高まりを覚え過ぎてしまうがあまり、時として床に、畳に、フローリングに、カーペットに――射精、してしまうことが、ある。本当に、ある。

「それは、ティッシュがなかったから?」

ノー、と言わなくてはならない。ティッシュは傍にある、けれども床に射精する。この匙加減。分かるだろうか。

床射をカマす時、僕たちは確実に人智を超えている。なぜなら、僕たちは床に欲情しているわけではないし、また、床にぶっ放せばどうなるか、後々でどんな面倒が待ち受けているか、その辺りのこともしっかり把握しているからだ。把握した上で、ぶっ放すのである。

「なんなの?シャケなの?

もちろんシャケではない。だが、気分はシャケに近いかもしれない。

個人的な体験談になって恐縮であるが、僕の場合はAVを鑑賞しながら最後の最後の段階で男優と観念的に同化、ウオオ!ウアアアア!と獣もかくやの雄叫びを心の中で放ちつつ、画面越しの顔射に合わせて同時に床射。やったわ。このエピソードのどこがシャケに近いのかはよく分からないが、どうせ誰もシャケの気持ちなんて分かるはずもないので別にどうでもいい。

床射のあとに待ち受けているもの、それは確実な意味での地獄だ。フローリングであれば被害は最小に抑えられるが、カーペットなどにスペルマを放出してしまった場合は悲惨だ。なにしろシミが取れない。実際に経験した僕が言うのだから、まず間違いない。『ガンコな汚れ』という言葉の本当の意味を知ったのも、あの時だったように記憶している。

だが、そんな不合理性を理解してなお、僕は床射した。そしてそれは、ほとんどの男子中高生に共通する経験のはずなのだ。根拠はないが、なぜだか確信はある。だからあなたの弟も、お兄さんも、お父さんもお爺さんも、きっと一度くらいは床射をカマしている計算になる。

不合理の極みである。常識的に考えれば、ティッシュに出すのが適当なところだ。床に欲情しているのではない以上、床をオカズにオナニーをしているのではない以上、ティッシュに放出しても床に放出しても、得られる快感が左右されるわけではない。そんなのは分かっているのだ。

しかしあの時、あの瞬間。
僕は、僕たちは、思ってしまったのである。

なんかもう、床でいいかな――って。
たまには床も、いいかな――って。
そんなことを。

ここで分かっておいて欲しいのは、床射をする人たちは決して社会的な意味における 『変態』 ではない、ということだ。

『床でしかフィニッシュできない!』

このケースは少しばかり変態的だが、僕らの場合は

『床にフィニッシュしたことも、ある』

両者の違いに注目してもらいたい。つまりは、事故のようなものなのだ。過失はあっても故意はない。あるけどない。ないと言わせて欲しい。

だから、たとえばこれを読んでいる女性の方々が、将来的にお子さんの床射シーンを目撃したとしても、決して怒ってはいけない。心配することすら不要だ。なぜならそれは、文化心理学的な側面から考えてみれば、極めて正常な行いだからだ。文化心理学など一切勉強したことのない僕が言うのだから、ほぼ間違いない。

床射のことばかりを語ったが、事例は何も床射だけに限定されるわけではない。セルフ腹射、掌射、壁射、などのケースも上と同様のロジックが当て嵌まる。付言しておくとすれば、『ヤンマガ射』や『快楽天射』などは床射の亜流として捉えられがちだが、どちらかといえば顔射の代替的行為として位置付けるべきであろう。残る後悔は同じであるが、そこに内包される思考プロセスは驚くほど異なる点に注意されたい。

高まる快楽を前に、僕たちは時として理知を打ち捨てる。

「それって要するに、本能に流されているだけでは?」

そんな指摘があるかもしれない。が、僕は少し違うと思っている。

再三になるが、僕たちは行為の最中、フィニッシュの直前まで 『床にするとか、マジ無益だよな』 ということは確実に認識している。認識しながら、何となくそのラインを踏み越えてしまうのだ。

「その先に待ち受けているのって、一体何なのだろう?」

僕たちの心は少年探偵団。
興味を覚えたことは、余さず試すのが性分よ。

たとえそれがナンセンスな行為でも、理解不能な行いでも。
何となく、気になってしまった瞬間に!その向こう側の景色を――見たくなってしまう生き物なのだ。
察して頂きたい。

「これやっちゃうと、どうなっちゃうんだろう!?」

そのリビドーを止める術はおそらくどこにもない。分別に乏しい頃であればなおのことである。そして、転んでみなければ膝の痛みが分からないのと同じように、とりあえず試した結果痛い目をみない限り、僕たちの衝動は止まらない。止めることはできないのだ。

おそらくそれは、およそ 『理知的』 という言葉からは掛け離れた行動原理なのだろう。故に僕たちは、理知的に生きているつもりでも実際は違う場合がほとんどなのだ。

「それは違う!」

そう主張する人がいるのなら、じゃあ聞くけど、アンタは一度でも床射をしたことがないと断言できるのだろうか?一度として?本当に?神に誓って?へえ、そう。何だかそれってつまんない人生だね。何だかそれってつまんない人生だね!

本人も無意識のうちに、理知の殻を破り去っている瞬間。そんなのはよくある話だ。授業中に教室でこっそりオナニーをカマしておきながら、その中学で生徒会長を勤め上げてしまった男のことを、僕は知っている。理知的であることと社会的なステータスとは必ずしも一致しないのだ。ちなみに彼は現在、どこかのブログの管理人をやっているとの話を聞いたが、僕は多くは語らない。

「それって何の得があるの?」

それは、往々にして女性が放ちがちなターム。
そして、その言葉を受け取るのはいつでも男の役目だ。

皆さんがそう問いかけたい気持ちは分かる。
僕たちはしばしば、あまりにも理屈に欠ける行いに打って出る。

しかし、できれば女性の皆さんにも考えてみて欲しい。
得することばかりを考えた人生で、果たしていいのか?と。
ひたすら得だけを追い求める姿勢なんて、何だかあまりに窮屈ではないのか?と。ちょっとでも、一秒でもいいから、考えてみて欲しいのである。

ティッシュにスペルマを放つ自由があるなら。床に放つ自由だって、認められてええじゃないか!(ええじゃないか!)授業中にオナニーしたって、ええじゃないか!(ええじゃないか!)バレなければええじゃないか!(ええじゃないか!)バレてもええじゃないか!(ええじゃないか!)同窓会で「お前、あの時……」と汚泥を見る様な目つきを向けられてもええじゃないか!(ええじゃないか!)

ええじゃないか!(ええじゃないか!)
ええじゃないか!(ええじゃないか!)

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posted by 肉欲さん at 21:31 | Comment(26) | TrackBack(0) | 日記 このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
肉さん、俺の誕生日にこんな素敵な日記を更新してくれてありがとう!ありがとう!

[肉欲より]

おめでとう!おめでとう!
Posted by at 2009年10月08日 21:46
いい。





・・・いい。
Posted by 未来屋 at 2009年10月08日 22:17
台風の夜なら外界射もまた個人の興味の範囲
になり得そう。
Posted by ジャック at 2009年10月08日 23:16
畳射したときは焦った焦った
シミを親にどう説明しようか小一時間考えた記憶があります

床オナしてると床射は日常茶飯事です
Posted by at 2009年10月09日 01:51
ここ50発分ほど、白いリキッドをペットボトルに貯めているボクは床射なんかしない理知的な人間ってことデスね。
安心しました。

最近熟成されてきたようで、何やらコリコリしたものが浮いてきましたよ。
Posted by 硫黄 at 2009年10月09日 04:07
むしろ床にしか射精しない
Posted by あか at 2009年10月09日 05:03
正常位をイメージしながら床射します。なにか問題でも?
Posted by at 2009年10月09日 07:30
ええじゃないかwwwww
Posted by john at 2009年10月09日 12:15
そんなのは いやだ!
Posted by at 2009年10月09日 14:33
オチwwwww
Posted by at 2009年10月09日 18:05
普通にダメですww
Posted by at 2009年10月10日 18:52
シャケなの?wwww

思わず吹いたwww
Posted by hiromi at 2009年10月10日 19:11
角オナもたぶん似た感じだZE☆
Posted by at 2009年10月10日 22:47
とある友人は中学生のころ
『ティッシュに発射する』
という発想ができなかったらしく
毎回畳に射精してはいそいそと拭く
という行程を踏んでいたらしいです

そんな彼も今やA級大学の生徒…
この世は理解不能だ…
Posted by at 2009年10月11日 00:00
全校朝礼中に一人教室に残り好きな子の机にブッかけたのは良い思い出。
Posted by at 2009年10月11日 00:09
フローリング射がデフォです。
Posted by at 2009年10月11日 18:55
パンツの中に発射するのにも同様の事が言えそうです。
Posted by at 2009年10月12日 14:31
>ええじゃないか 

太陽の塔みたいですな。森見お好きですか?
Posted by pawn at 2009年10月12日 23:07
いやここは机射でしょう。
机上の白濁。
Posted by at 2009年10月13日 02:08
まあ、床射に限らず、色々と日々越えてしまうもんはあるわけですが。
例えば、射る瞬間の「声」。
「ウッ」とかいうレベルは、射る「快感しびれ具合」を増幅させるし
最後の一滴まで味わい尽くす効果もあるので、
多少なりとも「得」を伴うわけですが

「あ、だめ」とか「ん、い、イっていい?」とか
呟いてみたりする瞬間の、越えっぷり。
いったい、誰に向かって。何の得があって。

証拠も残らなけりゃ、後片付けの手間もない分
余計に「越えちまった感」が強かったりするんですがね。
Posted by at 2009年10月13日 12:07
床にティッシュを敷けばええじゃないか・・・
Posted by at 2009年10月13日 21:25
よく俺はゴミ箱にファイヤーしてるよ。

合理的。エコロジー。匂いは混ざってばれねぇ。


時たま手すりに移行するが。
Posted by 萎びたマラ at 2009年10月13日 22:58
そろいもそろって おやまの大将祭って
おもしろいか!

Posted by at 2009年10月14日 16:09
卒アル射で決まりっ!
Posted by マダツボミ at 2009年10月16日 00:19
毎回おもしろいです
Posted by あ at 2009年10月19日 16:39
肉さん、10月はまだ一回しか更新してへんでぇー!

気長に更新まってます。
Posted by at 2009年10月21日 00:55
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