
「狂チンポ病ウィルス……!?」
「そうだ」
資料を読み終わるのとほぼ同時に竜二が言葉を発する。その手の中には写真のようなものが二枚握られていた。山崎は震える手で写真に写った "それ" を確認する。
「竜っぁん、これは?!」
「一枚目は健康な成人男子の精子。お前も中学の保健体育などで見たことがあるだろう。そして二枚目が今回の鑑定で発見された精子だ」
一枚目と二枚目を見比べる。両者は、姿形において全の同一性を有していた。先入観なくその写真を眺めたら、おそらく大半の人間はその違いに気付くことはできなかったであろう。しかし、一枚目の写真と二枚目の写真と、そこに写し込まれた精子には劇的なまでの相違点が存在したのである。
「精子の頭部に、『狂』の文字が刻まれているのか……」
「その通りだ。そしてそれこそが、加害者が狂チンポ病を患っていた証左でもある」
「しかし竜っぁん!俺は今までこんな、狂チンポ病なんて病気、聞いたこともなかったぞ!もしそんなウィルスが存在するのなら、もっと早く公になっていてもおかしくなかったはずだ!!」
山崎は困惑していた。一連の事件の犯人、それがウィルス性の病原体によるものだったなんて。そんなものはたちの悪い同人ゲームの世界だけで十分である。しかし、もしも犯行が実際にウィルスに起因するのであるとすれば――被害者や犯行現場に、何らの一貫性がなかったことも納得できてしまう。認めたくはないが、認めざるを得ない。山崎にとっては非常に苦々しい状況だった。
「ひと昔前、ある天才科学者が日本にいた。彼は泌尿器科学を専攻にしており、その研究成果は目覚ましいものだった――あるいは、目覚ましすぎた」
「目覚ましすぎた?」
「ある時、彼は独自の説を提唱した。その学説は『陰茎独立性説』ないし『人体従属性説』と呼ばれた。彼は長年に亘って陰茎について調べてきたのだが、その挙げ句に一つの結論に辿り着いたんだ。曰く『陰茎こそ我らが本体であり、人間は陰茎の従物に過ぎない』。脳髄や脊髄などに大した意味などなく、人類は総じて陰茎により生かされている。そう主張したんだ」
「狂ってるっすね……」
「当然、他の学者も反対した。しかし、調べれば調べるほどに彼の学説の正当性が証明されていく。学者は焦った。『チンポが主体など、そんなことが有り得ていいはずがない』、そう考えたのだ。革新的な論理を凝り固まったモラルで封じ込めようとしたわけだ」
山崎は考える。その態度は、科学者としておよそ褒められたものではないのだろう。しかし、その新説を認めることは、取りも直さずこれまでの科学的発見を根底から否定する行為にも繋がりかねない。進歩をとるか、現状維持を選ぶか。その究極的な二者択一において、当時の科学者たちは後者を選んだーーおそらく、真実はそんなところなのだろう。
「もちろん彼は反発した。ふざけるな、貴様らはそれでも科学者なのか!と。しかし数を恃んだ強行採決を前に、彼の声はあまりにも弱すぎた、遠すぎた。結果として彼は……学界からその存在を抹殺されたのだ」
正しさだけでは計れないもの、それはこの社会に確かに存在する。組織力を使い、政治力を使い、資金力を使ってでしか通せない "我" というものは、確実に在るのだ。彼には、その辺りの認識が欠落していたのではないだろうか。孤独なる科学者の姿を空想しながら、山崎はひとり考える。
「でもその話と、今回の事件と、ぶっちゃけ何の関係があるんっすか?ちょっと見えてこないんっすけど」
「本題はここからだ。学界を追放された彼は、それでも自らの手で研究を続けた。施設も資金も満足にない環境にあって、それはさぞ辛い試みだったであろう。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、爪に火を点すような日々を過ごし続けた孤高の科学者。彼は積年の恨みを活力に変え、研究に励んだ結果……ついに、復讐のための道具を生み出したのだ」
「それが……」
狂チンポ病ウィルス、なのだろう。
この禍々しいウィルスが誕生する背景には、一人の男の根深い怨念が眠っていたのである。
「だが、彼の復讐は果たされないままに終わりを迎える。ついに狂チンポ病ウィルスを生み出した彼は、手始めにとばかりに自らの身体にそのウィルスを投与した。そしてそれが、全てのピリオドになった」
「どういうことだ?」
「あまりにも毒性が強すぎたんだよ。ウィルスに対し、身体が保たなかったのさ。おそらく、臨床実験をする余裕もなかったんだろう。初めての被験者となった彼は、自分自身にウィルスを注入した結果……陰茎が千切れ飛び、ショック死したんだ」
辿り着いた先、最後の段階で。
自らが生み出した息子の如きウィルスが、自身を死に至らしめた。
暗い部屋で、下半身を露出し、一物を失い、挙げ句にショック死する。その光景は、想像するだけで、何というか……
「……悲惨っすね」
「確かに悲惨だ。だが、それは同時に彼の実験の成功をも示唆していた。あの時、彼のチンポは弾け飛んだのだが、驚くべきことに千切れたチンポは、しばらくの間独自の意思で生き延びた痕跡があったんだ。つまり狂チンポ病ウィルスは、陰茎の目覚めを劇的なまでに促進し、固有の生命を与えた――ということになるのさ」
「陰茎独立性説の成就、か」
死の間際、彼は幸せだったのだろうか?考えるが、その答は最早どこにも転がっていない。山崎はただ、彼の思考に思いを馳せることしかできない。
――根っからの仕事人間である山崎には、彼の気持ちが、執念が、我が身のことのように感じ取られた。自分の追いかける事件の真相を、犯人を、この命と引き換えにでも掴み取ることができるのであれば。それは何にも代え難い悦びであり、死してなお幸せであり続けられるような……そんな気がした。
だからこそ。
「その意思を、遺志を、冒涜しちゃあいけないっすね」
「そうだ、下井草。犯人の目的がどうあれ、このウィルスを生み出した偉大な科学者はこんな現状を望んじゃあいないはずだ。それは彼に対する裏切りだ。死者の尊厳を踏みにじる蛮行なんだ。警察は、俺たちは、決してそんな真似を許さない。被害者のためにも、孤高の科学者のためにも、な」
山崎は決然と言い放つ。自分がチンポでも、チンポが自分でも、そんなことはどうでも良かった。俺は俺だ。そこさえ違えなければ、あとは何だっていい。そう思った。
「ザキヤマさん、行きましょう!」
「待て、若いの。でたらめに捜査したって、徒労に終わるだけだ。ここに行ってみろ」
「竜っぁん、これは?」
「生前、彼の住処があった住所だ。そこに行けばきっと何か手がかりがあるだろうよ。あと、これも持っていきな。おっと、まだ開けるんじゃない。本当にピンチになった時にだけ、そいつを使うんだ」
「何から何まですまねえな、竜っぁん。今度、俺が見つけた秘密のポイントに連れてってやるよ!」
「無事に帰ってこい、そして海釣りに行こう!ザキヤマ!」
右手だけを上げ、竜二の言葉に応える。目は既に、前にしか向いていなかった。
・・・
「ここが……」
「マジっすか?」
辿り着いた先は大手町。
目の前にあったのは、予想に反し、ごく近代的な高層ビルであった。
二人はその入り口に掲げられた屋号を見上げる。
『聖シコマラ教』
「これは……何なんだ、下井草」
「ザキヤマさん、知らねーんすか?こいつぁ最近着実に信徒を増やしている新興宗教法人『聖シコマラ教』、その本部っすよ」
その名前には聞き覚えがあった。犯罪性はないものの、組織の規模を徐々に増やしつつあるということで、それとなくマークされている教団である。その信徒は若年層が中心で、大半は男性の信者であるとの話だった。
「しっかし、例の科学者が住んでた形跡なんて微塵もねえっすね。もっとこう、あばら屋みたいなもんがあるのかと思ってましたけど」
「時間が経てば人も変わる、街も変わる。だが、本質は永遠に変わらない。行くぞ、下井草!」
「チョリーッス!」
自動ドアを抜けずんずんと受付に進んでいく。広く清潔感溢れるそのフロアは、逆説的な不気味さを二人の刑事に感じさせた。ここにはきっと、何かある。
「おう、邪魔するぞ。ここの代表に会いたいんだが」
「あの、面会の予約などは……」
「予約?そんなものはないっすねえ。とりあえず会わせちゃあくれないっすか?」
下井草が軽く、それでいて強いプレッシャーを含んだ口調で畳み掛ける。普段はちゃらんぽらんな男だが、ここぞという時にはしっかりと職責を果たす。だからこそ山崎はコンビを解消せずにいるのだ。
「あの、予約のない方にはちょっと……」
「狂チンポ病の件で話がある、と伝えろ」
「狂ち、え?狂チン、え、え?」
「狂チンポ病っすよぉー!おめぇ、鼓膜が腐ってんじゃあねえっすかぁー?!」
刹那、下井草の放った『チンポ』という単語が轟音となってフロア中に響き渡る。普段ならゲンコツをくれてやるところだが、今はその無軌道な勢いが頼もしかった。
「しょ、少々おまちくfgyふあさい!」
受付嬢は弾かれるようにして電話を手にすると、怯えたような口調で受話器に話しかけ始めた。代表が留守の場合を危惧していたが、どうやら杞憂に終わりそうだ。山崎は胸ポケットに手を当てた。すぐに『全館禁煙』の文字が目に入り、舌打ちをした。
「そ、そちらのエレベーターから最上階までどうぞ」
「おう、ありがとうよ」
「あざーす」
見ると、四機設えられたエレベーターの内一つが扉を開けていた。果たして、鬼が出るか蛇が出るか。どちらにしても結末は近い――山崎は刑事(デカ)の本能でそう感じ取っていた。
辿り着いた先は、壁がぶち抜かれた広大なワンフロア。壁面の一辺は巨大なガラスが貼られており、そこから大都会が一望できるようになっている。
そしてその部屋の中心――大理石で作られた重厚なテーブルの向こうに、男が一人、立っていた。
「はじめまして、教祖さん。私は」
「山崎さん、ですね。そしてそちらは下井草さん、でしたか」
出し抜けに名前を呼ばれ、少なからず狼狽する。受付を通ってから僅かの間に、個人情報が調べられたというのだろうか?いや、そんなことは有り得ない。では、一体どうして。
「なぜ、という顔をしていらっしゃる。ふふ、手品のタネを明かすのは野暮ではありますが、いいでしょう。まあ、簡単な話です。私どもの仲間は、有り難いことに年々その数を増やしておりましてね」
「……スパイ、っすか」
「そういう言い方もできるかもしれないですね。つまりは仲間の一人が、もうすぐあなたがたがやって来ることを事前に教えてくれたわけです。どうです?分かってみればつまらない話でしょう?」
「昔っから手品は嫌いでな。手品に限らず、俺は得体の知れないものが大嫌いなんだ。だから、根こそぎ真相を暴きたくなっちまうのさ。この――」
言いながら、山崎は写真を投げつける。
それは竜二から受け取った、あの写真だった。
「狂チンポ病のことだってな」
静寂がフロアを包み込む。
目の前の男はなおも余裕の表情を崩さない。
「知らない、と言ったら?」
「任意で同行を願おう」
「嫌だ、と言ったら?」
「逃亡の恐れあり、として逮捕してやるさ」
「随分と横暴ですね。国家権力の濫用ですよ、それは」
「それが俺のやり方だ。文句があるなら監察にでも訴えろ」
山崎は一歩も譲らない。彼の中には確信があった。この男が黒幕なのだという、確信が。
「……よろしい、お話しましょう」
「え、マジっすか?」
「やめましょうか?」
「ちょ、ちょ!そんなことぁ言ってねえっすよ!……話してもらおうじゃないっすか」
戸惑う下井草の姿を見ながら、男は不気味な笑みを浮かべる。こいつの狙いは一体何なのか。山崎は思考を巡らせるが、果たして真意は掴めない。その内に、男は縷々として語り始めた。
「お察しの通り、確かに私は狂チンポ病ウィルスを利用しました。そうですね、まずは私と狂チンポ病との出会いからお話しましょうか。あれは、今から20年前の話になります。当時製薬会社に勤めていた私は、ひょんなことから出世の道を断たれてしまった。それはもう荒れましてねえ……いっそ自殺でもしてやろうか、とも思いましたよ」
「しかしそんなある日、私は一人の科学者の話を耳にする。男の名前は沼袋信介――ご存知のとおり、狂チンポ病ウィルスを生み出した不遇の天才科学者のことです。僕は彼のことを調べ上げ、そして一つのことを思いついた。『狂チンポ病ウィルスを社に持ち帰れば、再び出世の道が開かれるのではないか』とね」
「私はさっそく大手町のある場所に、まあここのことですが、とにかく沼袋のところに赴いた。そりゃあもう酷い様子でしたよ。やせ細り、腐臭は漂い、部屋は荒れ放題。それでも、目だけは生気を失っていませんでしたねえ。いや、大したものです。執念のなせる業、といったところでしょうか」
「私が尋ねたとき、彼は丁度資金繰りに苦しんでいました。それもそうでしょう、援助なんて一切受けられない状況だったのですから。そこで私は、なけなしの貯金を切り崩し、彼に援助をしました。安い金じゃあなかったですよ。貯金していた資金だけでは足らず、自宅に抵当権を打ったくらいですからね。ただ、その甲斐あって……数年後、ついに狂チンポ病ウィルスがこの世に誕生したのです」
「喜びました。これで起死回生できる!再び出世コースに乗ることができる!って。すぐさま私は沼袋氏に申し出ました。『このウィルスを世界に広めよう』と。しかしそれに対する沼袋氏の反応は、予想だにしないものでした。彼は言ったのです。『このウィルスは、すぐに消滅させなければならない』ってね」
「耳を疑いましたよ。そうでしょう?せっかく長い時間を掛けて、莫大な財を投入して完成したそのウィルスを、すぐにでも亡きものにさせようって言うんですから。当然私は問いましたよ。どうしてなんだ!?って。そしたら、沼袋氏はこう言いました。『このウィルスは、必ずや人類を破滅に導くことになる。だから廃棄せねばらなんのだ』……試験管を振り上げながら、そんなことをね」
「すぐに我々は揉み合いになりました。沼袋氏がどんな思想信条を持っていようと構わない、しかしそのウィルスの一部は私のものでもあるんだ。私は叫びながら試験管を奪い取ろうとしましたが、沼袋氏も懸命に抵抗します。そして咄嗟の弾みに試験管の栓が外れ、中の溶液が――沼袋氏の体内に侵入したのです」
「直後のことでした。沼袋氏は突然股間を押さえ、呻き始めた。最初は絞り出すような声で、次第に叫ぶような声で。最後は、まあ、ほとんど断末魔の叫びでしたね。僕は何もできずその様子を見守るばかりだった。恐怖もありましたが、それにも増して投与結果に並ならぬ興味があったものでね……」
「五分ほど経過したころですか。沼袋氏が仰向けになったかと思うと、カッと目を見開き、そしてチンポが、爆ぜた。それはまさしく『爆発した』という形容しかできないほどの光景でした。直後、彼の履いていたズボンを突き破って一竿のチンポが床に、自らの意思で以て、立っていたのです」
「沼袋氏は既に絶命していましたが、チンポは違った。まるで海鼠のように動き、這いずり回っていた。それはとてつもなく奇妙な光景でしたが、同時に、沼袋氏の学説を強固に裏付けるものでもありました。陰茎独立性説――そこにおいて、彼の研究は真の意味で完成したのです」
「私は残った溶液とこの土地の権利書を手に、すぐさま逃げ出しました。ヘタに通報でもして警察の実況見分に付き合わされるのはまっぴらでしたからね。で、それからは私が彼の研究を引き継いだのです。おそらく、今のままでは狂チンポ病ウィルスを実用することは難しい。沼袋同様、即座にチンポが爆ぜてしまう。改良しなければならない……」
「0から1を生み出すには労力もない途方を要します。が、1を10にする作業は、相対的に容易いのです。既に1なる狂チンポ病ウィルスは生み出されていた。私に残された仕事は、それを10にすることだけだったのです。まあ、それでも優に10年は掛かりましたがね」
「そうやって完成された10なる狂チンポ病ウィルスが――これです」
見ると、男の手には白濁した液体で満たされた試験管が握られていた。瞬間、栗の花ライクなスメルがフロア全体に満ちていく。山崎と下井草は懐かしくも禍々しいその香りに顔をしかめた。
「……なるほど、経緯は把握した。しかし、動機がまだだ。お前さんがどうして一連の凶行に踏み切ったのか、その理由を俺はまだ聞いていない」
山崎の言葉に、男は皮肉めいた表情を浮かべる。先ほどまで保たれていた冷静さは既に掻き消えていた。
「話は前後しますが、先に私は『ひょんなことから出世の道が断たれた』と申しました。その "ひょん" な出来事、それが全ての始まりなのです」
「当時、私は勤めていた会社の社長令嬢とお付き合いをしていました。ゆくゆくは結婚しようと、そう約束し合っていました。次期社長のポストには自分が納まるのだ、そう信じていたのです」
「しかしその期待は無惨にも裏切られた。ある日、私は彼女から告げられたのです。『もう、終わりにしましょう』、ってね」
「すぐに理由を問い質しました。なぜだ、一体私の何が悪かったんだ?!と。答はすぐに分かりました。彼女は、三課の……私よりもよっぽど成績の劣る男を、その伴侶に選んだのです」
「私は憤りました。そして言いました。
『玲子、言ったじゃないか! "私は研究にひたむきになる男の横顔が好きだ、って!学歴も何も関係ない、何かに向かって一生懸命になる人が、大好きなんだ" って、そう言ったじゃないか!』
と。涙を流しながら。声を限りに叫びながら、ね」
「しかし玲子は冷静に、まるで道に落ちた空き缶を見るような目で――こう言ったのです。
『但しイケメンに限る』
冷淡に、冷酷に、血の通わない言葉で、玲子はあの時、私に言ったんだ!キャリアも努力も実績も!愚直な愛情も!三課のあいつが、あの男が、ただイケメンというだけで!!全て崩れさってしまったんです!!こんなのってあるか?!こんなことが許されていいのか!!?」
山崎は思わず横を見る。視線の先では、下井草が『まあ、しゃあないっすね』という感じで何度も頷いていた。
「それが全ての、動機です」
言い終わるが早いか、男はパチリと指を鳴らした。
同時に、轟音を立てて周りの壁が天井に吸い込まれていく。
その向こうから恐るべき早さで屈強な男たちが走り寄り、たちまちのうちに二人の刑事を押さえつける。
「貴様!何をする!!」
「こんなことして許されるとでも思ってんっすかぁー!?」
「許す?許さない?そんなものはちっぽけな話なんですよ……この、改良型狂チンポ病ウィルスの前ではね……」
大型の注射器を手に、男は二人の許へと近づいてくる。中には白濁した液体が満たされていた。狂チンポ病ウィルス、その魔の手が着実に、確実に、二人の近くに。
「そうそう、改良型の性能についてお話していませんでしたね。初期型はチンポに過度なまでの自我を許し、結果としてチンポが爆ぜた。しかし、このウィルスは違います。チンポそれ自体は身体に付着したまま、全身のコントロールがチンポに委ねられるのです」
「そうなると、どうなるか。知っていますか?通常、脳味噌は人に対しその筋力をある程度抑制させるよう指令を出しています。100%の性能を出し切ったままだと身体が保ちませんからね。しかし、チンポに身体コントロール権が移ることにより、このリミッターは解除されます。現にあなたたちを押さえつけている男たち、もの凄い力を発揮しているでしょう」
山崎も下井草も、先ほどから抵抗を試みてはいる。しかし、男たちの放つ圧倒的なパワーを前に、身体はびくとも動こうとしなかった。
「更に素晴らしいことに、一度狂チンポ病ウィルスが注入された者の精液もまた、狂チンポ病ウィルスに支配されるという点です。これが何をもたらすか、分かりますか?――性交後における、女性たちの人格崩壊です」
「どういう……ことだ……!」
「狂チンポ病ウィルスは男性にしか反応しません。当たり前ですよね、チンポは男性にしか生えていないんですから。しかしひとたび狂チンポ病ウィルスが体内に入り込んでしまえば、ウィルスは宿主、つまりチンポのことですが、それを探して延々と体内を彷徨い続ける。そして女性の体内に入り込んだウィルスは、チンポの代替物として、女性の脳を破壊してしまうのです」
思い出す、自我が完全に崩壊してしまった被害者たちの姿を。一時的なショックによるものばかりと思っていたが、その背後にこのウィルスが関与していたとは。許せない――山崎は強く唇を噛む。しかしその身体は、やはり動こうとしない。
「手始めに、玲子の自我を破砕させてやりました。いい気味でした。イケメンに拘らなければ、また違う未来も待っていたでしょうにねぇ……ククフ。さあ、山崎さん。この素晴らしいウィルス、あなたにも注入して差し上げましょう」
「おい!俺にそんなもんは要らんぞ!」
「失礼ながら山崎さん、あなたはいわゆるその……イケメンから、ほど遠い容貌をしていらっしゃいます。さぞ苦労されたんじゃないですか?様々な差別に遭われたのでは?人は外見じゃない、という腐ったフレーズに、何度憤りを覚えたことが?」
「ザキヤマさん!そんな男の言葉に耳を貸すんじゃあないっすよ!」
「黙れ小僧!下井草さん、あなたのようなイケメンにこの苦しみは分からないんですよ……生まれもったアドバンテージのある、あなたのような人間にはね……山崎さん、あなたにも経験があるんじゃあないですか?異性に告白した際、その返事の中で『ごめん、物理的に無理』と言われたことが……生理的に、じゃない。"物理的"に無理と、きっぱり宣告された経験が、あなたには……」
「ぐ、グアアアア!!」
「ザキヤマさん、ザキヤマさん聞いちゃいけない!!あんたは、あんただけは、フォースのチンポ面に堕ちちゃいけねえんだ!!」
思い出す、かつての日々のことを。
運動会のフォークダンスで、自分だけ順番が回ってこなかったあの日。
席替えで意中の子が隣になった瞬間、その子がとんでもない勢いで泣き始めたあの日。
高校の頃、優しくしてくれた女の子に『ありがとう』の意味でノートを貸してあげたら、次の日から登校拒否になったあの日。
合コンに行った際、『メアド教えてくれる?』と聞いたら『ごめん、携帯持ってないんだ』と、携帯を弄りながら断られたあの日。
あの日
あの日
あの日……
「イケメンが……憎い……!」
「ザキヤマさぁぁぁん!!」
「ククフ、それでいいのですよ。今こそシコマラ教の教えの下、女に、そして世界に!天誅を下さなければならないのです。さあ皆の衆、山崎さんに真理の光を!」
「シーコシーコマーラマーラシーコマーラシーコマーラ……」
信徒たちが不気味なマントラを唱えながら山崎のズボンを脱がしていく。即座にそのケツはパックリと二つに割られ、アヌスに注射器があてがわれた。
「これは特別製ですよ、山崎さん。さあ、新しい世界へいらっしゃい……」
「ウオオ、ウアアアアアアア!!!」
山崎は獣のような雄叫びを上げ、激しく体を震わせた。その凄まじいパワーに、山崎を押さえつけていた信徒たちはたちまちに吹き飛ばされてしまう。
「おお、素晴らしい……狂チンポ病ウィルスはその顔面が逆イケメンであればあるほど効果を発揮する……しかしこの結果は予想外だ、素晴らしいですよ山崎さん!」
「くそぅ、ザキヤマさん、あんたはそんな人じゃねえっすよ……!あんたは不器用だけど、正義と平和を愛する激アツなデカだったじゃねえっすか……!」
「無駄ですよ、もう山崎さんの耳にあなたの言葉は届かない。いまここにいるのは、全てのイケメンを滅殺し、あらゆるビッチどもを虐殺する破壊神、シヴァ崎なのですから!クフフ、クフフフフフ!!」
「畜生、畜生……!」
下井草が悔し涙を流しかけた、その時。
先ほどの竜二の言葉が、耳朶に蘇った。
『……本当にピンチになった時にだけ、そいつを使うんだ』
「一か八かっすね……!」
下井草は顔を上げる。そこでは猛り狂った山崎が、自分より僅かでもイケメンである信徒に対して襲いかかっていた。その光景を見て下井草は窮余の一策を閃く。
「ザキヤマさん!ここにもイケメンがいるっすよ!!」
「下井草?!貴様、何を……!」
「ウオオ、ウアアアアアアア!!」
叫びながら山崎が突進してくる。それはサイよりも猛々しく、グリズリーよりも獰猛な勢いだった。下井草に覆い被さって信徒たちはたちまちの内に吹き飛ばされる。
――その一瞬を見逃さなかった。
「竜っぁん、助けを借りるっす!」
竜二から渡された包みを開ける。
見るとそこには、一本のコカコーラが入っていた。
「コーラだと?!……そうか!!」
「馬鹿馬鹿しい、そんなもので一体何ができようと言うのか!さあ山崎さん、あのイケメンを始末してやりなさい!!」
「ウアアアアアアア!!」
僅かなミスが命取りになる。しくじることは許されない。
下井草は握られたコーラのプルトップを開けると、山崎が襲いかかるのを待った。
「……来る!」
山崎が下井草を圧殺しようとした、その刹那。
下井草は俊敏な動きで山崎の股ぐらをくぐりぬける。
目標を失った山崎が床に倒れ込むと、瞬時に敬愛する上司の無防備なるアヌスへ――コーラを、流し込んだ。
「ッ!?下井草、貴様何を!!」
「あんたは知らないかもしれねーがなあ……このイケメン界には、昔からッ!『中出ししてもコーラで洗えばオーケー』という不文律がッ!!存在し続けているんっすよぉーー!!」
「ば、バカなッ!!そんな、そんなこと、有り得るはずがない!!」
「嘘かどうか、アンタのその目で確かめることっすねぇー!!」
二人は同時に山崎を見遣る。アヌスにコーラ缶をねじ込まれた山崎は、大きな悲鳴を上げながら床の上を転がり回っていた。
「山崎さん、山崎!思い出せ、イケメンへの憎しみを!!」
「ザキヤマさん、負けちゃあダメだッ!あんたにはやり残したことが、まだまだ沢山あるはずっすよ!!ザキヤマさぁぁぁん!!」
「運動会、席替え、バレンタインに放課後、そして合コン!山崎、お前はまた暗黒の日々に戻っていくのか!?」
「グアア、グオオオオオオ!!」
頭を掻きむしりながら咆哮を上げる山崎。その目は暗く深く、落ち窪んでいる。下井草はその目つきをよく知っていた。薬物に手をだした結果、凶悪犯罪に手を染めたもの達の目つきだった。
「クソぉ、もう手遅れだっていうのかよ……ザキヤマさん、あんたは確かに大した顔面はしちゃいねぇー……女心だってちっとも分かっちゃいないっすよ……でも、あんたには!本当に大切な "ハート" みてぇなもんがッ!あるじゃあ、ねえっすか……」
「クフフ、言うに事欠いて浪花節かね!これは滑稽だ!しかし、イケメンがいくら吼えようともブサメンの理は変わらん、変わらんのだよ!」
「違う、そんなのは間違ってるんすよ!ザキヤマさん、思い出して下さい!あんたはブサメンだけど、あんただけがブサメンなんじゃあねえッ!あんたの親も、きっとブサメンだったはずだ!俺には分かる、あんたのブサメンっぷりは一朝一夕に身に付くもんじゃあねえッ!血統書付きのブサメンのはずだ!」
「バカめ!ついに狂いよったか!山崎をより一層追い込んでどうする!」
「でもなぁ、そんな両親でも、一子相伝のブサメンペアレントでもよぉーッ!あんたを、生んだんじゃねぇか……愛を育み、結婚し、あんたを、この世に導いてくれたんじゃあねえっすか……」
「グア………グ……」
「山崎、聞くな!そんなものは詭弁だ!!ブサメンに未来などない!明日などない!」
「詭弁じゃねえ!!ザキヤマさん、あんたは一人じゃねえ、ブサメンかどうかなんて関係ねえぇーッ!あんただって十分、幸せになる資格があるんっすよ!!ご両親と同じようにッ!!あんたにもッ!!ザキヤマさぁぁぁーーん!!」
下井草は叫んだ。
山崎のために、
人類の未来のために、
絶望に暮れる全てのブサメンの、ために。
「アアア!オアアアアアア!!!」
その言葉に嘘偽りなど何一つなくて、だから彼の叫びは――
「ガッ、グッ……ぐはっ!!し、下井草……俺は……ゲホッ!」
山崎を山崎へと、戻したのだった。
「ザキヤマさぁん!!」
下井草は激しく咳き込む山崎の顔を見る。
その目には、いつも通りの生気が蘇っていた。
「ザキヤマさん、あんたってやつぁ……クールっすよ……」
立ち上がり、山崎に手を差し伸べる。山崎は照れくさそうにズボンを上げながら、その手を取った。
「バカな……私の狂チンポ病ウィルスが……!」
「お前の野望もこれまでのようだな。俺の体の中には、既に狂チンポ病ウィルスへの抗体ができている。もう、狂チンポ病患者が増えることもないし、ワクチンが出来上がり次第お前のとこの信徒も目を覚ますことだろう」
「そんな!そんなご都合主義的展開が許されていいのか!!」
「ザキヤマさん、早ぇとこコイツをしょっ引いちまいましょう!」
サディスティックな目をしながら、下井草は男の方に近づいていく。男は抵抗せんとばかりに下井草に掴み掛かろうとするも、あえなく投げ飛ばされてしまった。
「くそっ……くそっ!もう少し、後少しで俺と、沼袋の悲願が達成されたというのに……!!」
「……お前はひとつ、勘違いをしている」
「何だと……」
「天才科学者沼袋は、最後の最後で気付いたのさ。自分の説が間違っていた、という事実に。彼は『俺たちがチンポにくっ付いている』と言った。しかしそれは違うんだ。チンポが俺たちを操っているんじゃない、俺たちがチンポを操っているんじゃない。そうじゃなくて……俺たちがチンポで、チンポが俺たち、だったんだ」
「俺たちが……」
「そうだ。俺たちは時折、チンポの赴くままに行動しちまうときがある。酒を飲んだとき、とてつもなく疲れたとき、自暴自棄になったとき。その時々に俺たちは『世間体とかどうでもいいからとにかくもうセックスがしたい』『あれ?こいつ、薄目で見たら結構可愛くね……?』みたいなことを、確実に思うだろう。そいつは若い時分であればなおさらのことだ。そういう時、俺たちはこう感じるのさ。『まるで理性がチンポに乗っ取られたみたいだ』……」
「でも、そうじゃあない。確かに俺たちは、時に破滅的なまでの性欲を覚えることがある。しかしながら、俺たちはそれを抑制するやり方を身につけているんだ。素数を数える。因数分解をする。近所のおばさんの顔を思い浮かべる。そういう風にして、俺たちは上手にチンポと共存している……そうじゃないか?そしてその時、俺たちは確かに『チンポに打ち克っている』のさ」
「沼袋は、そのことに気がついた。だからこそ、チンポの暴力性を一方的に助長するあのウィルスを、廃棄しようとしたんだ。俺は、そう思うよ」
「……」
山崎の言葉に、男は何も答えない。後悔しているようでもあり、未だ憤りを抑えきれないようでもあったが、その表情からは何の感情も窺うことができなかった。
「ザキヤマさん、そろそろ」
「ああ、そうだな……行くぞ」
男を挟み込むようにして山崎と下井草はシコマラ教の本部を後にする。
早晩、この組織も解体されることだろう。何人かの信徒は、連続通り魔の嫌疑で逮捕されるに相違ない。彼らもある意味での被害者とはいえ、罪は罪だ。適式に断罪されなくてはならない。
「俺は、間違っていたのか……」
偽りの教祖が誰ともなしに呟く。その目は虚ろで、およそ活力を感じさせない。山崎はエコーを取り出すと、火を点けてから浅く煙を吐いた。
「お前さんが正しかったのか、間違っていたのか。そいつを決めるのは裁判所の役目だ。お前さんの量刑に興味なんてないし、正直に言えば有罪か無罪かにも興味はない。だが……」
そこで言葉を区切ると、火を点けたばかりのエコーを灰皿に押し付ける。穂先から糸のように細長い煙が立ち上り、しばらく車内に漂い続けた。
「お前さんは悲しかった。ただ、悲しかった。それだけは間違いのないことだ」
「……」
男は相変わらず生気のない瞳のまま、沈黙を保ち続ける。
山崎もまた、それ以上何かを口にすることはなかった。
赤色灯を光らせながら、パトカーが走り抜ける。
僅かに開かれたパワーウィンドウからは、初秋の乾いた風がいつまでもいつまでも、間断なく流れ込んでくるのであった――
(了)
【次回予告】
類稀なるコンビネーションで巨悪の企みを打ち砕いた山崎と下井草。
しかし二人の仕事に終わりはない。
一つの悪が潰えれば、また違う悪が萌芽する――
「ザキヤマさん!今度は埠頭で事件発生っす!」
「畜生、どうなっていやがる!!」
疾走する敏腕刑事たち、しかし犯人の尻尾を捕まえきれない。
募る焦燥、増えていく犠牲者たち、それをあざ笑う凶悪犯。
果たして山崎たちは真相に辿り着くことができるのか?
「ザキヤマさん、あんたとのコンビ、悪くなかったっすよ……」
「下井草ァァぁぁぁぁぁ!!」
大巨編クライムノベルス『刑事(デカ)、山崎 〜second gig〜』、次回公開予定は未定!クソして寝ろ!
【おまけ】
平野楽器さんが描いて下さった『聖シコマラ教』のシンボルマーク。
(作成時間30秒ver)
(作成時間3分ver)
(作成時間30分ver)
平野さん、いつもありがとうございます。
【補遺】
作中で『コーラには避妊効果がある』との誤解を与えかねない描写が登場しています。当たり前の話ですが、そんなのはまるっきりの都市伝説でありますので、くれぐれも実践されないようご注意申し上げます。
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ああ、この人を見よ!斯くも素晴らしきはチンポ、そして我々なのだ!
万歳!
久々でもキレキレですね
実に参考になります。
あー、おもしろかった!
まちがいなく
ただ、ただイケ鬱。
あなただってイケ側ではないかっとチラと思ったけれどさっ
ところで息子さんが暴走した時って、本当に萎える事を考えたりするものなの?
途方もない労力じゃないの?