《「借り」と同語源》
@間に合わせであること。「―の住まい」「―の措置」
A本当のもの、本来のものではないこと。「―の親」「―の姿」
思うに、『仮』という言葉に良い印象を抱いている方は少ないであろう。ほとんど絶無である、と言ってもいいかもしれない。世を忍ぶ仮の姿、仮初めの自分、仮面浪人、仮免許etc...。
これらの用語の背後には、総じて "真実の姿" が見え隠れする。在るべき姿、理想の実体は確かに存在する。ただ状況が、環境が邪魔をして、真実真正な意味で "ホンモノ" になりきれていない――そのような悲哀が 『仮』 という一文字の中に潜んでいるのだ。
故にこそ、我々メンズは。
ほとんど本能的に、脊髄反射的に、仮性包茎という禍々しい呼称を、忌避するのである。
ここで注意しなければならないのは、我々が仮性包茎に対し苦々しい気持ちを抱いているのは確かだが、さりとて 『真性包茎になりたい!』 と願っているわけではない。詳しい言及は避けるが、身体的事実としては、仮性包茎よりも真性包茎の方が症状として重篤な状態だからである(これは差別的意図があっての発言ではない。詳しくはwikipediaなどを参考にして頂きたい)。
僕たちが仮性包茎という言葉を用いるとき、本来の定義とは異なるとは知りつつも、己がコチンを 『仮のズルムケ』 という風に心の中で位置づけている。
本当はズルムケになりたい
けれども状況がそれを許さない
故に今現在の我がポチンは、世を忍ぶ仮の姿――
名を、仮性包茎!(ジャッジャジャー!ジャジャジャッ!)
などと虚勢を張ることができればまだマシなのであるが、残念なことに我々のハートはそれほどタフじゃない、強くない。仮の自分なんて恥ずかしい、こんな息子を外には出せない……気弱になってしまった僕たちは、必死になって確定的な真実(=あなたが仮性包茎である、という史実)をひた隠しにしようとすることだろう。
女性の方々はあまりご存知ないかもしれないが、男子が寄り集まって会話をしていれば、大体67%くらいの確率で次のような話題に至る。
「汝は包茎なりや?」
EU圏にお住まいの方のために翻訳をしておくと、こうなる。
「Are you HOKEI or not?(アー・ユー・ハーケイ・オア・ナット?)」
瞬時、場に広がっていく緊迫した空気。
メンズたちは、表面上は笑顔を保ちつつも、恐るべき早さで思考を稼働させ始める。先ほどまで姦しく軽妙に喋り合っていたにも関わらず、いま席全体を包み込んでいるのは微妙な沈黙ばかり。そう、誰もが気付いているのだ。たった一度の判断ミスが致命傷に繋がりかねない、その事実に。
「えー、と……」
「アハハッ、包茎……ね」
男は誰もが心に武蔵を飼っている。希代の剣豪・宮本武蔵だ。彼の遺した伝説の妙技 "後の先" ――我はみだりに動くことせず、安全な間合いを保ちながら相手の攻撃を待ち、相手が仕掛けてきた時点ではじめて動く、そのやり方。包茎トークという名の巌流島にて、斜め上の武士道がいま、猛スパーク。
「まぁ俺はー…剥け、てるかな」
『まぁ…』 や 『かな…』 という曖昧な表現により、真実を軒並みボヤけさせてしまう日本語の妙。結局どっちなんだ?それは!外人が聞けばそのようなシャウトが聞こえてきそうであるが、我々は日本人同士なのでそんな無粋なことは言わないし、言えない。
「うん、俺もまぁ……剥けてる、よね」
「剥け、てるなぁー……」
「だよね……アハッ」
『剥けている』 という第一声の発現により、全ての状況が決定されてしまった格好だ。"ズルムケにあらずは人にあらず"――無論、そんな教えはどこにもない。だが、周囲が次々とズルムケ表明を行っている状況にあって、自身が仮性包茎である旨の告白を行うことには相当の胆力を要する。
この文脈においては、たとえ自分がズルムケであろうとなかろうと、あなたのチンポ的現実は "観測されるまで確定されない" という点を押さえておきたい。この現象は物理学会において 『シュレディンガーのズルムケ』 と呼称されている。あなたがひとたび
「俺?俺はズルムケだよ!」
と強弁すれば、あなたは (観念的なレヴェルにおいて) ズルムケたり得るのだ。まるでペテンのような話であるが、本当にペテンである。
逸れたが、とにかくも。要するに僕たちは自身のチンポ的現実を明け透けに語ることを、過度に恐れている節がある。もちろんそれはチンポ=デリケートゾーンという確固たる事実が理由となっているのであるが、それに加えて現代の日本においては保護者、地域、学校、行政、ないし国が、僕たちのチンポ的現実をあまりにもぞんざいに扱い過ぎた――そこにも原因の一端があると言わねばならない。
前例が、道徳が、規範が欠如しているのだ。一体、どのようなチンポがグローバル・スタンダードなのか?この辺りのことを僕たちは誰からも教わらなかった。教わらないままに青年期を迎えてしまったのである。
結果として僕たちは、誤った経験則のみから 『チンポ、かくあるべし』 的な虚像を作り上げていった。先輩の話を聞く、トゥナイト2を視聴する、ノー・モザイクのAVを研究する……かかる努力と研鑽の末、僕たちは一つの真理に至る。
『チンポ、ズルムケであれかし』
もちろん、そんな法はどこにもない。仮性こそが正しい在り方なのだ!と国が提唱すれば、それはたちまちに通念として根付いていくことであろう。衛生面で多少の問題はあれど、仮性包茎でも "現場" においては十分な機能を果たしてくれるからだ。また僕たち親の目線からすれば、どんな息子であろうとも、やはり可愛い。そこから鑑みても、それぞれのチンポに優劣などつけるべきではない。
つけるべきではないのだけれど――皮肉なことにズルムケを、知ってしまった。己の息子を歪な競争社会へと叩き込んでしまった。隣の芝生が、青く、蒼く……見えて、しまったのである。
こうして、僕たちの中に 『仮性包茎=恥ずかしい』 という最終定理が生じるに至った。そしてこの方程式は、少年社会に更なる混沌を産み落とす。どういうことかというと、取り急ぎ次のような情景を想像して頂きたい。
・・・
【高校の修学旅行において】
「さー、風呂行こうか!」
「いいねー、行こうぜ!」
(ガラガラ)「おー、大きな風呂だなあ!」
「いやー、気持ち良さそうな湯船だねえ!」(ザパーン)
「ふー……」(チラッ)
「ふー……」(チラッ)
「……」(剥け、てるな)
「……」(剥けて、るのか)
「……上がろうか」
「……ういー」
・・・
この情景、一見すると二人ともズルムケ側の人間であるようにも捉えられる。しかし、真実は違う。この場合、二人は更衣所においてパンツを脱ぐ直前、自らの包皮をスルリと剥き上げ、あたかも普段からズルムケであったかのように装っているに過ぎない。社会行動学の研究者たちはこれらの行動を指して 『薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)』 と呼んでいる。なぜ薄っぺらいのか、と言えば、いくら努力して仮性包茎的包皮を剥き上げたところで、それはあくまで仮初めの実態、偽りのズルムケ。ほんの少し刺激を受けただけで、すぐさまいつも通りのポチン (as it is) を取り戻してしまうのだ。人生とはかくも儚くて、切ない。
なぜそうまでしてメンズたちは悲しい努力を尽くすのか?と、問いかけること勿れ。彼らにとっては仮性包茎的事実が露見する方が、己を騙すことよりも遥かに辛いのである。共感しろ、とは言わない。ただ、理解して頂ければ幸甚だ。
事態は修学旅行の場面のみに止まらない。
初めての彼女、初めての夜、初めてのセックス。
ここにおいても包皮問題は非常にシビアな障壁として立ち上がってくることだろう。
「こんなポチンで彼女は満足してくれるのだろうか――」
答の見えない禅問答。その答は彼女にポチンを見せるまでは決して分からないはずなのに、僕たちはいつまでも出口のない袋小路の中で懊悩してしまう。ズルムケ or ノット。近い未来に観測されることがほぼ確実な状況にあっては、シュレディンガーのズルムケは機能不全に陥ってしまう。
肚を決めなくてはならない。
逃げ場のないことを悟った僕たちは、静かに己がポチンと向き合い、そして意を決する。彼女に向かって口を開いて、曰く
「電気、消していいかな?」
まさかのオトメン?!否、そうではない。これはあくまでも仮性包茎的真実を隠さんとするべく生まれた窮余の一策、闇に隠れて生きんとする悲哀の姿勢、早くズルムケになりたい!と心でシャウトする包茎人間(ルビ:ベム)たちの最後の一手(ダンサー・イン・ザ・ダーク)なのである。暗黒の訪れと共にシュレディンガーのズルムケ、ここに復活。
このように。僕たち防御力の高いメンズは、実に様々は対策を講じつつ世に棲んでいる。時に電気を消しつつ、時に包皮を剥き上げつつ、世間の逆風と戦っているのだ。その態度は、まさしく現代に蘇った隠密そのもの、NINJAの名を欲しいままにしている!と評価することは、できないであろうか。
故に僕は、次のメールを寄越して下さった彼女に対してこう言いたい。
■□■□■□■□■□■□■□■□
(冒頭略)
ちなみに、私の彼は包茎ではありません。恥ずかしい話、彼が初めて+5年以上の付き合いなので、逆に仮性/真性包茎がどんな・・・なのかが分かりません。皮に被るって・・・!?という感じです。授業で習ったことはあるけど、被ったままの状態が維持されているのが想像しかねます><
■□■□■□■□■□■□■□■□
彼は本当に、真実真正な意味で!包茎では、ないと言えるのかい……?もしも彼が念能力者であるならば、目に見えるコチンの造形それ自体が全てダウトである可能性も、これ、否定できないんじゃないのかねぇ……。ここでもう一度考えてみて欲しいのだけれども、あなたは、アアーン!?本当にご自身の彼氏が間違いなく、100%、1ミリの例外も有り得ない程度の確実性で以て!??!ズルムケだと、言えるというのですか……?
「そういえば……よく考えたら、彼のお父様も……伯父様も……お爺様も皆……仮性包茎だったような気が……でもそんなことって……いいえ、でも確かに!嗚呼、何ていうことなのかしら!」
オーケー、落ち着いて。カマン、いい子だ。それでいい。別に誰かが悪いだとか、誰かを責めたいだとか、そういう類の話じゃない。ただ真実はいつだって泥臭くて、哀しい。それだけのことなんだ。だからミランダ、落ち着いてこのホットミルクを召し上がれ。(ありがとう、ニック)
観測されなければ、いくらでもウソをつくことができる。また、観測される時間が極めて限定されているのであれば、その間だけズルムケを装えば、僕たちは社会的にズルムケ認定されることになる。滑稽で薄汚いやり方であるが、僕たちは、少なくとも僕は、このようにして己が心の平穏と、そして小さなプライドとを、辛うじて保ってきた。
だが、そんな戯曲も今日で終わりだ。自分を偽ることはもう止めよう、可愛い我が子を恥じ入る心は投げ捨てよう。仮性、ええじゃないか!包茎、ええじゃないか!見ようによっては、包皮に隠されたその姿はとってもキュートだし、皮に覆われているからこそ厳しい冬も暖かに過ごすことができよう。あなたがアサガオのつぼみが突然見たくなったときは、僕のチンポを「アサガオ!」と呼んでくれたって構わない。あなたが何の脈絡もなく象の鼻が見たくなった際は、僕のチンポを「ナウマン象!」と呼んでくれたって構わない。そういう風なチンポとの付き合い方だってあっていいし、あった方がいいし、きっとある。ないとおかしい。
先のメールを下さった方は24歳の助産師であったが、彼女はそのメールの中で、非常に含蓄ある言葉を下さった。
『女性が美容に努めるのは素敵な面もあると思うんですが、相手を信じて自分をさらけ出すことにも、美学が存在するような気がします』
相手を信じて自分をさらけ出すこと。
異性を信じて自らのご本尊を包み隠さずお届けすること。
恥ずかしいだなんて思ってはいけない、そこでしか光り輝かない美しさだって、確かにあるのだ。
長い時間が掛かってしまったが、僕はようやくその境地に辿り着くことができた。
そして決意した。
これからは、もう、己を偽らずに生きていこうと。
誰彼を問わず、状況を問わず、自らすすんで社会に、世界に、この仮性包茎を露出していこうと、見せつけてやろうと、そのようなことを!僕はこの胸に、確かに――
最後に。
全ての仮性包茎の人々に、幸せが訪れますように――
そして、ズルムケの連中がよりズルムケになりますように――
I wish.....
人気ブログランキング
全米が、全俺が、そして全俺の息子が泣いた!
下手な包茎応援サイトよりもよっぽど含蓄があるね
元カレは仮性人だったと判明。
チンチンってカブトムシの幼虫みたいな儚さがあって可愛いよね!
実感としても火星人で困ったことないし、火星でも別にいいっす。
「むっくんがお洋服を着てるー」と可愛がっていました。
ちなみにむっくんとは彼のちんの名前です。
http://www.youtube.com/watch?v=dRt9E6W4AVY
別に仮性でも全然構わないんですが、前彼のは普段完全に覆われていて汚れがたまりやすいのがタマにキズでありました。(事前にシャワーしないと色々ちとキツイ)
おちんちんびろーん
暫しの見栄剥き、それは君に偽りの誇りを与えるのみ。
仮性でも良いじゃない 人間だもの
元カレも今の彼氏も仮性だけど、手でする時なんか皮がないとよう握らん・・・。彼氏も気にしてない様子ですよ。
まだ華の21才なのにこれはいわゆるEDなのでしょうか??HOKEIどころの騒ぎじゃないですマジ死に体
10人:1人=仮性:ズルムケでした
寧ろズルムケがマイノリティなのではないでしょうか
嗚呼…神よ…
しにたい