前回の日記で 『言葉それ自体に大した意味なんてない』 ということを書いた。しかし 『言葉が人を定義する』 という現実は確かにある。
日ごろからネガティブな発言ばかりをする人は、周りから (何だか暗い人だな……) と思われるだろうし、反対に、ポジティブな言葉をよく用いる人は (いつも明るい人だな) という風に捉えられる。人の性質・性格の類が目に見えないものである以上、外面的に現れた部分からその人の内面を判断するという行為は、ごく自然なことだろう。
一人称というものを考えてみたい。他言語にはあまり明るくないけれど、日本語における一人称の種類は、割と豊富なように思われる。ぼく、おれ、わたし、わたくし……これらが代表的な一人称であるが、それ以外にも様々挙げることができる。
一人称の扱い方に応じて、その人のパーソナリティが規定される瞬間がある。対面の相手が自分のことを "僕" と称するのか "俺" と称するのかでは、その受ける印象が驚くほどに変わってくる。
ごく個人的な感想であるが、重要な契約を締結するような場面にあって、もしも先方が自身のことを指しつつ
「俺は今回の件について、云々……」
と言った場合、反射的に強い危惧を感じるであろう。ケースバイケースではあるものの、フォーマルな場面において一人称に "俺" をチョイスする人物に良いイメージを抱くことはない。
極端な例を挙げてしまったが、では、もっと砕けた場面ではどうであろうか。普通に考えれば 『砕けた雰囲気なんだから、思い思いの一人称を使えばいいんじゃないかな』 ということになりそうである。おそらくそれは正しい。自分がどのような一人称を使って、結果的に相手からどのような印象を抱かれようと、それはその人の勝手だ。
だが、期せずして 『変なイメージ』 を抱かれた場合はどうだろうか。良かれと思って "僕" という一人称を用いていたはずなのに、後になってから聞いてみると
「あんなに筋肉質でワイルドなのに、自分のこと 『僕』 とか言っちゃって……何か気味が悪いよね」
怒りに任せて扼殺しても許される案件……ではあるが、現象を止めることはできない。言葉に対して有するイメージは人それぞれであり、件の人物が "僕" という言葉に対して 『男らしくない、草食的だ』 型の考えを抱いているのであるならば、我々はそれを粛々と受け止めるほかない。
箸にも棒にもかからないような輩には何を思われても平気だ。けれど、自分にとって大切な人に対し、あらぬ誤解を与えてしまったら――あまつさえ、それが 『一人称の使い方』 という些細な部分に端を発していたとすれば。
そんな時、僕たちは一人称に対し無頓着ではいられなくなる。
僕も生まれてから25年の月日が経過し、この10月で26年目へと突入するのであるが、その人生の中において種々雑多な一人称と遭遇してきた。
僕の生まれ育った地方においては、年頃の女の子たちは自らのことを "ウチ" と呼ぶことが多かった。ファッション感覚に拠る部分が大きかったのだったのだろう。事実、クラスの中でも 『良く目立つ女子』 から率先して "ウチ" という言葉を使っていた。
結果論になるが、"ウチ" を用いる女子たちは、暴力的なまでに非処女率が高かった。悲しくて切ないが、それは真実のお話である。青春時代の僕はキープ・オン・童貞であったけれど、それが故なのであろうか、情報収集能力だけは異常に卓越していた。
「水の都ベネチアは、自分のことをウチと呼ぶ女子の股間に存在する」
当時、独自の研究の末に到達したマイ・真理がそれだ。甚だ乱暴な結論ではあるが、未だ女子を神聖視していた頃の話である。
当たり前の話だが、ウチという一人称と処女喪失との間に相関関係などある筈もない。しかし僕は、うら若き清らかな乙女たちがダーク・サイドに堕ちていくことについて、明確な理由を見つけたかった。あんな可憐な女子たちがセックスに踏み込むだなんて、おかしい!信じられない!――そんな想いが胸の奥底にあった。
だから僕は、ひどく歪な統計を用いつつ 、『"ウチ" を使うことによって、女は冥府魔道へと足を踏み入れる』という見解を得るに至り、かつ、知らずのうちに "ウチ" を憎み始めるようになった。
「木内さんって可愛いよな」
僕「やめときな、ヤケドするぜ」
「どうしてだよ?」
僕「あいつは……とんでもないオサセだからさ」
「そう断言する根拠は?」
僕「俺には分かる」
別に木内さんのパーソナリティなんて知ったこっちゃなかったが、彼女が "ウチ" という一人称を使っているのを聞いた瞬間、僕の中で彼女の全てが帰納した。
(アイツは前人未到のオサセに違いない)
(フェラのテクニックもゴイスーなんだろう)
僕は妄信し、慟哭した。もちろん、真に慟哭すべきは木内さんその人なわけであるが。ただ、当時の木内さんが弓道部の部長に操を捧げていたこと――それは確定的な真実なのであった。違う弓矢を……いや、この話はもうやめよう。これ以上続けると、大切な何かを見失ってしまいかねない。
"ウチ" という一人称について、これ以上は特に言及しない。
今度はそれ以外の一人称について考えてみよう。
■ 下の名前で自分のことを呼ぶ女性
これは女性特有の現象だと思うのだが、一部の女性は、成人してから後も、自分のことを下の名前で呼ぶことがある。小さい子供であれば中々愛嬌のある光景であるが、いい歳したレディが己を指して
「あのね、ユキちゃんね〜」
かなりスパイシーなものを感じさせられてしまう。
個人的な知見によれば、この手の女性は大きく二つのタイプに分けられる。@ かなり打算的な人物である場合 と、A 精神的に未成熟な人物である場合 の2パターンだ。
@は (意識的にせよ無意識的にせよ) 己のことを下の名前で呼ぶことにより、実年齢よりも精神年齢を低く見せるべく "演出" をしている……と僕は分析している。あるいは 『ブリっ子』 と換言してもいいのかもしれないが、いずれにせよミソなのは 『その人の精神年齢は全く低くない』 という部分であろう。
小学校時代からの知人の一人に、『下の名前+ちゃん』 の一人称を用いる女の子・Mがいた。彼女は見た目、中身、貞操観念の全てが揃ってアッパッパー、走攻守いずれも優れた名プレイヤーだった (なお、かなり昔の日記に登場した女の子・Aちゃんとは別人物であることを付記しておく)。
ある日、僕が東京の居宅で寝転がってテレビを見ていた時のことだ。さまぁ〜ずと優香が出ている深夜番組だったと思うが、その中のあるコーナーで東京のキャバクラ嬢を紹介する企画が行われていた。
僕はそれを見るともなしに眺めていたのであるが、画面一杯にMの姿が映し出された瞬間、僕の瞳孔が3メートルほど開かれた。続けて肩書きが表示される。
『歌舞伎町○○ ナンバーワンの××ちゃん』
度肝を抜かれた。彼女は田舎を飛び出し、いつの間にか花の都大東京で嬢王となっていた。
Mは心技体を兼ね備えた名選手ではあったが、きっと神がパラメーター配分を誤ったのであろう、顔面だけはトップ・スターに及んでいなかった。具体的にいえば、カマドウマを長期熟成させ、その後に二段階発酵させたようなルックスをしておられた。そんなもんだから、僕は彼女が、たとえ小箱であろうとも、キャバクラのナンバーワンに成りおおせた……という事実を受け入れ切れなかった。
この目で確かめたことしか信じない。
僕は光の速さを超えてMの携帯に連絡を入れる。
僕「お前、いまテレビに出とったろ?」
「うん、そうなの〜☆」
僕「とりあえず飲みにでも……!」
「いいよー☆」
数日後、新宿に降り立った僕はおよそ1年ぶりにMと再会する。久しぶりに顔を会わせたMの容姿は、昔とは異なっていた。具体的にはタスマニアタイガーを5、6度殴打し、その後にメタンハイドレートを浴びせかけたような様相を呈していた。
僕らは迅速にホワイトウッドへと入店すると、乾杯するや否や本論に切り込んでいく。
僕「確か普通に大学行ってたよね?どうしてこうなった?」
「え〜、だって昔からキャバで働きたかったからぁ〜、それでぇ〜☆」
僕「でもナンバーワンって、簡単になれるもんじゃないだろ」
「んとねぇ〜、色々研究したんだぁ〜☆」
Mの胸にはけしからんパイオツが装備されており、故に僕は 『肉体言語を駆使してトップの座を奪い取ったのかもしれない』 といった趣旨のことを考えていたが、真相は違った。いや、パイオツが彼女の栄光に全く寄与しなかったということはないだろうが、ことの本質はもっと別のところにあった。
彼女は実に勤勉だった。お客さん一人一人の顔と名前を覚え、様々な会話に対応できるよう知識を詰め込み、それでいて嫌味のないよう振舞えるよう努力を重ねた。絶妙なタイミングでのボディタッチも重要で、その按配を覚えるのにも随分苦心した……と彼女は語った。全てが真実だとは限らないが、仕事の話をする彼女の目つきは真剣そのものだった。
僕「どうしてそこまで頑張れるの?」
「この仕事が好きだから、かな☆」
その瞬間、僕はこれまでの評価を改め、今後は彼女のことを 『姐さん』 と呼ぶことに決定した。目標に向かって努力し、研鑽する方の後姿は、誰だっていつだって尊く輝くからである。
僕「姐さん、店に行きましょう!ナンバーワンの接客を僕に見せてつかーさい!見せてつかーさい!」
この後、僕は姐さんの店に向かい、VIPクラスの待遇を受けることとなる。20歳になって間もない頃の話だったと記憶しているが、『フルーツ盛り合わせ』 を現ナマで目撃したのはあの時が初めてだったし、僕一人に対して女性が三人付いたのも、あの日が最初で最後だった。料金はロハだった。僕は思った、「姐さん、ゴイスー!」。
下の名前を一人称に用いる人には独特のフレイバーが漂う。それは真実なのであるが、そのフレイバーが何を意味するのかは慎重に判断しなければいけない。狭量な人間だった僕は、断片的な情報から一方的にMのことを "アッパッパーな女(ひと)" と決め付けていたが、実情は異なった。下の名前を用いることこそが、彼女なりの人生演出だったのかもしれない――とは、今になって強く感じることである。
話を巻き戻して、ではAタイプの方々がどんなテイストかといえば、僕としては 『できれば近づきたくないタイプ』 と言うほかない。一部を取り上げて全体を語るのは誤った論法だが、それでもA型の人々が僕に強烈なトラウマを与えていった、それは歴史的な事実だ。ただ、それらのエピソードを語るとかなりの恨み節となってしまうため、詳細は載せない。いつか笑い話にできるようになれば、改めてブログに書きたい。
その他にも特徴的な一人称は多々あって、最近では自分のことを "僕" と呼ぶ女性、いわゆる 『ボクっ子』 なる人たちが散見される (書き言葉の形式で現れる場合がほとんどだが、ごく稀に口語で喋る人もいる) 。これについては特に思うところはない。敢えて言えば、3回に一度は強めのチョキでボコボコにし、 『そもそも僕っていうのは "しもべ男の召使い、下男" って意味なんだよ?!あなたはその辺りのことをきちんと認識して自分のことを僕って呼んでいるの?オチンポミルクなの?』 といった趣旨のことを叫びたくなる――くらいだろうか。
一人称が俺の女性。後からそっとサラシを巻いてあげたい。もしくは 『これをサラシだと思ってくれて結構だ』 と、両の手を差し出したい。
一人称がミーの女性。フランス帰りに多いと聞くが、おそらく出会う機会はないであろう。
一人称がワシの女性。ノブ子くらいしか思いつかないが、一周回って突き抜けた感があるので積極的にウェルカムだ。
一人称がわっちの女性。絶対に許さない。
命の灯火が消える最後の瞬間まで、我々は一人称と離れることができない。なればこそ、ちょっとした言葉・単なる記号だと吹聴し、一人称を軽視することはなるべく避けたい。名は体を表すというけれど、一人称に顕現される人間性というものも、確かにあるのだから。
なお、文中ではあのように書いたが、個人的に "ウチ" という言葉の響きはかなりソウルフルなものがあると思っているし、今となっては 『どうしてあの頃にもっと楽しむことができなかったんだ!』 と後悔に苛まれることしきりだし、仮に行為の最中に 「ウチ、ウチ、こんなんはじめてや……!」 ライクのことを囁かれたとすれば、その瞬間に僕は達してしまうことウケアイである。その辺りの情報、何かの参考にしておいて下さい。
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【肉欲より】
以前言及したから、いいかなと思って、つい……
http://2949.seesaa.net/article/34187209.html
若しくは
ワカパイ
わっちユーザーと同罪ですね。
肉さんじゃないゴワスッ
パイナップルをフライパンでボコボコに殴ったような顔でとてもサラシを巻く気には・・・
自分の名前が一人称の女性はわがままな人が多い気がします
自分の近辺には、
一人称が「うち」と「名前」の両方を使う
ハードパンチャーがおりまする。
【肉欲より】
ワオ……誤字デシター……
「あ、あっしっ!もう、もうイッちゃううう!!」
それがしとどっちがいいですか?
だって黒木メイサが「オイドン、イグッイグウウウウ、ラメエエエエ、ギヒィィ、ヒグウ、ビクンビクン」とか言い出したら、って考えるだけでお尻の穴がヒクヒクしちゃうワケで。
こんばんは。
これを使う女はムリ
完全に2です。
精神年齢が...
ほかのときは、『俺』です 学生です
いつもより三倍は固くなります。
女ですが、だいたい『私』ですね(^^;
さすがに最近は家でも気をつけていますが
たまたま肉さんのメイド姿日記見ましたー私も生で見たい!オフ会もぉしないんですかー(;ω;)
私もメイド服一緒着るからお願いします(;ω;)
ただ、「ちゃん(敬称)」はつけて無いけど。
今の彼と付き合うようになってから、ひどく甘えん坊になってしまって、ふとした拍子に子供がえりのようなものなのか、自分の事を名前で呼んでしまって若干恥ずかしくなってしまったけれど…
彼氏が可愛い、と言ってくれるので2人で居る時の一人称は名前になりました。
基本は「私」です。
そういえば従妹の一人称が「ボク」です。
ピュアな子です。
けど「ゥチ」と意味もなく小文字を使う子はほぼビッチといえ・・・コホンコホン
田舎だとウチが多いんですね…。東北でしたが。
あと携帯から見た時のトップwww
普段は『私』と言うよう気をつけてるけど、早口で喋ると『あっし』って言ってるらしい…。